第18話 癒しの白兎

 リオン達は現場の処理を終え、早朝に王宮へと帰還した。


 交代時間の午前九時まであと四時間近くあるため、まだ勤務時間ではあるが、一服するぐらいは許される。


 二番部隊と三番部隊は消火活動とピエロの鎮圧に尽力し、被害は最小限に抑えられた。部隊の中からも負傷者は出ておらず、市民からも死傷者は出なかった。


 リオンは左腕を痛めたことを隠し、報告には上げなかった。


 麻痺はほとんど取れたが、金のジョーカーから受けた最後の一撃が重かった。

 腕を捲れば腕が真っ赤になり、打ち身で紫色になっている。


 ヒビでも入っていたらどうしよう……。


 とりあえず、後で湿布でも貼っておこう。


 そんな風に思いながら机の上で報告書を書いている足元に白い物があることに気付く。しかもごそごそと蠢くのだ。


「きゃっ」


 リオンは驚いで椅子から立ち上がると他の隊員達が何事かと覗き込む。


「おい、どうした?」


 オズマーがリオンに問い掛ける。

 リオンは足元にいた生き物を凝視する。


「う、兎?」


 白い生き物は兎だった。


「何でこんな所に兎がいるんだ?」

「知らない」


 オズマーの問いにリオンは答える。


「……可愛い」


 白くふわふわとした毛につぶらな瞳がとても愛くるしい。

 リオンはどこから来たか分からない小さな兎を抱き上げる。


 その様子を見て、隊員達が寄って来る。


「どっからは入って来たんだ?」

「誰か飼ってるのか?」


 隊員達は顔を見合わすが、飼い主は見当たらない。


 リオンはそっと白い毛並みを撫でる。

 ふわふわした毛は柔らかく、温もりが心地いい。


「あなた、どこから来たの?」


 答えるわけないのだが、リオンは思わず話しかけてしまう。


 兎はすりすりとリオンの顔に鼻先を擦り付けて、うっとりと目を閉じる。


 その様子がとても可愛くて胸がきゅんっとする。


 ずっと抱きしめていたい魔性の魅力がある気がした。


「お外行く?」


 兎に優しく話しかけるリオンを見た隊員達は普段は見せないリオンのギャップに見惚れてしまうがリオンは気付かない。


 外に連れ出そうとするとリオンの腕から逃れ、リオンの机の上に座り、落ち着いてしまった。


 どうしていいか分からず、困っているとベネギルとスペンサーの二人の隊長が戻って来た。


「どうしたんだ?」

「兎か?」


 白い兎を見て目を瞬かせる二人は首を傾げている。


「いつの間にか足元にいたので……すぐに外に出します」


 リオンの言葉に兎は反抗するような仕草を見せる。


「ごめんね、うささん。一緒にお外に行こう?」


 リオンがそう言って手を伸ばすが、兎はそっぽ向いて乗り気ではない様子だ。


「うささん……」

「うささん……」


 リオンの少女のような言葉に周囲は呆気に取られている。


「仕方ない、今日だけだぞ」


 勤務時間が終了したら外に出すように、とスペンサーは言う。


 すぐに追い出されないと悟った兎はリオンの膝の上に乗り、ご満悦だ。


 癒しを求めに隊員達が代わる代わる兎の元に訪れるのだが、どうも他の隊員には良い顔をしない。


 特にオズマーへの反応はあからさまだった。


「いっ⁉」


 手を出したオズマーは兎に指を噛まれ、苦悶の表情を浮かべる。


「大丈夫⁉」

「だ……大丈夫……」


 噛まれた指を押さえたオズマーは言う。


「こら、噛んじゃダメ」


 リオンが兎に言い聞かせると兎はシュンと長い耳を垂らす。


「もう噛んじゃダメよ」


 そう言って触り心地の良い毛並みを撫でる。

 兎はリオンの腹部に身体を埋めて丸くなり、寝てしまう。


「可愛い」


 小さく愛らしい兎はリオンの尖った感情の角を落として丸くしてくれる。


 リオンは表情も柔らかくなり、気が付けば腕の痛みや身体の怠さも気にならなくなっていた。


 アニマルセラピーってやつかしら。


 動物の持つ癒し効果に着目した治療法である。

 こんなに愛らしい兎であればそれもあり得るかもしれない。


 小さく寝息を立てる白い兎はとても可愛らしく、温かい。兎の寝姿に癒され、勤務交代までの時間を過ごした。


 警吏署務室を訪れれば兎と戯れるリオン・シフォンバークが見れると密やかなに囁かれた。





「……兎、どうしたんだ?」

「迷子みたいなの」


 勤務交代のために出勤してきたアルフレッドは開口一番に訊ねた。


 不思議そうなアルフレッドにリオンは答える。


 白い兎はリオンに甘えるように顔を擦り付け、リオンに身体を撫でられると目を細めて恍惚とした表情を浮かべる。


 それを見つめるリオンもいつもは見せない少女のような笑みを見せるものだから隊員達がざわついていることにアルフレッドは気付いた。


