第22話 癒し

 翌週は約束通り、美波の連れて来た友だち、久美ちゃんに会った。前髪を真っ直ぐに切りそろえた気の強そうな見た目で、これは今日はやり込められるかもしれないと覚悟した。久美ちゃんの眉毛もそう言っているように見えたから。

 俺たちは例のサイゼでテーブルを挟んで話をした。

 久美ちゃんが聞きたがったのは高校のことで、なるほど学校での俺の生活態度が気になるのか、と思った。

 でも美波と付き合い始めてからはグループで遊びに行くこともなくなったし、何よりそれは美波がよく知っていることなのでセーフだった。アウトだったら闇討ちされたのかもしれない。それくらい久美ちゃんは美波に甘かった。

 美波は『すべて久美ちゃんのお陰』という感じだったけれど、彼女も美波がいて学校生活があるんだ、というように見えた。

 とにかく死地は脱した。


 美波が途中でトイレに行くと中座すると、俺たちは互いに自分の前に置かれた食べ物を見た。喋りながらなのでなかなか減らない。

 話が止まっている今のうちに食べてしまおうかと思った時、久美ちゃんが口を開いた。

「感謝してる。美波は『お寺』どうこうを抜きにしても内向的で、放っておくとすぐに自分の中に潜っちゃうようなところがあった。でも、······高槻くんと付き合い始めてから毎日楽しそうで。キラキラしてる。高槻くんのお陰だよ、ありがとう」

「それはちょっと違うところがある。変わっていこうとしている美波をすぐそばで見守ってくれる久美ちゃんがいるからこそ、美波は毎日安心して学校に行けてるんだ。一緒に学校に行くのはどうしても俺にはしてやれないから、それを毎日してくれてる久美ちゃんに俺も感謝してるよ」

 彼女は下を向いたまま話を聞いていた。失礼なことを言ったかもしれない、上から目線だったかもしれないと気にすると、そろりと目を上げた。

 やはり意思の強い瞳だった。

「会えてすごくよかった! 美波は世間知らずだから本当に心配だったの。でも高槻くんは本当の美波をよく見てくれてると思う。信用のおける人だと会ってみて思ったの。これから末永く美波をよろしくお願いします」

 そのお辞儀は背筋をピンと伸ばした本式のものだった。サイゼの窓からは午後の弱まった日差しが彼女を照らしていたけれど、それでも俺は彼女を尊敬した。友だちのためにこんな風に頭を下げられる彼女が美波の友だちでよかった。

 もう、学校での美波の心配は要らない。

「高槻くんは見ればわかると思うけど、わたし、キツそうに見えるからなかなか友だちができないの。恥ずかしい話だけど。だから美波がいて感謝してるのはわたしの方なんだよ」

 想定外の話になって、頭がポンと飛ぶ。

 どんな顔をして、何をどう返答したらいいのかわからなかった。そんなプライベートな話を俺なんかにしていいのかと思った。

「意外だった? あの子ってほんと、見た目通り『癒し』じゃない。だからわたしはあの子を癒してあげたい。協力する、ふたりのこと」

 ありがとう、の「あ」がようやく喉の奥から出てきた時、タイミング悪く美波が戻ってきてしまった。

「お待たせ。なに話してたの?」

「頼みすぎちゃったこの食事をどうやって片付けようかって」

「そう、美波はこのピザの残り、食べなさいよ。大して食べてないんだから」

「美波、チリソースいる?」

 困惑顔の美波はテーブルの上を見渡している。美波の前にはまだプチフォッカも残っていて、粉物ばかりで困っているんだろう。

「なんでお手洗いから戻ってきたらふたりして仲良くなっちゃってるの? そんなに食べられないの知ってるくせに」

 俺と久美ちゃんは目で合図して、両側から美波のピザを切り分けて手に取った。

「ほら、三分の一ならいけるでしょう?」

 久美ちゃんがやさしく微笑む。美波が「ん?」という顔をする。

「ひどいな! ふたりでわたしに意地悪をする相談してたんだね? わたしが世界中で誰より信頼してるふたりなのに」

「いちばんはおばあちゃんでしょ?」

「おばあちゃんはもうこの世にいないの。わたしが心から頼りに思ってるのはふたりだけだよ」

 午後の日差しが天使の梯子のように斜めにたくさん俺たちの間に降り注いだ気がした。祝福の日差し――。あのおばあちゃんだったらやりかねない。

「だってよ。久美ちゃん、俺だけじゃ足りないんだ。俺は男だし。美波のこと、これからもよろしく頼むね」

「高槻くんが投げ出したってわたしが美波の面倒を見るから安心して」

「······投げ出すの?」

「バカだな、物のたとえだよ。俺も久美ちゃんも美波を想う気持ちに違いはないってこと。わかれ」

 ありがとうございます、と消え入りそうな声で美波は答えた。ふっと笑いが起こった。どうやら俺も仲間に入れてもらえたみたいだった。


 店を出ると久美ちゃんは買い物があるから、と、さも取って付けたような理由をつけてさっさと帰ってしまった。俺たちは顔を見合わせた。

 どうしたものかと思ったけど美波の方から指を絡めてきて、語り始めた。

「久美ちゃんと仲良くしてくれてありがとう」

「それは久美ちゃんに言うこと」

「もちろん久美ちゃんにも言うけど。······久美ちゃん、第一印象、怖くなかった? 仲良くなってくれて本当によかった」

「うちは共学だからね。気の強い女子なんかたくさんいるよ。久美ちゃんは美波の友だちになってくれたやさしい子だよ。俺、刺されなくてよかった」

「なんで刺されるの?」

「美波の扱いが雑いとか言われて」

 それには美波も声を上げて笑った。

 夕方の街中はすっかり西日が傾いて、ジャケットなしでは薄ら寒いほどだった。

「瑛太が刺されたらわたしは後を追っちゃうかもしれないでしょう? 久美ちゃんはそんなことしません」

「バカ、冗談でも後を追うとか言うなよ」

 美波はそれに苦笑で返した。淡く、ぼろぼろと崩れてしまいそうな弱い笑みだった。

「もう瑛太なしなんて考えられないもの」

 そう言った彼女の口の端がふわっと上がった。瞳はいきいきと、唇は赤く。

「嫌いになった時が来たら迷わずすぐに言ってね、勘違いしちゃうから」

「そんな時は来ない」

 地球がなくなるまで、予想ではあと六年だった。

 その六年間、俺は誰に言われるまでもなく美波の手を引いていくんだってバカみたいにそう信じていたんだ。

 すべては独りよがりだったのに――。

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