青く美しきドナウ

八つも言語が必要か?

必要に決まっている。

我々はこれを誇りに以って叫ぶ。

重い思いに、好きも嫌いも楽しい記憶と嫌な記憶とみんなで辛い記憶を持って叫ぼう。

「クソッタレで愛しいユーゴスラビアよ、永遠に」

-統一ユーゴスラビア連邦指定教科書ユーゴスラビアの英雄にして統合者であり素晴らしき全ユーゴ人の領導者チトー元帥言行録序文、1978年刊-


1939年9月、ドナウ連合ウィーン


ドナウ連合、その成り立ちは複雑怪奇であった。

当初イギリスたちの望む東欧の地図は民族の主権国家というものだった、しかしそれが生んだのは紛争問題の火薬庫を超える枯れない油田だった。

紛争が紛争を呼び、覇権への野望、富と土地の対立、宗教・・・皆が望んだ戦争だと言わんばかりに元気に戦争を続けていた。

ついには第四次バルカン戦争にユーゴが介入した際地域ナショナリズムと民族主義が起爆、東欧の混乱は誰をも疲れ果てた。

アルバニア王国ゾク一世が恐怖から国内をトーチカまみれにするのも無理はなく、アルバニア国民達もそれを批判することは無かった。

結果彼らは、パプスブルグに古式ゆかしい義務を要求した。

神聖ローマ帝国の皇帝位最後の存在意義、紛争仲介である。

みんな戦争に疲れていた、とりあえず神輿が欲しい、水面下で銃弾が飛ぶ程度で我慢したい。

ハンガリーとの再度の合意を得て、戦勝国達も国際連盟もサジを投げ~~国際連盟軍は紫禁城包囲戦などで手一杯だったが、難民救出作戦などはした--て、信じてる神が違うけど、自分たちがそれに見放されてるのはお互いなんか理解出来たので、妥協した。


妥協の帝國アウグスブルクの復活だ。


みんな嫌な気持ちはあったが、まあマシだろうと思えた。

ソ連の脅威が"スラヴ人の統合のがマシじゃないか?"と"やっぱパプスブルグのが嫌いだわ"と言い出す理由になるまで。

39年の反ナチクーデターが発生した理由はこの通りだった。

そもそも論として、何故ボヘミアの美大落ちの音頭で死なねばならないのか。

至極単純なので反論に困る反政府論が政府転覆を呼ぶとき、世界は揺らいだ。

ナチスは溜め込んだ軍隊の一部を越境させる事を決定したのだ。


ブルガリア王国は便乗してギリシャの正当な土地を奪い、ゲオルギオス一世はキプロス近海で艦隊を遊弋させるトルコ軍の備えもするしかなく、かつてのギリシャ領土を喪失した。

ゲオルギオス一世は側近に「クッソ汚いブルガリアの閃光の如き頭をしたネコが攻めに転じるなど許せぬ」と怒りを漏らしている。

ただトルコ軍の艦隊はどちらかと言えば、ブルガリアも警戒対象にしていた。


同じくルーマニアも便乗してハンガリーなどから領土を奪おうと画策したが、ルーマニア国王カロルの軽率な演説が奇襲を台無しにし、ソ連のカルパティアからの直接越境を仄めかされ、失敗した。

コレ以降軍と鉄衛団の唯一の意見一致からミハイが即位し、危うく憤慨した鉄衛団の団員に窓からチェコ式解決法をされそうになった。

幸いアントネスクが「汚物でルーマニアの大地を汚してはならない」と制止して、彼は何処かに消えた。


このバルカンの騒乱は表向きナチスによる正当なドナウ連合政府の支援要請に基づく進駐だった。

彼らは親独派の軍部指導者などを味方につけてクーデター数時間以内で公式声明を発している。

ドナウ連合軍は決起軍のセルビア人部隊や、ウィーンの海軍王室近衛隊--彼らはドイツ正規軍と互角に戦闘したが、ホルティの停戦命令と交戦継続による民間被害を考慮し投降した--が果敢に応戦したが、III号戦車とスツーカは健気な抵抗を破砕した。

