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  • 04 武蔵野合戦への応援コメント

    新田さんの続編という心持ちで拝読させていただきました。

    足利尊氏のことを知らないのであれですが、漠然と謀将のように思っていたので、一騎打ちを始める姿に驚いてました。ああ、尊氏さん、そういうことやる人なんだ、と。

    尊氏と義宗の一騎打ちの末に大事をとって撤退する義宗、見送る尊氏に、風格の差を感じました。
    全体のバランスを気にして中途半端に石を散らす義宗と、絶対に外せない目を気迫で打ち込む尊氏、のような。

    四千文字という限られた表現の中で、合戦での格の差を感じさせられる結末を描く構成、凄いと思いました。

    ありがとうございました。

    作者からの返信

    お星さま、ありがとうございます。

    新田さんの末路はアレなんで、敢えて足利尊氏視点で描きました^^;
    尊氏は実はバトル大好きだし、結構新田さんのことを気に入っていたらしく、「戦おうぜ」「応」とバトルしてました(笑)

    この武蔵野合戦の時の南朝は、結構いい線行ってたんですが、やはり尊氏と義詮の貫禄というか才能に敗北したきらいがあります。
    尊氏が関東で大乱闘している間に、義詮が京を奪還という、ありえない連携プレイで、南朝をカウンターアタックしています。
    しかもその隙にダークホースの次男・基氏に鎌倉を回復させているとか、どんだけだよと思います^^;
    これら全体のデザインをしたのは、おそらく尊氏なんですよね。
    そのあたりをもうちょっと描きたかったんですが、貫禄というか風格を何とか漂わせるので精一杯でした^^;

    凄い、と言ってもらえて嬉しかったです!

    ありがとうございました。

  • 04 武蔵野合戦への応援コメント

     こんばんは、四谷軒様。御作を読みました。
     河越直茂さんもロックな生き方をした人ですよね。
     尊氏さんなら使いこなせた。
     でも、他の人にとっちゃ難しい将ですよね……
     
     今話は、いえ、この武蔵野決戦は――。
    「そこで聞かないのが、新田義貞という男だった」
     に集約されると思います。
     
     待てよ、これって教えちゃアカン生き方では?▽?
     新田義重さんのような先祖とか、松平清康さんのような子孫(設定)がポカしてるのでは?
     でも、新田義貞は不朽の名を残し、徳川家康は――天下を取ったんだよなあ。
     そして、足利尊氏もまた。
     磨いだ錐のように貫く作風が実に面白かったです。
     次も尊氏さんの物語を読みますね。ではではまた。 

    作者からの返信

    お星さま、ありがとうございます。

    河越さん、婆裟羅が行き過ぎて、上京した時に「アイツ金持ちっぽい格好だから盗みに行こうぜ」と都の人々から泥棒に入られてしまうという……^^;
    やっぱりこの人も田舎のヤンキーだったような気がします。
    それでまた、ついていく親分に殉じてしまうあたりが特に^^;

    この武蔵野合戦、新田義貞が生きていたら、またあの爆発力で何とかしてくれたんじゃないか……というifを思い起こしてしまいます。
    共にその時代を生き抜いた足利尊氏なら、そんなこと考えるんじゃないかなぁと思い、おっしゃるとおり、尊氏の台詞こそ、このお話の肝でした。

    新田家の血……なかなかアレな行動を起こす遺伝子があるのかどうか(笑)
    松平家の新田(世良田)の血筋主張は何か嘘くさ……げふんげふん。
    でも何て言うか、新田義貞については、これは持って生まれた運と素質が強いので、誰にも真似できないでしょうね^^;
    尊氏と楠木正成くらいじゃないと、理解できなかったんでしょう。
    ……そういう意味での、尊氏の「兵どもの夢の跡」みたいな追憶と思慕の台詞でした。

    ありがとうございました。

  • 03 「再び」小手指原へへの応援コメント

     こんにちは、四谷軒様。御作を読みました。

    >やはり裏切り者は駄目か。

     義宗さん、親父の義貞さんも北条高時さんを裏切ったんやで。なお、高時さん遺児の時行さんも色々裏切って、南朝に着いた模様。。。(^◇^)地獄か。
     この時代、〝裏切り者でなかった〟と言えるのは、きっと大楠公くらいですからね。なお

