グレイス編 2

「今何か聞こえませんでした?」

 グレイスのその言葉には答えず、パロットはこれまで見たこともないような強張った顔で振り向いた。

「やめろよそういうの。こんな場所で洒落にならないだろ」

 こんな場所という言葉の意味がわからずグレイスは首をかしげてしまうが、ともかく聞こえている音が気がかりだった。

「声が聞こえた気がしたんですが……」

「やめろって」

 この施設の中にアルバート以外の誰かがいるとは聞かされていない。

「……――!」

 やっぱり人の声のような何かが遠くから聞こえる。

「正門でしょうか」

 グレイスは作業を中断して立ち上がろうとした。

「ひ、一人にすんな……」

 パロットはグレイスにすがりつくように引き留めようとした。アルバートに報告しようと思っただけだが、過剰に反応されてつい立ち上がるのを遠慮してしまう。

 誰かがこの施設内にいるなら回収物を監視する人間が必要である。アルバートを呼びに行くにしろ、ここに一人は残っていなければ。

 あのビルでグレイスを撃ってきた犯人。そして、二階からひとつの隕石が持ち去られていたという情報。それはつまり、悪意のある人間かつ、グレイスやパロット以外にもこれらの回収物を持つことのできる資質を持っている人間が存在していることを意味している。しかも、事によれば対物狙撃銃で人間一人を狙い撃ちして木っ端微塵にするような者である。

 少女の一件を思い出すと、保護できなかったことが悔やまれた。もう失敗はしたくない。

 慎重にルートを選んで追跡がないのは確認している。なので、目立たないようにあえて警備を立たせていない。人を増やすにしても慎重に。ダリアはそのあたりの抜け目はない。だが、それが裏目に出ることも考えなくてはいけない。

「――! ――――!」

 考えている間に声は聞こえ続けている。パロットの顔が青ざめている。

「どうした?」

 緊張が高まってきた時、アルバートが奥から姿を現した。少し埃にまみれている。休憩だろうか。いくら彼女でも、あの量の書物をそんなにすぐ外には出せないだろう。

「私が見に行けばいい」

 事情を話すと、アルバートは簡単そうに言いきった。回収物の見張りを二人に指示し、自分は拳銃を腰にたずさえて正門に向かった。何かあった場合に持ち出せるのはこの二人だけ。当然の判断だとアルバートは言った。

「どうかお気をつけて……」

 商業ビルで見た人間の動きを思い出すとアルバート一人で行かせるのは心配だった。だが、経験豊富な先輩には余計なお世話かもしれない。

 心配をよそに、アルバートは数分で戻ってきた。その間に聞こえてきた声も消えていた。

 アルバートは知らない女性を連れて戻ってきていた。何か事情があることは一目でわかる。ミドルトン国立研究所、と書かれたネームプレートを下げている。格好もよそいきではなく、今まさに研究室から出てきたような格好の人であった。



 彼女の身分は本部に確認し、問題ないことがわかった。正式に派遣されてきた研究員……と言えば聞こえはいいが、実際には研究所を追い出されたというほうが正しいらしい。

 彼女の心情を思うと同情する。元いた場所を追い出されこんな廃墟のような施設に送り込まれたものの、分厚い扉を叩いて大声で呼びかけても誰も出てこない。途方にくれていたに違いない。そんな気の毒な人の名前はデイジー・バーリング研究員。今のグレイスたちと境遇がよく似ている。

「実は最近、研究所にあった回収物の一部が盗難にあったんです。その担当をしていたのが私で……警備の問題ですからお咎めはなかったんですけど、多分……それが原因で……ここに」

