第23話 夢のような日々よ、さようなら
港区、超高層建マンション最上階。ここが私の新しい家となる場所。
玄関に段ボール箱が4,5個積まれており、中身を検めると私の私物が入っていた。
父の宣言通り、私の家はすでに退去の手筈が済んでいるみたいだ。
「いのりが一緒に住むからと思って最上階に越してきたんだ。どうかな?」
実はキラキラと輝くネオンの光を指差しながら無邪気に笑う。きっと私が高いところが好きだったからここを選んだのだろう。
「うん。すごい眺め」
私から反応が返って来たのが嬉しかったようで、実は頬を緩ませた。
「明後日からは婚約者としての挨拶回りや、僕の仕事に関しての勉強で忙しくなるから……明日はゆっくり休んで」
「明日……」
明日以降は24時間拘束されて自由な時間はない。
脳裏に会社の人たちが浮かび上がった。
『明日から会社へ行かなくて大丈夫だ』
父はそう言ったけれど……。
満足に説明も出来なかった。
せめてお世話になった人達にお礼ぐらい自分の口で言いたい。
これが私の最後の抵抗だ。
「実」
「ん? どうかしたかい?」
「お願いがあるの」
私からお願いするのが初めてのことだからか、実は今日一番の笑顔を見せた。
「勿論! いのりが望むなら何でも叶えよう」
「今までいた会社への挨拶……父さんは行かなくていいって言ったけれど、私が行きたい」
実は口元に手をやる。
彼が私の父の意に反するのは難しいことは重々承知の上だ。
「ああ、分かった。でも一つだけ条件が」
「実が一緒に行くこと、でしょう?」
「流石いのり。その通りだよ」
「分かった」
父の考え方では私は実の所有物になる。
だから実が一緒にいるとなれば父も納得するはずだ。
きっと実も同じ解答に行き着いたからそう言ったのだろう。
「菓子折りは僕の方で用意しているから安心して」
実は明日の出発時間を伝えると、会議があるからと書斎に向かっていった。
◇
昨日までは満員電車を乗り継いで来ていたのに車で来ることになろうとは。
エントランスホールを抜けてエレベーターへ。
途中、敬礼姿の守衛さんが視界に入る。
いつも笑顔で迎えてくれていた彼の顔は緊張からか強張っていた。
上昇していたエレベーターが止まる。
「いのり。僕は社長に挨拶があるから行くね。終わったら先に車で待っていて」
そういうと彼は私に菓子折りを渡し、扉を閉じた。
降り立ったフロアは慣れ親しんだはずの場所なのに初めて来た場所のような感覚だ。
手に汗が滲む。
滑る手でフロアの扉を開けると皆の目が一斉にこちらを向いた。
「おっ! 都さん! ……あ、九条さんになるのか! いやぁ〜まさか九条さんが都財閥の社長令嬢だとは知らずに今まで失礼をしてしまって」
遠巻きにされる中、課長が近づいて来た。
どうやら今までの無茶振りを謝りたかったらしい。
それもそうか。
この会社は都グループとの業務委託契約で仕事を得ている。もし私が父に悪いように伝えれば会社がどうなるかわからないだろう。
そんなことをしようとは思った事は一度もないのだが……。
「いえ。課長には多くを学ばせていただいて……父には常識を身につけろと社会へ出されていたので、大変参考になりました」
私の言葉を聞き、引き
「そう仰って頂けて嬉しい限りです。皆を呼んでくるので少々お待ちを!」
遠巻きに見ていた人達を集めに課長が離れる。
心なしか離れた瞬間に肩の力が抜けていたように見えた。
◇
程なくして課長が皆を連れて戻って来た。
「皆さん、この度は急な退社となり申し訳ありません……今まで大変お世話になりました」
深く深く頭を下げる。
「いやいや! 寿退社とはおめでたいじゃあないですか!」
すぐさま佐藤さんが私の発言にフォローを入れる。
徐に頭を上げた先には、満面の笑みの佐藤さんがいた。
彼からおべっかを使われる日が来るなんて思いもしなかった。
「そうそう! 本当におめでとうございます!」
本田さんも笑みを貼り付けて手を叩いている。
「ホントよねぇ〜! しかもあのイケメン社長さんと! 羨ましいわあ!」
「お幸せにねぇ〜」
水島さんと今野さんも言葉をかけてくる。
内容は喜ばしくないけれど態度が変わらない彼女たちに少し心が救われた。
「あの……いのりさん……その、お幸せに……」
今や私の姿を見たら犬みたいに駆け寄って来ていた久慈くんの姿はない。
彼は申し訳なさそうに眉を下げ、視線を私から逸らしていた。
皆から各々挨拶をもらう中、夢子の番がまだ来ていなかった。
彼女の番が来たとしても、だ。
なんて言えばいいのか。
彼女の気持ちへの返答も出来ず終いだというのに。
どうするのが都いのりとしての最適解なのだろう……?
