第34話 衝突

『なるほどな。やっぱ、リッカは過去とは言え、他国に亡命していたわけか――』


 聞き慣れた機械音。肉声に近いその男の声は、俺には聞き覚えがなかった――ただ、腹の底から上がってくる嫌悪感がある……こいつ……。


「――ナビぐるみか?」


 声がした方向へ……、ベッドの下か。

 覗いてみれば、小さなワニのナビぐるみが地を這っていた。愛玩動物らしく、ワニ本来の凶暴性は反映させてはおらず、ぬいぐるみとしての要素が強い。

 生えている牙も丸くなっており、これでは噛みついても歯形はできないだろう。


 そのナビぐるみから聞こえてくる声……、つまり操縦者がどこかにいるのだ。

 そして、今の俺たちの会話を聞いていた……意図的に。


 迷い込んだわけではなく、狙って盗み聞きをしていたのだ。

 ――わざわざ声をかけ、自身の正体を明かしたのは謎だが……。


 ベッドの下から這い出てきたナビぐるみ……、ステラがその体を掴み上げた。


「グリット……なにしてるのよ」


「『ん?』」


 と、俺とナビぐるみの先の声が重なる……、名前を呼ばれたものだから思わず反応してしまったが……。つまり、相手も反応したということは、なのだ。


 ナビぐるみの操縦者が、この時代にいる、未来の俺――……ただ、


 リッカと出会わなかった俺を、今の俺の成長した姿とは思いたくないが……。



「盗み聞きして、知りたいことが、それ……?

 はぐれたリッカが他国に亡命していたかどうかが、どうかしたの?

 ……ルールに則って、亡命したリッカを殺――、始末、するべきだとでも言うつもり?」


「え」


 と、アリンが声を上げた。


 ……違和感が残る丁寧な説明だったな……ステラは前から知っていた、のかもしれない。


『戸惑うな。アリン隊はそのままリッカの回収を優先でいいぜ、手段は二つだ――どちらの結果でも俺は構わないと思っていた。

 だから既に、別動隊を向かわせてんだよ。亡命していた、ってことが分かれば、俺の先んじて出しておいた命令は間違いじゃなかったわけだ』


「ど、どういうことですか、先生!?」


「…………ほら、こうなるから――」


『だが、無視もできねえって、立場を考えれば分かるだろ、ステラ』


 黙ったステラは未来の俺の行動をある程度は知っていたようだが……、

 止めることができなかった……、できない立場にいるってことか。


 偉くなれば、一時の感情で動けないことが多くなる。

 下っ端でいた方が、意外と自由度が高いのだ。容赦ない制裁を覚悟の上で、だが――。


「隠しておくべきだったんじゃないか? ここで明かして、お前にメリットがあるか?」


『よお、過去の俺。と言っても、今のお前に覚えはねえな。過去と言えるが、だがパラレルワールドってところか? 正直なところ、別人にした方がいいだろ』


 それは俺も同感だ。


 お前を未来の俺とは、思いたくねえな……。


「リッカは記憶喪失だ、この時代の情報を喋ったりはしてねえよ」


『他国に匿われた時点で、そこに俺たち側が抱く「恩」がある。この恩を盾にされたら無下にもできねえだろ……。

 だったら邪魔な荷物を処分してしまえば、自国の民を保護してくれた恩もなくなる……、いざとなれば容赦なく戦争ができるってことだろ?』


「過去と未来で戦争か? 意味あんのかよ……」


 迷宮で繋がっているだけだ、この国の外に俺の国があるわけじゃない……。


『言ってみただけだ――発言一つ一つをマジに受け取るなよ、真面目かよ』


「……最初の質問に答えろよ……。ここでリッカを始末するための別動隊を送ったことを明かすメリットがあるのか? 隠しておけば秘密裏にリッカを始末できたんじゃねえのかよ」


『秘密裏に始末したいならな』


 ――そこに、明かすべき理由があるってことか。


『それをバカ正直に教えるか? ちっとは自分で考えろよ』


「それもそうだな」


 恐らく、反対意見を求めているのだろう……、こうして裏の目的を聞かせることで、少なくとも俺と、傍で呆然としているアリンの反感を買っている……。すぐにでもリッカ救出へ向かうべきだと思うくらいには。


「先生……、ッ、そんなに、ルールが大事なんですかっっ!!」


『大事だぜ。ルールを守らねえと、社会は崩壊する……、そして俺もお前もみんな死ぬ。

 ……理想だけじゃあ、幸せは勝ち取れねえんだよ』


「お前は妥協をし過ぎな気もするけどな」


『妥協、か。別に俺は求めている水準を下げたつもりはねえが』


「本当にそうだとしたら」


 お前は俺とは違う方向へ突き進んだってことか。

 ……得るために犠牲を出す、それを仕方なくではなく、進んで出すくらいには。


 先を見れるようになった、と言えば成長しているようにも聞こえるが、自分の力でできることの限界を決めつけたとも言える。


 本当は、もしかしたら理想に近い結果を得ることができたかもしれないのに――。


「……お前のようになっていた末路もあった、って事実が分かったのは収穫だな」


『今の俺が間違い、だと? それは一方的な視点過ぎるな』


「そういうもんだろ。お前からすれば今の俺は? 過去に向けて末路と言うのは違うだろうが、もう俺はお前みたいにはなれねえ――。失った行き先に価値があるとすれば、俺は二度とその道へは進めない……切符を破り捨てたようなもんだ。

