第21話 缶詰

 義母が台所で悪戦苦闘している。そんなに気張って何と格闘しているのかと思ったら、相手はツナ缶であった。どうやらサラダの上にツナをのせたいらしい。プルタブに指を引っ掛けた状態で唸っている。


 椿はちょっとかっこつけた。


「開かないんですか?」


 義母は振り返らずに眉間にしわを寄せたまま「そうなのよ」と答えた。


「僕が開けましょか」

「えっ、ほんと? すごい助かる」


 プルタブから指を引き抜く。そして缶をこちらに差し出す。


「こういうのお父さんにやってもらうのが一番なんだけど、他にも男手があると助かるわねえ」


 こうやって持ち上げてくれるから椿は彼女が大好きだ。自分が婿としてというより息子として頼られている気がしてくる。しかしもっとこの家において存在感を増したい。少しくらい情けなくてもこの人たちがいまさら自分を捨てるとは思わないが、さらにちやほやされたいという欲は出てくるものだ。


 直後、欲は慎んでこそ大人なのだと思い知らされた。


 思いのほか硬い。肉にプルタブが食い込んで指先が白くなる。女性である義母よりはたくましいはずだが、男性のわりにひよわな椿では開けられないかもしれない。


 もっと力を込めるために缶を持つ角度を変えた。


「あっ、ちょっ、そんな持ち方したらあぶな――」


 ふたが目に留まらぬほど勢いよく開いた。すべてが一瞬のことだった。


 缶を押さえていた左手の親指の付け根に違和感がある。


 左手を開いて、親指から手首にかけての盛り上がった部分を見た。


 皮膚に亀裂が入って大きな白い線になっていた。


「あ」


 切れた。


 少し間を置いてから、真っ赤な液体が溢れ出てきた。


 義母が悲鳴を上げた。


「だから! 言ったのに! この子は本当ににぶくて! いつか絶対大きな怪我するってお母さんわかってたんだから!」


 そんなふうに思われていたのか、ショックだ。


 ツナの上にぼたぼたと血が落ちる。慌ててのけようとしたがすでにオイルと混ざり合っている。せっかくのツナ缶がだめになってしまった。


「すみません、ツナが――」

「そんなのはどうでもいいの!」


 義母がパニック状態で椿の手首をつかんだ。


「どっ、どうすればいいんだっけ、心臓の位置より高く? まず押さえるんだっけ? 縛る?」

「落ち着いて、大丈夫ですから、ちょっと落ち着いてください」


 居間のほうから声をかけられた。


「なに? 椿くん怪我したの?」


 振り向くと、向日葵、義父、祖母と家族全員が椿を見つめていた。


「血ィ出てるじゃん」


 祖母が土間におりてきて「素手で傷口に触るんじゃない」とたしなめた。


「向日葵、救急箱から清潔なガーゼを持ってきなさい」

「はい」

「広樹、あんた車出す準備しな」

「はい」

「桂子ちゃん、広報ぬまづとっといてある? 裏に病院の夜間救急載ってるら。今日の外科調べな」

「はい!」


 一家の首領の言葉で三人がばたばたと散っていく。椿はおろおろしながら一同を見送った。台所に祖母と二人残される。


「あ、あの、僕はどないしたら――」

「オメーはそこに突っ立って反省してな」

「はい……」

「おばあちゃんガーゼあった!」


 祖母に指示されたとおり向日葵がガーゼで椿の傷口を押さえてから上にラップを巻く。彼女の肝の据わり方は祖母譲りだ。


 義父が車の鍵と椿の半纏を持って帰ってきた。


「ほら、行くぞ」

「はい」


 向日葵が「わたしも行く」と言って後ろをついてきた。祖母は「私は桂子ちゃんと片付けとくかんね」と言って見送ってくれた。


「気をつけていってらっしゃい」

「何かあったら連絡ちょうだいね、私も行くからね」


 不謹慎ながら椿は少し嬉しくなってしまった。怪我の功名とはよく言うが、この傷のおかげで家族みんなに心配されていることを再確認した。自分はこの家で大切にされているのだ。ちょっと気持ちがいい。誰もどんくさい椿を冷たく突き放したりはしないのである。


 向日葵に背中を叩かれた。


「なにご機嫌そうにしてんだ、オメーはもっと自分の心配をしろ」

「はい、ごめんなさい」




 一時間後、二針縫われた椿はいろんなことを後悔した。反省。




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