第2章 安楽椅子はどこにもない。

第11話 初めての迷宮内部

 迷宮に入った瞬間だった……——足場が消えた。


 踏み込んだ足は空中を踏み抜き、浮遊感で全身の臓器が浮いた後、頭部を真下にした落下が始まった。


 ステラから渡されたフクロウ型のナビぐるみが、俺のコスチュームの襟を掴んで羽ばたくが、頑丈に作られているだけで、人を運べるパワーがあるわけではない……。


 今後のことを考えれば、ナビぐるみにもある程度のパワーはつけるべきだな……動けなくなった怪童を安全地帯まで運ぶことができるわけだし。



「だ、――あぁああああああああああああああああああああああああっっ!?!?」


 後のことを考えている俺に、今があるのかどうかも分からない。

 地面は? 落下時間が長くないか? しかも早くなってきている……、加速し続けている!


 このまま地面がないってこともあり得る、か……? 迷宮だからなんでもありだろ!?


 だが、地面があったらあったで、ここまで加速してしまうと落下の衝撃で即死だろう……、地面があってほしいが、落下し続けてほしいとも思っている……どちらにせよ地獄だ!


「(――だぶっ!? おぼぼ、ごぼろrうぼばっっ!?!?)」


 音が遠く聞こえるのは、俺が今、水中にいるからだった。……落下が止まったかと思えばゆっくりと沈んでいく感覚があり、急に呼吸ができなくなってかなり焦った……。


 幸い、手を伸ばしたところにちょうど岩の出っ張りがあり、それを引っ張って、体を上昇させる。顔を出して空気を求める……、なんとか水面に顔を出すことができたらしい。


 陸に上がり、ごろん、と寝転んだ。……迷宮に入って開始数秒だぞ?

 早速、大の字で寝転がり、深呼吸をして呼吸を整えなければいけない状態になるとは……。


 目を開ける。


 暗い……、暗い以上に、闇だ……。


 本当に、なんも見えねえな……。


 目を開けても目を閉じても変わらない景色だった。

 ぴちゃん、という音が規則的に聞こえているのは、水滴が落ちているからか。


 波が陸に上がった音……、その音が、獣が近づいてきている足音に聞こえ、視界が機能しないにも関わらず、周囲を窺ってしまう。


 ……当然、視覚ではなにも分からない。気配は……ない、が……——、


 本当に? 俺の感覚が鈍いだけなんじゃないか?


 そう思ってしまえば、気配がないことが、かえってどこにでもいるのではないか、と悪いイメージが湧いてくる。


 いいや、悪いイメージはもっと酷く、惨たらしい結末だ。

 周囲に怪物がいるだけならば、迷宮内の当然である……。

 邂逅することは前提だ、だからどう対処し、回避するかだ。


 俺の結末は、選択肢の選び方で決まっていく。


「……ステラ?」


 落ち着いてきたことで気づいた……、一緒についてきていたフクロウ型のナビぐるみがいない。地面に手をつき、探ってみるが……、そこにもいない。


 周囲を、腕をぶんぶんと回して確認してみるが、やはりいない…………え、はぐれた?


 この状況で指示もなく迷宮内部を進めって……?


「…………」


 後退もできない状況である。

 脳から体へ、指示は出ているはずだ、何度も何度も、俺は命令を出している――なのに。


 暗闇のせいか、一歩先が分からないせいか……、足が動かない。


 足だけじゃなく、体も……――指一本、動かせなくなった。


 その一挙一動が、眠っている怪物を起こしてしまうんじゃないかって、勝手に思い込んでしまって――。


『こっちよ』


「――うぉあっっ!?!?」


 真横から聞こえた音声に思わず体を伏せる……、見えないが、しかしステラの声だった……。

 呼吸をすることにもびびっていたのが安心に変わったのだから、間違いない……。


『周りに怪物はいないから大丈夫よ。伏せてないで、早く立って、こっち――』


「……本当か?」


 僅かな駆動音。


 フクロウが、恐らくは振り向いたのだろう……、口に出して言わないでも、「なにが?」と疑問を持っているのが分かった。


「そっちが安全だってこと……本当に信じてもいいのか?」


『…………』


 その沈黙には非難も含まれているか?


「……分かってる、お前がここで嘘を言うはずがない、俺をはめるようなことをするわけがないってのは理解しているが、考えちまうんだよ――。

 お前はいつでも俺を、殺せる位置にいるじゃねえか。

 こんな闇の中、お前だけが分かっている正解を、俺がバカ正直に従って、初めて、迷宮内部を歩き回れる……。迷宮の不正解の道を、お前が正解だと言っても、俺にはそれが本当かどうか分からねえんだ……」


 進んだ先は崖なんじゃないか?


 たとえばすぐそこに怪物がいて、誘導された俺は巨大な牙に噛み砕かれるんじゃないか……?


 そんなことを言い出したら、ステラ以上に信頼できる相手もいないのだ……。

 彼女に従えなければ、俺は迷宮内部を歩くことはできない。


『……それが普通なのよ、私だって逆の立場だったら疑うし』


 でも、とステラは続けた。


『リッカはあなたの言葉を信じ続けた。信じることが本能的に難しいはずなのに、そこを容易に突破して、迷宮内部をまるで目が見えているかのように歩き、走り回った――。

 あの子があなたをどれだけ信頼していたのか、これで分かったでしょ?』


 思い返せば最初から、今の俺のように、指示を疑うやり取りはなかった気がする……。


 分かりにくい指示に、少しダメ出しをされたくらいで……。


『リッカの信頼は、怪童から神童へ寄せられるものじゃないでしょ。コミュニケーションの一環? 誰にでも分け隔てなく接する? からかい半分の言葉だったって……?

