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2023年11月22日 22:03
佐藤子冬先生 御侍史どんなに心を打たれたことでございましょう。涙が止まりませんでした。私は、御作の全てを拝読したわけではございませんが、今日のメッセージにこそ、佐藤先生の真髄を、真価を感じました。金剛石の原石、諸葛孔明の原石を。楽しいファンタジーをお書きになるのも結構でございますが、今日の様な文章をこそ世に問い続けていただきたい。それによって、どれほど多くの魂が救われることか。私はいつも、共に働く看護師さん、そして特に介護士さんの重労働には頭が下がる思いで、絶えず心配で胸が痛み、もしも国政に出られたら真っ先に着手したいことの一つが介護士さんの処遇改善と地位向上です。それを公募の論文に書いても書いても、何故か全て「論文審査」で門前払い。今年に入ってから11カ所の公募を受けましたが、医療介護福祉だけでなく経済、外交すべてに於いて誰にも負けない内容の論文を書いても書いても、全て門前払い。「論文審査」といえども論文の内容よりも推薦者の有無、そして推薦者がどなたか、が最重要選考基準の様だ、と思い知らされました。私の国政への道は、理不尽で過酷です。でも、韓国ドラマ「馬医」で、馬医(獣医師)から医師になり国王の主治医にまでなった実在の医師ペク・クウァンヒョンが幾多の理不尽な苦難をものともせずに乗り越えて成長する姿に、「決して諦めない」との決意を新たに致しました。ドラマの内容とは異なっても、おそらく彼はドラマに勝るとも劣らぬ苦難を味わったことでございましょう。楽してなるよりも苦労してなった方が、国民にとって良き議員になれる、と信じて頑張って居ります。腰痛と御病気は、大丈夫でございますか?燕雀安くんぞ鴻鵠の志を知らんや と申します様に、佐藤先生ほどの御方なら周囲の無理解にお苦しみになることもございましょう。劉備玄徳に出会うまで、諸葛孔明が自らを臥龍と称したことは、そして、喉から手が出るほど欲しかったに違いない軍師の地位を前にしても動じず三顧の礼を払わせてまで劉備の人間性を確かめようとしたことは、それまでの人生に諸葛孔明がどれほどの理不尽な辛酸を嘗め尽くしたかを物語っていると感じます。何故、諸葛孔明は龍となって天に上ることが出来たのか。それは、どんなに不本意で絶望的に見える境涯でも、決して自分を見放さなかったから。御冗談や御謙遜でも、今後二度と「しがない」などとおっしゃらないで下さいませ。佐藤先生は臥龍。ただ、天命を信じて、御自身の真価を世に問うて下さいませ。 かしこ2023年11月22日 稲邊富実代
作者からの返信
拝啓お忙しい中、ご返事下さり、ありがとうございます。世の貧しき方々へ想う先生の御心がかないます様に祈念致します。介護士という職種は軽く視られがちでございます。現実に諦めを見出だし、去ってしまう者も少なくないのが現状です。看護師も厳しい業務です。医師先生、看護師は命を預かる方々として常に重圧があることを少し理解しております。介護士にも看取りという重圧があります。命を預かるのは本当に重たく、夢にまで悩まされる毎日でした。世の中には理解して下さる方々と理解して下さらない方々がいらっしゃる。その苦難に先生も惑うことが多いかと感じます。三國志は私の専門外なので仔細は存じませんが、諸葛亮公明の名は誰もが聴いたことのある名前です。確かに彼は劉備と出会う前は素朴な生活をなされていました。後の蜀に用いられた後も彼はただひたすらに君主のことを想い、君主亡き後も蜀が滅亡すると判っておりながら仕えた偉人でございます。彼が今日に至るまであらゆる地域で知られる様になった一因に彼は常に正しくあろうとしたと感じます。「泣いて馬謖を斬る」という諺がありました様に民草を想う為に失敗した部下を泣きながら斬首する様も彼が義心を持ち続けようとした証だと感じます。先生にそこまで求めることはないですが、先生も又貧しき私達の為に行動なされていらっしゃる方だと感じます。時として躓き、倒れ、進む。人とはそういうものであると感じます。先生に無理解な方々も力がある分無理解な面もあり、力を失う時に謙遜を再び学び進まれるのでしょう。私達は常に天秤にかけられている存在です。善い行いは必ず帰ってきます。先生の道が保たれます様に祈念致します。追記・「そこまで求めることはない」と書かせて頂きましたが、誤解を招いているかも知れません。先生が重荷を背負われていらっしゃる以上、重圧をかけたくなく、伸び伸びと活動なされて頂ければという意味合いです。誤解を招きましたら失礼致しました。 敬具
2021年12月25日 22:04
ウリエルちゃん、なんだかんだで温泉には入るんですねwて、てか、水着!?ファマルコめw