    正成公「陛下、新田はクビにして足利と和睦、ちゃんと話をしましょう!」
    義貞「マジかよ!?」

     という上奏が最低一回(ひょっとしたら二回)あった模様。
     いや義貞さん、勇者であって政治家じゃないし(震え声)
     本作の場合も、下手したらお子さんの義宗さんより、尊氏さんの方が義貞さんと彼の戦術を理解してそうなのが……。どう転ぶか楽しみです。面白かったです。

    作者からの返信

    義宗としては、親父の義貞は「武略のため」幕府に従っていたとかそんな感じで美化されているかもしれませんね(笑)
    時行は時行で、キミ何でそんなやり手なのに、そうなっちゃうのという数奇な運命だったしなぁ……(遠い目

    楠木さん、新田義貞推しかと思いきや(鎌倉は新田ならやれるでしょ、と言ってますし)、そうやって首にしましょうと言っているところが、楠木さんらしいといえばらしいですね^^;

    まあ新田義貞にしても、息子たちに兵法を教えられたかと言うと微妙ですね。
    おそらく野性の勘みたいなモノで戦っていたっぽいし、それを教えろと言われても……というところでしょう(笑)
    同じ戦場勘みたいなものを持っている尊氏とか正成でないと、ちょっと理解できない代物ですね^^;

    ありがとうございました。


  • 編集済

    02 武蔵、石浜にてへの応援コメント

     こんにちは、御作を読みました。
     以前いただいた返信コメントで、尊氏は義貞に好意を持っていたとありましたが、私もそう思います。
     新田さん、鎌倉をやったの? いいじゃん、良いじゃん! って個人的には凄く評価していた気がするんですよね。
     義貞が「一騎討ちやろうぜ」と誘った時も尊氏「するするー」とノリノリで、周囲に止められたという、ホントかよ? という逸話があるのですが、この二人だと本当に気分でやってもおかしくない気がする(≧∀≦)
     御作も、「死地において笑い、畏怖の色を見せなかった男」という史書のイメージがぴったりで、上手い描き方だなあと魅入られました。面白かったです。

    作者からの返信

    血筋としては清和源氏同士なんですけど、天と地の差の足利と新田。
    でもホントは次男坊だった尊氏としては、義貞のような自由さは憧れだったんじゃないかと妄想しています。
    自分が、というか直義とか師直が描いた「鎌倉攻め」を乗っ取って、よりビビッドに成し遂げちゃうところがフラグだったのでは(笑)

    一方で尊氏。
    彼は何だかんだいって、やる気が無くて窮地に陥っても「何とかなるなる♪」と切り抜けてしまう男です。
    やっぱり諦めないというか、オポチュニストというか、そんな楽天的な一面があり、その辺りが求心力となったのでしょう。
    ……いろいろと言われる尊氏ですが、こういう面もあるんだよ、というところを書きたかったのです^^;
    お褒めいただき恐縮です。

    ありがとうございました。


  • 編集済

    01 全てを奪われた男への応援コメント

     こんにちは、御作を読みました。
     義貞さん、スタート前に死んでたー。まあ、前作主人公が出張るとややこしくなる危険性がありますからね。
     
     さて、本作主人公の足利尊氏ですが、やりたいように生きた義貞さんと対照的に、望むままのカブキ者になり損ねた悲哀を感じる御方ではあります。
     千寿丸こと義詮には、贅沢言ってるんじゃないぞオヤジ、と怒鳴られそうですが。
     尊氏、大ピンチスタートですが、どのように描かれるのか楽しみです。

    作者からの返信

    「鎌倉攻め」の三作を書いた後に、武蔵野文学賞向けに、何か書けないかなぁと思っていたら、「太平記」に「武蔵野合戦」なるものが(笑)
    じゃあ書くか、というのが拙作です^^;
    おっしゃるとおり、新田義貞をまた出しちゃうと4000字の中で入り切れない可能性大ということもあり、一気に薩埵山を越えてしまいました^^;