この後アンシュルスにより統合されたオーストリア人部隊によるパルチザン狩りと収容所看守という事件から、双方全員に分け隔てなくドイツへの反感が強まっていく。

オーストリア人はたしかにアンシュルスをドイツ軍のKar98の銃剣が向けられている中とはいえ、本心から90%を超える賛同をした。

何故なら民族的に同一である者達が統合される高揚が不平不満を塗りつぶしたのだ。


だが待っていたのは傲慢なドイツ人の差別、偏見、侮蔑、蔑視だった。

これらの結果オーストリア人は並々ならぬ反ナチと反独意識が醸成されていくこととなる。


そんな中、バルカン半島に一人のレジスタンスが、八つの言語を纏めさせる強烈な意思力を持って立ち上がるのは少し先である。


1939年10月3日、アメリカ連合国財務省官僚


"バルカン降伏す!"が紙面に躍る新聞を読みながら、その官僚はピザトーストを食べていた。

近所のダイナーがデリバリー販売をしてくれるので、官僚達はみんなそこで買っている。

バンズの上にピザを乗っけた様な食べ物、4ドル5セントでコーヒー付き!

腹一杯になれるので、これが好きだった。


「これゴミ箱によろしく」


忙しなく動き回る掃除夫達に渡して、彼は仕事に取り組んだ。

アメリカ連合国軍は機甲本部への昇格を求めている、例のスタンレイとかいうペド野郎が北軍に勝った事件以降、みんな戦車戦車と言いやがる。

流行り物に熱心なだけかと思ったが、案外違うらしいというのが最近の世論だ。

もっとも、ドイツ軍の熱心な方向は会戦主義と浸透強襲だ、伝統的包囲戦が拘りだ。

まあ前大戦で「戦車なんておもちゃに動揺するのは腑抜け」と罵ったせいもあるんだろう、国防軍は意地でも認めない保守派が長老のルントシュテット大将を抱き込んでいる。


「予算は無限じゃないんだがな」


だがパットンの意見はたしかにそうだと思わされるに十分だった。

彼の意見によれば日本軍の機械化の遅れた部隊と進んだ部隊のキルレート、そして戦果/消費資源量の比較は目に見えていた。

装備は失っても負傷者で済むケースが増えている、死人が産むのは憎悪と嫌悪だけだ。

暫く悩んだ結果、彼はこれを「検討すべき案件」へ送った。

だが既にパットンは独自に「機甲研究会」を編成して、有志グループで既に組織化を終えており、既成事実が全てを解決していた。


この翌月、流行りに乗れとばかりに日本まで機甲本部の創設を開始し、騎兵本部と統廃合した。

栗林が連合国を離れる際の最新報告書が軍人の悪癖、「あの子も持ってるから欲しい」を引き起こし、陸軍内部の装備刷新論者が---大正や宇垣軍縮で刷新されなかったのを恨んでいる面々--が支援したのだ。

昭和天皇も少ない軍隊を効率的に強化するには刷新するしかないと理解し、内政と妥協しつつ軍備を更新された。


初めに強化されたのは朝鮮半島派遣軍--第八師団を基に拡張したので第八軍と呼ぶ--で、次は北海道とハワイ方面部隊だった。

ただハワイ方面軍には、ドーゼルとエクセカが優先して配備された、東洋のジブラルタルたる地位をシンガポールより圧倒すべし!と銘打たれていたのだ。


ハワイ王女の消極的反対や住民感情の対立もありつつ、これはある程度進行していく。


1939年12月8日、メーコン駐屯地


スタンレイは内心「まいったな」と後悔していた。

軽率であった、迂闊であった。

アイゼンハウワー少将から「新編部隊に新装備の新部隊、お前もみにこい」と誘われたのだ。

「特別扱いとかは良いです」というのではなかった、持ち物検査と身分証拝見の行列に、憲兵隊が慌てて分隊単位で捧げ銃をした時点で彼はいまさらそれを気づいた。


「スタンレイ予備役准将閣下!」


新編部隊に自分が指揮していた将校達がいる事を、考えるべきだった。

アメリカ連合国軍、機動装甲服突撃歩兵隊の対戦車自動砲の捧げ銃に答礼した際、アイゼンハウワー少将が満面の笑みをしているのを、考えるべきだった。


ちくしょう、図られた。


「お前さん子供出来たんだってな!」


満面の笑みのアイゼンハウワー少将が後の感謝会来いと命令し、スタンレイはアイゼンハウワー少将へ消えない恨みを感じつつ適当に返礼した。

シャンパンの味がわからない。

ただなんか、すごく視線が向いてるのが分かる。


「ミナツキ夫人も元気にしておいでで何よりです。」


くそっ、この政治巧者が。

俺のアルベマールを優しく撫でるな、教育に悪影響出て俺みたいに軍人にする気か!