 気の毒な話だった。どうやら彼女は、グレイスやパロットが何度か回収していた例の物質をいつも送っている先、国の研究機関に勤めていたようだ。

 それにしても盗難というのは他人事ではない。こちらもついさっき回収物をかすめとられたばかりだ。

「その話も詳しく聞きたいですが、あなたのここでの仕事は何ですか?」

 だが、それを聞く前にグレイスは確認したかった。スタッフが増えるのは歓迎だが、彼女はここで何をするのだろう。

「何も聞かされていないんですよ……あなたたちがご存知ではないんですか?」

 バーリング研究員はきょとんとして訪ねてきた。またダリアに確認しなければならない事が増えてしまった。

 私のことはディズと呼んでください、と言うので、グレイスは彼女をそう呼ぶことにした。気の毒な境遇なので、できる限りのことはしてあげようと考えていた。

 ウェーブのかかった栗色の長い髪、身長はグレイスよりやや高い。あまり使い込まれていない新しい白衣を身に着けている。秋とはいえ厚手のセーターは少し着すぎに見えた。寒がりなのだろうか。もしそうなら辛いだろう。この施設の中はコンクリートの外壁で覆われていて冷え込みやすい。暖房があるかもしれないので、あとで探しておこう。

「あたしのこともルーシーと呼んでくれ」

 考え込むグレイスの横でパロットが言う。さっそくディズと打ち解けようとしているようだ。そういう率直なところは羨ましい。

「お前に言ってるんだよグレイス」

「私ですか?」

「いつになったらパロット捜査官、なんて呼び方から変わんだよ」

 グレイス、ルーシー、ディズは三人とも二四歳だった。親しく接しても不自然ではない。

「あなたは……やっぱりパロット捜査官で」

 パロットに関してはずっと苗字で呼んでいた。アルバートの上の名前がわからないこともありなんとなく習慣がついていたせいだが、呼びなれていたのでこの方が落ち着く。そう話すと、パロットは「もういい」と言って諦めた。

 回収物の分別作業がまだ残っていた。ケースにある物体を取り出し、現場写真と照らしあわせて同じもをセットにし、また別のケースに入れ直して納品状態にする。

「いつもこうして分類してくださってたんですね」

 その作業を見ながらディズが言った。彼女は、こうしてグレイスやパロットが送ったフラグメントを受け取っていた側である。

 民間や捜査局以外の組織でもこういった未知の物体を回収するチームがあるらしい。グレイスとパロットの捜査局組は市街地など人の多い所に落ちた一部の担当ではあるが、同じ案件に関わっている者同士の不思議な共感がある。

 作業を続け、グレイスは最後のひとつのことを思い出した。あの時、ハードケースに入れずにポケットに入れていた例の楔型隕石だ。

「あれ……」

「なんだよ、穴開いてるじゃんか」

 ビニール袋は一部に穴があき、ボロボロになっていた。しかも、グレイスのスーツのポケットにも同様の穴が見られる。

「これは……!」

 グレイスはあわてて上着を脱ぎ、ポケットの部分を見た。その部分はまるでのこぎりでも引いたようにボロボロになってしまっていた。

 シャツ姿になったグレイスをパロットがじっと眺めていたが、グレイスはそれには気づかずに脱いだ上着を広げて様子を見ていた。

「熱で溶けた……? いや……」

 見た感想でグレイスは言ったが、触れた時に熱くはなかったし、ポケットからの異常も感じなかった。

「そっちの袋、見せてくれよ」

 手を出すパロットにグレイスは袋を渡す。彼女はグレイスと同様に、これらの特殊隕石を持つことができる。普通に受け取って普通に眺めているが、他の人間ならすぐさま床に落としてしまうだろう。