    足利尊氏、実は新田義貞のことを好きだったんじゃないかという節があり、義貞戦死後、義貞の佩刀を渡してくれと(義貞を討った)斯波さんに言ってたりします。
    斯波さんが佩刀を隠して渡さなかったんで、尊氏激おこになるという事態も発生していたりします。
    義詮は……彼は彼で楠木正行のことが大好きという……。
    足利家はそういう傾向があるんでしょうか。

    それはさておき、そんなこんなで観応の擾乱に一区切り。
    北畠親房の策が当たって、足利家大勝利から大ピンチに。
    尊氏、義詮、基氏の底力が問われる展開に突入です。

    ありがとうございました。

  • 03 「再び」小手指原へへの応援コメント

    遥 彼方 様のコメントの お話

    子供の頃、アニメ( 日本昔話 ? )を見てから 新田義貞のファンになりました。

    誰か、新田義貞を主役に書いてくれないかなぁ~ と思っていました。

    新田二郎先生( 名前がうろ覚えなのでスミマセン)の作品は、一応読みましたが子供時代に読んだので、難しくて理解出来なかった記憶があります。

    こちらも楽しみながら読ませて頂きます。

    作者からの返信

    お星さま、ありがとうございます。

    新田義貞、私は「ふ~ん」という感慨を抱くばかりでしたが、鎌倉攻めの話を書いてから、俄然、好きになりました(笑)
    実はこの「武蔵野合戦」は、その鎌倉攻めの後日譚という意味で書き進めました。
    赤城の山から下ろす風の如く、鎌倉時代末を駆け抜けた英雄・新田義貞。その彼を追憶する、もう一人の英雄――足利尊氏というイメージで^^;

    ありがとうございました。

  • 04 武蔵野合戦への応援コメント

    爆発的な攻撃力で鎌倉幕府を粉砕した新田義貞の本質を足利尊氏は見抜いていた訳ですな。
    流れを読む目は老いても衰えず、といったところでしょうか。
    合戦場面にはあまり筆を割く余裕が字数制限でなかったようですけど、新田義貞3部作で合戦は描き切られたと思うので、尊氏のなるべくして源氏長者となった一端が垣間見れて楽しめました。

    作者からの返信

    お星さま、ありがとうございます。

    例の梅松論スレで、足利尊氏は新田義貞を好きだったみたいな描写が有ったので、それに引きずられました(笑)
    拙作は、新田義貞をあれだけ描いたし、あと『「武蔵野」合戦』と伝えられている合戦があるから、これは書いとくか、というノリでした^^;

    合戦場面がサッパリしているのは、実は情報が少ないからです(笑)
    おそらく、散発的に衝突して、地力のある足利が徐々に押していって勝ったんでしょう。
    けど、物語的には面白くない、と(笑)
    そこで、足利尊氏の凄みというか切れ味的な部分を醸し出して何とか逃げ切った(?)という次第です^^;
    でも尊氏のこういう「部分」は好きなので、楽しんでいただけて、とても嬉しかったです。

    ありがとうございました。


  • 編集済

    04 武蔵野合戦への応援コメント

    その背を見送る尊氏は思った。

    「そこで聞かないのが、新田義貞という男だった」

    うーーんっっ
    この決め台詞に

    尊氏さま
    なんてカッコいいんだろう💕

    と、思わず唸りました!
    (もちろん、四谷さんの筆のセンスにも!)

    そして賞賛された新田義貞も
    遠い空の彼方から

    冥利に尽きると
    喜んだのではないでしょうか。

    「西の桶狭間」「Battle of Black Gate」と

    読み進めてきましたが

    私の心の抽斗にしまってある大切な言葉が
    いくつかあります。

    次はどんな名セリフに出会えるんだろう。

    いつも楽しませて頂きありがとうございます✨


    追伸

    貴重なお時間を割いて
    私の拙い作品をお読み下さり
    恐縮です(^◇^;)

