第22話Pure Heart 葵【甘美なキス】

◇◇◇◇◇


ある日の夕方。

私は繁華街のメインストリート沿いにあるカフェで人と待ち合わせをしていた。

その相手小学6年生までいちばん仲の良かった親友。

私と愛菜と莉央。

私たち3人にはなにをするにも一緒だった。

中学校進学の時、私と莉央は聖鈴学園の中等部に進学し、愛菜は公立の中学校に進学した。

『学校が違うから離れちゃうけど、ずっと友達でいようね』

小学校の卒業式の時に3人で交わした約束。

高校生になった今、それぞれが忙しくて会う回数は減ってしまったけど、その約束通りの関係は続いていて、時間が合えばこうして会うようにしている。

今日は莉央が忙しくて来れないけど、私は愛菜と会えることをとても楽しみにしていた。

先に着いた私が店員に案内された席で待っていると

「葵、久しぶり~」

愛菜が嬉しそうに顔を綻ばせてやってきた。


「愛菜、会いたかったよ」

立ち上がり愛菜の手をギュッと掴む。

友達というのは不思議なものでどんなに久しぶりでも、こうして会えば、時間のブランクなんて全くなかったかのように違和感なく接することができる。

お互いに会えたことを喜びあってから私達は向き合って椅子に腰を降ろした。


「今回は本当に久しぶりだね」

「どのくらい振りだっけ?」

愛菜の質問に私は記憶を辿る。

「3ヶ月? ううん、半年ぶりくらいかも」

そうだ。

確か前回会った時は暑くて半袖を着ていた気がする。

「わっ、そんなに会ってなかったんだ」

「だね。今回はちょうど試験とか学校行事があったから」

「なかなか会えないね」

「そうだね。あっ、でも海斗とは会ってたんでしょ?」

私の言葉に

「……まぁ……それはそうなんだけど……」

愛菜は気まずそうな笑みを漏らした。


愛菜は私の弟の海斗と付き合っている。

私が前の彼氏と上手くいっていない時期に、愛菜はとても心配してくれた。

その時、ある出来事をきっかけに愛菜と海斗は急接近したらしい

でもその時に付き合いだしたわけじゃなくて、しばらくの間は“姉の親友”と“親友の弟”という立場を崩すことはなかったらしい。

それでも2人の関係が途切れてしまうことはなく、結果的に今は恋人という関係になっている。

「ごめん。ちょっと意地悪しちゃった」

もちろん私は愛菜に悪意があるわけじゃないし、2人の関係を反対している訳でもない

だけど私の言い方が悪かったせいで愛菜を困らせてしまったのは明白だから申し訳なく感じた。

「もう、やめてよね」

「ごめん。どう? 海斗は愛菜を困らせたりしてない?」

「うん、大丈夫」

「そっか。良かった」

「なんか……」

「うん?」

「変な感じだね」

「うん、なんかね」

私と愛菜の間には妙な空気が流れていて、私達はそれを感じ取っていた。

「だよね。なんかごめんね」

「なんで愛菜が謝るの?」

「なんでって……こんな気まずくなったのは私が海斗と付き合ってるからだし」

「別に、変な感じはするけど私は気まずくはないよ」

「本当に?」

「うん」

「……良かった」

愛菜は安堵の表情を浮かべた。


「てかさ、愛菜」

「ん?」

「私は海斗と愛菜が付き合ってるって聞いた時、ぶっちゃっけ驚いた」

「うん」

「だけど、それ以上に嬉しかったんだよ」

「えっ?」

愛菜は驚いたようにその瞳を見開く。

「だって、今まで以上に愛菜と会う機会が増えると思ったから」

「そうなの?」

「うん、小学生の時はずっと一緒にいられたけど、お互いに違う中学校に通うようになって会うことも一気に減って寂しかったんだよね」

「……うん、私も」

「でも愛菜が海斗と付き合うようになったら今までよりももっと会えるかもしれないと思ってすごく嬉しかったんだ」

「……葵」

