第13話 逃げ道 fin


 御令嬢は祈り手を組むと先程とは異なる聖句を誦す。


『真理の源たる天上の君主、

 主は遺漏なき御身にまします故に、

 われは天主が公聖堂に徳育して、

 われらに訓辞し導く教えを、ことごとく篤信し奉る。』


 彼女が祝詞を歌うたびに湧き出る麗水が勢いを増していき、ついには大河の奔流が如く強まった。

 その奔流は抱擁が如く邪教徒たちを包み込み、激浪が如くマイヤー騎士団を押し流す。


「今度は何だ!」「うわぁ!流される!」「踏ん張れ!」「無理です!押し流されます!」


 マイヤー騎士団が奔流に抗う声を上げる。

 だがその奔流は何人の抵抗も許さなかった。

 矢を射掛けていた者も槍を構えていた者も剣を抜いていた者も指揮をとっていた者も平等に攫われていき、巌穴に押し戻されていく。

 奔流は溝から鉄槌を洗い流した──。






「すごい……。」


 誰のものかもわからないその声は一同全員の気持ちを代弁していた。

 あれほどに自分たちを苦しめた痛みが幻想であったかのように掻き消え、あれほどに自分たちを苦しめた騎士団が一方的にやられたのだ。

 その衝撃から俺たちは頭も働かないほどに混乱していた。


「皆さん、お怪我はありませんか?」


 赤い黄金の瞳を宿した御令嬢が心の底から心配そうに聞いてきた。

 全ての傷は彼女が癒してしまったのだからあるはずもないのに。

 だがその声を聞いて俺たちの思考は急速に現実へと浮上した。


「うん!おねいちゃんのおかげですっかり元気になったよ!」

「はいお嬢様の御力により一切の傷もございません!それよりお嬢様が無事で私は本当に、本当に……っ!」


 少女と女騎士が食いつくように返答した。


「一度ならず二度までも、なんとお礼を申し上げたらいいか……!」

「不甲斐ないばかりのこの身になんとありがたきお言葉っ!御身が御無事であることが何よりも嬉しゅう御座います!」

「は、はい、私も無事です!」


 他の者ももそれに続くようにして声を上げる。

 皆一様に感動に身を震えさせている。

 彼らが御令嬢を見る目はまさに神を見る目であった。彼女について行けば全てが上手くいくと信じ切った者の目だ。

 彼女が成した奇跡はそれ程に清澄で荘厳なものに映ったということだろう。


「朝護様?も、大丈夫ですか?」


 ただ一人を除いて。


「あ、あぁ俺はなんともない。それより本当に大丈夫か?」

「はい。なんだか無限に力が湧いてくるみたいで元気が有り余っている程です。ご心配には及びませんよ?」

「それが不安なんだが……。」


 朝護の目には心配と不安が含まれていた。

 

 今一体何が起こったんだ?

 御令嬢の流した血から水が湧いたと思ったら癒しの御業に騎士団を押し流したあの噴流。特にあの噴水に至っては誰一人溝の底に落とすことなく騎士たちを岩窟に押し戻した。つまり確実に意思を持って操られたもの。御令嬢は高位の癒しの御業のみならず水を操る御業さえ持っていたのか?いや、それより気にするべきなのはあの目だ……。

 俺は衝撃に漂泊されていた頭を必死に回す。

 目の前で彼女が成した数々の奇跡も驚嘆に値したが何より注力するべきはこの瞳だ。

 いったいなぜ御令嬢がこの眼を宿している?一体目の前のコイツは何者だ?


「あのお嬢様、先ほどから気になっていたのですがその目は一体?」


「あぁこの目は……そうですね、元気になった証とでも思っていてください。」


 そんな無茶な誤魔化し方あるかよ。


「げ、元気になった証ですか?ええっと……。」


「すみません、今は説明する時間も惜しいのです。先程押し流しましたがきっとすぐに戻ってきます。だからここから逃げてからではダメですか?」

「い、いえそのような事はございません!私の配慮が足らず申し訳ありません!」


 彼女はそう言って回答を濁した。一体何を隠している?


