第5話 放課後

 放課後を迎え、俺は一年四組の教室を訪れていた。


 普段、他クラスに行く機会がないせいか、妙な緊張感が身体中を走っている。

 なんとなく他クラスに足を踏み入れるのは気が引けて、俺は前扉から教室内の様子を伺うことにした。


「‥‥‥あ、居た」


 窓際後方にいる霧矢を見つけた。が、彼女は本を読んでいてこちらに気づく気配がない。

 この距離からだと、かなり声を張らないと彼女の耳には届かないだろう。


 こういう時はあれだな。人を頼った方がいい。

 俺は身近にいた女子に声をかける。


「あの、霧矢さん呼んでもらってもいい?」


「は、はぁ。ウチの霧矢に何の用でしょう?」


「あー、えっと、あんま詳しくは言えないんだけど‥‥‥ちょっと用事があってさ」


「なるほど冷やかしですね」


「いや、冷やかしとかじゃなくて」


「ではその証拠はありますか?」


「証拠はない。けど、冷やかしで他クラスに行けるほど俺の肝は据わってないんだ。信じてくれ」


 俺が情けない事実を露呈すると、彼女は顎に手を置き、小首を傾げてきた。


「ふむ。兎にも角にも、用件を言ってもらわないと呼び出すことはできません」


「個人的な用事だから、あんま聞かないでもらえると助かるんだけど‥‥‥」


「私には言えない内容であると?」


「端的に言えばそうなる」


「わかりました。ではお引き取りを」


「え? お引き取りって‥‥‥なんで?」


「どんな事情があれ用件が不鮮明ですと、霧矢を呼び出しすることは出来ませんので。お・ひ・き・と・り・を!」


 どうやら、俺は声をかける相手を間違えたらしい。彼女は、霧矢のマネージャーか何かなのだろうか。

 先に用件を言わない限り、霧矢を呼び出してはくれそうにない。


 俺はこめかみをポリポリと掻く。

 どうする? 他の人に頼むか? でも、この人すげえ俺に睨み効かしてきてんだよな。


 今から他の人にお願いしたところで、横槍を入れられる気がする。


「な‥‥‥なにしてるのよ。ここ、あたしのクラスなんですけど」


「おっ、助かった。そっちから来てくれて。話したいことがあるからちょっと来てもらっていいか?」


 よかった。霧矢の方から俺を見つけてくれた。

 あとは場所を移動して、告白するだけだ。


「は、話したいこと‥‥‥っ。ふーん、な、なんのことかしら全然わからないわね。ええ。皆目検討もつかないわ」


「あ、そうですか」


 適当に返事をしながら、場所を移動しようと踵を返す。が、すぐに右腕に人肌の感触を感じた。


「ちょ、ちょっとちょっと! マネージャーの私を通さずに勝手に話を進めないでください。うちの霧矢をどこに連れていく気ですかっ?」


 振り返ると、先ほど俺が声をかけた彼女がいた。どうやら、マジでマネージャーだったらしい。


「マネージャー?」


 俺が誰にともなく訊ねると、霧矢がため息まじりに応える。


「彼女が勝手に言ってるだけだから、気にしなくていいわよ」


「な、ななっ‥‥‥! そんなっ! 私、いつのまにかクビになってたんですか⁉」


「そもそも雇ってないから」


 雇われていなかったことがショックだったのか、彼女は綺麗に膝から崩れ落ちる。

 絶望に顔色を染め、「ガビーン」とか効果音を口遊んでいた。


 類は友を呼ぶ、ってやつだな。頭がおかしい奴には頭のおかしな友人が湧くらしい。


 ともかく、名前も知らない女子に構っている暇もない。

 俺は場所の移動を提案する。


「屋上まで来てもらっていいか?」


「いやよ。今ここで言って」


「あんま人に聞かれたくないから場所を移動したいんだが」


「あたしは人に聞かれても困らないわ」


 こいつ、俺が今から何を言おうとしてるのかわかってるのか? 