「わがままな弟ですけど、末永くよろしくお願いします」

私は愛菜に向かってペコリと頭を下げた。

すると

「やだ、葵ったらまるで私と海斗が結婚するみたいじゃん」

愛菜はそう言って笑った。

その笑顔は私が知っている笑顔で、今日初めて見れた笑顔。

要は、ここで初めて心から笑ったということになる。


私は知っている。

愛菜が海斗と付き合っている事実を少なからず後ろめたく感じているということを……。

大切な親友の弟を好きなってしまった。

愛菜は海斗と付き合い始める前に莉央にそう言って相談したらしい。

それを私が莉央から聞いたのはつい最近のこと。

相談の内容は自分の気持ちで私に嫌な想いをさせることになってしまうのではないだろうかというものだったらしい。

その時、莉央は

『そんなことないよ。葵の性格は愛菜も知ってるでしょ? 葵ならきっと応援してくれると思うよ』

そう伝えたらしい。


今回、愛菜と会う間が空いてしまったのは恐らくこのことも少なからず関係していると私は思う。

愛菜から『会いたい』と連絡があったのは昨日の夜だった。

おそらく愛菜はずっと悩んでいたんだと思う。

それが分かっているから私はできるだけ普通に振る舞おうと思っていた。

「そうなったらかなりいいかも……」

「はっ?」

「だって愛菜と海斗が結婚したら、私たち家族になるんだよ」

「う……うん、それはそうだけど」

「それって最高じゃない?」

「確かに最高かもしれないけど、私たちはまだ付き合い始めたばかりだから」

「あっ、そうだよね。ごめん、ひとりで盛り上がっちゃった」

「本当だよ。でも、そうなったら確かに最高だね」

「でしょ?」

「うん」

私達は遠い未来の確証もない夢を思い描きテンションを上げていた。


「愛菜」

「ん?」

「もし海斗が愛菜を泣かすようなことをしたらすぐに教えてね」

「えっ?」

「我が家総動員で海斗をやっつけてあげるから」

「わっ、なんかすごく頼もしく感じる」

「でしょ。任せて」

こんなやり取りを経て、私と愛菜はこれまでの空気感を取り戻すことができた。


「ところで葵の方は上手くいってるの?」

急にそんな質問をされて

「えっ? 私?」

私は困惑した。


「うん。ケンさんは相変わらず葵にベタぼれしてるんでしょ?」

「ベタ惚れ⁉」

「うん」

「いや、別にベタ惚れって訳じゃないけど」

「えっ? でも莉央も言ってたよ」

「なんて?」

「相変わらずだって」

「そうなの?」

「うん。相変わらずってことはケンさんが葵にベタ惚れってことでしょ?」

そう尋ねられ

「……」

私はつい黙り込んでしまった。


「葵?」

「ベタ惚れかどうかは分からないけど、まぁ、上手くいってるかな」

「それは良かった。葵がケンさんと付き合うって聞いた時は心配もしたけど、ケンさんと一緒にいる時の葵をみたら心配なんて吹っ飛んじゃったしね」

「うん、今はとても幸せです。あの時は愛菜にもたくさん心配を掛けちゃったよね。ごめんね」

「今、葵が幸せなら全然いいよ」

「うん」

「そうだ。なんか海斗が言ってたんだけど」

「なに?」

「今度4人で遊びに行きたいって」

「いいね、楽しそう。ケンにも伝えておくね」

「うん、お願い」

「楽しみだね」

「そうだね」

愛菜とそんな話をしている時だった。


『あっ、あれってB-BRANDのトップの彼女じゃない?』

私の耳に声が飛び込んでいた。

その声は声量が抑えられていて、声を潜めていると表現するのがぴったりだった。

だけど距離的に近かったせいか私にもばっちりと届いていた。

それが故意なのか、それともたまたまなのか私はまだ判断できずにいた。


『えっと、アオイさんだっけ』

『そうだよ。きっと』

どうやら話しているのは私より少し年上くらいの2人の女の人だった。

