第10話紗月×蒼馬【伸ばした手の行方】 深愛2番外編

◇◇◇◇◇


塾が終わって、門限までのわずかな時間。

その時間が紗月にとって一番幸せな時間だった。

紗月が通う塾は繁華街にある。

冬休みは冬期講習が1日中ある。

それが終わるのは17時過ぎ。

紗月の門限は18時30分。

その約一時間が蒼馬と一緒に過ごせる時間なのだ。


塾が終わる時間になると蒼馬が近くまで迎えに来てくれている。

2人で小さなカフェに入り短い時間を過ごす。

今日も塾が終わった後、紗月は蒼馬と小さなカフェにいた。

いつもは幸せなだけの時間だけど、今日の紗月は少し緊張していた。

これから紗月は蒼馬にある質問をぶつけようとしていた。

質問をしてある約束を取り付けようと意気込んでいた。


「なにかあった?」

不意に蒼馬に尋ねられ

「……えっ?」

紗月は困惑した。

「なんか今日は元気がないみたいだから」

「そ……そんなことないよ。元気だし」

「そう?」

「うん」

「それならいいけど」

蒼馬はそう言ってお気に入りの紅茶を口に含む。

……今だ。

聞くなら今しかない。

そう判断した紗月は

「……あの……」

思い切って口を開いた。


「うん?」

蒼馬は伏せていた視線を紗月に向ける。

「ちょっと聞きたいことがあるんですけど」

「なに? 改まって?」

「……えっと……」

「ん?」

「……元旦……」

「元旦?」

「元旦の日って時間ありますか?」

緊張のせいか紗月は敬語になっていた。

本人は余裕がなくそれに気付いていない。

だけどもちろん蒼馬は紗月の異変に気付いていて、怪訝に感じていた。

だけどとりあえず紗月の話を聞かなければいけないと思い、彼女が敬語なのはあえて今は気にしないことにした。

「なんで?」

「もし良かったら、一緒に……」

「一緒に?」

「初詣に行きませんか?」

「初詣?」

「はい」

予期していなかった紗月からのお誘いに

「……」

蒼馬は思わず黙り込んでしまった。

その反応を見た紗月は

「い……忙しいですか?」

焦ったように尋ねる。

「……まぁ……」

「ですよね。元旦って結構忙しいもんね。ごめん、今のは忘れてください」

そう言いながら紗月は蒼馬を初詣に誘ったことを強く後悔していた。

……あ~、失敗した。

そうだよね。

元旦は忙しいよね。

やっぱり初詣のお誘いなんてするんじゃなかった。

すっかり下がってしまったテンション。

せっかく蒼馬と一緒にいるというのに紗月は泣きたい気持ちになっていた。


すっかり俯いてしまった紗月に

「……因みにそれって何時ぐらい?」

蒼馬が尋ねる。

予想外の質問に

「えっ?」

紗月は伏せていた視線を思わず上げた。


「何時頃行こうと思ってるの?」

「初詣?」

「そう」

「別に何時っていうのはないんだけど……」

「そっか」

「あの、本当にもういいから気にしないで……」

「朝ならいける」

「えっ?」

「朝の早い時間……7時とかなら行ける」

「本当?」

「あぁ」

「無理してない?」

「別に無理はしてない。10時頃からじいちゃんの家に挨拶に行くからその前なら行ける」

「……あっ……」

すっかり泣きそうになっていた紗月の顔がパっと輝いた。

「朝早くてもいいなら行くか?」

「行きたい」

嬉しそうな紗月の笑顔に蒼馬の表情も柔らかく緩む。


「了解。じゃあ元旦の日、7時頃に迎えに行くから」

「迎え?」

「あぁ」

「どこに?」

「どこって紗月の家の前」

「い……いいよ」

恐縮しながら顔の前で手をブンブン振る紗月を

「あ?」

蒼馬は訝しげに見つめる。


「わざわざ迎えに来てくれなくても大丈夫だよ。どこか待ち合わせ場所を決めてくれたら……」

「でも朝早いし、ひとりだと危ないだろ?」

「平気だって」

「いい。迎えに行く」

「いや、大丈夫。迎えなんて悪いし」

蒼馬と紗月。

どちらも自分の意見を曲げようとせず、お互いの主張は平行線を辿り始めていた。


珍しく意見を曲げようとしない紗月。

だけどそれは迎えに来るという蒼馬に申し訳ないという気持ちが強くあるから。

それにちゃんと気付いている蒼馬は

「それなら初詣は行かない」

最後の切り札を出してきた。

「えっ⁉」

「それでもいい?」

蒼馬が聞くと、少し迷う素振りを見せたものの

「……やだ……」

紗月は小さな声で呟いた。

どうやら紗月はどうしても蒼馬と一緒に初詣に行きたいらしい。


「じゃあ、迎えに行くから」

「……お願いします」

「うん。じゃあ、そろそろ帰るよ」

「えっ⁉ もうそんな時間?」

「うん。17時過ぎた」

「本当だ。全然気付かなかった」

名残惜しそうな紗月を

「ほら、行くよ」

蒼馬が促す。

