DIVINE×HEART ― デウスの心臓は偶像の夢をみるか

@ponta-kun

プロローグ

奇跡の日

 人の熱気がすごい、今この場の湿度はどれくらいだろう?

 俺は、さして広くもない会場にごった返している人々が放つ、ムワッとした空気をその肌や鼻孔で感じていた。


 その大きくはない会場のステージの上では、多くの観客に熱い視線を向けられながら、三人の女の子が踊り歌っている。


 一人は愛くるしい見た目の小柄な女の子で、その小柄な身体からは想像できないほど快活に激しい動きで観客を惹き付けている。


 もう一人は、細身の衣装が映える女の子で、その透き通る様な歌声と流麗な動き、スリットから除く白く美しい脚で周囲を魅了している。


 最後の一人は、三人の中でも高い背丈に、メリハリがありながらも絶妙にバランスがとれた美しい肢体を活かす衣装に身を包んでいる。そして透き通る様な美声を奏で、観客を熱狂の渦に引きずり込んでいた。


 俺はそんな空間で、早くこのステージが終わらないかとばかり思っている。

 どうにもわからない。正確には感じてはいるのだ。だが肝心なことが解らない。本来の目的を達っせられないまま、無為に時間が過ぎていくのは苦痛だ。


「みのり〜!!」


 誰かが俺の名前を叫んでいる。五感だけではなんとなくの方向と距離しか判別はできない。そもそも、ここまで人が密集しガンガンと音楽が鳴っている空間で、よく聴き取れたもんだと、心の中で自分を褒めてみる。


 俺の名前は「不動ふどう みのり」。今年で、31才になる至極健全な一般男子である。

 そして、今この舞台上に立っているアイドルユニットのリーダーをやっている。


 なぜかって? それは今のこの身体は俺が理想とする女性像をそのまま体現した絶世の美女だからだ。まあ、それはあくまでアイドルをやっていられる理由であって、やっている理由ではないけども。


「こんにちは〜! 今日は私たち『アーキエンジュ』のライブへようこそ!!」


 そんな事を考えている間にオープニング曲が終わり、小柄な女の子「伊吹いぶき 亜衣あい」が、ライブの開始を告げる挨拶をする。


「私たちが結成して、今日で1年が経ちました! 今日この日を迎えられたのも皆さんの応援があったからこそです!」


 ついで、細身の女の子「空知そらち 凛花りんか」が感謝を述べる。


「今日は1周年を迎えるにふさわしい新曲も用意しています! 皆さんと最高の2年目をスタートするために最高に盛り上がっていってください! 今日のために用意してもらった新曲『Harvest Day』!!」


 そして、最後に俺が締めくくり、


「「「ミュージックスタート!!」」」


 三名の声が重なると同時にライブが本格的に始まった。


  +++++


——ドパンっ!

 

 控え室のドアが勢いよく開けられ、控室にいた全員がそちらに視線をやる。


「いや〜! みんなよかったわよ〜! 特に亜衣ちゃんの可愛らしさったらないわ〜! お持ち帰りしたい!!」


 栗色の髪を肩まで伸ばし、ピチッした藍色のスーツに身を包んだスタイルのいい美女がドアを開けた勢いそのままに、ソファに座っていた亜衣ちゃんに、その豊満な胸に押しつける様に抱きついた。


 亜衣ちゃんは胸に埋もれて息ができないのか、その胸を激しくタップしているが気が付かれないまま、その胸の持ち主は隣に座っていた凛花ちゃんに視線を向けて言葉を続ける。


「それに凛花ちゃんも相変わらずのクールビューティーさで、お姉さん失神しそうになったわ♡」


 顔色が土気色に変わりつつある亜衣ちゃんを助けるべく、俺は姉に忠告する。


「そろそろ、亜衣ちゃんを放して上げたほうがいいんじゃない? 姉さん」


 そう、このハイテンションな残念美女が俺の姉であり、俺がアイドル業をやっている元凶で、アイドルユニット『アーキエンジュ』の所属する芸能事務所の社長兼マネージャーである「不動ふどう あかり」だ。