……あまり気にしないようにしよう。

そう思った矢先のことだった。

『あの人ってかなり恐いらしいよ』

そんな聞き捨てならない言葉が耳に飛び込んできた。

聞かないようにしようと思っていたのに、どうしてもその会話が気になって仕方ない。

でもこういう場合、聞いても決して良いことはない。

これまでの経験上、嫌というほどそれが分かっている。

だから絶対に聞かない方がいいと頭では思っているのに……。

私の耳は彼女達の会話を聞こうと必死だった。


『恐い? あんなに華奢なのに?』

『うん。だってB-BRANDのトップを尻に敷いてるんだって』

『マジ⁉』

『うん』

……別に尻に敷いているつもりは毛頭ないんですけど。


『実は陰であの人がトップを操ってんじゃない?』

……そんなバカな。

ケンは確かに優しいけど、チームのことを私に口出しさせるような男じゃない。

『じゃあ、あの人がB-BRANDの本当のトップってことじゃん』

『恐っ』

……確かにそれが本当ならばかなり恐いわ。


「あ……葵」

「えっ?」

「大丈夫?」

愛菜は不安そうに私を見つめている。

その眼差しに含まれている愛菜の本心に気付いた私は

「あ、うん。全然平気」

敢えて明るく答えた。

正直に言えば、こんなことを聞いて全くショックを受けていないと言えばそれは嘘になる。

でも、これまでのことを考えればこの程度のことを言われるのは大したことじゃない。

もっとひどいことを言われたことだってあるし、そのせいで深く傷ついたことだってある。

それらに比べれば、この程度は本当に大したことじゃないのだ。


「本当に?」

「うん。こういうことってよくあることだし」

「そうなの⁉」

愛菜は唖然としていた。


「うん。ケンが目立つ人だからこればかりは仕方がないんだよね」

「そうなんだ」

「それにこの程度ならまだまだ何ともないよ」

「……ってことは、もっと嫌なこととか言われたりしてるの?」

「まぁ、悪意ある言葉をわざと聞こえるように言われることもあるからね」

「そうなんだ。ケンさんは知ってるの?」

「もちろん。知ってるからアレ」

私は窓の外をさりげなく指さした。

私の指先を辿るように愛菜の視線が動く。


「えっ?」

「あの人達ってケンのチームの人達なの」

「護衛ってこと?」

「うん」

「葵もいろいろ大変だね」

「ん? そうでもないよ」

「えっ?」

「うん?」

「大変じゃないの?」

「あのさ、さっきケンが私にベタ惚れしてるって言ったでしょ?」

「うん」

「本当は逆なんだよね」

「逆?」

「そう、私がケンにベタ惚れしてるの」

「そうなの?」

「そうだよ。だからケンの傍にいれるならこんなこと全然大したことじゃないの」

それは私の本心だった。


よく言われる。

ケンは私にベタ惚れだとか。

そのせいで私に甘くて、頭が上がらないとか。

でもそれは決して事実ではない。


「葵、なんか強くなったね」

「えっ? 恐い?」

「ううん、憧れる」

「あぁ、それならウェルカムだよ。ご遠慮なくどんどんどうぞ」

「もう、葵ったら」

愛菜が楽しそうに笑ってくれたおかげで少し気が晴れて私は救われた


◇◇◇◇◇


その日の夜。

私はケンの家に来ていた。

「葵」

「なに?」

「なんか今日、元気なくないか?」

「えっ? そう?」

「うん」

私的にはいつもと変わらない認識だったので

「別にそんなことはないけど」

私はそう答える。

「そうか?」

「うん」

答えたものの、正直、さっき聞いた言葉の中に引っ掛かる部分があって、そのことを考えていたせいでケンが心配したのかもしれないと考えた私は

「……てかさ、ちょっと聞きたいことがあるんだけど」