「う……うん」

……もっと蒼馬くんと一緒にいたい。

毎日、このカフェを出る時、紗月はそう感じる。

蒼馬と一緒に過ごせるのはたった1時間弱。

最初の頃は毎日一緒に過ごせるだけでも幸せだと思っていた。

だけど日を追うごとに、欲はどんどん大きくなる。

……もっと一緒にいたい。

……長い時間蒼馬くんと一緒にいたい。

そう思ってしまう自分を紗月は欲張りだと感じていた。

今まで男子に対してそういう気持ちを抱いたことのない紗月は自分自身の変化に戸惑うことが増えてきていた。


◇◇◇◇◇


紗月を家まで送り、繁華街に戻った蒼馬は玲央と合流した。


「なぁ、蒼馬」

「なんだ?」

「年明けたら一緒に初詣に行こうぜ」

1時間程前にも紗月から初詣に誘われた蒼馬は

「……」

既視感を覚え、思わず黙り込んでしまった。

何も答えない蒼馬を

「どうした?」

玲央は訝しげに見つめる。

……今日はよく誘われる日だな。

蒼馬はそんなことを考えながら

「今年は紗月と一緒に行く」

そう宣言した。


「はっ? そうなのか?」

「うん。約束してるから」

「いつの間に?」

「さっき」

「んだよ。ニアミスかよ」

玲央はなぜか悔しそうだった。

その言動を不思議の思いながらも敢えて蒼馬はなにも突っ込まなかった。

しばらくの間、不満そうにブツブツと呟いていた玲央が

「てかさ、みんなで一緒に行けばよくね?」

名案が浮かんだとばかりに顔を輝かせる。

それと対照的に

「みんな?」

蒼馬の表情は決して明るくはなかった。

どちらかと言えばなにか杞憂を含んでいるように見えなくもない。


「そう、ほらいつものメンバーだろ。それに紗月ちゃん」

「ちなみにお前は何時に行く予定なんだ?」

「何時って……年が明けたらすぐだけど」

「それなら紗月も一緒には無理だ」

「なんで?」

「あいつは夜に出歩いたりしない」

「あっそうか。それもそうだな。紗月ちゃんは夜遊びなんてしないもんな。てかそれなら何時に行く約束をしてるんだ?」

「7時」

「7時⁉」

「あぁ」

「マジで⁉」

「マジで」

「7時ってお前……毎年寝てる時間じゃね?」

「そうだな」

「そのあとじいちゃんの家に挨拶に行くんだろ?」

「あぁ」

「なかなかのハードスケジュールだな」

「大したことじゃない」

「……へぇ~、そっか。それなら俺もお前に付き合おうかな」

「あ?」

「朝から初詣っていうのもなんか新鮮かもしれねぇし」

「……」

「俺も一緒に……」

「断る」

「はっ?」

「今回は紗月と2人で行く約束をしてるからお前とは行かない」

「はぁ?」

「なんだ?」

「お前最初っから紗月ちゃんと2人で初詣に行く気満々じゃねぇか?」

「そうだけど」

「じゃあ、なんで俺に行く時間を聞いたんだよ?」

「特に理由はない」

「理由はない?」

「あぁ、なんとなくだ」

「なんとなく⁉」

「そう」

「……お前、マジで性格悪いな」

「玲央程じゃない」

蒼馬はさらりと答えた。

その表情に悪びれた様子は全くない。

一方、玲央は蒼馬の言葉に反論しなかった。

なぜならば玲央は自分の性格がかなりひねくれていることを自覚してしているからだ。


……まっ、俺はこれまで毎年、蒼馬と初詣に行ってるから今回ぐらいは紗月ちゃんに蒼馬を譲ってやろうかな。

玲央は密かにそんなことを考えていた。


◇◇◇◇◇


元旦の朝。

「ちょっと……ママ、苦しい」

紗月は苦しんでいた。

元旦の朝から娘が苦しんでいるというのに

「我慢しなさい」

母は非常にも娘の訴えをバッサリと切り捨てる。


「いや……無理」

「無理じゃない。そもそも着物っていうのは楽に着れるものじゃないの」

そう、紗月は母に着物を着せてもらっていたのだ。

もっともな母の言葉に

「……」

紗月は何も言い返せず黙り込んだ。

黙り込んだけど、苦しさは変わらない。

いや……母が帯を締め続けるので苦しさは増すばかりである。


「でも一昔前の人はこれを365日24時間着て過ごしてたのよ」

「す……すごいね」

紗月は心から一昔前の人を尊敬した。

それと同時自分も見習わないといけないと思った。

思ったけど――

「本当ね」

「あの……ちょっと緩めてくれないかな?」

――その思いは長くは続かなかった。


「もう、仕方ないわね」

母は呆れたように溜息を零しながらも締めていた帯を少し緩めてくれた。

「ふぅ~苦しかった」

ようやく呼吸が普通にできるようになり、紗月は一息吐くことができた。


「でも珍しいわね。あんたが着物を着たいなんて言い出すなんて」

「と……友達と初詣に行くから」

「それ、何回も聞いたわ。てか、今声が裏返ってたわよ」

「……うん」