    とうとう追いつかれてしまったーー









    作者からの返信

    このお話は、新田義貞の鎌倉攻めの後日談、というコンセプトで書き始めました。
    「じゃあ足利尊氏は、新田義貞のことをどう思っているんだろう」と。

    鎌倉攻めから時が移って、舞台は武蔵野で、しかも追い詰められた状況の尊氏。
    その胸中に去来するのは、似たようなシチュエーションで、それでも敢然と本懐を達した男、義貞であった。
    ……という風なコンセプトなのです。

    敵味方となって、相争い、そして勝敗が分かれた尊氏と義貞。
    それでもこの熱い時代を戦い抜いた男同士でしか分かり合えない「何か」があったんじゃないか……そう思ったのです。
    それが「そこで聞かないのが……」の台詞に繋がった感じです^^;

    数々の拙作を呼んでいただいて恐縮です。
    今後もご期待に沿えれば幸いです。

    ありがとうございました。

  • 03 「再び」小手指原へへの応援コメント

    以前、四谷軒さんに
    コメントのお返事を頂いたとき

    私の郷土である群馬のHERO
    新田義貞を「気のいい兄ちゃん」と
    親しみを込めて呼んで下さった事に端を発して

    ムクムクと興味がわいてきたので
    色々とGoogle先生で調べています。

    「日本一の至誠の武将」といわれた新田義貞。

    私の知識が至らなすぎて
    お恥ずかしい限りなのですが…

    新田義貞は源義国の長男「義重」の子孫で
    足利尊氏は源義国の次男「義康」の子孫と

    ライバルとなる御二方は
    奇しくも先祖は同じだったのですね。

    鎌倉攻めの際
    山側から攻めるチームと
    海側から攻めるチームに分かれたとか。

    さて、海側チームさん。

    当時、稲村ヶ崎の崖下は満潮で通過できなかったのだとか。

    しかし、義貞が太刀を海に奉じると
    龍神が呼応して、みるみる干潮になったとか。

    「海の神よ 潮を 沖に退け。 わが新田の軍勢を通したまえ」

    この干潮を利用して由比ヶ浜へと至り
    激戦を制して海、山から鎌倉御所を挟み撃ち。

    義貞はたった15日で難攻不落といわれた
    鎌倉幕府を滅亡させたのだとか。

    今回の物語の主旨から外れたコメントになってしまい、申し訳ありません(^◇^;)

    が、新田義貞さん。
    ざっくりと調べただけですが
    なかなか魅力的なお方です💕

    もっともっと知りたくなりました。













    作者からの返信

    お星さま、ありがとうございます。

    そうなんです。
    足利と新田はルーツが同じで(どっちも源氏と言えばそれまでですが)、鎌倉幕府が始まるあたりで、源頼朝への対応、執権北条家への対応をうまくやったのが足利です。
    一方、新田はうまくやれず、ずっと不遇でした。
    そのあたりの憤懣が、鎌倉攻めで爆発したのかもしれません。

    その鎌倉攻め、干潮を利用したとか、あるいは大きな地震があって、干潮の度合が変わった(引き具合が変わり、砂地がより広く「出る」ようになった)とか、言われています。
    むろん、敵の北条もその情報は入手しているわけで……しかし、そこを突破してしまうのが、新田義貞なんですが(笑)

    こういう話題でも、別に私は気にしませんので、大丈夫です^^;

    ありがとうございました。

  • 04 武蔵野合戦への応援コメント

    こんにちは。
    義貞の鎌倉攻め三部作から時は流れて、今度は尊氏が鎌倉に陣取る義貞の子を攻めるという皮肉。戦いの流れも尊氏の言動もみな亡き義貞へのオマージュとも思えてくる魅力的なお話でした。
    一方の雄、尊氏の描写もさすが幕府を打ち樹てるほどの器よと思わせ、愉しませていただきました。私はだんぜん南朝贔屓なのですが、尊氏には不思議な魅力があって、こんなエピソードを読むとますます憎めなくなりますね。
    ありがとうございました!

