第19話 梅雨のはじまり

「おっはよー!マサキ!早いじゃん」

「おはようございます。梢さん」

「どうせ送ってもらえるんだからギリギリまで寝ときたいよねー」


 送迎車の後部座席で単語帳を見ながら待っていると、梢さんが乗り込んできた。僕等は今日から登下校は基本的に一緒になる。


「生徒会は火金の朝ですよね?」

「そうそう。ごめんね付き合わせちゃって。マサキは部活の朝練とかどうなの?」

「水泳部は自由参加なので朝は急がなくていいですよ」

「わぁ参加する気ゼロだぁ〜。うちの運動部ゆるすぎぃ」


 うちの学校は文武両道とは建前で文よりの校風だ。運動部は体力と思い出作りにやるもので、大会への意識が高い部はわずかだ。


 車が発進してからも、僕たちは学校のたわいもない話題を続けた。本当に気にしていることを避けるかのように。

 何故僕たちは毎日家の者に送迎されなければならないのか、という核心だ。幹也さんは『必要な者には自分から話す』と言っていたが、梢さんはどこまで聞いているのだろうか?気になるが、もし知らなかったのに僕から漏らすことがあっては困る。信用を裏切ることになってしまう。


 ふと話題がつき、沈黙の時間ができた。すると梢さんはスマホを取り出して見始めたので、僕も話しかけるのをやめる。


 車は学校近くの海岸沿いを走りはじめた。どんよりとした曇り空、それを写す海も濁った灰色の景色だ。

 昨日も今日も大した雨は降っていない。ということは先輩は学校に来れるくらいの体調のはずだ。昼休みに会えるだろうか。



 相変わらず暗い海が見える、食堂の大きな窓際の席。空いていたらいつも座る場所に、先輩は先に着いていた。ランチはコンビニのパンですませているようだ。僕も急いで食堂の会計をすませて隣に座った。


「良かったです元気そうで」

「ははっ、まだいつもの小雨じゃないか。この程度で寝込んでたらすぐ出席足りなくなるよ」


 いつもの笑顔で話しかけてくれて、食事をとる先輩の姿を見て、僕はなんだか懐かしいような気持ちになった。今日があの一緒に買い物と夕飯を食べてお別れをした土曜日の続きだということを実感したのだ。あれから驚くことが多すぎた。糸が解けて、ようやく緊張していたことを自覚する。僕があの地下室に連れられた時から今までずっとそうだったんだ。


「まぁオレのことはさておき、ニーちゃんについてだ。新しいフードをあげた時の反応とか、気になるだろ?」

「はい!気に入ってくれましたか?」

「かなりね。これこれ、面白いから動画に撮ったんだけど……」


 それから先輩が撮ってくれた動画を見ながら、子猫の新鮮な反応に笑っていると時間はあっという間に過ぎていった。もう食堂に人はまばらで、教室に戻らないといけない時間だ。


「ずっとこんな感じで荒れずに梅雨明けして欲しいですね」

「天気のことはどうしようもないさ」

「そう…ですよね……」


 ついこぼれてしまった願望に冷静な返事が返ってきた。荒れずに、というのは先輩のことも例の事件のこともだ。でも、どうしようもない。底がどこかは分からないが、今より悪くなるのは避けられないだろう。


「マサキ、体調は毎年のことだからオレは本当に大丈夫だ。心配させてすまない」

「いえ、僕はそんな……、大変なのは先輩なので。何か、僕にもできることがあったら」

「ありがとう、って言うところだったな。こうしてマサキと話ができて、気にかけてもらって、それだけで嬉しいんだ。本当に、去年までとは全然違うんだから」


 先輩の声は僕の不安を包み込むように優しかった。あれから中一日で色々と驚きがあって、事件のことは気がかりだ。でも先輩が大丈夫でいてくれて、こうして一緒に過ごせるなら、僕の学校での日常までは変わらないのだ。


「そうだなぁ、いざとなったら頼ろうかな。ニーちゃんのこともあるし。マサキもお見舞いくらいは来てくれるんだろう?」


「はい!…も、もちろん!」


 当然そのつもりなので返事をしてから、僕は自分の行動が制限されていることを思い出した。少し焦る。だが、行けないとは言えないし、言う気も無い。


「ありがとう。まぁ本降りもまだだし、お世話にならないよう先に色々済ませておくさ。オレも今日はお見舞いに行っておくか」

「お婆さんですか?」

「ああ。調子を見てくるよ」


 お見舞い。先輩と山の中の家で一緒に暮らしていた祖母が病気で入院しているのは、一人暮らしをしている理由について聞いたときに教えてもらった。元々何年も調子が悪かったそうだが、先輩が高校に上がる年に施設に入ったらしい。


 その時、ついに昼休み終わり5分前の予鈴が鳴った。食堂は教室と棟が違うため、かなり急がないと間に合わない。

 先輩も僕も跳ねるように立ち上がり、出口へ向かう。


「じゃあまた!午後もがんばろう」

「はい!また!」


 先輩と話していると時間を忘れることが多い。ちゃんと時計を見なくては。教室までの階段を駆け上り、息を切らして授業に滑り込むのはこれで最後にしたい。





 放課後、部活が終わるのは僕より梢さんの方が早かった。車は梢さんが着くより前から待機していたらしい。送迎車に乗りながら、僕は先輩の家へお見舞いに行く方法を考えていた。運転手に頼み込んで梢さん共々先輩の家の前で待ってもらうか、部活をサボって抜け出して送迎の時間までにしれっと帰ってくる…のはさすがにまずいか。


 しかし車が正門を通り本館の玄関に停まると気持ちは切り替わった。夕食は後にしてもらい、先に地下室へと降りる。照明から暖かみが消え、冷たい白色灯がドア以外に何もない廊下を薄暗く照らす。奥の方はよく見えない。僕は廊下の奥や他の部屋のことは何も知らないのだ。そう思うとやはりこの地階は少し怖い。暗い方を見ないようにしながら、地下倉庫に入った。


 照明はつけっぱなしだったが、幹也さんの姿はなかった。机の上には山になった資料が置いてあり、ホワイトボードには『昨日と同じ要領で できるところまで頼む』と書いてあった。僕が学校に行っている間にも幹也さんは事態の解決のために動いているのだ。僕も気を引き締めて、できることはきっちりこなさなくてはならない。


 ふと、あの古地図のをことを思い出した。ホワイトボードには相変わらず今の市内の地図が貼られていて、所々に付箋やマーカーが塗られている。しかし古地図が入っていた封筒は机の上には無かった。まぁ、幹也さんが使い終わって元の場所に戻したのだろう。


 机の上を見ていると、今まで扱ったことがないファイルと書類があった。この部屋にあったものにしては新しいので幹也さんが持ち込んだものだろう。ただ、僕が作業を忘れているだけかもしれないので、一応確認のために手にとる。



「静寿会、八淵病院……院内感染に関する報告書…」




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