舞踏会の夜に想う③

 馬車の外に踏み出したミシェルは、まるで決戦を前にしたような勇ましい面持ちで、校舎を見上げた。

 荘厳な建物が、今日ばかりはまるで立ちはだかる敵の王城のように思えた。


 日頃、講演に使われる講堂は華やかな会場へと姿を変えていた。

 壁際のテーブルには豪華な食事が並び、この日のために雇われたであろう給仕たちが銀の盆を手に賓客に飲み物を配り歩いている。


 葡萄酒と花の添えられた果実水のグラスを受け取ったキースは「ノンアルコールな」と片方をミシェルに渡して笑う。


「ありがとう。ね、アリシアを探したいの」

「バンクロフトのお嬢さんだな」


 元より承知だとばかりにキースは頷くと、ミシェルの空いている手を掴んで自身の腕に添えさせた。


「どこだろう、アリシア……」


 きょろきょろと周りを見ていたミシェルは視界の隅に、見覚えのある横顔を見つけて足を止めた。ただしそれはアリシアではなく、今もっとも会いたくない人物だ。

 くんっと腕に力がかかり、ミシェルが立ち止まったことに気づいたキースは視線を下に向け、そこに強張った顔を見た。何事かと彼女の視線の先を見れば、一人の青年がいる。

 長い灰褐色の髪を後ろで束ねる青年に同伴の姿はなく、誰かを探しているような様子だ。


 ──あれ、か。ミシェルを泣かせたのは。


 瞳を細めたキースは細く息を吐くと、まずはアリシア・バンクロフトを探す方が先決だと頭を切り替えた。その直後だ。


「あら、ミシェル。やっと観念したのかしら?」


 穏やかな声が横からかけられた。振り返ると、淡い空色のドレスに身を包んだアリシアがふくよかな胸を揺らして近づいてきた。横にいるのは同級のパークスだ。

 振り返ったミシェルは、薔薇の花が咲き綻ぶように笑顔になった。


「アリシア! よかった。探してたの」

「ふふっ、心細かったって顔ね」

「そ、そんなことないもん!」


 図星をつかれ、顔を真っ赤にしたミシェルだったが、肩の力を抜くと胸を撫で下ろした。


「それにしても……まさか、噂の彼を連れてくるとわね。正直驚いたわ。パークス貸しても良かったのに」

「貸すって。アリシア、俺は君の所有物なのかい?」

「似たようなものでしょ?」


 げんなりとするパークスの横で、アリシアはけろっとした顔で答えると、グラスを彼に押し付け、淑女らしくドレスを摘まむとキースに向かって挨拶をした。


「アリシア・バンクロフトと申します。キース様のお話は、かねてよりお伺いしておりますわ」

「お会いできて光栄です、アリシア嬢。バンクロフト商会のティールームは、よく利用させて頂いてます」

「ふふっ、今後もご贔屓に」


 当たり障りのない会話ではあるが、自分だったらそうすらすらと挨拶ができるものだろうかとミシェルは首を傾げ、すぐに複雑な表情を浮かべた。


「アリシアはこういう場所、慣れてるよね」

「人の集まるところに商機あり、よ」


 輝かしい笑顔を見せるアリシアの横でパークスがため息をついたのを見逃さなかったキースだったが、ここは掘り下げない方が身のためのような気がし、黙ってグラスを傾けた。

 商魂逞しいアリシアの様子にまた一つ肩の力が抜けたミシェルは、持っていたグラスの果実水を飲み干すと、通りすがりの給仕にそれを渡し、改めて会場を見回した。


 日頃、ローブ姿が多い学生たちだが、今日ばかりは着飾っている。とくに女の子の中には、ともすれば誰か分からないほどの変身を遂げている者もいた。

 自分も少しは淑女らしく見えているだろうか。そんなことをちらり考えたミシェルはキースを見上げると、綺麗な緑の瞳が細められ、惚れ惚れするような笑みが向けられた。


「ほんと、絵になるわ。パークスもあれくらい甘い笑顔をしてみたらどうかしら?」

「自分で言うのもなんだけど、素材が違いすぎるよ。なぁ、それより……」


 ミシェルとキースを見て感嘆のため息をついたアリシアの肩を叩いたパークスは、顎をしゃくると斜め後ろを見るように促した。