    作者からの返信

    こんにちは。
    お星さま、ありがとうございます。

    ある意味、新田義貞の鎌倉攻めの後日談的な立ち位置のエピソードです。
    まさにおっしゃるとおり、運命の皮肉というか、今度は足利尊氏の方が捨て身になって、新田勢へ立ち向かっていく立場です。

    で、拙作の尊氏は、実は義貞のことを気に入っていて、「武士とはかくありたい」と宿敵(とも)への敬意を抱いているという設定です。
    尊氏、いろいろと言われていますけど、私はわりと気に入っています。
    人間味あふれる男であり、失敗もするけど、立ち直って前へと向かって行くところは流石だな、と思います。
    (弟の直義関係への対応は、ちょっといただけないですけど^^;)
    そういったところを踏まえて、拙作は書かせていただきました。
    その不思議な魅力を感じていただいて、恐縮です。

    あと、私も南朝は好きです。
    拙作で触れた北畠親房なんて、よくぞここまで策を練って実現させたなぁと感心します。
    この時、せめて息子の顕家が生きていればなぁ……と思います。

    ありがとうございました!

  • 04 武蔵野合戦への応援コメント

    コメント失礼いたします。

    角川武蔵野文学賞のランキングから読ませてもらいました。
    歴史系のものは難しくて苦手なのですが、こちらの作品はとても読みやすかったです。それに、読んだあとに満足感がありました。映画を一本観た感じというか、短編とは思えない満足感でした。
    おもしろかったです。

    作者からの返信

    恐れ入ります。

    歴史系で、しかも4000字となると、どうしても説明が足りなくなってしまうので、歴史が苦手な方にはお辛いだろうなと思っておりました。
    そこを敢えて読んでいただいた上に、「読みやすかった」というコメントをいただけて、誠に嬉しい限りです。

    南北朝時代の混乱期、足利尊氏の晩年期の最大の危機、そしてそこからの奪回という武蔵野合戦ですが、言われてみると、たしかに映画的な展開かもしれません。
    それを必死になって書いたので、「短編とは思えない満足感」と言われると、今度は嬉しくて舞い上がります。

    ありがとうございました。

  • 04 武蔵野合戦への応援コメント

    いつもながら読み応えのあるボリュームと筆致。
    新田義貞を暗に称賛する一言も胸が熱くなりますね☆
    とても面白かったです★★★

    作者からの返信

    ありがとうございます。
    お星さまもありがとうございます。

    元々は、新田義貞の鎌倉攻めの後日談、のような立ち位置で書き始めたので、義貞の存在感がちょっと出てきてしまうのです^^;
    まあ、足利尊氏も義貞のこと、憎からず思っていたみたいですし、いいかな、と(笑)

    ありがとうございました。

  • 01 全てを奪われた男への応援コメント

    若くして世を去った顕家って、けっこう好きな武将なんですよねぇ。陸奥から南下する時期を急かされなければと、ついつい「たられば」の妄想をしてしまいます。それほどに、この時代は急転直下の流れが頻繁に起こってたなぁと感じます☆

    作者からの返信

    北畠顕家、公卿出身であそこまで「やっちゃう」御方なんで、ファンは多いですね。
    もうちょっと、新田義貞と連携するとか、あるいは北畠親房が全体の指揮を執って、義貞&顕家で北朝をやっつけるとかできなかったのかと思います。
    まあ、南朝最大の失点は楠木正成を無為に失ったことですけど。

    しかしおっしゃるとおり、有為転変の激しいこの時代、泳ぎ切るのが難しかったんでしょうね^^;

    ありがとうございました。

  • 04 武蔵野合戦への応援コメント

    完結お疲れさまでした。

    頼朝を引き合いに出すところが、源氏の長者らしいです。

    もうちょっと尊氏の活躍を見たかったところですが、字数制限があるので仕方ないですね。
    全体戦局が重要な場面なので京の状況も描き、関東もとなったので、広がりは有りますが、奥行きがもう少し欲しかったでしょうか。

    作者からの返信

    ありがとうございます。
    お星さまもありがとうございます。

    頼朝も頼朝で、そこで叱らなくてもと思うエピソードですが、そうしないと舐められちゃうんだろうなぁ……。
    尊氏は別に舐めたければ舐めれば、と恬淡とするタイプですけど。