 ――ふざけないで。あの子は最初から、あなたに好意と、その証明をし続けていた。鈍感にも理解していなかったのはあなただけよ、グリット――』


 ナビぐるみから聞こえてくる指示を疑わずに進むことが、どれだけ恐怖なのか、痛いほど分かった……。どんなに経験豊富なプロを相手にしても、少なからず疑念は混ざる。

 友人だろうと兄弟だろうと、家族だろうと――全部を信じるのは難しい。


 この人に殺されてもいい……。

 それくらい吹っ切れなければ、従えない……。


 だからリッカは、俺にそれだけの好意を持ってくれていたことになる、けど……?


「……リッカは、じゃあ本気で俺に、告白を……?」


『今頃そこに気づいたの? 返事から逃げているわけじゃなくて?

 ……その様子だと、本当にリッカの冗談だと思っていたみたいね……、呆れた』


 フクロウの羽音が遠ざかる……、え、おい!? 見捨てられた!?


 だが、ステラの音声はまだ届いている。……かなり上にいるらしい。


『指示してあげるからこっちにきなさい……。かなり過酷な道のりだけど、リッカのためならできるわよね? できなきゃ死ぬだけよ……。

 ロッククライミング。やったことあるでしょ?』


 昔に一度だけ、な。だけどあれはスポーツ用の施設で、安全な環境だったからこそできただけで、命綱もない中、視覚に頼れない環境で、昔のようにできるとは言えなかった。


「……なあステラ、お前、わざと過酷なルートを選んでないか……?」


『これしかルートがないだけよ。

 まあ、それを確かめる術を、あなたは持っていないけど』


 別の道が仮にあったとして、ステラの指示がない中で進むくらいなら、過酷な道を指示ありで進んだ方がまだ安全だ。


 ……目が慣れてくれない闇――迷宮内でのこの闇は、生きている限り続くのだ……、自力での脱出はおろか、攻略なんて夢のまた夢である。


 生きたいのなら、最初から俺に選択肢はない。



 ――ステラの指示通りに体を動かし、高い崖をよじ登った俺は、久しぶりに足を地面につけて一息つく。視覚が使えないのだから当然、ロッククライミングをするために掴む出っ張り、足をかける位置など、ステラからの指示がなければできなかった……。


 手探りでできないこともないが、今以上に時間がかかっていただろう。

 気持ちが折れる前に、きっと腕と足が負担に耐えられていなかったはずだ……。


 体感時間で言えば何十時間も崖にしがみついていた気分だが、手足に痺れがないとなると、数十分程度だったらしい。


 それでも充分に疲労は溜まっているが……。


『本当なら休ませてはいないからね。こんなところで座って休んでいたら、怪物に狙ってくださいと言っているようなものよ……、あなたでもそうするでしょ、グリット』


「まあな……だが、少しでも休んでおかねえとこれ、絶対にあとで握力がなくなってくると思うんだよな……」


『だから休ませてるんでしょ。リッカと違って、頑丈でもなければ疲れを感じにくいってわけでもないんだから。……普段、指令室にこもってばかりのあなたは、一般人よりも体力がないと考えておくべきね――』


「人並みにはあると思うけどな……いや、ない前提で指示をくれ。

 ここがまともな世界じゃないことを考えれば、それだけでも体力は削られるってもんだ……」


 なにもしていなくとも、いつ襲われるか分からない緊張感によって、心身共に削られていっている……、普段の自分の体力があると思っていると、思わぬところでつまづく可能性がある……。それが原因で迷宮に殺される事例は、きっとそう少なくない。


 最大の敵は迷宮の罠でもなければ怪物でもなく、なにもないはずなのに自分の思い込みによって増幅していく緊張感に心が摩耗することか……。


 こういう時、ナビぐるみという話し相手がいるというのはまだ気が休まる。


 完全な孤独となると、なにをしでかすか分からない――。


 気づいたら手探りで首を吊っていた、なんてことも……。


 正直、今の俺も、もう何度もそれを想像している。


 翼が羽ばたいている音が近づいてくる……、ステラが周囲の様子を見にいってくれていたらしい。カエル型のナビぐるみと違い、フクロウ型のナビぐるみは短時間で広く移動できる。


 その分、機能の偏りは出てしまうが……、なにより飛行操縦は難しいのだ。


 俺も何度か試してみたが、いつまで経っても操縦に慣れることができなかった……、恐らくこれはセンスなのだろう。

 ……練習でどうこうできる以前の問題、というのが自覚できた。


 以来、俺は地に足ついた生物をモデルにしたナビぐるみを利用している。


 中でもしっくりきたのがカエル型だった、というだけだ。


 ……リッカからはぐれにくい、という点を重視して選びはしたが。


 フクロウ型か……、俯瞰以上に鳥瞰できるが、しかし必然、怪童とは距離が開きがちではある。見るものも多い……、注意を向ける対象も多くなっていく――。

 フクロウに囚われずとも、鳥をモデルにしたナビぐるみは玄人寄りだろう。


 消去法なのかあえてなのか知らないが、よりにもよってそれを選ぶのはステラらしいと言えるな――それも探求心の結果なのか?


『ルートを確認できたわ……ついてきて』

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