「腐食したみたいだ」

 パロットは言いながら、袋の穴の部分を指でぼろぼろと崩して見せた。もちろん手袋を着用している。

 ポリマー素材が脆くなっている。何年も経った時のようだ。

「しかも外側から突き破られてる」

 パロットはさらに分析を口にする。なぜそんなことがわかるのだろうと思っていると、説明を続けた。

「いくつか穴が空いちゃいるが、貫通していない部分もある。見てみろ、内側と手触りが違うだろ」

 言われて袋に触れてみると、たしかに外側だけザラザラしている部分がいくつかあるのがわかった。さすが、現場経験の豊富さはグレイスよりも上な彼女らしい観察力だ。

 内側から熱や何かがあって袋がやぶけたならわかるが、外側からというのは不気味だった。何かがこの楔形の物体に吸収されたかのようだ。

 この楔形の物質が周囲から何かを取り込んで食らう……そんなイメージが浮かぶ。

「こういった事はこれまでの回収物でもありましたか?」

 グレイスがディズに質問する。パロットは袋をディズに渡した。こういった疑問は今までは解決できなかった事だが、専門家がいる今なら何か聞けるかもしれない。

「いえ、回収物の保管でこんな状態になったものは初めて見ました」

 ディズは目をまんまるにして破れたビニール袋を見ていた。どうやら専門家でもわからないらしい。

「でも、これはLDの侵食反応によるものだと思います」

 ディズの口からLDという言葉が出たが、それが何かはグレイスもパロットもわからなかった。そこで、ディズが説明してくれる。

回路物質リンカー・デバイスのことです。隕石のフラグメントを構成している物質もこれと同じか、よく似たものだと言われています」

 グレイスたちが回収しているフラグメントの材質がそんな名だとは知らなかった。極秘のものかと思いきや、誰でも閲覧できる論文で公開されているらしい。パロットはすぐさまそれを端末で調べ、グレイスに見せてくれた。

 論文に掲載されている写真には、砂のように見えるものが写っていた。それがLD物質だ。ざっくり言えば、極小の粒がコンピューターチップのような役目を果たすことができる材料、ということだった。

 いくつかの材質を組み合わせた結晶構造を持ち、電気的なエネルギーを与えると入力に対しての応答がある。これを制御するクラウド型のOSをLDに記憶させれば複雑なコンピュータープログラムを動かすことも可能だという。

「次世代ネット構想でそんな材料のことを謳っているとこがあったな」

 通信業界に詳しそうなパロットが言った。極小デバイスの相互通信によるネットワークの計算機化というアイデアはエーテル・エレクトロニック・デバイセズ社が提供する次世代通信、CUBEネットワーク構想で最近話題になったものらしい。

 しかし、この論文にはこの物質が隕石であるという事実は一切記載されていない。LDは実験室で合成するものである。現在の技術では十分な純度を持たせられないらしい。

 LDの合成そのものは手順を守ればそこまで難しくない。素人でもできる。しかし、今の方法では構造の間に必要ない分子がたくさん含まれてしまうため、それが邪魔になって動作を阻害する。想定の性能が出ず、実用化は遠いとされている。理論上は紫外線環境や高温下など条件を整えることで正常に合成されると考えられているが、適切なプロセスはまだ開発されていない。

「もしかして、隕石のLDは純度が高い?」

「そうです。実験室では最大でも三割くらいの精製度で性能も低く、プログラムを動かそうとしてもエラーばかりです。でも、フラグメントはほぼ一〇〇%なんです」

 ディズはやや興奮気味に語った。完全なLDがどれほどの性能かグレイスにはわからないが、パロットは想像がついたのか目を丸くしていた。

「隕石由来のものはMLDメテオライト・リンカー・デバイスとでも呼ぶべきでしょうね。別物と言っていいです」

 隕石メテオライトから得られるLD、MLD。これなら争奪戦が起きるのも理解できる。捜査局を動員する政治的な力や、これを狙って襲撃に来る者がいる理由はわかってきた。

 グレイスはそう考えていたが、ディズはそれには懐疑的であった。

「そうでもないんです。回収されたフラグメントはどんな力をかけても活性化しないんです。人工のLDは純度が低いなりに活動をしてくれて、さっき言ったような浸食作用も見せるんですが……」

 LDを動作させるには電気的なエネルギーが必要だが、MLDはどんな方法を使っても活性化、平たく言えば「充電」ができないらしい。石のように固まったままで、活動もしなければコンピューターとして機能することもない。しかも、普通のLDと違って誰にでも扱えるわけではない。持ち上げられる人が限られているのだ。これでは研究も進まない。現状ではほとんどの人にとってはただの石だということだ。

「けど、それでも純度一〇〇%というのは十分に狙う理由になるだろ」

 グレイスよりはLDを理解しているであろうパロットが言う。完全なLDが産業的に価値のあるものなら、研究対象として争奪が起きることは十分にありえるのかもしれない。

 扱いが難しいものだというなら、狙う者を絞りやすくなるという考え方もある。この技術を活かすことができる国や企業を洗えばいいのだ。

 しかも、グレイスが持っていた楔には侵食の跡、つまり活動の痕跡があった。それはつまり、活性化したMLDがここにはあったということではないのだろうか?