「今話したように一刻を争う事態です。逃げ道は何処か教えてくれませんか?」


「は、はい!えぇっと、この溝を進むと溝の反対側に渡る道があります。溝の反対側は西都地下に張り巡らされた地下回廊に繋がっているので何処へでも逃げられるはずです。」


「では反対側に渡ってしまえれば良いのですね?でしたらまずそちら側に渡ってしまいましょう。皆さん失礼します。」


「え?どうやって……ウワァッ!」


 彼女がそう言うと体が水流に持ち上げられ、まるで荷物でも動かすかのように溝の反対側に渡された。


「さあ、皆さん急ぎますよ!」


 そう言うと俺たちは水流に運ばれて溝の奥深くへと進んでいった。




「こちらですか?」

「うん!あの、重くない?」

「はい、むしろ軽いくらいです。」


 水流に運ばれた俺たちは少女の導きの下、奥へと進んでいく。

 溝の反対側も足を置くだけの淵しかなかったものの水流に運ばれている俺たちには関係無かった。

 水流は大蛇のように淵を這いながら俺たちを運んでいく。この大蛇には縁の幅など関係ないようで一行は先ほどまでとは桁違いの速度で進行した。


「皆さん、特に朝護様は大丈夫ですか?体調が悪いようでしたら少しですが速度を落とせますよ?」

「いや、大丈夫だこのまま進んでくれ。」

「本当に大丈夫ですか?体調が良くないようであれば遠慮なく言ってくださいね?ー」

「いや本当に問題ない。進んでくれ。」


 先ほどまで腹にいくつも穴の空いていた俺を心配してか周りの者、特に親子と彼女が何度も体調を伺ってくる。彼女達を庇ってできた傷だから責任を感じているのだろう。

 だが、傷のことを言い出したら彼女の方が重篤だったのだ。矢にいられた彼女は確実に死の淵にあった。にも関わらずあの眼になった途端死の淵から蘇りあまつさえ幾つもの奇跡を体現したのだ。

 そのことが少し、怖い。


「おねえちゃんアレだよ」


 少女が指さした先に天井に続く大きな穴があり、燭台と梯子が取り付けられていることから人の手が入っていることがわかる。

 その先は暗闇で見えないないが相当奥まで続いていそうだ。

 穴の前で解放された俺たちはケイ、俺、パウロ様、親子、彼女、女騎士の順で梯子を昇ることとなった。

 先程と逆の順番になったのは穴の先を警戒してと、婦女子の下から梯子を昇ることに女騎士が配慮してのことだった。女性は服の構造的に下から見られるわけにはいかない。

 こうして男連中から穴を昇り始めた。




 穴を抜けた先には燭台が置かれた分岐路となっていた。

 少女が言うにはここから先も幾つもの分岐があるらしく、一部の子供にしか知られていない道すらもあるらしい。逃げるにはもってこいだ。

「これならばすぐにでも休憩が取れるだろう」とどっと座り込み彼女たちが分岐路へ上がるのを待つ。

 流石に疲れた。


 彼女の癒しは傷も病も完璧に治すが疲労だけは少し残るようで、皆梯子を上がるのことすら精一杯の有り様だった。

 かく言う俺も疲労が激しくこれ以上激しい運動は控えたい。

 一行の中で元気がある者と言ったら赤い眼をした彼女だけだ。


「……っ?」

「お嬢様?御機嫌が悪いのですか?」

「いえ、ただの立ちくらみです。急ぎましょう。」


 先に上っていた俺たちの耳に、穴の下から彼女たちの会話が聞こえてくる。

 今一瞬御令嬢の神気が揺らいだような……?


「っ!お嬢様!」


 女騎士の絶叫が木霊した。

 素早く穴の上から彼女たちを覗き見たその先には梯子を掴みながら片手にて御令嬢を支える女騎士と、宙にぶら下がっている少女の姿があった。

 女騎士が濡れた手で必死に掴んでいるが今にも手から滑り落ちてしまいそうだ。

 御令嬢は気を失っているようで、女騎士に引っ張られている彼女の体はだらりと力なく垂れ下がっている。それに閉じられたその瞳からはあの赤い光も溢れていない。

 さっきまであれ程気力に溢れていたのに何故突然こうなった?