    尊氏の活躍……実はあまり伝わっていないので、こんな感じになりました。
    「戦った」だけ伝わって、それが武蔵野各地で行われたので、一連の戦いを武蔵野合戦と称するようにしたみたいです。
    それと、おっしゃるとおり、北畠親房の謀略は全国規模なので、京と鎌倉も描かないと、意味が分からないので、広めに書きました。
    というか、このお話は、実は足利義詮を主人公にした方が分かり易いし、起伏があるんですよね。
    奪われた皇族、敵将・北畠親房への逆襲、その戦い……と。
    今回、武蔵野賞という「縛り」があったせいで、物語的には、微妙な感じになったかとは思います。
    この辺は反省点ですね。

    ありがとうございました。


  • 編集済

    04 武蔵野合戦への応援コメント

    婆裟羅も知りませんでした。(^_^;)
    傾奇の流れを汲んでいるのですね。
    さらに赤備えや伊達者へと……。

    信濃国伊那大河原へ敗走したあとも桔梗ヶ原の戦いなどで復帰を計り、土地の人びとから信濃宮と呼ばれた宗良親王を祀る無縫塔には、十六弁菊花の紋章が刻まれているとウィキペディアで知りました。
    なぜあんな田舎に後醍醐天皇の子息が? 漠然と思っていた謎が貴作で明らかになりました。ありがとうございます。完結おめでとうございます。

    作者からの返信

    婆裟羅がおそらく先にあって、それから傾奇……と行く流れかと思います。
    秩序に対する反感とか、文化や経済の成熟が始まってきたことで生じて来たものかな、と感じています。

    信濃宮さんは、歌を詠んだり、笛を吹いたりして、詩的なお方なので、小説の題材としては好適な方と思います。
    何しろ4000字しかないので、掘り下げることもかなわず……^^;

    ありがとうございました。

  • 04 武蔵野合戦への応援コメント

    最後の義貞に敬意を払うセリフ、しびれました。そしてそれが本編通じて描かれていた、新田親子の強さにおける決定的な違いだということを如実に語っていますね。

    なかなか題材にならない時代ですので、このまま尊氏が鎌倉を取り戻すまでの過程を描いていただけたらと切に願います。

    完結お疲れ様でした。

    作者からの返信

    お星さま、ありがとうございます。

    おかげさまで完結いたしました。

    何というか、新田義貞の鎌倉攻めの後日談的な立ち位置で書き始めた一作なのです。
    じゃあ、足利尊氏は義貞のことをどう思っていたのか、と。
    敵ながら尊敬というか、結構好きだったんじゃないかな、と思ったのです。
    嫌いだったりしたら、鎌倉攻めのときに義詮か周辺の者たちに始末させていると思いますし。
    だからこそ、新田家の息子たちを見て「う~ん……」とか思ってそうだな、と。

    この辺、資料がない&目立った戦いが無いので、太平記でもさらっと流していて、小説として描いている方も、あまりいないと思います。
    吉川英治「私本太平記」でも、ちらっと出て来ただけでしたし。
    機会と時間があれば、書いてみたいと思っています……という言い方で許して下さい。
    ちょっとまだ、次回作周辺を書いていたり、ずっと書いている奴が終わっていないので……。

    ありがとうございました。

  • 03 「再び」小手指原へへの応援コメント

    関東は比較的平野が広がりますが、大軍を展開できる要地となると自ずと限られてくるのでしょう。

    なんだかんだで第2世代になっている中で、尊氏はいまだ現役。
    この経験の差がどうでるか?

