第8話 魂のじゃんけん大会

「都先輩、チェックお願い致します」

「はい、承知いたしました」


 夢子から渡された資料を開く。

 数字、フォント、グラフ、どれも間違いはなかった。 


「ありがとうございます。完璧です。流石ですね」

「お世辞ありがとうございまぁーす」

「世辞じゃないですよ」

「知ってます。今のは先輩に対する嫌味ですぅー。それじゃ私、先に休憩行くんで」


 現在時刻は13時。

 本当は12時に昼休憩にしてあげたかったのだが、「キリ悪いんでぇ」と言われてしまったため1時間押してしまった。

 急に作れと言われた資料だったが彼女に手伝ってもらったおかげで14時までの提出に余裕で間に合う。

 以前までは一人で対応していたが、夢子が手伝ってくれる様になってからは断然自分にかかる負担が減ったのでありがたい。


「早く提出して来てくださいねぇ。いつもの定食屋にいるんで」

 

夢子はそれだけ言い残すと手早くコートを羽織り外に出ていった。





 何がきっかけなのかはいまだに不明だが、二人で残業したあとから夢子は積極的に仕事をするようになった。

 もとから仕事ができる人ではあったが、それを知っているのは私だけだった。だから誰に言っても信じてもらえなかったのだが、そんな私の証言が正しかったことを彼女自身が証明し始めたのだ。


 まず変わった点として、こそこそ隠れて仕事をしなくなった。

 今まで彼女の座席からタイプ音などしたことがなかったのに高速でキーボードをブラインドタッチしている彼女の姿をみて本田さんが目を丸くしていたのは記憶に新しい。


 もう一つ大きく変わったところといえば、必要最低限しか人に分からないところを聞きに行かなくなった。

 彼女が本当に分からないというときだけ私や他の人(依然とは違い、ここには女性も含まれる。)に聞きに行くというスタンスに変わったようだ。

 井口先輩に質問している夢子の姿を発見したときは流石に驚いた。それは私だけではなかったようで、態度が180度変わった夢子に質問されていた井口先輩自身も驚きを隠せない様子だった。


 また、夢子に頻繁に声をかけてもらっていた佐藤さんも最初のうちは「大丈夫? 僕がやろうか?」と声をかけに来ていたのだが、毎度「大丈夫です~」と言われ続け、回数が5回になるかならないかくらいで彼女の元に来なくなった。

 あしらわれ続けたことよりも、教えられることがないと分かってしまったから自然と足が遠のいてしまったらしい。夢子曰く「質問の意味もしっかり理解できてないのに頓珍漢なアドバイスをされたんですよねぇ。分からないなら分からないって言えばいいのに」とのことだ。


 女子からの好感度にも変化があった。

 夢子は入社当初から親の仇レベルで女性に嫌われていたが、嫌われる原因となった男女で態度を変える、ということをしなくなったため周りの女子からの態度が徐々に好転していった。


 それに加え……これに関してもいつ諦めたのかは分からないが、成宮さんにアプローチをしなくなったことも大きい。

 最初のうちこそ「押してダメなら引いてみろとか、あからさま過ぎだよね~」とか言われていたが、引いてみろどころか全身丸ごと引いてしまっていたので、だんだん陰口や悪口をいう人間もいなくなっていった。

 このことに関しては成宮さんも驚いてはいたが、周りから変に注目されなくなって良かった、と安堵のため息を漏らしていた。





「そういえば、桂木さんの歓迎会してなかったねぇ!」


 夢子が真面目に働くようになったことを見越してか、はたまた偶然か、課長が急にそんなことを言い始めた。


「今日! ……っていうのは流石に急すぎるから、来週の金曜日にしとこっか! うん! 都さん〜悪いんだけどさ、出席者確認しといて~! ヨロシクね!」

 

 私の返答も待たずに、すたすたと歩いて行ってしまった。この人は頼みごとをするとき、いつも人の返事を聞かない。とりあえず今日ぶっつけでなくて良かったと心の底からほっとした。


 企画管理課の面々に参加かどうか聞きに行ったが、まさか全員参加することになるとは思わず驚いた。

 報告は先にしておこうと課長にその旨を話すと「うんうん、全員参加でなにより!」と言っていたので、適当そうに見えても今までの夢子と各々のやり取りを少なからず知っているようだった。


「全員参加だし、どうせならパーッと飲もう! 丁度、お花見シーズンだしね!」

 

 来週には桜が満開を迎えるとのニュースを今朝見た、という課長の掛け声により歓迎会は『歓迎会兼花見』に変更され、誰が場所取りをするかのじゃんけん大会まで行われた。

 ちなみに歓迎会の主賓である夢子は場所取りじゃんけん免除だったので高みの見物をしている。


「最初、人数が多いから僕に負けた人とあいこだった人が残っていく形にしようか~。それじゃあ、いっくよ~!」


『最初はグー、じゃんけんっポン!』

 課長の号令でじゃんけんが始まる。

 課長が初手で出したのはグー。つまりパーならば上がりなのだが……私はグーを出してしまった。

 

 雄たけびや悲鳴がこだまするなか周りの人間を確認すると、大半がパーで上がっていたようで、初戦だと言うのに立っている人間は私を含めて5人だけになっていた。

 

