回り始める歯車③

 どうしてアニーとの待ち合わせ場所を魔術学校前にしなかったのだろう。そう後悔の念を感じながら、アリシアはギルド広場に向かった。


 肩にかかる鞄のひもを両手で握りしめながらひたすら走った。

 喉が干上がり、熱い空気を吸い込んだ肺が悲鳴を上げても、止まらずに足を前に出す。

 石畳に靴の踵が引っ掛かり、あっと思った時にはアリシアの体は石畳に叩きつけられた。薄い肌が擦り切れ、じわりと痛みと熱が足に広がった。


「お嬢ちゃん、大丈夫かい?」

「怪我したんじゃないの?」

「す、すみま、せん……急いで、て」


 通りの人たちの声に曖昧な返事をして、息を切らしながら再び走り出す。

 焦りと不安で視界がにじんだその時──


「アリシア、どうしたの?」


 滲んだ視界の中、声をかけてきたその人は走り寄ってきた。

 肩で息をしながら、アリシアは手を伸ばす。


「……アニー、さん」

「あまり遅いから、心配で学校まで迎えにと思ったんだけど」

「アニーさん……助け……ミシェル、ミシェルが!」


 息切れする中、必死に訴えてアニーに縋りついたアリシアは、堪えていた涙をついに溢れさせた。

 アニーの顔が曇ったのと、彼女の背後にいたもう一人が尋ねたのはどちらが早かったか。


「ミシェルがどうした」


 仰ぎ見れば、アニーの後ろには厳しい表情をしたキースがいた。

 息も絶え絶えの中、学校であったネヴィンとのこと、ロンマロリー邸にミシェルが戻っていないことを伝えたアリシアはカタカタと震え出した。


「ど、どうしよう、ミシェルに何かあったら」

「まず落ち着きなよ」


 アリシアの背を撫でたアニーはキースを振り返る。


「あのガキ……大人しくしてればいいものを」

「ちょっと、キース、あんたも落ち着きな! まだ、そのネヴィンが何かしたとは限らないでしょう」


 今にも殴り込みに行きかねない空気を駄々洩れにしているキースを一喝したアニーは、さてどうしたものかと首を傾げた。

 今、限られた情報で考えられることは大きく分けて二つだ。

 一つは、ミシェルが何か事情があって自ら行き先を変更して帰宅していない可能性。もう一つは、何者かに拐われた可能性。そして、アリシアとキースはこの後者だと決めつけている。

 確かに、アリシアの主観的な視点で物を見ればそうなるが──


「情報が足らなすぎね」

「ネヴィンを締め上げて吐かせりゃいいだろうが!」

「落ち着きなよ。それで何も出てこなかったらどうするのよ。確か、そのネヴィンって伯爵子息なんでしょ? 私はそんなの敵にしたくないわ」

「だったら、このフランディヴィルを虱潰しに探すのか? どれほど広いと思ってるんだ!」

「だから落ち着け! その痕跡を探そうって言ってるんでしょうが」


 冷静なアニーに舌打ちをしたキースは、石畳を踏み鳴らす。

 アリシアは混乱する意識の中、彼女の言葉に反応してぽつり「痕跡」と呟いた。


「何か思い当たることあるの?」

「……痕跡を、探すなら……出来ます」


 忙しく視線を彷徨わせていたアリシアは、ゴクリと喉を鳴らして頷いた。そして踵を返し、来た道を走り戻った。その後をアニーとキースも追う。


 息を切らしながら戻ったのは魔術学校正門前の通りだった。

 乱れる息の中、からからに干上がった喉に唾液を落とし込もうとしたアリシアは激しく咳き込んだ。


「ちょっと、大丈夫?」

「……はっ、は、い……ミシェル、見つけ、なきゃ……」


 ゼイゼイと肩で息をしながら、アリシアは辺りを窺った。だいぶ学生の姿はなくなっている。


「ねぇ、学校の人に協力を願い出たらどう?」

「それも、考えた……けど、証拠がない、と、たぶん」

「おじいちゃん先生の秘蔵っ子なのに?」


 無理だと否定するアリシアの言葉を遮るように驚きの声を上げたアニーは、口をへの字に曲げて聳え立つ魔術学校の校舎を見上げた。


「ミシェルが、校長の弟子、なのは……非公式……よく、思わない、人も──」

「どの道、見つけ出すことに変わりはない」


 そう言ったキースは、幾分息が戻ってきたアリシアに「俺は何をすればいい」と尋ねた。

 大きく息を吸ったアリシアは滴り落ちる汗を手の甲で拭う。


 ──冷静にならないと……今、私が出来ることは、一つよ。


 ぎゅっと手を握りしめ、アリシアは校舎を見上げる。


「まずマルヴィナ先生にロンマロリー邸の鍵を借ります。その後、私が魔力感知で追跡をします。私は戦闘に不慣れなので、もしもの時の護衛と、ミシェルの救出はお二人に任せます!」

「荒っぽいことなら、任せて」

「あぁ、それは俺たちの役割だ」


 長い灰褐色の髪を手早く結びなおしたアニーは好戦的な笑みを浮かべる。その横でキースは腰に下げる剣の柄に手をかけた。

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