〈第4章〉 イベント日記(3)前

3.魂の晩餐会(前)


二人による、二人のための、二人だけのイベント日記〈その3〉

〔11月X日(火曜日)〕


 今日は、いつもより遅い快速電車に飛び乗った。15時18分発上野行き。

 トワと出逢った日から数えて、今日は丁度三ヶ月目にあたる。の夕食会を予定している。


 東京湾に浮かぶ船の中で、2時間ほどの船旅を楽しみながら、フルコースの食事をとるシステムで、『ディナー・クルーズ』と呼ばれる企画に参加した。私は、記念日という好機にちょっと奮発し、一番上等のフレンチ・スペシャルコースを予約した。


 私たちは、新橋駅から『ゆりかもめ』に揺られて、日の出駅に到着した。クルーズ船が発着する日の出桟橋は、駅から徒歩数分のところにあった。

 乗船までには、時間にまだ猶予があり、桟橋の待合室では、記念のスナップ写真を撮りまくった。


 先日、トワにプレゼントした最新型のデジタルカメラの試写を兼ね、色々な撮影モードを試してみた。

 新型カメラの性能はさすがに優秀だ。近年、デジタル機器の進歩は日進月歩、小型カメラでも画素数は10メガピクセルを超えるのが、当たり前の時代になった。撮影モードも多彩で、どのスナップ写真も、とても綺麗に撮れた。


 中でも、二人でぴったり寄り添ったセルフタイマーモードの写真が良く撮れて、お気に入りの一枚となった。それに、ここは海の波打ち際、まるで乙姫様でも現れたかのような、トワのズーム写真の出来映えも最高だ。どちらの写真も、私にとって宝物になったのは言うまでもない。



いよいよ乗船の時間だ――――

 船の名は『レストランシップ・シンフォニー』。それほど大きくはないが、白い船体はとても優美で、豪華クルーズ客船の小型版である。

 私たちは少し緊張気味で、一歩一歩確かめるように、タラップに足を踏み入れた。


 船内はクラシカルな装飾に相応しく、クラシック音楽の上品な調べに包まれていた。

 舞踏会でも始まるかのように優雅に流れてきたのは、ヨハン・シュトラウス2世作曲のワルツ、♪美しく青きドナウ♪♪。

 これから始まる『二人だけの晩餐会』には、大いに期待が高まる演出だ。


 白の乗務員服に身を包んだ係員に、2枚のチケットを提示すると、船内レストランへと案内された。

 私たちの指定席は、奥まった窓際の角テーブルで、外の眺めも最高のポジションである。後ほど分ったことだが、この席は一番上等のコースに合わせてセッティングされていた。私は、奮発してこのコースを選んでよかったと安堵した。


 今日は、私たちにとって記念に残る大切な一日だ。トワもいつになく着飾ってきた。白に近い淡いベージュのノースリーブドレスはとても上品だ。その上にシャンパンゴールドのストールを羽織り、ウエディング・ショールを想わせる優美さである。

 胸元には控えめだが一粒大玉のパールネックレスが飾られていた。目鼻立ちのはっきりした美形の顔が、ひと際引き立っている。


 今日のトワは、誰が見ても惚れ惚れするほどで、周りの視線も眩しいくらいだ。私は、そんな貴婦人を独占できる今宵は、一国の王にでもなったかのような、至高の気分であった。


「今日は、とってもステキだよ! この船の中でも一番さ・・・・・・」

 少し照れくさいセリフだが、今の正直な気持ちを素直に伝えた。


「ありがとう!」

 トワは、ちょっぴり恥ずかしそうにはにかんだ。


 私の胸は益々高鳴り、心の底から溢れる思いは、さらなる言葉の連鎖を引き起こした。

「俺、今、とっても幸せだ! この最高の場所を・・・・・・。この最良の時間を・・・・・・。そして、この最愛の宝ものを・・・・・・。独り占めできるなんて・・・・・・。一生の幸運を、一気に使い果たしたような、そんな気分だよ!」