思い切って確認してみることにした。

「聞きたいこと?」

「うん」

「なんだ?」

「私って恐い?」

思い切って聞いてみると

「……はっ?」

ケンは怪訝そうに首を傾げる。

……うん。

分かる。

こんなことを聞くこと自体おかしいよね。

でも、これはケンにしか聞けないことなのだ。


「だからケンは私のことが恐い?」

「……ちょっと待て」

「なに?」

「なんでそんなこと聞くんだ?」

「……なんか噂になってるらしい」

「噂?」

「うん」

「それってどんな噂なんだ?」

そう問われて私の口からはまた溜息が漏れた。

「葵?」

「『B-BRANDのトップの彼女はかなり恐い女らしい』っていう噂」

「……はっ?」

「あと『B-BRANDのトップは彼女に完全に尻に敷かれている』とか」

「……」

「私も知らなかったんだけどB-BRANDを仕切ってるのはケンじゃなくて私らしいよ」

「……まだそんなことを言ってるヤツがいるのか」

ケンは呆れたように溜息を吐く。


「なかなかなくならないよね」

「そうだな。大丈夫か?」

「なにが?」

「その噂って直接聞いたんじゃないのか?」

「うん。今日、愛菜とお茶してたカフェで」

「あ~、今日は護衛を外に配置してたもんな。悪い」

ケンは申し訳なさそうに言う。

でもケンが責任を感じる必要は全くない。

「愛菜とゆっくり話したいって言ったのは私の方だから。てかさ……」

「うん?」

「この際、私が本当にB-BRANDを取り仕切ってみようかな」

「はっ?」

「そうしたら噂じゃなくて事実になるじゃん」

「……まぁ、確かにそうだな」

「事実ならどれだけ言われようと気にならないし」

「……葵」

「うん?」

「お前、強くなったな」

「えっ?」

「昔のお前なら噂を耳にしてそんな風に笑い話になんてできなかっただろ?」

「そうだね。今までいろいろなことがあって、最近じゃちょっとくらいの噂話なら気にならなくなった」

「あぁ」

「気にしたらキリがないって言うことも学んだし」

「そうだな」

「でもね。ひとつだけどうしても許せないことがあるの」

「許せないこと?」

「うん」

「なんだ?」

「みんなが勘違いしてる」

「どんな?」

「ケンの方が私にベタ惚れだって」

「違うのか?」

「違うよ」

「そうか?俺は葵にベタ惚れだと思うけど」

「勘違いしないで。ベタ惚れなのは私の方だから」

きっぱりと断言すると

「葵」

ケンは嬉しそうに頬を緩ませた。


「世間は勘違いしてるんだよ」

「それをどうかしたいのか?」

「うん」

「なにか考えてるのか?」

「う~ん。繁華街で叫んでみるとか?」

「なにを叫ぶんだ?」

「私がケンをどれだけ好きかってことかな」

「それを繁華街で叫べるのか?」

「……さすがにそれは無理かもしれない」

「だろ? 叫んだりするよりもして欲しいことがある」

「なに?」

「葵からキスしてくれ」

「キス?」

「そう。そしたら俺は周りがなんと言おうが葵の気持ちを信じることができる」

「そうなの?」

「うん」

……それなら叫ぶより簡単かも。

その考えが大きな間違いだった。


私の感覚だと一瞬のキスでいいんだと思っていた。

だから特に戸惑うこともなく唇を重ねた。

触れてすぐに離れると

「足りない」

すぐのケンに言われた。

「はっ?」

「短すぎる」

「そう?」

「あぁ」

……長さの指定なんてしなかったじゃん。

そう思いながらもう一度唇を重ねた瞬間、なぜか主導権を奪われてしまった。

この後、私には甘美なキスがとめどなく降り注いだ。


Pure Heart 葵【甘美なキス】完結

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