    作者からの返信

    ランテマリオ会戦の時と同じ理屈ですよね。
    あとは、鎌倉街道を往還するので、その道筋でぶつかってしまうのでしょう。

    この頃になると、南北朝草創期から生き残った将は、足利尊氏か北畠親房ぐらいしかいないという状況です。
    それだけ激しい時代だったという証左でもありますが。
    南朝はせめて顕家が生き延びていれば状況も変わったろうに……。
    尊氏も親房も、自ら軍を率いて戦っていますが、その経験もさることながら、次世代育成が上手くいったかいかないか、というのも、今後の南北朝の差異に繋がったのではないでしょうか。

    ありがとうございました。

  • 03 「再び」小手指原へへの応援コメント

    南北朝の世で「婆娑羅(バサラ)」を目にするとは😅婆娑羅は、この後の時代をテーマにしたゲームが凄く流行りましたから(^_^;)

    作者からの返信

    実は「婆裟羅」は、この時代から始まっているようです。
    新田義貞や足利尊氏と同世代の、佐々木道誉という婆裟羅大名が有名です。
    まあ、傾奇者みたいな感じで、世の中の権威とかを軽んじて、華美な装いをして、己が意のままに振る舞う……そういう輩を婆裟羅と称したようです。
    で、河越直重も婆裟羅を気取っていて、あまりにも奢侈な装いを見せつけるもんだから、盗みに入られているという体たらくです^^;

    ありがとうございました。

  • 03 「再び」小手指原へへの応援コメント

    あ、ここで前作につながるのか……ニクイご設定ですね。(^_-)-☆
    今回のお話は反尊氏側が主体でしたが、敵は敵で裏切者も加えての混戦模様。
    戦国の(南北朝の)武将には、一瞬で人物を見極める才が迫られたのですね。

    作者からの返信

    これ本当に小手指原や久米川で戦ったらしいところが、この武蔵野の戦いの酷いところです^^;
    いや、大軍同士がぶつかり合う場所ってなかなか無いので、どうしても同じ場所で、ちがう時代でも激突することって、あるものです。
    分倍河原も、のちに鎌倉公方と関東管領が戦ってるし……^^;

    南朝の方、これはもう、おっしゃるとおり反尊氏という共通点しかない「群れ」です。
    惜しむらくは、新田義貞のように突破力のある人材が無いところですね。
    何というか、「初代」のグイグイ行くアグレッシブなところが無く、ちょっと守りに入るというか、順番通りにやろうとする、真面目なイメージです。

    ありがとうございました。

  • 02 武蔵、石浜にてへの応援コメント

    ライバルに学ぶ。
    武蔵野連作にうまく話を繋げますね。

    確かに尊氏は育ちがいいだけにいつでも明朗なイメージは有りますね。
    カエサルとも相通ずる器を感じます。

    作者からの返信

    新田義貞シリーズを書いて、「この資料を活かして、もう一作くらい行けないかなあ」というのが拙作執筆の発端なんで、そうです、繋がってます^^;
    で、尊氏は敵ながら義貞のことが気に入っていて、アイツみたいに戦ってみたいもんだと思っていたら、似たようなシチュエーションに……という次第。

    尊氏、抜けているイメージはありますが(酷い)、陰湿さや残酷さは無く、おっしゃるとおり、底抜けの明るさを持っていたのではと思います。
    ユリウスくんもそういえば、あの「ガリア戦記」・「内乱記」の酷い状況でも、「なるようになるさ」と駆け抜けていましたね。
    ボナパルトさんにはちょっと無い器ですね(酷い)。

    ありがとうございました。

  • 02 武蔵、石浜にてへの応援コメント

    朔風、笛吹峠、草莽……スマホを辞書代わりにして拝読しております。(笑)
    ただ、石浜が現在のどの地域か、いまだに分かりません。さいたま市ですか?

    足利尊氏の豪放磊落、こういう人の下に就きたいと思わせるものがありますね。
    そして、宗良親王。何となく親しみがあるような……と思っていたら、最後は信濃国伊那に流されたんですね。信濃宮とか御所平とか、むかし習ったことを思い出しました。

    作者からの返信

    ご迷惑をおかけしております^^;
    石浜は、諸説ありますが、私は(拙作は)浅草のあたりと設定しております(石浜小学校という学校があります)。

    足利尊氏は、実際、こんな性格だと同時代の人が書き残しているらしいので、そのまま採用しました。
    で、宗良親王……そうです。笛吹峠も、この方が笛を吹いたから、そういう名になったらしいです。
    なかなか、当時の南朝オールスターで尊氏に襲いかかっているところが怖いですね。
    それを退けてしまう(室町幕府を成立させてしまう)尊氏も高氏ですが^^;