「おねえちゃん!」

「朝護さん!?」


 悲鳴が聞こえると共に女騎士の腕から少女が零れ落ちる。それとほぼ同時に俺も穴に飛び込んだ。

 御令嬢は奈落に引き込まれるように落ちていく。この高さから水面に叩きつけられては確実に御令嬢は死ぬだろう。

 だが俺が庇えばなんとかなる筈。俺が衝撃を逸らす盾になれば……。


 俺は壁を蹴りつけツバメもかくやの勢いで落ちていく。

 途中御令嬢に付いて行こうとしていた女騎士を蹴り上げ分岐路まで吹っ飛ばし、一層加速する。

 早く早く早くっ!

 俺の中にはその言葉しかなかった。

 早くしないとまた、また間に合わなくなる!






 水面に叩きつけられんとする慈愛の少女に黒い影が取り付いた。

 影は少女を包み込むとそのまま水面に突き刺さる。

 影が水面に残した水柱は繁吹を放ち溝の底を濡らし、そのまま姿を現すことはなかった。


 

 


 


◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


〈西都入り口付近 独房〉




 独房にて鎧姿の一人の男が倒れている。ファーガスだ。

 昼間に朝護とあった彼は戦いの傷のせいか今にも死にそうな程疲弊しているように見える。

 看守たちもその疲弊しようを見て「何もしなければくたばってくれる。」という消極的な敵意から誰も看病しようとしない。

 それ故に誰も居ないこの牢獄で一人ここに放置されている。


 コンコン。

 突然独房の扉がノックされた。


「ん?ああ、ついに来てしまったか……。」


 ガチャリと鍵が回る音がすると何者かが入ってきた。

 その者は白い外套を深く被っておりその相貌を知ることはできない。

 分かるのはただひたすらに印象が薄いと言うことだけ。目の前にいると言うのに掻き消えそうなその存在感に、何やら尋常の者でない存在感を感じる。


「主から終わりとのご指示だ。」

「……そうか。まだお嬢様のお側にいたかったのだがな……。それにあの異人に殴られる約束も果たせていない。」

「その者なら邪教徒との密告により抹消対象とされている。」

「何っ!何故あの者が邪教徒として密告されている!俺は何も言っていないぞ!」

「それはご命令より優先すべきことか?」

「──すまない、その通りだ。お前にも世話をかける。」

「主のご指示だ。」

「あぁ、そうだったな。忘れてくれ。」


 ──すみませんお嬢様、それに異人。約束を果たせそうもありません、どうかご容赦を。






 翌日、独房にはファーガスの死体が遺されていた。




◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


〈西都中央街道 とある酒場〉




「遅い!ケイたちは何をしている!一体いつまで待たせるのだ!」

「ハインリヒ様声を鎮めてください。周りの方の迷惑になります。」


 日も暮れいよいよ稼ぎ時を迎えた酒場で二人の男がいる。

 大声で不平不満を言う男は熊のような威圧感を持った白髪の老人であった。老人と言ってもあまりに若々しく、その隆々とした肉体を誇り纏う雰囲気には些かの衰えも感じさせない。

 もう一方の男は年齢こそ似たようなものだが前者ほどの巨体を誇るわけではなく、代わりに磨き抜かれた剣の如し雰囲気を漂わせている。彼が纏う空気はただ座っているだけにも関わらず、鍛え抜かれた武の気配と騎士の如き清澄さを感じさせた。

 白髪の老人の大声はただでさえ騒がしい酒場の喧騒よりも騒がしい者だから、周りは煩そうに彼らをチラ見してその強者の気配に眼を逸らす。

 

「こんな時に落ち着いてなど居られるか!ヘリベルト!そもそも何故こんな酒場に押し込められねばならんのだ!こうなればわしが直接愛しきグレーテルを探しに行かねば!」

「そう言って大声で喚きながら西都中を駆け回っていたから騎士団と何度も衝突することになったのです。そして酒場に押し込められたのも何処に隠れていてもその大声で目立ったため、次善の策です。何度も説明致しましたがやはり聞いていませんでしたね?」

