閑話 『夢』の続きをここから
当てがなくなった私はリクルートエージェントを使って転職をした。
新しい会社でも自分を変える気はさらさら無かった。
なるべく権力を持ってそうな人と関係を持って楽に行こうと思っていた……というのに、出鼻からくじかれてしまった。
恐らく女性(特に若い人)が少ない課だから課長さんが気を利かせて教育係に女性をつけてくれたのだろう。おかげで最初の計画から狂ってしまった。
「都いのりです。今日からよろしくお願いいたします」
第一印象は地味な人、だった。
地味な人、というと少し語弊がある。
顔の造形も整っていて、ストレートロングの黒髪も綺麗に手入れされているのが遠目でも分かるレベルだ。それなのに彼女は"わざと"地味を装っていた。
真っ直ぐこちらを見つめる瞳からは感情が読み取れない。
好奇であれ侮蔑であれ感情の読み取れる瞳には慣れているのに、彼女の瞳で見られるのはいっとう居心地が悪かった。
彼女の吊り目がちで大きな瞳に不機嫌そうな自分の顔が写っている。
彼女の瞳が苦手だった。
鏡の前に立った時のような感覚になる。
無表情で私を見ている視線にプラスであれマイナスであれ色がついていたらどれだけよかったか。
彼女と話すたび、顔を合わせるたび、鏡に映った自分の顔がフラッシュバックする。その映像をかき消すために彼女からわざと距離を取っていた。
「すみません、今日夢子さんとご飯行く約束先にしているんで」
何度無視しても彼女は私に話しかけてくる。
そして私がどんなに悪態をついても彼女の瞳に負の感情が宿ることはなかった。
不思議で仕方なかった。
女性からしてみたら私なんて目の上のこぶみたいな存在のはずだ。なのに出会った時から態度が変わらないのは彼女が初めてだった。
「ずっと逃げられちゃって聞けなかったんですけど。……どうして作業が出来ることを隠してるんですか?」
無理やり連れて行かれたお洒落なお店で妙に彼女の声だけ鮮明に聞こえる。
「私はただ、貴女が正当に評価されないのはおかしいと思うんです。できる人は評価されるべきだとも思います」
抑揚なんてほとんどない声なのに、なぜか私の耳は彼女の声を容易く飲み込む。
正当な評価だなんて、今更欲しくもない。他人からの評価なんて、期待した分だけ自分を苦しめるだけだ。
いつの間にか抜けていた顔の力を入れ直し、太々しく繕う。
「昔に言われたんです、『女は男のアクセサリーなんだ』って。だ・か・ら、女は可愛く守られてるくらいがちょうどいいんですよぉ?」
崩れかけていた砂の城を補強するかのように、母の言葉をなぞる。
自分を傷つけ捨てた母の言葉が私の最後の砦になるだなんて、飛んだお笑い種だ。
◇
次に彼女に抱いた印象は、しつこい人、だった。
どんなに突き放しても絶対話しかけてくる。それが不思議であり、また厄介に思えた。
それに加え踏み込んで欲しくないところに土足で上がり込んでくる。感情が読み取れないだけでやはり嫌がらせをされているのだろうか。
一人悶々と考えている私にスッと誰かが近寄ってきた。
「桂木さん。ちょっといい?」
派手な金髪をかき上げながら田村さんが冷たく言い放つ。
彼女の数歩後ろには一人、彼女の取り巻きが立っていて、私をにやにやと笑いながら見ていた。
都先輩もこれぐらいわかりやすかったらいいのになんて見当違いなことを思いながら彼女たちの後ろをついて行った。
「調子乗ってんじゃないわよ!」
閑静な路地裏に田村さんの声が響く。
近くを歩いていた人が迷惑そうに私たちを見て、足早に横をすり抜けていく。
この人たちは本当に芸がない。
今までも何度か呼び出されていたのだが、先ほどの台詞から始まるのがお決まりとなっている。
最初は「あなた達ほどではないですよぉ〜」とかいって煽っていたが、毎度同じことを言われるので返事をするのも面倒くさくなってしまった。
「何とかいったらどうなの?」
呼び出されるとき必ずこの大山さんとかいう人は田村さんの横にいる。
たまにこの人以外にも何人かいる時もあるのだが、この人は皆勤賞だ。
絶えず私を睨みつけてくる田村さんにガンを飛ばしながらわざとらしくハァー、とため息をつく。
「言いたいことってそれだけですかぁ〜? あなた方と違ってぇ私、忙しいんですけどぉ」
あえて神経を逆撫でするようなこというと予想通り、余裕そうな顔がたちまち歪んでいく。
このあと田村さんが金切り声を上げて私に当たり散らして終わるのだろう。
いつも通りの流れ、そう思った矢先だった。
「あれ、お疲れ様です」
いつも通りのシナリオに出てくるはずのない登場人物が下手くそな笑顔で立っていた。
どくどくと心臓が音を鳴らす。
「『気が付いてほしい』って気持ちに気づいてしまったから。ちゃんと理解したいと思いました」
言葉で直接伝えていなかった感情に気付いているだなんて思いもよらなかった。
彼女は純粋に私を理解しようとしている。
この人になら話しても大丈夫なのではないだろうか。
そう期待し始めている私を嗜めるようにもう一人の私が野次を飛ばす。
『どうせ、この人も私のことを裏切るんだ。信じたって何の意味もない』
