第24話Shine  ヒナ【年上から仕掛けるキス】

◇◇◇◇◇


それはなんの前触れもなく突然のことだった。

「……はい?」

私は思わず動きを止める。

「だから今度あるパーティーにヒナも参加してほしいんだ」

マサトがもう一度さっきと同じ言葉を繰り返す。


今日、マサトはいつもに比べるとずいぶん早く帰宅した。

マサトが早い時間に仕事から帰ってくるということはとても珍しいことだったりする。

あまりにも早いので体調でも悪いのかと心配してしまった。

だけどどうやらそんなことはなくマサトはいたって元気らしい。

だから私はマサトと一緒に夕食を食べようとすぐに準備に取り掛かった。

料理はできていたので、お皿に盛り付け、テーブルに並べるだけでいい。

準備が整い、揃って食べ出してすぐ、マサトがこの話題を口にしたのだ。


手に持っていたお箸を置き

「ちょ……ちょっと待って」

私は何とか頭の中を整理しようとした。

「ん?」

「な……なんで?」

「なにが?」

「なんでパーティー?」

「今回のパーティーは組関係じゃなくて任せてもらってる会社関係のパーティーなんだけど」

「うん」

「既婚者はパートナー同伴が条件なんだよ」

「そ……そうなの?」

「うん」

「でも、今まで一度もそういうのはなかったんだけど」

……そう、マサトはあまり私を外に出したがらない。

もっと厳密に言えば仕事に関わらせようとはしない。

だから私の前で仕事に関する話をすることも滅多にないから、私は未だにマサトがどんな仕事をしているのかさえよく分かっていなかったりする。

それはマサトが特殊なお仕事をしているからだというのは理解できているから、私も追及して聞いたこともない。

だからこうしてマサトが仕事関係のことで私も一緒に……というのはとても珍しいことだった。


「それは上手く誤魔化せてたのとそこまで目立つ立場じゃなかったから」

「そ……そうなんだ。……ってことは、私も絶対に参加しないといけないってことだよね?」

「そういうことになるな」

「そうなんだ。それなら仕方ないね。因みに……」

「ん?」

「そのパーティーっていつ?」

「今週末」

「はいっ⁉」

「なんだ?」

「今週末ってあと2日しかないんだけど⁉」

こんな重要なことをどうして2日前に言うのか……私は困惑していた。

ただの食事会とかならまだしもパーティーとなるとドレスコードとかもあるだろうし、それなりに準備の時間も必要になってくる。

その時間だって不慣れな私には人よりも多くの時間が必要なのに……。

「あぁ、そうだな」

「マサト、そんなにのんきにしてる場合じゃ……」

と……とりあえず、ネットでパーティーマナーを調べて……いや、その前にドレスとか持ってないからドレスを買わないといけない。

てか、パーティー用のドレスってどこに行けば買えるの?