「むう、口ばかり達者になりおってからに。」

「長年鍛えられてきましたので。」


 そう言って彼らは掛け合いを続けている。その様子には長年の信頼が込められているようだった。


「だがいくらなんでも遅すぎる!しばらく経つが何の連絡もないではないか!」

「その意見には同意です。流石にうちの愚娘もここまで何の連絡を遣さないのは妙ですね。何かあったのやもしれません。」

「やはりそうではないか!ええいこうしちゃおれん!すぐに探しに行くぞ!」

「……分かりました、一人ここに残しておきますので我々も捜索に参加しましょう。流石に様子がおかしすぎます。」

「うむ!待っておれグレーテル!今おじいちゃんが迎えにゆくでな!」

「ですからそう騒ぐのをやめて下さいと……ハァ」






 長年、異民族より帝国を守り続けていた白豪 ハインリヒ・フォン・オスタラグ。

 並びにその側近として数々の難敵を屠ってきた護剣 ヘリベルト・フォン・マクシー。

 遅まきにして参戦す。




◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


〈スケルグルス領 オスリーグ大公家邸宅書斎〉




「以上がマルガレーテ令嬢についての報告になります。」


 オスリーグ大公家は帝国最大の貴族である。

 帝国に次ぐ権力者としてこの国に君臨する大公家は傘下に西都を統治するマイヤー伯爵家を傘下に持ち、マイヤー騎士団にも多大な影響力を誇る。

 その領主たる宿老は邸宅の一室にて、手の者から報告を受けていた。


「ほぅ、神の御業のみならず赤き眼を宿していたか。くっく、誠に面白き。それに落ちしはかの流れか。」

「はい、マルガレーテ嬢が逃走したと見られるのは西都地下に位置する地下水脈溝です。騎士団の者が人間大の重さの物が地下水脈へ落下したと思われる水音を確認しています。何者の落下音かは分かりませんが、少なくともマルガレーテ嬢に同行していた者のうちの誰かである可能性は高いです。」

「して、その水脈は何処に繋がっておる?」

「過去の調査でも全容は確認できておりません。ですが、水脈からの漂流物が確認されたのは北海とブリオバーグに位置する地下鉱泉のみです。」

「運が良ければ北海の藻屑に、運が悪ければかの土地にか。さも運命が奇怪な戯れを演じておるような巡り合わせじゃの。」

「……兵を差し向けますか?」

「よい。手の者のみを放っておけ。報告は随時行うように指示しておけば良い。」

「了解いたしました。マイヤー伯爵よりマイヤー騎士団による捜索並びに捕縛の許可を訴願されていましたが其方もそのように対処しておきます。」

「いやマイヤー騎士団は好きにさせておけ。止める理由もない。」

「……これ以上失態を重ねれば騎士団の信用に修復困難な程の傷を負いかねませんが宜しいのですか?」

「構わぬ。所詮300年の重みよ。これから起こることと比べたら些事に過ぎん。必要ならばまた作り直すことも傷を消すことも可能であろうさ。」

「了解いたしました。御心のままに」


 そう言うと男は去り、一室には宿老のみが残っていた。


「くっく、誠に面白き世になった。かの令嬢がその者であるのか、そうでないのか、さてさて女神の御心はいかに──くっくっく、さてどうなる事やら」






 大公家として長年この国に君臨し続けていた老獪 ベルンハルト・フォン・オスリーグは父なる神の如くその動静を傍視する。




◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 西都で起こったこの邪教徒騒動はその被害規模に比して余りにも多くの者に影響を与えた。

 ある者は復讐を誓い。

 ある者は希望を見出し。

 ある者は人生を揺り動かされた。

 その影響はいつしか当人たちの理解を飛び越し、より大きな渦へと引き込んでいく。


 その先で彼らに何が待っているのか、父なる神でさえ予想できない。




 ──第一章 はじまりの古城 〈完〉





ーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 ここまで御読み下さりありがとうございました。ここまで御読みいただけたお礼としてとあるお話を後日投稿します。タイトルと序盤を「国境から〜異国の古城 改訂版」と偽っておくので後半までスクロールいただければその話を御楽しみいただけます。今後ともよろしくお願いします。m(-_-)m

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