 実際グレイスはこの楔が動き、何かを生み出す所を見た。

 この楔もまた高純度LDで作られているというなら、形状に規則性があることや活動めいた動きを見せることも理屈の上では説明がつく。

 まるで生命のように。理解ができるかと言われれば突拍子もない話ではある。だが、資料にあるLD物質の白い砂のような形状はつい最近に見たあれに似ている。対物銃で狙撃されたあの白い少女の砕けた体は、ちょうどこんな組織で出来ていた。上半身は粉々になり、残った下半身も光の粒のようになって蒸発してしまい、後には何も残らなかった。

 ディズが持っているビニール袋を見る。そこには、外側から破られたような痕跡がある。まさかこの楔から粒子状の機械が出入りを……。

「ちょっと待って……ディズ。あなたは回収物を持つことができるんですか?」

 ディズが当たり前のように袋を受け取り、今も持ち続けていることに気づいてグレイスは驚く。

 同僚のアルバートがそうであるように、大多数の人間はこれらの特殊隕石を持つことはできない。それを持てる人間は限られているはずだ。

「は、はい。まだ経験の浅い私が回収物の管理を任されたのはこの体質のせいでしょうね」

 ディズはそう語る。グレイスやパロットが今の仕事についているのと同じような境遇だ。物体を持てる人間が何パーセントほどいるのかはわからないが、貴重な資質であることには違いない。

 パロットは市警察の警官だったのに試験もせず局入りさせられたほどだ。現場に出て普通に仕事をしている警官だったのに、突然こんなことになっている。

 同時にグレイスは思う。フラグメントを持てるということは、研究所で起きたという盗難事件の容疑者にもなりうるのだ。だから回収物から遠ざけられるように左遷されたに違いない。

 グレイスは唯一、今春に局入りした正規の捜査官だ。しかし、現在も普通の立場の捜査官かといえばそれは違うと思う。三人とも巻き込まれるような形でこれに関わっていることになる。

 今見ている楔形は何かのフラグメント、断片という風には思えない、完成した形状をしているように思える。やはりこれだけは特別なもののように思えたが、末端の三人では結論を出せるわけもなかった。



 外部研究員であるディズを加えても四人しかスタッフがいない状態でこのオフィスを扱うには運用上の無理がある。目立たないように人間を少しずつ増やした結果、この年季の入った施設の中も少しずつ正常になっていった。

 信頼のおけるスタッフだという協力者が一五人ほど派遣されてきた。素性は全く知れない。

「ディズ、この中に研究所で見た人はいる?」

「いないです。あんまり自信はないですけど」

 ディズの言葉を信じるなら研究所からの派遣はなし。グレイスが知る限り捜査局の人間もいない。表向き、この施設は政府関連のテレフォンセンターとして使うということになっている。なので、集められたスタッフたちも一般人にしか見えない。見えない人が選ばれていると言うべきかも。しかしダリアが揃えてきた人員だ。警察関係者や軍属がいたり、諜報機関の関係者などもいるかもしれない。

 スタッフらは清掃業者の応対から施設の整理までをてきぱきとこなし、あっという間に架空のテレフォンセンターを完成させた。元いた四人では床に散らばっていた本を元に戻すのが精一杯だったが、見違えるように整頓されたオフォスに変わった。

 スタッフの本来の仕事は清掃ではない。施設の最奥を警備することが目的だ。なので、武器を扱えるプロに違いない。

 ただし、追加スタッフは施設最奥には一切立ち入ってこなかったし、昼間だけの勤務だった。ダリアの人脈でもそれがせいいっぱいだったのだろう。夜間の警備にはまだ不安が残る。