 更には異常な騒ぎようだったのだろう営業サポート課の人間が何事かと観戦に来て、場はより一層カオスな空間に。

 単に人口密度の問題だろうけど熱気がやばい。


「よーっし、あとは残った人だけでじゃんけんだね~」


 課長は間延びした声を上げて席に着く。彼もまた免除されている人間なので他人事な感想だ。


 ゆっくり立っている人間を確認する。

 本田さん、佐藤さん、成宮さん、水島さん、それに私。

 おそらくさっきの悲鳴は水島さんから上がったものだろう。黄色くない悲鳴だったので水島さんか今野さんだとは思ったが。


「ヤダァ、女子に場所取りさせるなんてェ! 都さんもそう思うわよね!」

 

 つい顔を見てしまったので、反応が返ってきてしまった。心の中で考えていた内容もあれだったのでとりあえず愛想笑いをして誤魔化した。

 

「え~、いつもは男女平等にしろっていうから今回は平等にしてみたんだけどな~」

 

 課長からそう言われてしまい、水島さんは「ぐぅ……」と漏らす。

 ぐうの音も出ないという単語は知っているが、リアルでぐうって言う人は初めて見た。

 面白さを共有するべく立っている他の人間に視線を移すも、それが不可能であることが分かった。


「エリートなんだぞ……僕は……。僕が……場所取りなんて……」

「筋肉があれば勝利などたやすい。大丈夫だ、筋肉を信じるんだ……!」

「あー、これ負けちゃったら明日の外回り誰かに変わってもらわないと厳しいかな」

 

 一人だけしか仕事の心配をしていないのもどうなのだろうか。

 まあ、まともなのが成宮さんだけということはよく分かった。


 勝った人間からの激励や営業サポート課からの野次が飛ぶ異様な緊張感の中、ついに最終戦が始まる。

 緊迫を破る様に課長はスッと静かに手を上げた。


「公正を期すために、掛け声はさっき同様、僕がかけるね~。それじゃあ行くよ~。最初はグー! じゃんけんっ!」


『ポン!!』


 一斉に出された5人の手。

 3つのパーと2つのグー。


 オーディエンスの熱狂の叫びとともに、水島さんと本田さんから歓喜の声が上がる。彼らの横でホッとしている成宮さんが視界に入った。


 残ったのは私と佐藤さんで、次の試合がおそらく最終戦となる。

 佐藤さんは顔が真っ青で今にも倒れそうだ。

 そんな佐藤さんに感化され、この異常な空間で私はどうすれば勝てるのか必死に考えてみた。

 昔からじゃんけんはビックリするほど弱いのだ。何をどう頑張って考えても勝機が掴めない。

 思案する中で、一つの解決策にたどり着く。

 

 これ、負けたほうがお得なのでは……?

 

 勝ったところで朝から出勤して仕事することは変わらない。

 そしてデスクに着くなり課長から無理難題が飛んでくるのも変わらない。

 であれば、場所取りに出てしまえば私に降りかかる仕事は恐らく無くなるだろうし、名案なのではないだろうか。

 強いて心配なことを上げるとするならば、場所取りの際にお手洗いに行きたくなったらどうすれば良いのかということくらいだろうか。

 まあレジャーシートの上に目印になるものを置いて用を足しに行けば大丈夫だろう。


 よし、と一人で納得している隣で顔面蒼白の佐藤さんが私を怪訝そうな目で見ている。

 彼もたかだかじゃんけんで何故そこまで気負ってしまうのだろうか。プライドが高いことは知っていたが、ここまでくると病気かもしれない。

 

 変なものを見る目で私を見ている佐藤さんとしっかり目を合わせる。

 先ほどまで思考の世界に飛び立っていた私が急に目を合わせてきたことに驚いたのか、佐藤さんはびくっと肩を揺らした。


「佐藤さん」

「な、なんですか?」

「私、次のじゃんけんでパーを出すので」

「はっ、はぁ!?」

「よろしくお願い致します」


 佐藤さんに短くそれだけ伝えた。

 普段から私は周りに対して冗談など決して言わない、つまらない人間だ。それゆえ私の意図は分かってもらえただろう。


 周りの野次からは「都が精神攻撃を仕掛けてきたぞ!」とかなんとか言われているが滅相もない。私はこの勝負で負けが欲しいだけだ。


「よっし! それじゃあ、笑っても泣いても最後の勝負! 都さん、佐藤君、準備はヨロシイかな~??」

「はい。大丈夫です」

「ハ、ハイ。僕も大丈夫です……」

「OK! それじゃあ行くよ~! 最初は!グー!じゃんけんっ!」


『ポン!!』


 私と佐藤さんは掛け声に合わせて勢いよく腕を振り上げる。出された手を確認し、そして絶望した。

 私は宣言通り、パーを出した。

 しかし、何を思ったのか佐藤さんはグーを出していたのだ。


 決勝戦の勝敗が決まったと同時に周りから歓声が沸き起こる。

 野次を飛ばしに来ていたはずの営業サポート課も一丸となって騒いでいる。

 じゃんけんに集中していたから気付かなかったが、いざ客観的に見るとかなり面白い状況になっている。


 じゃんけんに負けた佐藤さんはグーにした手を解くことなく、プルプルと子犬のように震えていた。

 佐藤さんは小さい声で「急にあんなこと言われたら、何かの作戦かと思うだろ……! 普通!」とぶつくさ言っている。

 物の考え方が屈折していると色んな所で支障が出るみたいだ。


「じゃあ、当日の場所取りは佐藤君にけって~い! んじゃ、ヨロシクね! 佐藤君!」


 佐藤さんにとって課長の言葉がとどめになったようで、糸の切れた人形の様に床に膝をついた。


 かくして異常なまでに盛り上がったじゃんけん大会は、佐藤さんの負けという結果で幕を閉じたのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る