説明責任

 クラス内の展示プレート設置場所の検討は滞りなく進んだ。クラス全員でのディスカッションを通して、最終的に市に申請を要望するのは十二箇所まで絞り込んだ。


 翌週のロングホームルーム、クラスメイトの面々は図書室で選定箇所十二箇所の説明文、その説明をするにあたる設置個所の歴史背景を調べ始めた。

 まあ正直これは、先週のディスカッションの中でも有識者に歴史背景を語らせていた部分があったので、思ったよりも滞りなく調査は進んだ。


 その翌日の水曜日。


 部活動にも励んでいない俺は、一人教室で天を仰いでいた。


「何してるのよ」


 喧騒とするグラウンドから漏れた声を聞きながら唸っていると、七瀬さんが教室に入ってきた。


「あれ、どうしたの。部活は?」


「本を読んでいたら、教室に忘れ物をしたことに気付いたの。文芸部なんて本を読んでいるだけだから、気付いてすぐに取りに来たわけよ。あなたも入ったらどう?」


 そう言いながら、七瀬さんは自席から手帳を取り出していた。


「いいかもね。七瀬さんがいるなら退屈しなさそうだ」


「なっ!」


「ん?」


 洒落のつもりで言ったら、七瀬さんが俺を睨んでいた。夕日のせいか、七瀬さんの顔は真っ赤だった。


「……で、古田君は何をしているの」


「……ああ、市役所との調整のことを考えていた」


「え、アポイントは取れたんじゃなかったの」


 市とのアポイントメントは、先日無事取れたことをクラス全体に伝えていた。


「ああ、それは抜かりないよ。だけど、どうも担当の態度が引っかかってさ」


「態度?」


「うん」


 俺は頷いた。

 市へのアポイントメントの電話は、俺が学校の電話から直接市役所にかけた。その時、年配の方が俺の対応をしてくれたのだが、高圧的な物言いが時々気になってしまったのだ。


「……まあ、長年の勘なんだけどね」


「長年って、あなたまだ十六歳じゃない」


 そうでした。しかも、長年と言う割に、俺の社会人経験はたった四年でした。

 七瀬さんは俺の前の席に腰を下ろした。


「古田君は甲府の方に住んでるのよね」


「そうだよ」


「電車通学、いいわね。楽しそう」


「楽しいよ。車窓からの景色を、毎日見ている」


 電車の所要時間は、わずか十分程度だが、見るたびに色々発見があって、やめられないでいた。


「古田君って、鉄道オタクなの?」


「違うよ。でも、道と道が頭の中で繋がる感覚は好きだな」


「何よ、それ」


 七瀬さんはクスクス笑った。


「……気になったんだけど、いい?」


 七瀬さんは聞いてきた。


「なんだい」


「最近のあなたを見ていて、古田君が変わったことはわかったの」


「うん」


「どうやって変わったのか、とかそういう疑問はあるんだけど、それよりもまずは、どうして変わろうと思ったのか、それがあたしは気になってるの。教えてもらえない?」


「……そうだねえ」


 俺は、再び天を仰いだ。


「まあ、単純だよ。不真面目に過ごしてロクな成果も出さず、将来不満はなくとも後悔するよりも、今頑張って成果を出して、輝かしい将来を掴みたい。

 そう思っただけだ」


「つまり、内申点のためってこと?」


「そうだね」


「だから、あたしに勉強教えてって言ったのね。それは納得。だけど、だったらさ。どうして、クラス活動にこだわるの?」


「どういうこと?」


「クラスの人達が、大して深く考えずに今回の町おこしってクラス活動を決めたのは承知の上でしょう? 多分、今のあなたなら一人でもそれなりに満足行く結果を出せた気がするの」