「俺は他人に聞かれたくないんだよ。ダメか?」


「まぁ‥‥‥ダメってわけじゃないけれど──あ、じゃあ、そうね。あたしの手を引いてくれるなら場所を移動してあげる」


「なんで手を繋がないといけないんだよ?」


 俺はキョトンと首を傾げる。

 ここから場所を移動するのに、手を繋ぐ必要性がわからなかった。


「ほら、廊下は人でごった返しているでしょ? だから、はぐれないためよ」


 一応理由はあるらしいが、余程のことがない限り校舎内ではぐれることはないだろう。

 俺はジト目に向けながら、彼女の真意を問う。


「本音は?」


「手を繋ぎたいから‥‥‥──じゃなくて! 今のは建前。そう建前よ。決して、私欲のためなんかじゃないわ。‥‥‥し、仕切り直し。仕切り直して! 今度はちゃんと答えるから!」


 ぽつりと答えたかと思えば、急激に頬を赤らめてまくし立ててくる霧矢。

 仕切り直しを所望されたので、俺はもう一度同じ質問を投げかけた。


「‥‥‥本音は?」


「あたし冷え性なの。だから、手の体温を上げるためよ」


「俺も手は冷たい方なんだけど」


「む‥‥‥使えないわね。じゃあ仕方ないから、あたしが温めてあげるわ。あたし、冷え性の中では温かい部類だから」


「冷え性の中では温かい部類ってなんだよ。別に手が冷たくても困ってないからいいって」


「あたしと手を繋げるなんて家宝ものよ? 泣いて喜ぶ人もいるんだからね」


「そんな奴いるわけねーだろ‥‥‥」


「い、いるもん。ホントなんだからっ」


 霧矢が両の手で拳を握る。"もん"って……。


「じゃあ、どこにいるんだよ?」


「ここよ」


「ここって‥‥‥──あ」


 霧矢の指先は、床にへたり込む少女へと向かっている。


 よほど、自分が霧矢のマネージャーではないと言われたのがショックだったのか、ぽかんと口を開け放心状態。魂が口から抜け落ちている。


「なるほど。疑って悪かったな」


「そ。納得してくれたならよかったわ。はい、そろそろ連れてってくれるかしら?」


 白くてきめ細やかな手を差し出される。本気で俺に手を繋がせる気らしい。


 断りたいところだが、霧矢からは手を繋がれるまでここからはテコでも動かないという意志を感じる。


「はぁ」


 やむを得ず、俺は差し出された手を掴もうと──



「おっと、──っぶね。ちょっと、なに手を繋ごうとしてるんですかっ。汚らわしい!」



 ──したところで、俺の手はパチンッと力強く叩かれた。


 見れば、ついさっきまで放心状態だった自称マネージャーの彼女が、キィッと敵意丸出しの表情を浮かべ、俺を睨みつけている。


「あ‥‥‥あとちょっとだったのに‥‥‥」


 霧矢が小さくぼやいていたが、それをかき消す勢いで彼女は咆哮する。


「男の身でありながら、花蓮かれんさんに触れるのは許しませんよ! 彼女は私と百合の道を歩くのです。貴方のような獣欲に塗れた人間に、花蓮さんの手は握らせませんっ!」


「あ、歩かないから⁉ ‥‥‥ほらこっち、あんまこの子と関わっちゃダメよ。頭がおかしいんだから」


「あ、おお」


 霧矢は、俺の手を握り走り出す。

 俺は引力に引かれるように、彼女の進む方角へと足を進めた。霧矢に頭おかしいって言われるとか、相当だな……。


 人波を掻き分けながら、器用に走る俺と霧矢。


 霧矢と彼女の関係性は、今一つ掴めないが。霧矢の方が手を焼いている印象を受けた。

 なんとなくだが、もう二度と彼女とは関わらないようにしよう。そう思う俺だった。

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