 トワは、恥ずかしそうに小さく頷くだけで言葉はなかった。


 私たちは、赤いワイングラスをそっと合わせると、静かに語り合い膳を進めた。

 次々に提供されるコース料理には舌鼓を打った。松茸や魚貝類など、旬の食材をふんだんに用いた前菜をはじめ、メインディシュのブランド牛もとろける美味しさだった。


 高層ビルの明かりや、レインボーブリッジのライトアップをはじめ、窓越しに映る東京湾の夜景も格別だ。


「あの辺りは、お台場かしら?」

 トワは、白く細い人差し指で、遠目の夜景を指した。


「大観覧車が見えるから、そうだろうね?」

「キラキラして、とっても綺麗ね! 今度、連れてってぇ?」

 右隣のテーブルサイドに座るトワは、私の手の甲にそっと掌を重ねてきた。


「いいね! 俺、お台場は初めてだよ」

「そうなの? じゃあー、是非とも行ってみたいわぁ!」


「あの観覧車にも、乗ろうよ!」

「うん! あたしも、観覧車、初めてよ! 色んなとこ・・・・・・、行ってみましょ!」

 トワは、まるで幼子おさなごのようにはしゃいだ。


「OK! 約束だよ。トワさん」

 新たな期待に、私は益々胸を膨らませた。


「あっ、もう直ぐ、またレインボーブリッジをくぐるわ」

 トワが上目遣いに、光が点描する大きなアーチを指差した。


「もうそんなに、来たのか? そろそろクルーズも、終わりだね?」


 美食に満足し、美酒に酔い、夜景に見惚れながら、止め処もない会話を交わしていると。二時間余りのクルーズも、あっという間に終演の時を迎えた。

 幸福の時間というのは、とても短く感じると言われるが。それを大いに実感した『二人だけの晩餐会』であった。


 船内には、哀愁漂うシンフォニーの調をバックに、クルーズの終わりを告げるアナウンスが、穏やかに流れ始めた。二人ともワインの程よい酔いで、熱る心と体を冷ますため、人影の少ないデッキに上がってみた。


「潮風が冷たくて、・・・・・・とっても、気持ちいいわぁ!」

 トワが船の欄干から身を乗り出しながら、口火を切った。


「いやー、ホントだねぇ?」

 私は、トワのか細い肩を優しく抱いた。


 頬を浚う晩秋の潮風は程よい冷たさで、ほろ酔いの私たちにとっては、とても心地良い。夜の海からの優しい贈り物であった。


「とっても素敵な夜景ね! あの高いビルをバックに、写真撮ってえ?」

 私の腕に絡みながら、甘える子供のように、トワはねだる。


 私は、彼女の狭い肩を両手で支えながら、立ち位置を示した。

「いいねぇ! それでは、そこに立って」


「ハイ! この辺りぃ?」

 トワはまるで少女のように、軽くぴょんと跳ねて見せた。


「そう! ではいくよ、最高の笑顔でね・・・・・・。はい! ルート4は?」

「ん・・・・・・。『2』?」

((カシャ!))


「エッ! ふざけないでよー! ・・・・・・ちょっと、考えちゃったわ? まじめに撮ってぇ!」

 トワは頬を膨らませて、私を睨んだ。


「俺は、まじめにやってるよ! 女流剣士の君とは、常に『真剣勝負』だからね!」

「なに言ってんのよ? 絵師のショウさん!」

 トワも負けずに言葉を返してきた。


「なるほど? 『女流剣士』に、『絵師』か? うまいこと言うな! ・・・・・・それ、前世かもよ?」

「ちょっとー、考え過ぎよ!」

 トワは、顔を赤くして笑った。


「それでは、もう一枚いくよ、はい!」

((カシャ!))

「・・・・・・今度は、バッチリだ!」


      ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

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