 最奥はグレイス、パロット、アルバート、ディズだけが入れるエリアだった。鋼鉄の扉で厳重に封印された倉庫部屋と、その隣に設置された分析部屋である。改修されたそれらの部屋は、最新とはいえないが十分な監視、分析が可能な設備に作り変えられていた。倉庫部屋に保管された回収物は、分析部屋からモニターで監視することができる。振動や電波も検知するセンサーが設置され、すべて記録されている。

 テレフォンセンターの機材に紛れ込ませながら山ほど届いた実験機材の分別は全てディズが行うしかなかった。なにしろ、他の人間は見たこともないような機材ばかりだったからだ。ディズは見た目より体力はあるようだったが、さすがに皆が手を貸して要塞のような分析部屋を完成させた。

『しばらくはその場所で監視を続けてください』

 ダリアからの電話連絡はそう言っていた。本来ならこういった回収物はすぐ研究所に送るのだが、その研究所でも盗難事件があった。現在調査中であり、新たな回収物を送るのに適した時期ではない。

「それはいいですが……大丈夫ですか?」

『何が?』

「大丈夫ならいいんですが……」

 グレイスは心配だった。ダリアがそんなに忙しいということは、前に担当していたあの事件がまだ終わっていないということだ。このオフィスを確保してから余計に連絡がつきにくくなった気がする。

 政界や局にコネがある者も多いダリアの身内たちの葬儀ともなれば行かざるを得ないだろうし、それが次々と今も……ということになれば、心身ともに疲弊しているに違いない。

 その上、その事件の捜査からは外されてこんな部署に追いやられ、その部署でも今こうして問題が起きている。グレイスにできることは少なかったが、可能な限り彼女を支えなければという思いだった。

『心配はありませんよ』

 電話口のダリアはそうとだけ答えた。その一言だけでは、今の彼女がどんな心境かを知ることはできない。

 親しい人間を次々に失うのが辛くないはずがない。想像しようとしたが、そういう人が誰も残っていないグレイスには少し遠い記憶だった。



 再び回収の任務が下るまでは倉庫の回収物、隕石フラグメントの保管と警護が仕事だった。一五人もスタッフが増えたといっても、保管と警護は部の人間が担当しなければならない。民間人であるディズを除けば三人。二人ずつの二連夜勤体制で監視にあたることになった。

 本部から私物の段ボール箱が届き、本格的にこの場所を拠点と考えなければならないようだ。三人とも自宅は遠い。適当な所に仮眠部屋を作り、そこで寝泊まりすることになった。シャワーは近場のモーテル、食事はコンビニエンスストアで済ませるという生活である。

 ディズは家なしの状況らしく、仮眠部屋とは別に私室を作ってそこに住み込んでいた。専門家が近くにいるというのはありがたい。ダリアは電話に出られない事も多いので、緊急時に意見を聞けるだろう。

 ダリアからの指示は数日なく、三人はずっと張り込んだままだった。いつまで続くかもわからない二日ずつの夜勤は厳しかった。

 ディズが言う高純度のLDを狙いそうな組織、企業、または諸外国について今すぐに調査するべきだ。グレイスは本部への報告書の作成をするとともに、こちらでも捜査活動を許可してもらえるように一筆添えておいた。

 だが望みは薄い。LDに関する情報も報告書に記載しておいたので、必要ならあちらで捜査体制が作られるのだろう。自分が関わった事件を捜査できないのは残念だが、グレイスの報告書は役立つはずだ。役目は果たしていると思う。

 パロットなどは「このクソ忙しい中でよく仕事を増やそうと思えるよな」等と揶揄していたが、グレイスの報告書を止めることはしなかった。

 確かに今は忙しいが、保管しているフラグメントを引き渡せばかえって暇になるはずだ。こういった警備活動は犯罪捜査のためにある捜査局の仕事ではない。本局だって人手不足のはずで、研修を受けた正規の捜査官であるグレイスなら役に立てるはずだ。調査部は事実として捜査活動から除外されている。