 お前からすれば、今の俺が辿る未来は、バッドエンドってことだろ?」


『そうとも言い切れねえけどな』


 少なくとも、この時代の俺にはなれないことは確定している……。一度でもリッカと出会ってしまった以上……、リッカがいない未来の俺の思考には、絶対に辿り着けない。


 なにを考え、なにを求め、なにを犠牲になにを得るのか……その優先順位は、たとえ同一人物である俺でも分からないのだから。


『リッカを助けに迷宮へいくのか?』


「ああ……元より、迷宮で連絡が途絶えたリッカを救うために迷宮へ飛び込んだんだからな――そこでたまたまアリンと出会っただけだ。

 話の流れでこの時代に連れてこられて……お前に会うつもりなんかなかったんだよ」


『会うつもりでこれるところじゃねえ――、迷宮の仕業とは言え、奇跡だろ。だが、未来にも過去にもいけることが判明し、これを解明できて、いつでも機能させることができるなら、迷宮の価値がめちゃくちゃ上がるな……。時代を越えた戦争にならないことを祈るが』


「どっち道、迷宮内での秘宝の奪い合い、殺し合いは同じことだろ」


 かもな、とナビぐるみの先で『俺』が笑う。つられて、俺も気づけば笑みを作っていた。

 やはり俺だけあって、俺の意見に即答で意見を言ってくれる……。


 俺でありながら別の経験を経て成長した俺だ……興味深い意見は勉強になるな。


『ステラ。試作品のあれ、渡してやれ』


「え? アバターズ……のことじゃないわよね?」


『違ぇよ。丸薬SABだ。――通称【スクラップ・アンド・ビルド】……、リッカと再会できたら飲ませてみろ、世間に流通できるほどまだ完成してはいねえが、まあ怪童なら問題はねえだろ。

 毒じゃねえよ。迷宮内で活動するのにもってこいの秘宝だ』


「無理よ! あの秘宝はまだ……っ、細かいことが分かっていないんだから!

 メリットは分かったけど、まだデメリットが――」


「いいや、最悪、俺が飲むから大丈夫だ……秘策なんだろ?

 使わないで済むならそれでいいしな……。最後の切り札として持っておくことにする……いいのか? 過去に持ち帰って、この秘宝の技術を奪っても」


『独占する気はねえ秘宝だ、量産できるならしてみろ。

 もしかしたら、多くの犠牲を出すかもしれねえけどな――』


 不満そうな顔のステラが、はぁ、溜息を吐いて、

「……準備するから待ってなさい」と俺を置いて部屋を出ていってしまった。


 ワニ型のナビぐるみはステラとは別、地を這い壁を登って、窓から外へ――小型のワニだが、行動はほとんどトカゲみたいなやつだ……。


 未来の俺、か……。興味本位で顔を合わせてみたかったが……やめておこう。ナビぐるみを通して言い合いになったのだ、顔を合わせたら殴り合いになるかもしれない……。


 手を出すタイプではないが、自分相手となると、なにをするか分からないからな。


「グリットさん……」


「なんだ、怪我はもう大丈夫だ、痙攣も止まってる……未来の俺のおかげか?」


 討論に熱くなっている内に、怪我のことなど忘れていた。

 今は、命を狙われているリッカのことで頭がいっぱいだった。


 ……仕向けられた刺客と、迷宮内のギミックと怪物――どちらが脅威かと言われたら、そりゃ後者なのだが……。


 単純に、目を向ける場所が増えるというのは、リッカにとっては余計な動作が増えることだ……隙を作りやすくなる。


 漁夫の利を狙われたら、怪童であるリッカでもさすがに――。


「お前もくるか、アリン。リッカを回収するのがお前らの目的でもあるんだろ? ……アバターズ、だったか。修理が終わるまではさすがに待てねえが……、生身でくるか?

 悪いが守ってやることはできねえから、自分の身は自分で守れよ」


「……アバターズの支援もなく、ユニフォームの耐久力だけで迷宮に挑むつもりですか……?

 望んだ場所へ飛ぶことができるかも曖昧なのに……」


 加えて今、俺の傍にナビぐるみを操るステラはいない……本当に、一人の挑戦になる。


「さっき見つけたんだが……迷宮内の景色が見えるようになるゴーグル……、あれ、貰えるか?

 どれだけ画質が荒くても、視覚があるのはかなり助かるな」


「本当に死にますよ!?

 ゴーグルだけで生存率が上がるわけじゃないんです!」


「……なんなんだよ、じゃあお前が一緒にきて守ってくれるのか? ……知ったばかりの人間に、一緒にきて死んでくれ、なんて言えねえし、お前も嫌だろ……だから文句を言うな。

 俺はこの時代に永住するつもりはねえし、リッカを諦めるつもりだってねえんだよ」


 リッカがいての、今の俺である。


 リッカがいなければ、この時代の俺になっていた……あんな風になるのはごめんだ。


 リッカの存在だけが原因ではないとは思うが……、俺にとっては最も大きな存在である。


「戻るだけだ――本当なら今だって、迷宮にいるはずだったんだ。

 俺を迷宮の外に出したのはお前らなんだからな?」


「……グリットさん……」


「くるなら勝手についてこい。こないなら――遠目で見てろ」



 そして俺は……、


 二度目の迷宮へ――その入口へ、手を伸ばした。

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