25.キスマークの真意

次の日、シリウス様は再び姿を消してしまった。


「御主人様を破滅させる……シレンがそんなことを?」


シリウス様と入れ替わったシヴァ君は、昨夜のことを覚えていない。

ランチの準備を一緒にしながら、私は昨夜起きたことを話して聞かせた。


「うん……どういう意味だろ?」


「たぶんシレンは、ボクが御主人様に無理やり身代わりにさせられたと思い込んでるんですよ」


「……なんだかすごく、憎んでる感じだった」


「はあ……困ったなぁ、ボクがシレンと直接会って話せたらいいんですけど……」


「シリウス様も、シヴァ君に会いたいだろうね」


寂しそうなシヴァ君の手を、私は励ましたい一心でそっと握った。


「一心同体だとはいえ、こうやって向き合って……話せないのは辛いよね」


「うん……辛い、すごく会いたいよ……」


「うんうん、ずっと会えてないんだもんね」


「そう、3年も……僕とシヴァは、兄さんに引き裂かれたんだ」


「そうだよね、3年も……ん? 兄さん?」


繋いだ手から目線を上げ、シヴァ君の顔を見ると……


「し……し……シリウス様っ!?」


いつの間にか、シリウス様に変わっていた。


「えっ!? な、なんで僕、シヴァと入れ替わって!?」


ばっと私の手を振りほどいて、自分の顔を覆うシリウス様。


「プギョーーーッ!? プエエッ!!」


ペロリンも突然の入れ替わりに驚いて、警戒モードに入る。


「今まで満月の次の日以外、入れ替わるなんてことなかったのに……まさか、君の魔力のせいで!?」


「ええっ!? わ、私!?」


「絶対そうだ! 君のせいで、僕たちの魔力の流れが変わったんだ!」


「そっ、そんなすごいこと、私にできるわけが……」


「じゃあ、どういうことか説明してみろ!」


シリウス様がテーブルの上の食器を手で払い除け、床へ叩き落とした。


「ちょ、落ち着いてください!」


「ティアラ? ……何、騒いでるんだ?」


「相変わらず騒がしいな」


そこへ、グラウス様とアレクセイ様が連れ立って現れた。


「チッ」


シリウス様は身をひるがえし、台所から飛び出していく。


「わっ、なんだシヴァ! 危ないじゃないか」


「……いや、今のは……シヴァじゃない」


遠ざかるシリウス様の背中を、静かに見つめるグラウス様。


「はっ!? じゃあ……今の、シリウス様!? おい、追いかけなくていいのか?」


「……話したくなれば、向こうから来るだろう」


「はあ……お前の、そういう一歩引いた態度が問題をややこしくするんだぞ。いい加減、気づいたらどうだ」


「勝手に分析するな。それより……怪我はないか?」


テーブルから顔だけ出していた私へ、グラウス様は気遣うように手を差し出した。


「……あ」


『魔力がある者は、身体に触れればわかる』


「はっ、はい! 大丈夫です」


瞬間的にシリウス様に言われたことを思い出して、グラウス様の手を借りずにシャキッと立ち上がった。


「?」


グラウス様は一瞬首を傾げ、差し出した手を引っ込める。


う……、ホントはものすごく手繋ぎたい……けどっ!

グラウス様に触れたら、魔力があるのがわかっちゃう……そしたら無断で聖樹に触れたこともバレて……。


「おっと、割れた食器は俺が拾うから、お前は他のものを片付けろ」


「あ、ありがとうございます」


テーブルの下を片付け始めると、アレクセイ様も一緒に屈んで手伝ってくれた。


「……ん? なんだよ、これ……キスマーク?」


アレクセイ様が私の髪をかき分け、首筋へそっと触れた。


「ひゃあっ!? くすぐったい! い、いきなり触らないでくださいよっ」


「キスマーク……?」


また首を傾げるグラウス様。端整な顔と仕草がちぐはぐで、なんか可愛い。


「強く接吻するとできる内出血だよ」


「接吻……」


グラウス様がはっと口元を押さえた。


「誰にやられたんだ? もしかして……シリウス様?」


「……何?」


「まっ、まさか!! ち、違います……こ、これは……そのっ」


しかしグラウス様だとも言いにくく、私は視線を彷徨さまよわせた。


「そうか、ではやはりあの時の……悪かった、あざが残るほど強く吸い付いたつもりはなかったんだが」


きっとあざを確認するためだろう、グラウスが私の首元へ触れようと手を伸ばしてきた。

……が、私はグラウス様から逃れるように一歩下がる。


「だ、大丈夫です! 今まで気づかなかったくらいですからっ……」


キスマークを手で隠し、私はさらに後ずさる。

今度は明らかに怪訝けげんな顔をされた。


うう……っ、ホントは避けたくなんてないんです! でも、でもっ……!!