「お疲れ様」


 現れたのはケリードだ。


「お疲れ様」


 リオンは兎を抱いたまま返事をする。


「…………」

「な……何?」


 じっとリオンを見下ろすケリードの視線が気になり、リオンは訊ねる。


 そしてすっと兎に向かって手を伸ばす。


「待って、この子さっきオズマーを噛んだの」

「へぇ。彼、噛まれたんだ」


 愉快そうな声でケリードは言う。


 まるで面白がるような言い方も、リオンは好まない。


 噛まれてしまえ、と内心思いながらも、兎はケリードを嫌がる様子を見せず、ケリードは兎を撫で回した。


 ちらりとケリードを伺うと兎を見て目を細めている。


 その表情は穏やかでレンズ越しのアイスブルーの瞳がいつもよりも少しだけ優しく見えた。


 意外だわ。動物が好きなように見えないのに。


「兎、好きなの?」

「別に普通」


 リオンの問いにケリードはいつもと変わらぬ口調で答えた。

 しかし、その表情は兎に対しての慈愛があるように思えた。


「君は好きなの?」

「うん。動物は好き」


 リオンは兎の小さな頭を撫でながら頬を緩める。


「そう。良かったね」

「でも、もう少しでバイバイしないと」


 短い時間だったがこんなにも愛着が湧くなんて思わなかった。

 外に逃がさなければならないと思うと寂しくなる。

 項垂れるリオンにケリードは溜息をついた。


「どうせこの辺にいるんでしょ。君に懐いたならまた来るんじゃない?」


 珍しく、リオンを貶さないケリードの言葉が意外でリオンは驚く。


「そうだと良いな……私のこと忘れないでね」


 ぎゅっと小さくて、白く温かな兎を抱き締める。


 名残惜しんでいると兎がちゅっとリオンの頬にキスをしてくれた。


「この毛玉……」


 ケリードは誰にも聞かれない程度の小さな声で呟いた。


「お別れしてくる」


 そう言ってリオンは庭に出るために廊下へ出た。


 名残惜しくも庭の繁みに放すと兎は元気よく跳ねながら姿を消す。

 庭から室内に入る扉の前にケリードが立っていた。


「君、左半身はもう大丈夫なの?」


 わざわざそんなことを言うために待っていたのだろうか。


 そこでふと気づく。

 そういえば痛くない。


 王宮に戻って来た時はとても痛かった腕の痛みが嘘のように消えている。

 身体の痺れや怠さもない。


 手を握ったり開いたりしてもいつも通りで、ジョーカーから回足蹴りを受けて強打した場所にも痛みはない。


「別に何ともないって」



 本当は少し前まで腕が酷く痛んでいたのだがリオンは本当のことは言わずに、ぶっきらぼうに答える。


 そもそも何で左側が不調だって気付いたのよ。


 ケリードのアイスブルーの瞳がレンズ越しからリオンを見ている。


 何だか見透かされているように感じてリオンは視線を逸らした。


 すると聞いておきながら興味を失ったのか、ケリードは歩き出す。


「業務引き継いでくれる? もうすぐ交代だから」

「分かってるわ」


 リオンはケリードの後ろを歩き出す。


「そういえば、今回の被害はどうだった?」


「民間人の死傷者はなし。火災も思ったよりも広がらなかった。うちの部隊の到着が早かったことと、金のジョーカーがいたからだと思う」


 金のジョーカーが火災を起こし、消防の消火活動を妨害するピエロ達を片っ端から薙ぎ倒していたと言う。だから消防は消火活動に集中できたし、ベネギルの部隊の到着も早く、事態の収束は早かった。


 火災現場で金のジョーカーが赤のピエロ達と対峙している間、金の仮面をつけた少年も赤のピエロ達の暴動を抑えていたようで、少年が現れた方向には意識を失っていたピエロ達が倒れているのが発見された。


「無能な警吏の代わりに制裁を加えているそうよ」


 リオンは少年の一言が気掛かりだった。


 彼の言葉には確かな鬱屈を感じる。

 彼にそう思わせた何かがあるのだろう。

 それはリオンも感じていることと近いものもある。


「ふーん。まぁ、民間人の被害が出てないなら上等か」


 何だか満足気な物言いにリオンは首を傾げる。


「君は相変わらず感情的みたいだからまた怪我しないように気を付けるんだね」

「それはどういう意味?」


 リオンが言葉にケリードは意味深な笑みを浮かべるだけで言葉はない。 


「おーい、二人共、引継ぎ始めるぞ」


 オズマーが署務室のドアから顔を出して廊下を歩くケリードとリオンに向かって言う。


「ごめん、ごめん。すぐ行くよ」


 ケリードは愛想よくオズマーに答えて、再び視線を向ける。


「行くよ」


 リオンはケリードに催促される形で警吏署務室に戻った。

 



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