 今日はパロットとの当直で、二人は監視室に詰めて夜を過ごしていた。モニター画面に映る部屋の様子を見つつ、施設内部に異常がないか数回の見回りを行う。

 グレイスが見回りから帰ると、二連勤目にあたるパロットがだいぶ疲れた様子で端末を眺めていた。やることがなく退屈なので動画投稿サイトを視聴しているようだ。

 監視が始まった直後ならたしなめたかもしれないが、朝までの十数時間を集中しきるには適度にやることがあったほうがいいことはわかっていた。何もないと時間は倍ほどに感じるので、かえって集中できない。端末を使いつつ、パロットはモニターから目を離してはいなかった。

 グレイスでも名前を聞いたことのある人気の女性配信者の動画のようだ。なんとなく知っている。動画配信で広告収入や支援を受けて生計をたてるセルフタレント業の人だ。

 その内容はタバスコを飲んでみるというリアクションコンテンツだった。ずいぶん体を張った企画だが、動画の騒がしさに対してパロットはほとんど反応を示せていない。

「少し休んでいいですよ」

「うん……」

 グレイスは交代直後なので、パロットに比べれば元気であった。定期巡回も済んでいるので、少し眠らせてやりたい。

 厳重に施錠された別室倉庫の様子が映し出されている。そこにはフラグメントを保管したケースが番号をふって配置されている。数が減ったり、何か変化があればすぐわかるようになっている。

 目視以外にも振動の検知や電気的な変化も記録されており、警報が鳴るようになっている。そのあたりの設定は全て専門家であるディズが行ってくれた。それ以外にも、施設内にはいくつかの監視カメラとセンサーがある。

 グレイスは退屈に強い方なのでモニター画面をずっと眺めていることができた。そうしてしばらく画面を眺めていると、肩にことん、と何かが乗る感触があった。

 パロットが端末を手に持ったまま眠りについていた。タッチパネル式の端末の画面を見ると流していた動画が終わってしまっていて、それにも気づかずに眠りに落ちてしまったらしい。

 かすかな寝息を支えながら、グレイスはモニターの監視を続けた。同僚の体温が伝わってきてグレイスまで眠くなってくる。

 現在午後四時。交代のアルバートが来るまでだいぶ時間はある。気を抜くことはできない。しかし、まばたきの回数は多くなってきてしまう。

「あれ……?」

 モニターの中に変化があったような気がした。センサーが何の反応も示していないし、人が入ってきた様子もなかった。それなのに、一部に違和感があった。

 よく観察するとケースがひとつなくなっている。何度か数えたが間違いない。

「パロット捜査官、起きてください!」

 同僚を起こし、グレイスは監視部屋を出て隣の保管庫に向かった。

 扉は施錠されたままで、人が来た痕跡もない。パロットにも事情を説明し、モニターを監視してもらっている。グレイスは鍵を開けて中を覗いて見た。

 確かにケースが一つ無くなっていた。ナンバー4のケース、例の楔形を入れていたものだ。

 ケースは跡形もなく消えていたが、そのケースの内容物だけは残されていた。積まれたケースの上に楔形の石がある。ケースだけを持ち去ったか、あるいはケース自体が蒸発でもしてしまったかのようだ。

 パロットと二人で、他の回収物が全て揃っていることを確認した。幸い、無くなった回収物は一つもない。記録された映像を確認してみたが、急にあるコマからケースが消失し、中身の楔だけが残される様子しか記録されていなかった。

 まるで、楔がケースを食ったかのようだった。思わず寒気を覚える想像であった。

 二人ともすっかり目が覚めてしまった。調査が済んだ頃には朝になっており、その件はすぐにアルバートとディズに報告した。

 それを報告して二連勤目に入ったばかりの時、アルバートが突然呼び出された。本部からの急用とのことだった。

 しかも、ディズも研究所から呼ばれて一時的に戻ることになった。昨晩の一件の報告が関係しているかもしれない。

 パロットはいるものの、急な人員不足で連勤が重なり相当に疲労がきているようだ。少し休ませなければならない。

 施設には二人きり。今夜、まともに警備ができるのはグレイスだけだった。パロットは仮眠室に送った。何かあればパロットを起こすことはできるものの、実質一人でこの件に当たらなければならない。

