第20話 DAWN

 濃い霧が立ち込めている。


 夜明け間近の暗い闇の中、何台もの車のヘッドライトが光っていた。投光器代わりのその光に照らされて闇に浮かび上がっているのは、広い滑走路。だが、その光も霧で遮られ滑走路の端までを照らすには至っていない。


 光を浴びたアスファルトの上に、腕に翼を持つ人影が二人立っていた。ウイングノーツと、アクティブガルだ。

 それぞれストレッチやアップをしながら、夜明けになるのを待っている。


「ゲートの担当者は?」

「もう配置済みです」

「青葉トレーナーは伴走車に乗られるということでよろしいですか?」


 照明の前をがやがやと慌ただしく何度も横切る大勢の人影は、今回の記録飛行をサポートする協力者たちだ。技術専攻の学園生だけではなく、学園のOB―Old Birdgirl―や普通のヒトも入り混じっている。


「今さらの質問なんですけど……」

 ウイングノーツは、だんだん白んでくる空を見ながらアクティブガルに問いかけた。普段は飛行機が離着陸している飛行場は、その真ん中に立つととてつもなく広い。少しずつ周りの景色が見えるようになると、それがより実感できた。

「どうして、学園ではなくてわざわざ他所よその飛行場でやるんですか?」


 率直な質問にアクティブガルは軽く笑った。

「グッドクエスチョンね。ちょっち大人の事情もあるけれど、学園附属の富士川滑走路だと1キロに満たないというところが一番かしらね。あそこは長さが850メートルしかなくて、1キロ以上飛ぶとなると海に出ないといけないから一発勝負しかできないのよ」


 だからここでやるからには1キロ以上飛べるように頑張らないと、と言いながらアクティブガルは人を呼んで何かを頼んだ。


「あとはね、」

 学園生が持ってきたタオルを受け取って、1枚をウイングノーツに手渡しながらアクティブガルは話を続ける。


「昔の話だけど、ここが、日本のトリ娘が当時の世界記録を樹立した時に使った滑走路ということもあるわね」


 空が明るくなるにつれて、濃かった霧も少しずつ晴れていく。それを見て、アクティブガルはホッと安堵のため息をついた。


「すごい……!どなたなんですか?その方は」

「ナスカちゃんのお母様よ」


 タオルで羽根を拭きながら、アクティブガルが答える。


「さすが名門……!」

「あそこの家は執事も兼ねたトレーナーが小さい頃からついているからね――って、それよりもノーツちゃんも羽根を拭かないとまずいわよ」


 言いながらもアクティブガルはタオルで羽根を丹念に挟むように拭いている。ウイングノーツは何気なく自分の翼を広げて動かしてみた。

 ――重い。

「なんで……!?」

「この霧のせいね。羽根一枚一枚が水分を吸っちゃって重くなってるわ。今から申請した記録飛行の日時を変更する訳にはいかないし、滑走路を使える時間も限られているから、できるだけ水気をとって飛ぶ準備を早めに整えないと」


 状況を察して何人かがタオルやペーパーをかかえて駆け寄ってきた。湿ったタオルを乾いたものに取り替えながらできる限りの水分を取り除いていく。

 その間にも、少しずつ日が昇って明るくなっていた。


「事務長先生、何かできることありますか?」

 一人のトリ娘が近づいて声をかけてきた。黒いダウンベストにジーンズを履いているところからすると、学園生ではないようだ。


「ああ、こっちは人手は足りているから大丈夫よ」

 アクティブガルが即座に応える。

「そしたら、三渡みわたりさんと琴川ことかわさん、青葉ちゃんにこっちは何とか間に合いそうと伝えておいて。あとは、始まったら動画記録を手筈通りよろしくね」


 三渡さんとは、この記録飛行に立ち会い公式記録を証明する公式立会人。琴川さんは、アクティブガルに対しトレーニングを始めとしたサポートをしている、彼女にとってトレーナーのようなパートナーだ。


「お安い御用です」


 そのトリ娘が踵を返そうとしたとき、

「あ、ちょっと待って」

とアクティブガルがその背を引き留めた。


「ノーツちゃんにはまだ紹介してなかったわよね」

 そう言いながらアクティブガルはそのトリ娘の両肩を掴んでウイングノーツと向き合わせた。

「こちら、今回手伝いに来てもらってるクールクラフトちゃん。この前スカイスポーツ学園を卒業した娘でね、ちょうどこの飛行場に近いところに住んでたから応援に来てもらったの」


 ウイングノーツも向き直って会釈する。

「そうなんですね。ウイングノーツです、今日はよろしくお願いします」

「クールクラフトです。今日の健闘を祈ります。――では、ご安全に」


 挨拶をして走り去っていくクールクラフト。その名の通り職人のような佇まいに技術専攻だったのかななどとウイングノーツが思っていると、入れ違いに学園生が走ってきた。


「そろそろ時間です!」

 タイムキーパーをお願いしていた生徒だ。


「じゃあ、先に飛んでもらっていいかしら?」

 アクティブガルからの提案に、ウイングノーツは頷いた。まだ霧も少し残っているし、どちらが記録達成の可能性が高いかを考えたら自分が先兵として先に飛んでおいたほうが良さそうだ。


 近くにいた学生にタオルを渡して、ウイングノーツは靴を小さな車輪つきのものに履き替える。

 離陸するには多少なりとも滑走が必要だが、羽根の力だけで飛ぶ記録飛行では足で走るわけにはいかないので、滑走をサポートするための車輪が必要なのだ。もちろん、車輪に動力などついてはいない。


「おっとっと……」

 慣れないローラースケートを履いたようなもので歩きにくい。両脇からサポートの生徒に支えてもらいながら、ウイングノーツは滑走路の真ん中まで進んだ。


 目の前、滑走路の少し先の上方に、二本の棒を使ってロープが張られた。2メートルの高さに合わせられたそれが、記録成立のためのハードル――ゲートと呼ばれるものだ。


 右を見ると、既に伴走車が待機している。フライト中に並走して指示を出すためのものだ。助手席から青葉が手を上げている。立会人の三渡もゴーサインを出した。


 ウイングノーツは大きく息を吸って、吐き出した。既に空は明るい。いよいよ本番だ。


「それでは飛びます!――カウント、3・2・1・ゴー!」


 ウイングノーツが勢いよく羽ばたき出すと、その力で車輪に乗った体が前方に加速しはじめた。グングンとスピードが上がっていく。


 まだ足りない。もっと速く!

 想定以上に重くなってしまった翼を全力で動かしながら、少しずつスピードを上げていく。


「今よ上げて!」


 並走する青葉からの号令が聞こえた瞬間、ウイングノーツは瞬時に両翼と尾翼を捻った。スッと体が浮いて、足の車輪が滑走路から離れる。


「飛んだ……!」

 喜んだのは一瞬で、即座に羽ばたきの方向を変えてスピードを維持しつつ高度を上げていく。


 だが、重い翼はなかなか思うように動かない。一回羽ばたいただけでかなりの体力が吸い取られていく。

 まだ前方のロープは目線の少し上。足を含めて全身がゲートを超えるには、まだ1メートル近く高度が足りないのだ。


 バサッ、バサッ、バサッ

 懸命に、翼を動かす。


 羽根の湿り気のせいか、当たる空気が翼に纏わりついてくるように感じて余計飛びにくい。


「パワー!パワー!」

 後ろからアクティブガルも激を飛ばす。


「はあああぁぁぁぁ!」

 ウイングノーツは全身の力を振り絞って翼を動かした。


 バサッ、バサッ、バサッ

 少しずつ上がっていく高度。


 それでも、まだロープを超えられるような高さには届かない。


「ハァッ!ハァッ!ハァッ!」

 息が荒くなるが全力で翼を動かし続ける。あと少し。あと少し。


 ……しかし、ゲートはもう目前に迫ってきていた。


「――ゲート、倒して!」


 伴走車からの指示に、ゲート係の学生がロープのついた棒を横に倒した。このまま突っ込んでロープにひっかかると危険なため、安全をとったのだ。しかしこれで、このフライトでの記録成立は出来なくなってしまった。


「そのまま少しずつ高度を下げて安全に着陸!できるわね!?」

「は、はい!」


 翼を羽ばたかせながら、その角度を少しずつ少しずつ変えて慎重に降りていく。足を下ろしながら、ちょっとずつ、ちょっとずつ。


 ガッ!


 靴の車輪が音を立てて滑走路に乗り、滑り始める。


 ガラガラガラガラガラ……


 ウイングノーツは羽ばたくのをやめて車輪の勢いに任せてそのまま滑走した。すぐに、サポートの学生が集まってきてウイングノーツの体を止める。

 測定係が着地地点に走っていくのが横目で見えた。


 体が止まったとたん、緊張で感じなかった疲れが一気に襲ってくる。

「ハァッ、ハアッ、ハアッ……」


 すぐに伴走車から青葉が駆けつけてきた。

「大丈夫!?」


「は、はい、大丈夫です。と、とりあえず脇に避けましょう」

 ウイングノーツは息も絶え絶えになりながら青葉たちの肩を借りて滑走路の脇に移動した。これから飛ぶアクティブガルの邪魔にならないようにするためだ。


「――すみません、ダメでした。思っていた以上に翼が重くて、飛び上がるだけで精一杯でした……」

 謝るウイングノーツに、青葉は首を振った。


「想定外の条件の中、よく自力離陸できたわ。これは凄い進歩よ。だってほら、後ろを見てごらん」


 ウイングノーツが振り向くと、向こうに自身のフライトを待つアクティブガルの姿があった。

 あのスタート地点からここまで200メートル弱か。滑走距離もいれると実際に飛んだのはもう少し短いかもしれない。


「あそこから、アナタはここまで飛べた。条件は万全ではなかったかもしれないけど、翼の力だけで、ここまで」

 青葉は、まだ息の荒いウイングノーツの肩に手をおいて続けた。


「単純に比較はできないけど、トリ娘コンテストだったら最初の高さが10メートルある分、もっと飛べていることになる。そういった実力が備わってきたとも言えるわ」


 呼吸を整えながら、ウイングノーツは今青葉が言った言葉の意図を感じていた。


 結果はどうあれ、自力離陸できるだけの力を身につけて課題をクリアできたこと。

 そして、ここまで飛べる力をつけた自分と、それまでの努力に自信を持つこと。


「ありがとうございます、青葉さん」

 ウイングノーツは立ち上がって大きく息を吐いた。

「でも、だからこそ、アタシはもっともっと飛びたいし、飛べると思うんです」


 その言葉に、青葉はニコッと笑う。

「オーケー。それでこそ、よ。記録飛行はまだもう一本あるわ。行けそう?」

「はいっ!やります!」


 ちょうど二人の横を、飛び立ったアクティブガルが通り過ぎた。


「フルパワー!頑張れ!」

 琴川が伴走者の中から叫んでいる。アクティブガルは重くなった翼のせいかキツそうな表情を見せていたが、その激に応えてウイングノーツの到達した地点を一気に超えていった。


 その背を目で追いながら、いつか必ずあれだけ飛べるようになってみせるとウイングノーツは改めて誓うのだった。

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