あ~、時間があるなら通販で注文することもできるのに、2日しかないんだから絶対に間に合わない。

どうしよう……。

完全にパニックに陥っていると

「大丈夫」

なぜかマサトは余裕の笑みを浮かべた。


「……なにが?」

「今回のパーティーではヒナは俺の横にいればいいだけだから」

「そ……そうなの?」

「あぁ、最低限のマナーだけ覚えればいい」

「その最低限のマナーすら分からないんですけど」

「俺の真似をすれば問題ない」

「そ……そっか」

それならなんとかなるかもしれない。

ホッとしたのもつかの間で、すぐに次の不安が押し寄せてくる。

「でも私、パーティーになんて出席したことないんだけど」

「知ってる」

「パーティーに来ていくような服も持ってないし」

「あぁ、それも心配はいらない」

「へっ?」

「今回は姐さんがいろいろと教えてくれる」

「姐さん?」

「そう、綾姐さん」

「綾さんって、蓮くんのお義母さん?」

「あぁ」

「私、挨拶ぐらいしかしたことないんだけど」

「だろ? だからいい機会じゃねぇか」

「いい機会?」

「そうだ。綾さんと親しくなっていれば今回だけじゃなくて今後もいろいろ教えて貰えるし」

「それはそうだけど……」

「なんだ?」

「綾さんって怖くない?」

「……」

「えっ? なんで黙り込むの⁉」

「……大丈夫」

「なにが大丈夫なの?」

「綾さんは確かに男には厳しい」

「う……うん」

「でも女にはものすごく優しい」

「本当に?」

「あぁ」

「……そっか」


綾さんは、マサトが所属している組の組長さんの奥様。

何度かお会いしたことはあるけど、本当にごあいさつ程度の言葉しか交わしたことがない。

だからどんな女性なのか詳しくは知らないのだ。

見た感じは、すごく美人でモデルみたいなナイスバディの持ち主。

マサトの話を聞く限りじゃ、サバサバとしていて組長の奥様だけあって度胸があり、気も強いらしい。

極道相手でも絶対に引かないらしい綾さんはまさしく極妻と呼ぶにふさわしい女性だと私は勝手に認識している。

パーティーに参加したこともなく、知識も経験もない私は綾さんにいろいろと教えて貰えることはありがたい。

だけど綾さんという人のことを直接知らない私には不安の方が大きかった。


「ヒナ」

「……なに?」

「綾さんとはできるだけ仲良くなっていた方がいい」

「えっ?」

「同じ境遇にいる同性の知り合いは、いろいろなことも相談できるし困った時には必ず力を貸してくれる」

……確かにマサトの言う通りかもしれない。

私には今、同じ境遇で相談などができる人がいない。

……というか、マサトと結婚してから同性の友達と呼べる存在すらいないのだ。

今はマサトがいるからいいけど、万が一マサトになにかあって相談できない時は確実に困ってしまうことは容易に想像できる。

綾さんと親しくなれるのならば、いろいろ教えて貰うこともできるし相談することだってできる。

「……うん、分かった」

私はこれをチャンスだと思うことにした。

「早速だけど明日の昼間に綾さんが買い物とか必要なことに付き合ってくれるらしい」

「明日?」

「都合が悪いか?」

「ううん、都合は悪くないけど」

「けど?」

「ちょっと心の準備をする時間が足りないなって思って」

「そんなことしなくてもいい」

マサトはそう言って笑っていた。

だけど残念なことに私はとてもじゃないけど笑う余裕なんてなかった。


◇◇◇◇◇


翌日のお昼過ぎ。

マンションのエントランス前で待っていると、黒塗りの高級車が颯爽と現れ、私の前で停まった。


「ヒナちゃん~!!」

フレンドリー勘満載で車から降りてきた綾さん。

「お……お疲れ様です」

私の緊張感はピークに達していた。


「ごめんね。お待たせしちゃって」

「いいえ、とんでもないです。こちらこそ、お時間をいただいてしまってすみません」

「気にしなくていいのよ。私はいつも暇なんだし」

「恐れ入ります」

「そんなにかしこまらないで。今日は気楽にショッピングやその他諸々楽しみましょうね」

「はい。よろしくお願いします」

「うん。じゃあ、行きましょうか。乗って」

綾さんに促されて

「失礼します」

私はドキドキしながら黒塗りの高級車の後部座席に乗り込んだ。


車が走り出すとすぐに綾さんが話しかけてくれた。

「ごめんなさいね。こんないかにもな感じの車で……。ヒナちゃんとのお出かけだから私が運転して行くって言ったんだけど、響さんや蓮に猛反対されちゃって」

「そうなんですか?」

「うん」

「綾さん……じゃなくて、姐【ねえ】さんは……」

なんと呼べばいいか迷った私に

「名前でいいわよ」

綾さんはそう言ってくれた。


「あっ、はい。綾さんは運転免許を持ってらっしゃるんですね?」

「えぇ、18歳になってすぐに響さんが取らせてくれたの」

「へぇ~、そうなんですね」

「ヒナちゃんは持ってないの?」

「はい。何度か自動車学校に通ってみようかって考えたんですけど、その度にマサトに反対されてしまって」

「そうなんだ。マサトは一度言い出したら聞かないものね」

「そうなんですよね。でもやっぱり免許はあった方が便利ですよね」

「うん、そうね……って言いたいところだけど、私もよく分からないの」

「えっ? 分からないんですか?」

「うん。免許は持ってるんだけどそんなに運転はしたことがないの」

「あぁ、自分で運転する機会が少ないんですね」

綾さんだったら出掛けるとしても運転手さんがいるんだから自分で運転する必要なんてないよね。

私はそう考えたけど

「ううん、そうじゃないの」

綾さんは否定した。

「はい?」

「なんか私は運転に向いていないらしくて」

「向いていない……んですか?」

「うん。だから響さんから公道で運転しちゃダメだって言われるの」

「えぇ⁉」

「私はね、運転に向いていない訳じゃなくて運転する機会が少なすぎて慣れていないだけだと思ってるんだけど」

「そうですか」

「うん」

……そうか。

運転する機会が少なかったら慣れるのも一苦労だよね。

私はそう考え納得した。


すると

「ちょっと、松本。なに笑ってるの?」

綾さんが突然、運転席の方をキッと睨んだ。

どうやら運転手さんは松本さんとおっしゃるらしい。

「……すみません」

松本さんは申し訳なさそうに謝った。


「じゃあ、運転はしないんですね」

「そうね。あっ、でもたまに家の敷地内で運転させてもらってるのよ」

「そうなんですね」

「うん。あっ、そうだ。ヒナちゃん、今度ウチにも遊びに来てよ」

「えっ?……あ、はい」

「ヒナちゃんに運転してるところを見てもらって、私が運転に向いていないのかどうか判断してもらったらいいんじゃない?」

……えっ?