ファルマコも色々溜まってますからね。本当はコボルト族とも恋愛対象に出来なくて溜まってますからね。聖書では獣姦が禁止されていますから恋愛対象が限られていまして。
佐藤子冬先生 御侍史
どんなに心を打たれたことでございましょう。
涙が止まりませんでした。
私は、御作の全てを拝読したわけではございませんが、今日のメッセージにこそ、佐藤先生の真髄を、真価を感じました。
金剛石の原石、諸葛孔明の原石を。
楽しいファンタジーをお書きになるのも結構でございますが、今日の様な文章をこそ世に問い続けていただきたい。
それによって、どれほど多くの魂が救われることか。
私はいつも、共に働く看護師さん、そして特に介護士さんの重労働には頭が下がる思いで、絶えず心配で胸が痛み、もしも国政に出られたら真っ先に着手したいことの一つが介護士さんの処遇改善と地位向上です。
それを公募の論文に書いても書いても、何故か全て「論文審査」で門前払い。
今年に入ってから11カ所の公募を受けましたが、医療介護福祉だけでなく経済、外交すべてに於いて誰にも負けない内容の論文を書いても書いても、全て門前払い。
「論文審査」といえども論文の内容よりも推薦者の有無、そして推薦者がどなたか、が最重要選考基準の様だ、と思い知らされました。
私の国政への道は、理不尽で過酷です。
でも、韓国ドラマ「馬医」で、馬医(獣医師)から医師になり国王の主治医にまでなった実在の医師ペク・クウァンヒョンが幾多の理不尽な苦難をものともせずに乗り越えて成長する姿に、「決して諦めない」との決意を新たに致しました。
ドラマの内容とは異なっても、おそらく彼はドラマに勝るとも劣らぬ苦難を味わったことでございましょう。
楽してなるよりも苦労してなった方が、国民にとって良き議員になれる、と信じて頑張って居ります。
腰痛と御病気は、大丈夫でございますか?
燕雀安くんぞ鴻鵠の志を知らんや
と申します様に、佐藤先生ほどの御方なら周囲の無理解にお苦しみになることもございましょう。
劉備玄徳に出会うまで、諸葛孔明が自らを臥龍と称したことは、そして、喉から手が出るほど欲しかったに違いない軍師の地位を前にしても動じず三顧の礼を払わせてまで劉備の人間性を確かめようとしたことは、それまでの人生に諸葛孔明がどれほどの理不尽な辛酸を嘗め尽くしたかを物語っていると感じます。
何故、諸葛孔明は龍となって天に上ることが出来たのか。
それは、どんなに不本意で絶望的に見える境涯でも、決して自分を見放さなかったから。
御冗談や御謙遜でも、今後二度と「しがない」などとおっしゃらないで下さいませ。
佐藤先生は臥龍。
ただ、天命を信じて、御自身の真価を世に問うて下さいませ。
かしこ
2023年11月22日
稲邊富実代
作者からの返信
拝啓
お忙しい中、ご返事下さり、ありがとうございます。
世の貧しき方々へ想う先生の御心がかないます様に祈念致します。
介護士という職種は軽く視られがちでございます。現実に諦めを見出だし、去ってしまう者も少なくないのが現状です。
看護師も厳しい業務です。医師先生、看護師は命を預かる方々として常に重圧があることを少し理解しております。
介護士にも看取りという重圧があります。
命を預かるのは本当に重たく、夢にまで悩まされる毎日でした。
世の中には理解して下さる方々と理解して下さらない方々がいらっしゃる。
その苦難に先生も惑うことが多いかと感じます。
三國志は私の専門外なので仔細は存じませんが、諸葛亮公明の名は誰もが聴いたことのある名前です。
確かに彼は劉備と出会う前は素朴な生活をなされていました。
後の蜀に用いられた後も彼はただひたすらに君主のことを想い、君主亡き後も蜀が滅亡すると判っておりながら仕えた偉人でございます。
彼が今日に至るまであらゆる地域で知られる様になった一因に彼は常に正しくあろうとしたと感じます。
「泣いて馬謖を斬る」という諺がありました様に民草を想う為に失敗した部下を泣きながら斬首する様も彼が義心を持ち続けようとした証だと感じます。
先生にそこまで求めることはないですが、先生も又貧しき私達の為に行動なされていらっしゃる方だと感じます。
時として躓き、倒れ、進む。
人とはそういうものであると感じます。
先生に無理解な方々も力がある分無理解な面もあり、力を失う時に謙遜を再び学び進まれるのでしょう。
私達は常に天秤にかけられている存在です。
善い行いは必ず帰ってきます。
先生の道が保たれます様に祈念致します。
追記・「そこまで求めることはない」と書かせて頂きましたが、誤解を招いているかも知れません。先生が重荷を背負われていらっしゃる以上、重圧をかけたくなく、伸び伸びと活動なされて頂ければという意味合いです。
誤解を招きましたら失礼致しました。
敬具