「せんぱぁい、お疲れ様でぇす」
私の目の前に夢子が現れた。
「先輩の分まで仕事頑張らないといけなくなつたじゃないですかぁ〜……なんて、嘘ですよお。こっちは任せてくださいねえ」
もっと色々言われるのかと思っていたのに彼女の言葉はそれだけだった。
生返事を返すことしかできない私を他所に彼女は手を差し出した。
それに釣られるように手を出す。
握手した瞬間に彼女はグッと顔を耳の横に近づけた。
「この後、少し時間くださぁい。……屋上で待ってます」
私にぎりぎり聞こえるくらいの声量だ。
周りから見れば仲のいい先輩と後輩が最後の握手を交わしているだけに見えるだろう。
彼女は私から離れにこやかに手を振った。
◇
昼前だというのに風が冷たい。
本格的に冬になったのを肌で感じる。
「先輩、これどーぞお」
「ありがとうございます……冷めてますね」
「だって、先輩来るの遅いんですもん」
彼女は赤い鼻のまま唇を尖らせた。
その言葉通り、夢子と話した後も色んな人に捕まっていたので来るのが遅くなってしまった。
「で。呼んだ理由なんですけどぉ……分かりますかあ?」
「その。おおよそは」
彼女はじっと私の目を見る。
糾弾されるだろうか?
罵られるだろうか?
どんな言葉だったとしても私は聴かなくてはいけない。
それが私にできる最後のことなのだから。
「先輩、そんなに構えないでくださいよお。別に答えを今聞きたいって訳じゃないんですから」
「えっ……?」
「私は先輩に確認したいことがあったから呼んだんです」
彼女はひとつ咳払いをした。
「辞めたのって先輩の意思なんですかぁ?」
「それは……」
私の意思などではない。
でもそれを彼女に言うことはできない。
「言わなくて大丈夫てすよぉ。その顔見れば分かります。とりあえず、先輩の意思じゃないのは安心しました。じゃあもうひとつ確認です。……先輩はこのままで良いんですかぁ?」
確信をつかれグッと言葉に詰まる。
このまま実と結婚すること、それは父の言いなりになることと同義だ。
「先輩だって割り振られた役に当てはめられるだけの人生、嫌なんじゃないんですかあ?」
「……」
嫌だ。
もちろん、そんなの嫌に決まってる。
でもそんな気持ちすら自分の口から言えない。
言うことを許されていないから。
いつもそうだった。
だから何度も父に対抗した。
その度あの人は私を権力で金で力で捩じ伏せて来た。
そうやって勝手に道を造っていく。
私は引かれたレールをただ走るだけの列車だ。
彼女は待っている。
私が言葉を紡ぐのをただ、静かに。
途端、沈黙を割くような音が屋上に響いた。
「いのり!」
息を乱しながら実が駆け寄ってくる。
「車にいなかったからびっくりしたよ。フロアに行って確認しても皆さん口を揃えて『帰った』って言うから……心配したよ」
実は私と夢子の間に立つ。
「いのり。先に車に戻っていてくれるかな?」
物申したくて彼の顔を覗き込むと、実の顔からは表情が抜け落ちていた。
私が見ていると分かった瞬間にいつもの愛想の良さそうな顔に戻る。
「お願いだ」
「……分かった」
「ありがとう」
有無を言わさない態度に従わざるおえなかった。
自分が情けなくて。
彼女に申し訳なくて。
どうしようもなくて。
私は逃げるように、彼女の顔を見ることなく屋上を後にした。
ごめんなさい
さようなら
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます