第2話 富士川スカイスポーツ学園

「あっつ…!」

 新幹線のドアを出た瞬間、ムワッとした空気がウイングノーツを襲った。


 東海道新幹線、新富士駅。静岡県富士市にあるこの駅のホームは、この地域の夏特有の湿度の高い熱気で覆われていた。新幹線の冷房に慣れきった体にじわじわと熱気がまとわりついてくるのが分かる。既に汗がにじみ始めていた。


「こりゃ早くバスに乗らないと溶けちゃう」

 ウイングノーツは荷物を担ぎ直して階段を下り、改札を出て南口に向かった。新幹線しか止まらない駅だから在来線の駅並にシンプルで、初めてでも迷う心配はない。


 南口に着いてほどなく、側面に大きな翼とSSS のロゴがラッピングされたミニバスがやってくるのが見えた。スカイスポーツ学園の送迎バスだ。


「……よろしくお願いしまーす」

 ウイングノーツは乗り口からおそるおそる中を覗き込みながら挨拶したが、乗っている生徒は誰もいなかった。

 運転手さんに改めて軽く会釈して、荷物と共に一番後ろの座席に座る。まだ学園についていないのに、バスに乗っただけで少しドキドキしてきた。

 いよいよ、この日がきたのだ。

 

 琵琶湖で青葉トレーナーに出会った翌日の夜、ウイングノーツは家に帰ってすぐにバァちゃんに話をした。

 思いの外簡単にOKを出してくれた彼女に少し拍子抜けはしたが、無事編入試験も合格してこの場に来ることができたのだ。


 それよりも、商店街の人たちのはしゃぎ様がすごかった。まだ学校に行ってもいないのに、もうテレビに出るのが決まったかのような喜びぶり。

 そして、出発の朝には岩沼駅のホームで万歳三唱までして送り出してくれた。いつの時代だ。恥ずかしくなったウイングノーツが、ホームからは見えにくいのをいいことに途中から座席で他人のふりをしていたのはここだけの話。

 しかし、それだけ期待してくれてるのだから、精一杯頑張らなければとも思っている。


 顔をあげると、バスは富士川にかかる橋を渡っていた。右の窓ごしには大きく広がる富士山。そして左には、日差しを受けてキラキラと輝く駿河湾するがわんと富士川の河口が見える。そして、その河口の向かって右隣の河川敷に広いグラウンドと滑走路、堤防越しに白い校舎が見えた。あれがこれからウイングノーツの通う学校、富士川トリ娘スカイスポーツ学園。


 スカイスポーツともSSSとも略されるその学校は、飛行技術や空間把握能力に長けたトリ娘たちの固有能力を伸ばすために作られた全寮制の学校である。

 卒業後は官民の航空関連業種に就職することが多いが、中には宇宙ロケットのベンチャー企業を立ち上げた人や、宇宙飛行士となった人もいる。ウイングノーツのように自力で飛行することを目指すだけでなく、コースや単位を選べば飛行機の設計や操縦を学ぶことも可能で、むしろ人数的にはそうした技術専攻の割合が多い。

 世間の大多数を占めるいわゆる普通の人間にとっても、トリ娘のポテンシャルを社会に活かさない手はないのでこの学園がつくられている。


 駅から約10分、バスが止まるとそこはスカイスポーツ学園の正門前。降りて目の前にある正面玄関に向かうと、こちらを待っていたらしい人影があった。


「こんにちは。ウイングノーツさんでよろしいですか?」

 その人物が声をかけてきた。ノースリーブのブラウスとベストにタイトスカートを着こなしたキャリアウーマン風の女性だ。


「あ、はい、はじめまして。ウイングノーツです。これからお世話になります」

「事務長のアクティブガルです。では、手続きがありますのでまずはこちらへ。荷物は届いてますので安心してくださいね。後で寮の管理人室で受け取って部屋に持ち込んでください」


 アクティブガルと名乗る女性の後について校内を歩く。その両腕には羽根。この人もトリ娘だ。


 ◆


「最後に、こちらが校則で、こちらが寮則。事前に電子ファイルを送っているので既に読んでいると思いますが、改めて内容を確認した上でここに日付と名前と、サインか印鑑を。何か質問があれば記入前に遠慮なく聞いてくださいね。既に注文いただいていた制服は寮で荷物とともに保管してますので、万が一サイズが合わない場合はすぐに教えて下さい」


 オリエンテーションを受けた後の同意書への捺印。校則と寮則をざっと斜め読みして、事前に読んだ内容と同じことを確認して名前と判子を押す。これで晴れてここの学生になったわけだ。


「他に何か質問は?」

「あ、はい。あのー、トレーナー室はどちらになりますでしょうか?」

「トレーナー室?ああ、それならこちらの地図に…」


 アクティブガルは事前にもらった資料についていた地図とは少し違う地図を取り出して開いた。


「ここ。体育館脇ね。ちなみに、今いる事務室はここ。この細かい校内地図は外には出していないんです。校舎に貼ってある地図にはもちろん書いてありますが、良かったらこれ持っていっていいですよ」

