おたくってなんですか

 9月に入ると、あれほどうるさかった蝉の声はぴたりと聞こえなくなった。蚊に刺されたあとも気づけば消えている。

 夏休み明けの再追試はなんとか合格点を取ることができ、「とても口では言えないようなそれはそれは大変なこと」は免れた。わたしも、刈田くんも。


 放課後、いつもの4人でカラオケに来ていた。怜奈、芳賀ちゃん、マヤっち。

 それぞれの通学鞄には、おそろいのミッチェルマウスのキーホルダーが揺れている。ディスティニーランドに行けなかったわたしにも、みんながお土産に買ってきてくれた。この夏限定の商品で非常にレアなのだと、怜奈が熱く語っていた。

 とりあえず3人と変な距離ができずに済んだことには安堵したけれど、特別かわいいとも思えないキャラクターを身に着けてみんなに迎合している自分に嫌気もさした。

 Just break through the darkness.

 言葉にするのは簡単だけど、現実はそうそううまくいくものじゃない。

 でもだからこそ、世界には明るい言葉や音楽が必要なのかもしれない。ここのところ毎晩嘘つきマドレーヌのミュージックビデオやライブ映像を視聴するのが日課になっているわたしは思う。

 正直、嘘マドの良さを深く理解できている自信はない。キャッチーな曲よりも、変拍子でノリかたの難しい曲や聴き慣れない構成の曲も多い。刈田くんが専門用語を交えて熱弁する楽曲のすばらしさも、すべて咀嚼できているとは思えない。

 けれど、エネルギッシュに踊りながら拳を突き上げて歌う彼女たちを見ていると、なんだか細胞が生まれかわってゆく気がするのだ。単純に、かっこいい。今までのアイドル観を打ち破られるのは快感だった。音楽性がやたらと高く、大衆向けではないこともなんとなくわかる。こういうのは、カウンター・カルチャー・アイドルと呼ばれるらしい。

 つらいことや面倒なことのほうが多い世の中で、アイドルまで辛気しんきくさい顔をしていなくたっていいはずだ、そんなふうに思う。


 芳賀ちゃんが流行りのアニソンをキメたあとに、マヤっちがマイクを握りしめた。

 有名なイントロが流れる。嘘マドみたいにマニアックじゃない、国民的アイドルの大ヒット曲だ。

 ……あれ? これ、もしかしてアレを合わせることができるんじゃ。

 気づいたときには口からこぼれていた。

「タイガー! ファイヤー! サイバー! ファイバー! ダイバー! バイバー! ジャージャー!」

 みんなのぽかんとする気配、続いて爆笑。気をよくしたわたしは、Aメロに合わせてコールを続ける。

「超絶かわいい、マヤちゃん!」

「おーれーのっ、マヤちゃん!」

 マヤっちは笑いすぎて歌えなくなってしまった。

「ちょ、ちょ、ちょ、ウケるんだけど」

「どうしちゃったの梓」 

 マヤっちと芳賀ちゃんが笑い転げる中、冷ややかな視線があった。

「それってオタ芸でしょ。おたくじゃん」

 ばさりと斬るように言われてわたしは固まる。怜奈は笑顔だけれど、口元には悪意がちらついていた。

 いや、わたしはまだおたくじゃない。釈明しようとして思考がショートする。

 わたしはおたくを否定するのか?

 刈田くんの顔が浮かんで消えた。胸の内側がどろりと濁る。


「ってかさ、怜奈だってディスティニーおたくじゃん」

 マヤっちがつぶやいた。マイクを握ったままだったのでその声はわぁんと反響し、みんな薄く笑った。それで少しだけ空気がほぐれた。

「え……違うよ」

「あんなでかい一眼レフ持ってパレード撮りまくったりさ、レアグッズ探したりさ、充分おたくだよ」

「そうだよ、あたしだってアニオタだし。おたくは別に悪いものではないですぞ」

 芳賀っちも援護してくれた。ふいに鼻の奥がツンとなる。

「はいはいごめんごめん、あたしもおたくでしたすみませーん」

 努力してそうしているとわかる笑顔とテンションで、玲奈が言った。

「なんか梓が遠くに行っちゃった気がしてさ、なんかごめんね。はい、おしまーいっ」

 背中をばしばしと叩かれて、わたしも濁った気持ちをなんとか押し戻す。


 フリードリンクのメロンソーダはひどく甘くて、舌がべたついた。

 刈田くんと一緒に嘘つきマドレーヌのライブに行く約束までしてしまったことは、とてもみんなに報告できそうになかった。

 歌本のタブレットで「嘘つきマドレーヌ」を検索してみたら、2曲だけヒットした。入れようか迷って、やめた。

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