「はっ……? う、嘘だろ、キスマーク付けたの……グレンなのか!?」


衝撃の事実に固まるアレクセイ様。


「き、キスマークなんて大袈裟ですよっ……グラウス様はそんなつもりでやったんじゃ」


「ってことは本当なんだな? ……あっはっは! お前……すごいな、王子様を二人もたぶらかすなんて」


「たっ? たぶらかす!? その言い方、人聞きが悪すぎますっ!」


「だってその通りだろう。まずはシリウス様、そしてグレンまで……はー、おそれ入ったよ」


アレクセイ様が妙な感心をしている間に、グラウス様は台所から出て行ってしまった。


「はあぁっ、お前のどこに、そんな魅力があるのかねぇ……まあ、グレンは昔から変なものが好きだったからな」


「変なもの……?」


「変というか、弱いもの……っていうのかな。肩入れしたってなんの得にもならないのに、助けたり保護したり……よくやるよ」


「グラウス様は優しいですからねっ、……誰かさんと違って!」


「あはは、俺は利益がないことはやらないだけだ」


「開き直ってる……というか、メチャクチャ正直ですね」


「ふっ、褒め言葉として受け取っておこう」


アレクセイ様は割れた食器を綺麗に片付け、胸を張る。


「……でも、こうやって危ないことを代わりにやってくれたり……アレクセイ様も実は、けっこう優しいですよね」


「は? ああ……完全に無意識だった。まあ俺は根っからの紳士だからな、レディに危ない真似はさせられない」


「んふふ、照れてる~。可愛いー」


「あのな……俺はグレンじゃないから、そういう言葉にたじろいだりしないぞ」


と言いつつ、居心地の悪そうな顔をするアレクセイ様。


「しかしまあ、好き勝手言ってくれるじゃないか。そうやってズケズケと物を言うところが、グレンも気に入ってるのかもな」


あ……それはグラウス様にも言われたかも、『わかりやすい方がいい』って。


「おい、これを首に貼っておけ」


いつの間にかグラウス様が舞い戻り、私に湿布を差し出した。


「あ……ありがとうございます」


「ふふ、キスマークごときで過保護だな。でも……隠すことないだろ、せっかく見せつけるために付けたのに」


「えっ!?」


「だってそうだろ? わざわざ見えるところにキスマークを付けるなんて……『ティアラは俺のものだ』と主張してるようなものだ」


「何を言っている。そんな意図はない」


「そ、そうですよ! そもそも昨日、アレクセイ様が私に変なちょっかいをかけるから……!」


「ってことは、あの直後に? あっはっは、ならやっぱり俺に対する牽制けんせいだろう。ティアラには手を出すな、というな」


「いい加減にしろ、ドロン。おまえの戯言ざれごとに付き合うのもうんざりだ」


グラウス様は口元を手で押さえ、眉をひそめた。


「照れるな照れるな。そうだティアラ、いいことを教えてやる。ほら……ああやってグレンが口元を手で押さえるときは、本心を隠したいときなんだ」


「え? あ……そういえばグラウス様、その仕草よくする……かも」


「へえ、珍しいな。いつも率直に物を言うグレンが……ティアラに、何をそんなに隠したいのかな?」


「黙れ、これ以上余計なことを吹き込むな。さもなくば……おまえの昔話も、こいつにたっぷり語って聞かせるぞ」


「おー怖い怖い……はいはい、おおせのままに」


「えー、二人の話、もっと聞きたいです」


「おい」


「お前な」


グラウス様とアレクセイ様、端整な二人から同時に突っ込まれる。

なんだかこそばゆいような面映おもはゆいような……和やかな空気が、その場に流れていた。

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