「ありがとうございます!」


 もらった地図を畳んでカバンにしまっていると、こちらの手元をじっと見つめる視線を感じる。顔をあげると、アクティブガルが笑みを浮かべていた。

「誰か、トレーナーに知り合いでもいるんですか?」

 好奇心満々ですと大きく書いてあるような顔をして聞いてくる。


「あ、はい。青葉トレーナーに一度ご挨拶したくて。琵琶湖でお話を伺ったことがあったので」


 青葉トレーナーの名前を言った瞬間、アクティブガルの目がさらに輝いたのをウイングノーツは見逃さなかった。


「青葉ちゃん!?もしかしてあの子が言ってた期待の原石ってアナタのことかしら?青田刈りとはさすがねぇ、ちゃんだけに。」

 突然口調が変わった上に前のめりで顔をのぞいてくるアクティブガル。ただ、本人の知らないコメントについて本人に聞かれたところで返答に困る。


「あ、はい、そのへんのことはよく分かりませんが、挨拶だけはしておきたいと」

 ウイングノーツは少しのけ反る形で言葉を返した。


「………コホン。失礼。なるほど。もう放課後に近くなってきていますので、各チームの練習も終わって帰り支度をしている頃かと思います。今日は諦めて明日の午後一番に訪ねてみるといいでしょう。今後は何時でも会えるわけですから、今日はまず寮に落ち着いて荷物の整理や明日の準備をすることに専念してはどうでしょうか?」


「分かりました。」

 もっともな意見なので、いただいた書類や地図を入れたバッグを持って立ち上がる。

「寮の場所はわかりますか?」

「はい、地図みて把握したので大丈夫です」


 トリ娘は滅多に迷子になることはない。鳥と同様に空間認識能力が高く、自分の位置を俯瞰的に捉えることができるからだ。同じく方角も正確に認識できる。


 グラウンドでは、何人かの生徒がまだ練習を行っていた。そのグラウンドと校舎の間にある堤防の上の通路を通り、敷地の北の端にある学生寮に向かった。校舎もそうだが、建物が比較的新しく、キレイに維持されている。


 管理人室で荷物と鍵を受け取り、台車を借りて部屋に向かう。部屋番号は339なので3階の部屋になる。部屋の前に着いて、念のためにノックすると、「は〜い」と反応が帰ってきた。


「あの、今日からお世話になるウイングノーツです。入ってもよろしいでしょうか?」

「どうぞ〜」


 ややのんびりした声が返ってきて、目の前のドアが開いた。赤く長いストレートの髪に切れ長の目。


「シャイニングスタァ…先輩?」

 思わずウイングノーツの口から漏れた自分の名前に、赤髪のトリ娘は少し驚いた顔をしてさらにドアを開いた。


「その表情やと、同室が誰か聞いてへんかったみたいね。そやけど顔を知ってもろうとって光栄やわ。」

「もちろん…有名人ですから」


 シャイニングスタァは京都出身でウイングノーツより学年が上の先輩。ウイングノーツが見た『滑空部門』とは別の、羽ばたいて飛んだ距離を競う『ディスタンス部門』の選手である。優勝こそまだないものの、プッシャー式と呼ばれる飛行方法でコンテストの常連となっている強豪であり、類まれなる知能を生かして開発している独自の技法と、鮮やかな赤髪をなびかせて飛ぶ姿に憧れるファンも多い。


「編入してきましたウイングノーツです。お世話になります」

「シャイニングスタァや。こちらこそよろしゅう」


 ひとまず台車でドアを抑えて、荷物を部屋の中に運び込む。台車を倉庫に返して戻ってきたところで部屋の中を案内してもらった。


「あんさんの机とベッドはそっちどす。」

 入り口から見て右側のベッドを示され、その上にバッグを置く。

「部屋の真ん中から自分の側にある棚は好きに使つこうてくれたらええし、必要なものがあったら声をかけてくれたら貸したるで。荷ほどき、手伝おか?」

「いえ、大丈夫です。ありがとうございます」


 とりあえず荷物を開けてすぐに使いそうなものから棚に入れていった。ガサゴソ荷物を動かしている間、シャイニングはベッドに座って本を読んでいる。うるさくないかと気になってウイングノーツがチラっと顔を上げると、二人の目が合った。

「ああ、こちらはかまわんと。きりがええところで一緒に食堂に夕飯食べに行きまひょ」

「はい!ありがとうございます」


 いい人と同室になれて良かった。ウイングノーツにとって、バァちゃん以外のトリ娘と一緒に過ごすことはこれまであまりなかった。だから周りにトリ娘しかいない寮生活は不安であったのだが、落ち着いたシャイニング先輩の様子を見て少し肩の荷が下りた気がしたのだった。


 荷物を全部ダンボールから取り出したところで、ウイングノーツはシャイニングスタァと一緒に寮と繋がった校舎の1階にある食堂に向かった。食堂は学校と寮共通のため、外出しない限りは毎日三食をこの食堂で食べることになる。

 好みの料理について話しながら二人が食堂に足を踏み入れた、その時。


「どういうことですの!」


 食堂に、甲高い声が響いた。

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