殺戮オランウータン殺人事件

とんぼがえり

第1話【問題編】

「この事件の犯人、『殺戮オランウータン』はこの中にいる……!」


 勢いよく右手を振り下ろし、犬飼草太いぬかいそうたは車座になった7人の中でその衝撃的な真実を告げた。

 すっかり広くなってしまったホールの中央にはざわつきと衝撃が走り、誰もが互いの顔を見合わせる。

 そして、沈黙---。


 無理もない。

 犬飼が告げた真実は、この場の7人にとってあまりに受け入れがたい、しかし、現実であった。


「……他の可能性は、無いんだな?」

 沈黙を破ったのは、犬飼の向かい側。鷹匠百太たかじょうひゃくた

 この事件で家族を失っている彼の様相は青白く、今にも倒れそうな面持ち。だが、その瞳には復讐の炎が輝いていた。

「無い」

 犬飼はピシャリと言い切った。

「しょ、証拠は……! 証拠はあるのかにゃ!?」

「そ、そうだ! あんたはこれまでミスばっかりだ! 証拠を出してくれ!」

 鷹匠の隣で身を乗り出すようにしながら猫田美奈子ねこたみなこが叫ぶ。追従したのは犀川康平さいかわこうへいだ。

「確かに……僕はこれまでミスを犯し続けてきた」

 フーッ、と鋭い溜息ひとつ。犬飼は渋面を作り、そう呟く。

「だが、今回こそは間違いない。第六の事件を思い出してほしい」

「第六の事件というと三日前の……あ」

 事件を振り返ろうとした鳥居駿とりいしゅんは、そこで言葉を切る。鷹匠の沈痛な表情が目に入ったのだ。いいんです、と鷹匠は首を振る。彼はその事件で家族を二人、失っているのだ。

「酷い事件だったわ。鷹匠九十九たかじょうつくもさんと、鷹匠三七たかじょうみなさんのお二人が木の頂上に突き刺さって亡くなられるなんてね」

 言葉を継いだのは蛇川蓬生へびかわよもぎだ。告解するような言いぶりに反し、彼女の声音は微塵も揺らがない。

 名探偵は指を鳴らし、答えた。

「その通り。私はこれまであの殺害現場は殺害の後に偶発的に発生したものと推理してきました。ですが、先ほど猫田嬢から借りた双眼鏡によって見つけてしまったのですよ---血のついた掌の跡を。木の頂上から僅か1m下の地点にね」

「馬鹿な! ありえない!」

 激昂したのはこれまで沈黙を保っていた熊谷智生くまがいともや。顔を真っ赤にして右手を振り回す。だが、犬飼の掲げた写真に写った血染めの掌の跡の前には、余りに空虚な反論であった。

 更に食い下がろうとすると熊谷であったが、鷹匠の決意に満ちた声がそれを絶った。

「犬飼。以前の君の推理では、九十九と三七は殺害された後、偶然発生した巨大竜巻によって巻き上げられ、木に突き刺さった、という事だったな?」

「そうだ。そうでもなければ、あの7mに人間2人が突き刺さるなど、あり得ない話だった」

「それが覆された……じゃ、じゃあ!」

 そう言いながら犀川は怯え、震え、両手で自らの肩を持つように縮こまる。二の句は継げない。無理もない。彼にその真実を口にするだけの胆力はなかった。

 代わりに勇気を示したのは隣に座る猫田だった。

「名探偵の犬飼さん、もうハッキリ言っちゃいなよ。九十九さんと三七ちゃんは、犯人によってあの高さまで連れて行かれ、突き刺されたんだよね?   