「今までだって友達と初詣に行くからって着物を着たいなんて言ったことなんてなかったでしょ?」

「それは……」

「それは?」

「日本人なんだからたまには着物を着ないとって思って」

「あんたそんなに日本人ってことを自覚してたの?」

「も……もちろんだよ」

「そう。……はい、できたわよ」

「ありがとう」

「サイズもぴったりで良かったわね。あとでおばあちゃんにちゃんとお礼を言っておいてよ。この着物を何年も大切に保管してくれてたのはおばあちゃんなんだから」

「うん、分かってる」

紗月がコクコクと頷くと

「約束の時間って7時じゃなかった?」

時計を見た母が尋ねる。


「うん、そうだけど」

「もう7時になるけど、大丈夫?」

「ヤバい!! 行ってきます」

「ほら、紗月。巾着、忘れてる」

玄関まで来てくれた母から巾着を受け取って

「あっ、ありがとう」

紗月は自分が手ぶらで出かけようとしていことことに気が付いた。


「いつもより動きにくいんだから転ばないようにね」

「うん。行ってきます」

母からの忠告に頷いて、紗月は玄関を出た。


◇◇◇◇◇


門を出るとすぐに蒼馬の姿を見つけることができた。

電柱の横に立った蒼馬は両手をダウンジャケットのポケットに突っ込み俯き気味の蒼馬。


「蒼馬くん」

紗月は蒼馬に駆け寄る。

気持ち的には一刻も早く蒼馬の傍に行きたいのに、慣れない着物せいで走るのも一苦労でもどかしい。


なんとか蒼馬の傍に辿り着いた紗月は

「あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします」

新年の挨拶をしてぺこりと頭を下げる。

「あぁ、こちらこそ」

蒼馬は驚いたような表情で紗月を凝視している。

それに気付いた紗月は

「どうしたの?」

不思議そうに首を傾げる。


「……いや、着物を着てるとは思わなかったから」

「あ~、お正月だから着てみようと思って」

「そうか」

「うん。似合ってないかな?」

「いや、かわいい」

さらりと告げられた蒼馬の言葉に

「かわいい⁉」

紗月は強く動揺した。

過剰ともいえる紗月の動揺に

「なに?」

蒼馬も戸惑ったようだった。

「ご……ごめん。ちょっとびっくりしちゃって」

「なんで?」

「蒼馬くんがかわいいとか言ってくれるなんて思わなかったから」

「そう?」

「うん」

紗月が頷くと

「そっか。俺はそういうイメージなんだ」

蒼馬は納得したように頷いた。


「えっ?」

「俺はお世辞とかは言わないけど思ったことは正直に言うよ」

「そうなんだ」

「うん」

「嬉しい」

「ん?」

「蒼馬くんに褒めてもらえてものすごく嬉しい」

「そっか」

「うん」

「じゃあ、行こうか」

「うん」

「歩きにくくない?」

「慣れてないからちょっと歩きにくい」

「だよね。ゆっくりでいいから」

「ありがとう」

言いながら紗月はダウンジャケットに突っ込まれたままの蒼馬の手に視線を向ける。


……手をつなぎたいな。

そんな欲求が自然と湧き上がってくる。


でも紗月はそれを素直に蒼馬に伝えることはできなかった。

今日、着物を着てきたのは去年、家族で初詣に行った時、手を繋いで歩くカップルを見たからだった。

着物を着た彼女と洋服姿の彼氏。

仲睦まじく手を繋いで歩く2人を見て紗月は羨ましく思った。

……いつか、私も彼氏とあんな風に歩きたい。

そう思った。


その記憶は1年が経った今でも鮮明に残っていて

……蒼馬くんと初詣に行けるなら着物で行こう。

紗月にそう決断させた。


蒼馬と手を繋ぎたい気持ちは山々だったけど、『手を繋ぎたい』なんて言えない。

……こうなったら何も言わずに手を繋いでみようかな。

紗月はほんの少し前を歩く蒼馬にそっと手を伸ばした。

でも蒼馬の手先はポケットの中にあって握ることは難しい。

……やっぱり無理かな。

紗月は伸ばした手を引っ込めようとした。

その時だった。

「あっ」

なにかを思い出したように蒼馬が声を発し、急に立ち止まった。

わずかに蒼馬に手を伸ばしていた紗月は、蒼馬の声にビクっと身体を揺らし伸ばしていた手を反射的に引っ込めた。

「ど……どうしたの?」

「忘れてた」

「なにを?」

「はい」

蒼馬はダウンジャケットのポケットに入れていた左手を出し、紗月に差し出した。

「えっ?」

「手」

「手?」

「着物だから転んだら大変だから」

「手……繋いでもいいの?」

「どうぞ」

思いがけず差し出された手に紗月は恐る恐る自分の手を重ねる。

握った蒼馬の手はとてもあたたかかった。


紗月×蒼馬【伸ばした手の行方】完結

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る