    ありがとうございました。

    編集済
  • 01 全てを奪われた男への応援コメント

    尊氏って勇怯智鈍が本当によく分からない。
    負けるときは凄い大敗もするくせに、いつの間にか復活してる。
    ぼんやりしているように見えて、南朝に降伏するなんて起死回生の策を実行できる。
    その一方で、実弟と懐刀の利害調整もうちょっとうまくできなかったのかとも思えるし。

    いまいち実像がつかみづらい尊氏をどう描くか楽しみにしてますね。

    作者からの返信

    本当、分かりません(おい
    当時、空前絶後の乱世に突入したとあって、さしもの尊氏もノーコンティニューでクリアは難しかったのではと思います。
    源平の時ですら、まだここまでバラバラじゃなかったでしょうに……。
    だから負けても、ま、しゃーないと思うのです。
    そういえば東照大権現も信玄とか秀吉にヤラレてますし。

    やっぱり足利家という全国規模の大勢力の長なので(なってしまったので)、コンティニュー(再起)が可能という特殊な状況に置かれて、脇が甘かったのでしょう。
    北朝&幕府成立で、「もうゴールしていいよね」と御輿になって余生を過ごそうと(サボろうと)したら、観応の擾乱を起こしちゃうしなぁ……。
    それでも地力と地頭はあるので、本気を出せばナイトメアでもクリアしてしまうところがなぁ……。

    ある意味、楽観主義者というか、なるようになるしかないと思っている節もあります。
    でも、この人がクリアを諦めなかったのは、この国にとってラッキィだったと思います。
    諦めてたら、たぶん、もっと酷い展開だったのでは。
    義詮&義満という隠れキャラも出ないし。

    そんな尊氏については、まあ、さらっと触れられればと思ってます。
    ガチはちょっと無理です^^;

    ありがとうございました。

    編集済
  • 01 全てを奪われた男への応援コメント

    この頃は、カオスな世の中ですよね😅ある意味、信長や信玄がいた頃よりも混乱していたと思います。

    作者からの返信

    結構、カオスです^^;
    足利尊氏に同情したくなります。
    よくこんなワケわからん時代を生き抜くことができたよな……と。
    しかも幕府を開いているし^^;

    ありがとうございました。


  • 編集済

    01 全てを奪われた男への応援コメント

    公卿といえば、わたし的には、妙な眉を描き蹴鞠に興じているイメージですが(笑)、この時代の公卿は武士に近かったのですね(基本的な歴史も知らずに恐縮です)。

    三種の神器もよく知らなかったので調べてみると、儀式には、鏡・勾玉・剣の三種が形代と呼ばれるレプリカで用いられ、本物は現在の天皇すら見ることを許されないとか。当時は本物がやり取りされていたのでしょうか。

    すべてを失った尊氏ですが、失うものが何もなくなった人は強いと言われますから、さて、ゼロからの復活劇、如何様に展開されますか、楽しみです。

    作者からの返信

    お星さま、ありがとうございます。

    さて、江戸時代のお公家さんは、たしかにおっしゃるとおりのイメージの方が多かったのではないでしょうか。
    ただ、この時代の公家は結構特殊です。なかんずく、北畠親房は最も特殊です^^;
    この人、というか息子の顕家が奥羽鉄騎を率いて北朝を蹴散らすという離れ業をしています。
    で、とーちゃんの親房も策士で、足利尊氏を追い詰めるという神業を^^;

    三種の神器、そういう扱いなんですか。
    この時代はどうでしょうね。
    実は分かりません^^;
    無いと践祚できないとか色々言われています。
    そもそも壇ノ浦の戦いで、草薙の剣は失われたんじゃなかったっけとか思うのですが。

    さて、足利尊氏、頼りの執事・高師直や、弟・直義は今は亡く、息子の義詮と基氏も負けて追われて……。
    じゃあ何でこの人幕府を開けたの……というところが味噌ですね。
    その辺、さらっと触れられればと思って書きましたが、いかんせん4000字なんで、ちょっとキツいかも……^^;

    ありがとうございました。