「その通りだ」

「それはつまり……」

 皆まで言うなとばかりに鳥居が両手を所在なげに前に掲げる。犬飼は手でそれを制し、真実という名のギロチンを––––振り下ろした。


1


 犯人は殺戮オランウータンだった。



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犬飼はぐるりと辺りを見回す。

犬飼から時計回りに、蛇川、熊谷、鷹匠、猫田、犀川。

これが今この洋館に集う7人。初めは200人いた彼らも、1人減り2人減り、いよいよこれだけの人数になってしまっていた。


「お、俺は違うぞ! 俺は人間だ! 断じてオランウータンではない!」

 鳥居は立ち上がり、叫ぶ。すぐそばにいる誰かがオランウータンかもしれないという恐怖と戦いながらの慟哭のようであった。

「証明できます?」

 問うたのは、蛇川。その瞳はまなざす者を凍らさんばかりに、冷たい。

「しょ、証明だと! 俺を見ろ! 言葉を話し、意思疎通する! 人間以外であるものか!」

「それだけでは、足りないってことか––––」

 吠える鳥居の言葉に、納得したように鷹匠が呟いた。まあ、そう言うわけなんですよ、と犬飼が自嘲気味に繋ぐ。

「どういうことかにゃ?」

 説明を求める猫田に答えたのは、鷹匠の方だ。

「ここにいるのは7人だけ。そして7。更に、7

「故に、。ふふふ、全ての不可能を消去して最後に残ったものがいかに奇妙な事であっても、それが真実––––シャーロック・ホームズも良いこと言うわね」

 蛇川は笑う。

「し、しかし、待ってくれ! オランウータンなんだろ!?」

「その通りです。犀川さん。この中の誰かがオランウータンなのです」

 犬飼はうなずく。

「だが、ここには7人しかいない! オランウータンなのに『人』でカウントするのかい!?」

 

 ミステリーにおける絶対条件の一つ。犀川が突いたのはまさにその点であった!慧眼! しかし、犬飼は首を振る。

「犀川さん、オランウータンの別名は知っていますか?」

「べ、別名……? そ、そりゃあ、森の––––あ、あああっ!」

「そうです、。ゆえに、数詞が『人』でも問題はない!」

「そんな手があるなんて思いもよらなかったにゃー」

 猫田は頭の後ろで手を組み、天井を仰ぎ見る。台風直下の洋館の屋根にはバケツをひっくり返したような雨が降り注ぎ、今も強い雨音を立てていた。

「そんな……じゃ、じゃあ、どうやって自分が非オランウータンであることを証明すればいいんだ!」

、ということね。名探偵さん、確認だけど、女だからオランウータンじゃない、とはならないのよね?」 

「無論です。オランウータンにはオスもメスもいますからね。そして私は芝犬を飼っていますが––––あ、名前はペロです––––オスですから、ペロは地の文では『彼』と呼ばれるでしょう」

 三人称も判断材料にはなり得ないと言うことです、と犬飼はウインクしながら語ってみせた。

「となると、犬飼さん。あなた自身はどうなんだ? なんて理屈は通らないぞ」

 鳥居の言葉は詰問調だ。疑心暗鬼が彼に高圧的な態度を取らせていた。

「そのとおり。私自身も自らの非オランウータン性を証明しなくてはならない。では、私の今朝の朝食を思い出していただけますか」

「一人焼肉してたな」

「こんだけ人が死ぬ中でよく焼肉が食えるな」

「牛タンを焦がしてた」

「皆さんの記憶力が高くて何より」

両手を広げて制するポーズを取り、犬飼は非オランウータンの証明を紡ぐ。

「オランウータンは果実食の動物です。故に、肉を食べる私はオランウータンではありえない。まあ、オランウータンも鳥の卵くらいは食べるそうですが」

「そ、そうか! 確かにここにきてからの一週間というもの、食事は基本的に野菜か果物だった……!」

「その時点で我々は殺戮オランウータンの手の内にあったと、そう思うべきなのでしょうな。恐るべきオランウータンです」」

 犬飼は俯く。犬飼自身の無罪は証明された。しかし、この1週間で肉を食べたのが自分だけであることもまた、犬飼は記憶していた。食事による非オランウータン証明にはこれ以上頼れない!