『なんとかなるんじゃないですか?』

 定時報告のためにダリアに電話をかけて相談すると、彼女は楽観的に答えた。グレイスは反論もせずにその言葉を聞いていた。

 いいニュースもあるらしい。ダリアの周辺で起きていた殺人事件がどうやら収束しはじめたということだ。

「それはよかったです……」

 グレイスは素直にそう思った。犯人がまだ捕まっていないので「よかった」は違うかもしれないが、一年以上の長い時間をかけて次々と起きた殺人事件がようやく止まったのだ。

 これ以上彼女を葬儀に参列させたくない。しかし結局、ダリアの身辺の親戚や古い関係者は全て亡くなってしまったのではないだろうか。

『そうですね。残っているとすればあなたくらいでしょうか』

「私はただあなたと同郷というだけじゃないですか。連続殺人の最後なら本人でしょう」

『犯人があなたに目をつけないとは限りませんよ。だって、あなたは私にとって、最後に残った親しい知人なのですから』

 自分が狙われる可能性には触れず、ダリアは「何かあれば私も夜勤しますよ」と付け加え電話を終えた。

 捜査活動に戻れるのはいつか、という質問ができる空気ではなかった。統括であるダリアが自らこんな監視任務に携わるべきではない。今夜一晩だけでもなんとか持たせよう、とグレイスは決意した。



 その日が、これまでの人生で最大の危険に見舞われる日だとはグレイスは思っていなかった。

 疲労がたまってきていて、正常ではない勤務という程度の意識だった。これを長く続けるのは無理だ。でももう少しだけなら気を抜かず、手も抜かずに仕事ができる。それまでの間にはダリアがなんとかするだろう。彼女は自分などよりもよっぽど先のことを考えているはずなのだから。グレイスはそう考えていた。

 眠り姫になっているパロットにブランケットをかけ直し、グレイスは見回りに出ることにした。

 監視部屋のシステムと携帯電話をつないだので、見回りをしながら保管庫の映像を見ることができるようになった。一人になるというグレイスのためにディズが急いでプログラムを作成してくれた。LD研究を通じてコンピュータープログラミングにも明るいらしい。

 犯罪捜査に関わる者として、グレイスも高度化する情報技術についていくために最低限の勉強はしてきた。グレイスの携帯電話は旧型だが、それはパロットの最新式と比べての話。ネットワークブラウザを搭載し、PDA並の処理能力を有したモデルだ。暗号化された映像を送受信するプログラムを動かすくらいはできる。

 薄型の端末の登場で、スライド型でキーボードを持つ仕様が一気に古めかしいものに見えてくる。ほんの数ヶ月で旧型と呼ばれるようになってしまう。

 施設を一周して異常がないことを確認して戻る道の途中、端末から保管庫の映像を見てみた。監視部屋のモニターで見るよりは解像度が低いが、十分に判別可能な映像が映る。

「(また……?)」

 箱の一つが無くなっているように見える。番号はまた4番。例の楔形を入れていたものだ。センサーには何の反応もない。前と同じ現象だろうか?

 グレイスは走って保管庫へ向かった。以前と同じなら、固く施錠されたままの扉の奥でこつ然とケースだけが消失している……そう考えていた。

 だが、扉の前まで来てすぐ異常に気づいた。保管庫の扉がわずかに開いている。

「やられた……!?」

 扉に駆け寄り、保管庫の中を見た。やはり4番のケースは無い。それに、中にあった楔型隕石も落ちていなかった。

 何者かに侵入され、持ち去られたとしか見えない状況。だが、こうなってからまだそれほど時間は経っていないはずだ。

 グレイスは部屋を飛び出る。まずはダリアに連絡、パロットを起こして、施設の封鎖をすぐ行った方がいい。センサーを反応させずにどうやって……侵入経路はどこだ? 焦燥に駆られていろいろな事が頭の中に浮かんだ。