「それは買い被りすぎだよ。たかだか数週間で、君の中の僕の評価、凄い上がったね」


「茶化さないで。本当にそう思ってるんだから。

 だけど、だから不思議。

 一人でこなせそうなあなたが、どうしてクラス活動にこだわるのか。だって一人で結果を出した方が、あなたの望む将来への近道になるような気がするの」


「うーん」


 俺は唸った。七瀬さんに言われて、初めて自分の行いを深く考えなおした。

 まあ確かに。多分、今回の件くらいなら一人でも結果を出せるかどうかは別として、思考、作業はこなすことは出来ただろう。


 じゃあ、何故そうしなかったのか。


 何故、クラスでの活動にこだわったのか。


「……市に対しても、個々人での依頼よりもクラス、ひいては学校の名前を使った方が調整が楽だと思った、ということはあったと思う。

 だけど、どう動いてくれるかわからないクラスメイトを先導して、そんな手間を背負う面倒臭さと天秤にかけてまで、どうしてクラス活動にこだわったかと言われれば……。


 多分それは、その方が青春している気がしたから、かな」


 不満はないけど、後悔はある前の人生を振り返って。


 俺は多分、より良い将来を望むとともに、今青春を渇望していたのだと思う。

 面倒臭いと思うことを、笑い合える連中と共に乗り越えて、時々打ち破れて。

 そんなことを、繰り返して行きたかったのだと思う。



 七瀬さんは、大きな声で笑っていた。


「笑うなよぅ」


「ごめんごめん。そう、青春したいんだ」


「悪いことじゃないだろう。学生が青春するのも、青春を渇望するのも当然だ」


「そうかもね。だけど、本当に変わったね。古田君」


 再び笑う七瀬さんに、俺はなんだか気恥ずかしさを感じ始めていた。


「俺、そろそろ職員室に行くから」


「え、なんで? 宿題でも忘れたの?」


「違う。市への説明資料、須藤先生と詰めることになっているからさ。ウチ、パソコンないんだよ」


 照れを隠すように捲し立てて、俺はあっと声を上げた。

 これ、七瀬さんに黙っていた奴だった。


「何、それ。あたし聞いてない」


 途端、笑いをやめて鋭い目で睨まれながら、七瀬さんは冷たく言った。


「そりゃあ、言ってないからね」


「なんで」


「はい?」


「なんで、言わなかったの?」


「そりゃあ、部活で忙しいと思って」


「ふーん」


 七瀬さんは唇を尖らせていた。


「わかった。じゃあ、行きましょうか」


「なんて?」


「あたしも行く。構わないでしょう」


「……構う。部活あるんだろ」


「大丈夫よ、気にしないで」


 七瀬さんは、再び微笑んだが、その笑顔はどこか怖かった。


「勘違いしないでよね。あなたに任せることが不安なだけだから」


 七瀬さんと言う人は、未だどんな人か掴み切れていないのが本音だが、今わかるのはとりあえず、素直な人じゃないなあ、ということだった。


   *   *   *


 GWが明けた最初の火曜日のロングホームルームの時間は、山鳴市役所の地域資源課の地元復興担当にお会いする日となっていた。

 市役所へは俺と七瀬さん、須藤先生で向かい、他のクラスメイトは自習をする、ということになっていた。


 半分課外授業みたいなもので、他クラスメイトからは非難交じりの文句を頂戴したが、ここは大人の余裕で適当にお茶に濁してこの場にやってきた。


 学校からは市役所までは意外と距離があったので、校用車を須藤先生が借りて、運転してきてくれた。