「た、体重はどうだ! オランウータンは人間より小さいんだろ!? 軽いはずだ!」

「それについてはこちらのフリップをご覧ください」

犬飼はフリップを取り出す。


『野生ではメスの体重40kg前後、オスは80kg前後、オスはメスの2倍ほどの体格があります。(Rayadin and Spehar. 2015)』

引用元〜〜https://www.orangutan-research.jp/orangutan.html〜〜


引用の要件を満たしたフリップだ!

それをみて犀川が喝采する!その手には––––体重計!体脂肪率も図れる最新式のプレート体重計だ!本体重量わずか1.5kg!バックライトもあるよ。


 ピンと背筋を伸ばし、気をつけ姿勢の犀川が体重計の上に立ち乗ると、数値は120kgを示す! 明らかに重い!

「見てくれ! 私は非オランウータンだ!!!」

「私は56kgなのだけれど、どうかしら?」

 犀川に続き、蛇川がそろりと体重計に乗ってそう告げた。頭と腰に手を当て、無駄に扇情的なポーズを決めている。ミステリアス!

「残るは4人、か」

 鷹匠が呟く。被害者に家族が含まれていたことなど非オランウータンであることの何の証明にもならないと理解した上での言葉だった。


「体重がダメなら、年齢はどうかにゃ?」

「年齢についてはこちらをご覧ください」

 犬飼が再びフリップを繰り出す。寿命は最長で50−60年程度とある。

「やったにゃ!」

 猫田が飛び跳ねる。御年87歳。流石にオランウータンでは生存不可能!

「やれやれ、長生きはしておくものだな」

 鳥居はホッと一息、タバコに火をつける。今年で91歳となる彼も、必然的に非オランウータンとなる。

「熊谷さん、どうやら残るは我々2人のようですよ」

 鷹匠はそう言った。

 熊谷はもはや顔面蒼白だ。このままでは単に連続殺人鬼として吊るし上げられるのみならず、自らのホモ・サピエンス性さえ奪われるのだ!その心中、語るに耐えず!

「わ、私の握力はそんなに強くはない! オランウータンはパワーがあるんだろう!? 握力計を持ってきてくれ!」

 しかし犬飼は首を振る。

「熊谷さん、確かにオランウータンの握力は極めて強力です。ですが、なのですよ」

「グムーッ! な、ならば、髪の色だ! 白髪頭のオランウータンなどいようものか!」

 白髪をアピールする熊谷! しかし犬飼は首を振る。

「極めて稀ではありますが、アルビノというものがあります。白髪のオランウータンは存在しうる」

「ぐ、ぐぐぐ。い、犬飼さん、た、助けてくれ……私は非オランウータンなのだ……どうすればいい……」

 もはや死刑台の前の囚人の如く憔悴した熊谷が助けを求める。

 しかし、犬飼は首を振る。

「熊谷さん。それは、難しい話ですね……己の中の非オランウータン性と向き合うこと、それはもしかすると人類永遠の課題かもしれません」

「そ、そんな……」

 遂に熊谷の身体は床に落ち、土下座めいて這いつくばる。進退窮まったのだ。容疑者という点ではまだ鷹匠もいる。だが、己の非オランウータン性を証明できなかった彼の心中や如何!

 生まれいでて45年、そしてこの1週間の連続殺人事件をここまで生き延びた先にたどり着いたものが己がオランウータンでないことを証明できないという事実! 

 熊谷は溢れる涙を覗かれるのを恥じ、己の身体を掻き抱いた! 顔に押し当てた肘が濡れそぼる! 男泣きであった。

 鷹匠は泣き濡れる犬飼を見る。その目は真実を見定めんとする炎が在った。だが、鷹匠もまた非オランウータン性を証明できない男だ。もはや残った容疑オランウータンは2人。どちらがオランウータンであるかは未だ確定しないが、犬飼ならばいずれ解き明かすであろう。

 鷹匠もまた、シュレーディンガーのオランウータンであった。

「犬飼」

 真実を求め、鷹匠が声を投げかける。そして名探偵は、笑った。

「熊谷さん。分かりました。。」



「––––貴方が殺戮オランウータンだ––––」

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