 メインフロアの方に人影が見え、あらゆる考えと行動を止めることになった。

 施設内にはグレイスとパロット以外に人はいないはずだ。それ以外の人間がいるなら、最優先で確実に確保しなければならない。グレイスは拳銃を抜き、相手に照準を合わせながら少しずつ近づいた。

 ビルの時のアルバートによれば、こういう場合はまず真っ先に人を呼ぶべきだと警告されていた。しかし、パロットは眠っている。電話で呼ぶでも起こしに行くでも時間がかかりすぎる。

 グレイスは結局はまた危険を冒すことを選び、そのまま対象に近づいた。

 照明は消えているので、わずかに差し込む月光だけが青白くおぼろげに周囲を照らしている。どうやら相手は動かず、その場に留まっているようだ。

 近づいてみて、グレイスはその人物を知っていることに気づいた。

 無くなった楔形隕石は、彼女の衣服の腰のあたりに装飾品のようにぶら下がっていた。形状的にそうするのが自然に見え、そうやって身につけるためのものだったのだと妙に納得してしまう。

 服装はあの時のまま。濃灰色地の知らないバンドのTシャツに黒キャップという、この場に似つかわしくない格好の少女だった。月光にきらめく銀髪はまばゆく、黒いキャップに隠されてしまっているのが勿体ないほど美しかった。あの時と違うのはその髪の毛を大雑把にまとめていることで、服装に合わせているようにも思えた。 

 少女はその場に立ったまま、図書館時代の古い本の一冊を開いて見ていた。

 どこから現れたのか……その疑問は二度目だ。しかし、ディズから様々な情報を得た今では、彼女があの楔から湧いて出たのだという想像ができるようになっていた。

 何者かに侵入されたのではなく、あの中に人が出現したのだ。商業ビルの時と同じだ。

 少女はこちらを振り向いただけだ。しかし、ビルの時と比べてその動きは自然な人間のものだった。あの時はほとんど反応を示さず、視力があるかどうかすら怪しかった。

 だが、今はグレイスと目を合わせ、視線を送っている。表情にも何らかの感情があるように見え、急激に人間らしさが増したようだ。

「このへんにあるのは、この町の学校の卒業アルバムだね」

 今なら言葉が通じるのではないか。そう思っていたら、相手の方から言葉を口にした。完璧な発音であった。グレイスはとっさに言葉を返せない。

「これが答えだよ。その時になったら見ればいい」

 少女は振り返りもせず、アルバムを本棚に戻した。アルバートが倉庫から出し、本棚の空きにおさめたものだ。

 そんな事より、目の前の少女のことだ。

 この子は人間なのだろうか。もっと言えば、隕石に関わっていることもありこの地球上のものではない可能性がある。鉱物のように粉々に砕けた少女の体を目にもしている。それが再び現れた上、こうして自然に言葉を話し始めた。

 相手が言葉を話すというだけで無意識に常識に頼った解釈をしそうになる。どう見ても人間だ。LDに関する知識を得た今では突然出現することへの理解は辛うじてできるが、思考がついてこない。

 これは何者なのか? 結論を出せるわけがない。この事象はグレイス一人の手には余る。パロットへの連絡を優先しなかった自分を悔やんだ。

 少女は本棚からグレイスの方を向き直る。グレイスは照準を維持したまま端末を取り出し、誰でもいいので通話しようとした。

 向けられた銃口を意に介することもなく、少女はグレイスが構えた銃に向けて指を伸ばした。

 銃口を下ろすか、威嚇するか、何もしないか。迷いが生じ、グレイスは何もできなかった。

 ゆっくり近づいてきた少女はもう眼前に迫っている。グレイスが迷っているうち、そのまま両方の腕を掴まれてしまう。

 華奢に見えた両腕から感じる力は見た目とはまるで違っていた。抗うこともできず、グレイスは身動きがとれなくなる。

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