「なによ! 亜衣ちゃんの抱き心地は最高なんだからね! このほっぺの感触もたまんないわ……♡ それよりアンタは舞台でくらい、もう少し愛想ふりまけないの!?」


 殺人犯になることを防いでやったというのに、俺に悪態をつく姉はしぶしぶながらも亜衣ちゃんから離れる。

 解放された亜衣ちゃんは、息も絶え絶えになりながらも俺に礼を言ってくる。


「助かりました……みのりさん……お花畑がみえましたよ……」


 亜衣ちゃんの無事を確かめつつ、俺はため息をつきながら姉に答える。


「ちゃんと笑顔振りまいてアイドルしてたでしょ?」


 姉が目の前のテーブルに両手を勢いよくつきながら唾を飛ばして言う。


「全然よ! あんたの笑顔は心がこもってないのよ! 見た目が抜群だから、それでも人気はあるけど、あんたがもっと人生賭けたアイドルとしての自覚に目覚めれば『アーキエンジュ』は、更なる高みに昇れるのよ!! そうすれば、亜衣ちゃんと凛花ちゃんの才能もさらに開花して、あたしの夢のアイドルユニットが全世界に羽ばたけるんだから!!」

「いやいやいや!? 元々本来のメンバーが海外留学から戻ってくるまでの代理って話だったじゃない? なんでそんな人生賭ける話になってんの!?」


 ついつい素が出た俺に、亜衣ちゃんが反応する。


「えっ! みのりさん辞めちゃうつもりなんですか!?」


 目を潤ませながら、捨てられた子犬のような顔で俺に詰め寄ってくる亜衣ちゃんに、俺が二の句を告げずにいると、凛花ちゃんがフォローしてくれた。


「亜衣、みのりさんにだってやりたいことは有るんだから無理は言わないの。わたしだって、将来は女優兼歌手を目指してるんだからさ」

「そんなこと言ったって、まだ一年しかたってないんですよ〜。もっと三人でアイドルしたいです!」

「それこそ、一年もやれてるって考えなさいよ。デビューしてもすぐに活動休止するところだってあるんだから」


 この二人は見た目の雰囲気とかは正反対だけど、やたらと仲が良い。昔、悪友からは「女同士の友情なんてない、あいつらは相手に利用する価値があるかだけで判断している生物なんだ」と熱く語られたりもしたが、こういう姿を見てるとそんなことはないと感じる。

 

 二人の話がライブの感想や反省に移り始めたころ、姉が俺の隣に腰を掛けてきた。


「ところでみのり。あんた今日はどうするの? 打ち上げはくるでしょ?」

「ああ、打ち上げは行くよ。でも、終わったら久しぶりに家に帰って身体のメンテナンスでもするつもり」

「そう、じゃあ終わったら車で送ろうか?」

「電車使った方が早いしいいや。流石に終電まではかからないだろ?」

「んー、まあね。でもあたしも話したいことあるから、やっぱり送るわ」


 しばらく俺たちがそんな雑談を交わしていると、控え室に設置されたテレビからアラート音とともに緊急速報が流れ始めた。やたらと慌ただしい雰囲気のアナウンサーの声に全員が反応する。


——ただいま首相官邸より緊急発表がありました! 繰り返します! 首相官邸から全国民へ緊急発表がありました! ——


「なんか、アナウンサーさんが随分焦ってるね〜」


 亜衣ちゃんがキョトンとした顔でテレビの様子を話す。


——本日、9月29日、午後4時35分、成田発ホノルル行き、乗客454名を乗せたJNA616便がハイジャックされたと発表されました。616便は本来の進路を変更し都内に向かっていることが判明しています。ハイジャック首謀者と思われるテロ組織はハイジャックと同時に犯行声明を発表。政府ではハイジャック機の進行方向から都内の一部地域への避難指示を併せて発令しています。避難対象となる地域は、東京都で文京区、台東区、荒川区、千代田区の全域の他——


 しばし全員が呆然としたが、姉の声でみんなが我に返る。


「ちょっとぉぉぉー!! ここも避難対象地域じゃない!!」

「ど、ど、ど、どうしましょう!」

「落ち着きなさい、亜衣! まずはすぐに建物から避難しましょう!」

「そうね! 全員貴重品だけもって、すぐに非常階段に向かうわよ!」


 姉が指示を出し、みんなが動き始める中で俺は上空から周辺を俯瞰していた。

 うーん、こりゃ避難は間に合いそうにないな……。しかもジャンボかよ。このままだと近くのUFXビルに衝突しそうだ。それに機体がでかすぎて確実にこっちのビルも巻き込まれるな……。