 日頃、俺軽自動車しか運転しないよーとか須藤先生は危険なセリフを宣っていたが、何とか無事市役所まで辿り着いた。


 地域資源課は市役所西棟の四階にあった。そこに向かい、アポイントの件を受け付けの人に伝えると、すぐに応接室に俺達は案内された。


 応接室で少し硬いソファーに腰を下ろすと、隣には七瀬さん。誕生日席に須藤先生が腰かけた。


「緊張してる?」


 車に乗ってきた時から少し思っていたが、どうにも今日の七瀬さんの顔色は優れていなかった。


「うん。少し」


「素直に弱音を吐くあたり、本当らしい」


「そりゃあ困ったなあ」


 須藤先生と二人でいじると、二人して七瀬さんから鋭いお睨みを頂いた。


「大丈夫だぞ、七瀬。先生もこういう場慣れてないから、結構やばい。だから大丈夫だ」


「それ、微塵も大丈夫じゃないですよね。……古田君は、大丈夫なの?」


「ん。だって相手も、同じ人間だからな」


 和ますつもりで言ったのだが、二人に苦笑される結果に終わった。


「今日はクラス活動って大義名分を使って、先生基本黙ってるから、二人ともよろしくな」


「それ、先生から言い出しちゃダメなやつでしょ」


「すまん」


 軽薄に謝罪する須藤先生に目を細めながら、俺は七瀬さんの容体を案じた。

 一応、今日の説明は、先日の資料作成介入の一件もあって、意固地になった七瀬さんが行うことになっていたのだが、どうにも心配である。

 多分、緊張もそれ込みで来てるだろうし。


「先生はフォローしてほしいことがあったら、目配せしますから」


「了解です」


「で、七瀬さん。大丈夫かい」


「……うん。頑張る」


 七瀬さんは気弱に返事をした。


「何かあったら即興で俺が話すから。安心してやられてくれ」


「やられること前提なの?」


「何かあってもいいように、五月に市役所にファーストトライを持ち込むように諭した部分は正直ある」


 素直に吐露すると、七瀬さんの顔が不安ににじんだ。気を和ませるつもりが、どうやら逆効果だったらしい。


「七瀬さん、大丈夫だよ。普通に考えて、向こうに利益のある提案をしに来たんだから、変な粗相をしない限り向こうが怒ることなんて絶対にない。

 で、今日まで君の練習に付き合ってきた感じ、君がそんな人を怒らせるような粗相をする人ではないことは、俺と……先生はダメかもだけど、とにかく保証する」


「おい」


「だから、とにかく気楽にやってくれ。身構えても余計緊張して、悪い結果にしかならないぞ。開き直り、マジ大事。ほら、深呼吸して吐いて」


 七瀬さんは俺に促された通りに大きく息を吸って、吐いた。


 丁度その時、待ち人が扉の前に現れたらしい。扉がノックされた。


「ああ、どうも」


 扉が勢いよく開くと同時に、担当の中年男性が入ってきた。


「こんにちは。山鳴高校二年三組担任の……」


「そういうのいいよ。さっさと始めよう」


 俺達三人に、緊張が立ち込めた。中年男性の機嫌が、どうもあまり良くなかった。

 

 中年男性は、俺達の向かいのソファーに腰を下ろした。


「こんにちは。山鳴高校二年……」


「いいから。始めようって」


 自己紹介から入ろうとした七瀬さんを一蹴する中年男性に、俺は何をそんなに急く必要があるのだろうと思っていた。


 で、中年男性が一蹴した拍子に俺の後ろ上を覗いて、気付いた。


 まもなく、時刻は一七時半。市役所の定時は、一七時四五分。


 この人さては、定時にさっさと帰りたいんだな?


「えぇと、事前にこちらの古田からアポイントの連絡とメールで資料を送らせて頂きましたが、御覧頂けましたでしょうか」


「ああ、見た見た。で、単刀直入に言うよ。ダメだ。こんなの。全然ダメ」


「……え」


 中年男性の再びの一蹴に、七瀬さんと須藤先生が固まった。


「もうね、こんなのに付き合ってる暇ないんだよ、こっちは。忙しいってのに」


 そして中年男性は、先ほど俺が絶対に怒ったりしないと言った台詞を嘲笑うかのように怒りだした。


「え、えぇと……」


「君? こんなくだらないこと考えたの」


 中年男性は、七瀬さんを標的に文句を始めようとしていた。


 七瀬さんは、驚きと怯えを孕んだ顔をしていた。目尻に微かに、涙が溜まっているように見えた。




「いいえ、僕です」


 俺は言った。七瀬さんが居た堪れないという気持ちもあったが、まあ、それが事実だし。


「お前か、こんなくだらないことしやがって」


「くだらない、ですか」


「そうだよ。こっちは忙しいのに、そういや電話したのもお前だったな。お前の声だった」


「はい。そうです」


「ふざけやがって。忙しいんだよ、こっちは」


「そうですか。そんな話をしに来たのではないので、本題に移っていいですか?」


 埒が明かないと思って、俺は言った。


「あん?」


「くだらない。忙しい。それはわかりました。そんなお忙しい中、こちらの話を聞く場を設けてくれてありがとうございます。

 それで、結局僕達の町おこしの案はいいんですか。ダメなんですか?」


「は?」


「くだらない。忙しいでは、答えになっていないってことですよ。この場はあなたの不幸自慢を聞く場ではないんです。僕達としても建設的な話がしたくてですね。

 で、どっちなんです?」


 中年男性は苛立ったように貧乏ゆすりをしていた。


「ダメだよ。こんなのじゃ、話にならないんだよ!」


 中年男性は叫んだ。


「そうですか。どこがダメですか?」


「んなもん、自分で考えろ!」


「何故ですか?」


「あ?」


「あなた、自分の役割を誤解してませんか? あなたの役割は、僕達の立案した町おこしが実施するに至るのか否なのか。ダメならどうしてダメなのか。

 それをキチンと説明することでしょう? 説明責任を果たしてください。こちらだって慈善事業でこうしてアポイントを取って、資料まで作って話をしに来たんじゃないんです」


 俺は言った。


 中年男性は露骨な舌打ちをして、俺の背後の時計の時間を確認した。


「お前達の町おこし案は、展示プレートの実施だったか。そんなの金がかかるだろう。だからダメなんだよ」


「そんな説明で誰が納得しますか?」


「なんだとっ?」


「数字で語ってください。そうしなきゃ具体性が何もない。それに、こちらの資料、本当に目を通してくれていますか?

 こちらの資料で展示プレート費用、管理費を見積して、費用対効果の頁を挿していましたよ。お金がかかるからダメだなんて、まるでお話になっていない。その頁をもし見ていたら、そもそもそんな言葉出てこないでしょう。




 もしかして、あなたふざけてるんですか?」

 


 少しだけ怒気を孕ませた声色で、俺は中年男性を威圧した。

 

「い、忙しかったんだよ」


「忙しかったからなんです?」


「は?」


「だから、忙しいからなんです? 言葉が全く足りません。

 忙しいから資料を見てない。忙しいけど資料は見た。だけど忘れた。

 どっちですか?」


「み、見てねえよ」


「なら、いつまでに見れますか?」


「な……っ」


「あなた、自分の仕事を何もしてないって意味ですよ、それ。よくあんな横暴な態度に出れましたね」


 俺が煽ると、


「うるせえんだよ、クソガキッ!」


 中年男性は怒った。


「よくわかりました。あなたがこちらの依頼を無下にする気ってことだけはね」


 俺は呆れながら立ち上がった。


「もうあなた方には頼らない」


「はん。勝手にしろ」


「これ、テレビ局に持ち込みます」


「は?」


「高校生が費用対効果まで計算して地元復興に力を入れる。多分、テレビ局に協力を仰げば協力してくれると思うんです。向こうとしても、高校生と協力した地元復興だなんて、結構おいしいネタでしょうし。

 ついでに、市には横暴な態度で無下にされて一切協力してもらえなかったと言えば、それはもう目の色変えて飛びつくでしょうね」


 見る見ると中年男性の顔色が青くなっていった。


「し、証拠なんてないだろ」


「必要ないでしょ。事実確認にあなたの元に取材が来るだけだ。そういう取材が来た時点で、あなたの立場が危うくなることくらいわかるでしょ?

 そもそも、今回の件は全てあなたの逆切れでしょう。頭ごなしに怒れば何とかなると思いました?」


 中年男性は黙りこくった。


「いいですよ。町おこしの件、市と協力させてもらっても」


「ほ、本当か?」


「その代わり、あなたじゃ話にならないので、今すぐ上司をここに呼んでください」


 俺は応接間の隅に付いている内線電話を指さした。


「定時、過ぎちゃいましたね」


 中年男性は苦虫を噛んだ顔で、トボトボと電話の方に歩き始めた。

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