ボロボロと内側から崩れていく感覚。
補強したはずの砂の城はもはや城の原型を留めることも出来ず、ただの砂の塊に成り果てている。
「……先輩ってほんと、おせっかい」
彼女に詮索されなければ"いつも通りの私"でいられただろうか。もっと上手くとり繕えていただろうか。
答えは決まりきっている。
表の自分と心の奥底にいる自分との乖離をどこかで感じていた。
閉じ込めていたはずの心はもう限界だったのだろう。押さえつけていた蓋は壊れる寸前だった。
助けてほしい、そう思う心は確かにあるのに。それでもまだ。
この人を信じていいのか分からない。
◇
「ほんっと桂木ムカつくよね〜」
「ね〜」
女子トイレの洗面台のあたりから田村さん達の声が聞こえた。
直接呼び出しても大した効果がなかったからか、日に日に悪口の類が増えている。
呼び出しの次は悪口とは、本当に芸がない。
そろそろ聞き飽きたし、と個室の外へ出ようとドアを開けようとした時だった。
「あら。都さん。お疲れ様です」
ピタッと手が止まる。
彼女もまさか声をかけられると思っていなかったのだろう、返事を返す声の中に動揺の色がにじんでいた。
彼女の動揺に気付くわけもなく、田村さんたちは話を続ける。
「ねえ、都さんもそう思いません? 正直、桂木さんって邪魔じゃないですか?」
悪口を披露するだけだった田村さん達だったが不意にそう問いかけた。
瞬間、結衣の顔がフラッシュバックする。
広い教室と響く怒鳴り声、冷たい視線。
ヒュッ、と息が小さく漏れ、自分が無意識に呼吸を止めていたことに気付く。
嫌に上がっていく脈拍を落ち着かせるように息を吸った。
『ほら、信じても無駄だったでしょう?』
心の底で誰かが呟く。
『きっとお前のことを誰も理解なんてしてくれない』
幻聴のはずなのに一音一句はっきりと耳に届く。
『ざまあみろ』
声から逃げるように耳をふさぐ。
そんな事しても無駄だとは分かっていても塞ぐ以外に手のやり場が分からなかった。
静寂の後、彼女が息を吸う音が聞こえた。
「私はそういうふうに思ったことないので分からないですね」
耳を疑う。
私が拾った音はどこにも嫌悪の色がない。
不安と少しの期待が私を押しつぶそうとしている。
『信じるな』
呟く声が鮮明に聞こえる。
「確かに彼女にはよくないところもたくさんありますし、治した方がいいと思うところもたくさんあります。でもいいところもちゃんとあります。あの人は陰でコソコソ人の悪口を言いません。そういうところはあなたたちよりもずっと芯が通っていて私は好きです。」
個室の中にいるから彼女が今どんな顔をしているかは見れない。
でもはっきりと想像がつく。私が嫌いだと、苦手だと思っていたまっすぐな視線できっとあの人たちを見据えているのだろう。
『信じるな』
そう繰り返す恨めしそうな声がだんだん小さくなっていく。
最後には聞こえなくなり、代わりに別の音が聞こえた。
「なんで、『夢子』って名前なのって? ふふー、それはね。夢みたいに素敵な人生を送ってほしいから、『夢子』にしたんだよぉ。
ありのまま、あなたを受け入れてくれる人と、夢みたいに素敵な人生を送ってね。夢子」
ずっと忘れようと思っていた声、懐かしい声。
確かに蓋をしていた記憶が一気に雪崩れ込んでくる。
しゃくり上げた声が漏れないように口元に手をやる。
ぐらぐらと視界が歪み耐えきれず目を閉じた先に、優しく頭を撫でてくれる母の幻影が見えた。
身を預ける私を見て、朧げな母が満足そうに微笑んだ。
夢のように素敵な人生。
母の言葉をなぞる。
あんなに酷い仕打ちを受けたと言うのにそれでも母の言葉を追ってしまうのはどうしてか、考えてやっと答えが出た。
捨てられても、私、お母さんが大好きだった。
捨てられたと言う事実から目を逸らし逃げ続けた結果が母の言葉に縛られ縋る末路だったのだ。
今までの自分と区切りをつける。
これかは母の言葉ではなく私のしたいように、夢のような人生を歩んでいく。
私を私らしく生きていくのだ。ありのまま、隠さず。
それはきっと簡単なことじゃない。きっと何度も壁にぶつかって、挫折してしまうこともあるかもしれない。
それでも私は私自身にもう嘘はつきたくない。
真っ直ぐ前を見据える。
今の私は先輩の目にはどう映っているのだろうか。
◇
夜風が桜を攫う。
まさか主役の私が抜け出してくるとは露にも思っていなかったのだろう、ビックリしました、と先輩の顔に書いてある。
先輩に出会わなければ心の奥底の自分を隠し続けて、どこかで壊れてしまっていたかもしれない。
こんなに大事なことに気づかせてくれた、いや。気づかせてしまったのだから。
だから。
「覚悟をしててくださいね。いのり先輩!」
私の宣戦布告に脳が追いつかなかったようで先輩はぽかんと口を開けたままフリーズしている。
間の抜けた顔をしている先輩を引っ張り、皆のいるところへと戻った。
夢の続きをここから、もう一度。
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