 俺は旅客機の経路をシミュレートし衝突ルートを推測する。併せて、犯行声明の内容を確認。ついでに政府官邸のデータベースも覗いてみると、その最悪な状況に唸る。

 マジか……。C-4まで満載されてるのかよ。どうやって荷物検査を抜けたんだか。

 こりゃあ、やってみるしかないな。初めてだしこの身体がどこまで持つか判らないけど、ファンのみんなを見捨てるのは目覚めが悪いし、何より亜衣ちゃんに凛花ちゃん、ついでに姉貴を見捨てるのはもっと目覚めが悪い!


 俺は無言で立ち上がり、気が付かれない様にビルの屋上へ向かう。屋上はほどよく涼しい風が吹き抜けていた。雲一つなく晴れ渡った少し暮れ始めた空は、これからの惨事をまるで想像させない様に思える。


「いや、惨事なんて起こさせないさ」


 旅客機がかなり大きく見えていることを確認した俺は、ゆっくりと深呼吸をし呟く。


「『オーバーロード』」


 その瞬間、俺の心臓はその鼓動を劇的に高め、身体中を高温となった血が駆け巡り始める。

 髪は朱金色に輝き炎の様に揺らめき始め、背中からは衣装を突き破り、一対の透き通る様な翼が現れる。そして、その翼からは陽炎のように揺らめく金色の光りを放ち始めた。


  +++++


 ビルの下では、人がひしめき合い旅客機から離れようと逃げ惑っていた。上空では報道ヘリや、自衛隊らしき機体が飛び交っており、まさに騒然とした空気となっている。


 そんな中、ビルの外にある非常階段の踊り場に飛び出た灯たちは、その目前に迫り来る旅客機をみて尻込みをしていた。


「だめ! あんな近くまで来てるなんて間に合わない!!」

「みのりさんもいなくなっちゃうし、もう終わりなの!?」

「私はまだ諦めたくない! やっとスタートラインに立てたんだから! 二人とも立って走って!!」


 灯が悲観し、亜衣が取り乱し、凛花が毅然と二人を奮い立たせようとしたその時、彼女たちの目の前に金色の光が輝いた。


  +++++


 周辺にいた数多の人々は目撃した。旅客機の前に翼の生えた人のようなモノが現れたことを。


 それは、朱金色に輝きながら燃え上がる様な髪をなびかせ、光を纏った翼を大きく広げながら、まるで最初からそこにあったかのように旅客機の前に現れた。

 そして気がつけば旅客機の全てが金色の光に包まれ、まるで時が止まった様にその場に静止していた。


 まるで映画のワンシーンを切り抜いたかの様な、はたまた絵画に描かれたものが現実に飛び出してきた様な、そのどこか現実離れした光景に人々はただ呆然と見上げる。

 上空を飛んでいる報道ヘリのレポーターや自衛隊機の隊員たちも、眼下の人々と同様に現実とは思えない光景に声も出せず、ただ呆然と眺めていた。


 そして、永遠に続くかと思われた瞬間は、宙を滑るように旅客機が動き始めたことで終わりを告げる。

 旅客機は光に包まれたまま空中を滑る様に移動していき、夕日が沈んでいくかのごとく遠く離れたビルの狭間へ消えていった。それからしばらくしても落下を知らせる様な音は響かず、辺りは静まり返ったままだった。


 そんな静寂の中、誰かが声を上げた。


「て、天使だ! 天使が現れたんだ! そして救ってくれたんだ!! これは奇跡だ! 奇跡が現実に起こったんだ!!」


 それから周辺では歓喜の喝采が止むこと無く続く。報道番組ではその一部始終が何度も放送され、その正に奇跡と思える映像が世界中へと瞬く間に拡散していった。


  +++++


 厳かな雰囲気が漂う、書斎らしき部屋で老人が呟く。


「聖ミカエルが降臨された」


 世界に変革が訪れようとしていた。

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