それってかなり責任重大じゃない?

てか、松本さんがさっきから小刻みに首を左右に振っているように感じるのは私の気のせいだろうか?

これはもしかして引き受けちゃいけないって松本さんは無言で教えてくれてるのかもしれない。

なんとなくそう思ったけど、綾さんからの提案を私ごときが断れるはずはなく

「そ……そうですね」

そう言うしかなかった。


「よし、じゃあウチに遊びに来てもらう日時はあとで連絡するから」

「は……はい、ありがとうございます」

「とりあえず今日はパーティーの準備を済ませないとね」

「よろしくお願いします」


こうして車の中での会話は途切れることがなかった。


◇◇◇◇◇


綾さんが連れて来てくれたお店は有名なブランド店で、ひとりだったら絶対に入らないようなお店だった。

お店の外から見られるショーウィンドウからして高級感が半端なかった。


「うわ~、すごいですね」

「パーティーに着ていく服やアクセサリーや靴類、それにバッグ類は大抵この店で揃うから、今度またお呼ばれする機会があったらこの店に来るといいわよ」

「ありがとうございます。参考になります」

「うん、じゃあ入りましょうか」

「はい」

お店に入った途端

「神宮様、いらっしゃいませ。いつもご愛顧いただきありがとうございます」

すぐに店員さんが駆け寄ってきた。

「こちらこそお世話になってます」

どうやら綾さんはこのお店の常連さんらしい。


「本日はどのようなものをお探しでしょうか?」

「こちらの奥様がパーティーにお呼ばれされたから一式見立てていただこうと思って」

「かしこまりました。とてもかわいらしい奥様ですね」

「そうでしょ?」

「えぇ、もしかして、神宮様の妹様ですか?」

……えっ?

いくらなんでもそうは見えないでしょ?

綾さんは超絶美女で色気満載の女性で、私はただのちんちくりん女。

綾さんと私の共通点って言えば、女ってことと、人妻ってことだけ。

てか、綾さんも私なんかと姉妹だとか言われた迷惑だってば……。

私は綾さんが気分を害してしまうんじゃないかと内心ヒヤヒヤしていた。


だけど綾さんは

「あら、よく分かったわね」

気分を害する様子は全くなく、それどころか否定すらしない。

「……へっ?」

私は唖然としてしまったけど、会話はどんどん進んでいく」

「やはりそうでしたか。ご姉妹揃ってお美しいですね」

……すごい。

やっぱりこんな一流のお店になると、お世辞も一流なんだ。


「今日は妹がパーティーで魅力を存分に発揮できるようにお願いしますね」

綾さんの無理めな注文にも

「承りました」

店員さんは笑顔を崩すことはない。


「神宮様、コーディネートのコンセプトはどのようにいたしましょうか?」

「そうね……じゃあ、“旦那がキスをしたくなるような奥様”でお願いしようかしら」

私は最初綾さんが冗談を言っているんだと思った。

なんでこのタイミングで冗談を言ったのかは分からない。

だけど、こういうところでは私が思いつかないようなタイミングで冗談を言うのかもしれない。

そう考えると納得ができた。

だってどう考えても綾さんが言ったコンセプトが真剣に言っているとは思えなかったから。


でも――

「了解しました。お任せください」

店員さんは頼もしい返事をくれる。


……あっ、それでお任せできるんだ。

戸惑っていたのはどうやら私だけらしい。


「それでは神宮様はこちらでお掛けになってお待ちください。すぐにお飲み物をご準備させていただきます」

「ありがとう。じゃあ、ヒナちゃん変身してきてね」

「は……はい」


「妹様はこちらでご試着をよろしいですか?」

「あ、はい」


それから2時間弱。

私は完全に着せ替え人形と化していた。

店員さんが選んでくれるドレスを何着も試着し、その度に綾さんのアドバイスをいただいて一着のドレスに絞る。

ドレスが決まると今度は、そのドレスに合わせて靴やアクセサリーやバッグを選んでいく。

目的のものが全て揃った時には、私は完全に疲れ果て、屍のようになってしまっていた。


「これでショッピングは一応終了ね」

「はい。一緒に選んでいただいてありがとうございました」

「どういたしまして。あとはネイルサロンと美容室ね。私の行きつけのお店でいい?」

「はい、お願いします」

「よし、じゃあ行こうか」

「はい」


パーティーの準備は結局一日がかりとなってしまった。


◇◇◇◇◇


その日の深夜。

帰宅したマサトは開口一番

「ヒナ、どうだった?」

そう尋ねてきた。

「うん、必要なものは全部買えたよ」

「そっか。疲れたか?」

「うん。慣れないことをすると疲れるよね」

「確かに」

「綾さんはどうだった?」

「すごく優しかった」

「そっか」

「ドレスだけじゃなくてアクセサリーやバッグも一緒に選んでくれたし」

「あぁ」

「美容室やネイルサロンも紹介してくれたの」

「へぇ~」

「あと、今度遊びにおいでってお家にも招待してくれたの」

「そうなのか?」

「うん。日時が決まったら連絡をしてくれるって」

「……そうか。良かった」

「なんでホッとしてるの?」

「今だから言うんだけど……」

「なに?」

「綾さんは気に入った女にしか優しくしない」

「……はっ? でも、マサト言ったじゃん。綾さんは女には優しいって」

「それを正直に先に言ったら、ヒナがプレッシャーを感じるだろ」

「それは……そうだけど……」

「結果的にヒナは綾さんに気に入ってもらえたんだからなにも問題はないだろ」

「……うっ……」

「良かったな。これからたっぷりかわいがってもらえるぞ」

確かに結果的に気に入ってもらえたのならば問題はない。

でも、事前に教えて欲しかったという気持ちも少なからずある。

でも事前に分かっていたらそれはプレッシャーになっていたに違いないので、やっぱり知らない方が良かったのかもしれない。


◇◇◇◇◇


パーティー当日。

お昼過ぎ、私は綾さんに紹介してもらった美容室でヘアーメイクをしてもらっていた。

間もなく終わるという頃、私のスマホが鳴った。

綾さんからの着信だったので

「すみません、ちょっといいですか?」

「どうぞ」

お店の人に断ってからスマホを耳に当てた。


「はい、もしもし」

『ヒナちゃん?』

「はい。綾さん、お疲れ様です」

『準備の方は順調?』

「はい。もうすぐ完成です」

『そう、よかったわ。どう?気に入ってくれてた?』

「はい。とても素敵でまるで自分じゃないみたいです」

『なに言ってるの? 元がいいからドレスやヘアメイクが生きるのよ』

「そうだといいんですけど」

『マサトもヒナちゃんのことをみんな自慢したくなるんじゃない?』

「そうでしょうか?」

『そうよ。今日のコンセプトは覚えてる?』

「はい。“旦那がキスをしたくなるような奥様”ですよね?」

『うん。仕掛けは完璧だからあとはかかるのを待つだけよ』

……なんか魚釣りみたい。

私は思わず笑ってしまった。

「分かりました。気長に待ちます」

『じゃあ、報告を楽しみにしてるわね』

通話を終えてから私は考える・。

マサトは今の私を見て、キスをしたくなったりするんだろうか?


確かに鏡に映る私はいつもと違うけど、だからって理性的なマサトがついキスするとは思えなかった。


全てが終わったタイミングで

「神楽様、ご主人さまがお迎えに来られましたよ」

店員さんがそう教えてくれた。

「あっ、はい」

「とってもお綺麗ですよ」

「ありがとうございます」

店員さんの言葉は営業用だと分かっていても、褒められて悪い気はしなかった。


「お待たせしました」

……あっ、マサトもおしゃれしてる。

かっこいい。

迎えに来てくれたマサトもパーティー仕様でばっちりと決まっている。


「神楽様? いかがでしょうか?」

店員さんがマサトに尋ねると

「あぁ、すみません。つい見惚れてしまいました。家内を綺麗にしてもらってありがとうございます」

マサトは私が予想していたものとは違う反応をみせた。

「こちらこそありがとうございます。またのご利用を心からお待ちしております」

店員さんに見送られ、私とマサトは店を出る。


お店の前にはマサトの車が停まっていた。

「足元、気を付けて」

ドレスを着ているからか、マサトが手を貸してくれる。

「うん、ありがとう」

お礼を言って、車のシートに腰を降ろした途端、私はマサトに唇を塞がれてしまった。

触れるだけのキスを落としたマサトはすぐに私から離れる。

「……マサト?」

「悪い。我慢できなかった」

どこか気まずそうなマサトの顔を見て

……綾さん、あなたの作戦勝ちです。

ぜひ私を弟子にしてください。

私は密かにそう思った。


Shine  ヒナ【年上から仕掛けるキス】完結

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