「あら、お邪魔虫がこっちに気づいたわね」


 アリシアの言葉に顔を巡らせたミシェルは、表情を強張らせた。


「アリシアの声が大きいんだよ。気づかれる前にこの場を離脱すべきだったと思うね」

「なら、さっさとそう言いなさいな」


 ふうっとため息をついたアリシアは振り返ると、近づいてきた青年に「ご機嫌よう、ネヴィン」と声をかけた。


「お邪魔虫とは、とんだ言われようだな」

「あら、何のことかしら?」


 涼しい顔のネヴィンに動じることなく、アリシアは笑う。しかし、彼女には興味などないのだろう。彼はすぐにミシェルとキースに視線を移した。


「ミシェル嬢は、僕の忠告を全く聞いていなかったようで、残念だよ。マザー家のご令嬢ともあろう方が、素性も知れないハーフエルフを連れ歩くとは。それとも、下賤の者を着飾って侍らせるご趣味でもあるのでしょうか?」


 侮蔑のこもった物言いと笑顔に動揺したのはミシェルだけではなく、周囲の学生すらも言葉をひそめて、一、二歩と後ずさった。


「ちょっと、ネヴィン! いい加減にしなさい」

「アリシア、落ち着くんだ」


 ミシェルよりも先に声を上げたアリシアを止めようと、彼女の手を引いたパークスだったが、それはあっさりとはねのけられた。


 日頃は冷静な彼女だが、ここ数か月、ネヴィンのことに関してはだいぶ怒り心頭だったことをパークスは知っていた。今日、同伴として訪れたのも、彼女がカッとなった時に止めようと思った故だったのだが、それも無駄足のようだったと彼は頭を抱える。


 ネヴィンの侮蔑の眼差しがアリシアにも向けられ、さらには一同の様子に、周囲からは好奇の眼差しが向けられた。

 ミシェルがアリシアに手を伸ばしかけたその時、間に割って入ったのはキースだった。


「アリシア嬢、美しいお顔が台無しですよ」


 綺麗に微笑み、そしてネヴィンに向き直る。


「挨拶が遅くなり申し訳ない。キース・クインシーです」

「……クインシー、だと?」


 ネヴィンの顔がさっと青くなる。そしてミシェルも目を見開いてキースを見た。しかし、二人の表情が一変したことにアリシアとパークスは理解が及ばず、顔を見合わせる。


 一瞬、会話が途切れたが、ネヴィンは屈辱だと言わんばかりの表情でキースを睨みつけ「そんなはずはない」と僅かに聞こえるような声で吐き捨てた。

 キースは微塵も気に留めていないのだろう。変わらず笑顔で「せっかくの舞踏会です」と語り掛けた。


「そう眉間にしわを寄せず、楽しまれてはいかがですか? あまりこの場に水を差すような言動は、アスティン卿もお喜びにならないでしょう」


 穏やかに笑いかけるキースに反し、いっそう険しい表情になったネヴィンは唸るように「失礼する」と言い、彼の横を通り過ぎようとした。

 すれ違いざまにキースの手がネヴィンの肩を掴む。そして、耳元に顔を近づけ──


「もう一度、ミシェルを泣かせてみろ。ただでは済まさない」


 その耳にしか届かない低い声で囁くと、その手を放した。

 振り返ったネヴィンは、欠片も笑っていない緑の瞳に寒気を感じ、再び「失礼する」とだけ言ってその場から去っていった。


 様子を窺っていた周囲の学生がひそひそと話す中、まるで場の雰囲気を切り替えるように軽快な音楽が奏でられた。

 それに気持ちが引かれた彼はらに、再び談笑が戻り、音楽に誘われた学生たちは一組、二組と、次々に中央へと動き、音楽に合わせてステップを刻み始めた。

 葡萄酒を飲み終えたキースは、すれ違う給仕にそれを渡すとミシェルに手を差し伸べる。


「せっかくだ。一曲、お相手頂けるかな?」


 彼の誘いを断る理由もなく、手を引かれたミシェルは広間の中央に誘い出される。

 それを見ていたアリシアはパークスをちらり見ると、少し視線を泳がせた彼が手を差し出したことに満足そうに笑って「もう少しスマートに誘えないの?」と憎まれ口をたたいた。

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