このアイゼンハウワーの行為がスタンレイ以外は「優しい将軍二人と家族」という至極好意的なものに捉えられている中、事件が起こった。


「スタンレイ。お前、現役に復帰してくれないか」

「・・・はい?」


先手を打ったのはミナツキの言葉だった。

彼女は不安と恐怖を浮かべている。

これに対しスタンレイは自身のしてきた事を悔いた、彼女に不安感を与えたのに、彼女はそれを口にしなかった。


「こ、この人は職を退いたんでしょう?」

「予備役です、リザーブです。有事に彼を引き戻す権限がある」

「ゆ、ゆうじって何の、少なくともまた戦争は起こってませんよ」


その言葉に、アイゼンハウワーは真剣な、凍てついた瞳で笑う。


「始まってますよ、とっくの昔に。

 気付くのが遅かっただけだ、この国は1863年以来休戦中なんですよ」


つまり、呼び戻す理由は用意できる。

アイゼンハウワーの言い分はそうだった、スタンレイは顔を顰めたが、ミナツキ以外変化を理解されなかった。

そして、アメリカ連合国軍は少しでも使える将軍を求めている。


「私は時代遅れの人間だと思っていますよ」

「いつの時代でも実戦経験が優先されるんだ、軍隊とはそうだろう?」

「ですが新編部隊に適応できると思ません」


彼は墓穴を掘った。


「やはり彼らを捨て置けんか?君の理想を叶えたいか?」


包囲は成立した。


「翌年1月10日、メーコン演習試験場に出頭し第502機動機械化戦闘団本部に出頭する様に」


再び降伏する以外選択肢はなかった。

スタンレイの袖をそっと掴むミナツキの手が、彼にとってなによりも敗北の重さを認識させていた。


1939年12月23日、アーカンソー州サーシー連合国軍飛行場


起動された空冷エンジンが咆哮を上げ、セバスキー社の南部連合国産戦闘機P-39<サンダーストーム>がゆっくりと空に上がる。

スターフィッシュ双発迎撃戦闘機と近い、単発戦闘機のP-39サンダーストームは日本軍なら"大型局地戦闘機"と呼ぶ分類で、単発戦闘機にしては大きめに作られている。

P-35戦闘機の系譜で作られたこの機体は、頑丈でずっしりとしているが機動性のキレは中々どうして悪くないものだった。

大きい胴体は多様な武装と強烈なエンジンの同居を許し、連合国はセバスキー社がヴィッカースやロールスロイスの下請け以外になれると自信を深めている。

ただそれに予算が割かれている最大の理由は、アメリカ連合国が深刻な危機に瀕している事を意味している。

それは今日も繰り返される、北部の航空越境偵察機のせいであった。


《サンダーヘッドからウォードッグ3-1。

 アンノウンはセントルイス方向より境界線へ接近中。機数2。高度5800。

武器の使用は現状不許可》

《ラジャラジャ。ったく・・・》


サンダーストームはレーダー搭載のスターフィッシュ改造型、スターク・アイを混成させるケースが多い。

爆撃機狩りをする双発機と護衛機を引き寄せる役割分担は当初、軍部に難色を示されたが、実用性から認めるしかなかった。

いろいろ足りないことを1番承知しているのは軍人達だからだ。

サンダーストームのパイロットは、双眼鏡で見えてきた合衆国の妙にでかい機体を確認した。


《サンダーヘッド。目視確認。目標は6発のデガブツだな・・・いつものと違うな》


その機体のエンジンは6発あり、H字尾翼をした大型輸送機のようだが明らかにアメリカ合衆国のデザインに思えなかった。

下に膨れて出っ張った胴体部分が妙であるが、機首は些か好奇心が湧く球形で、ガラスを使って前面の視界をタップリ確保している。

主翼は広大で分厚く出来ており、縦長に構成されている。

手元の合衆国機体シルエット一覧表を見てもそれらしきものがない。


《詳しく報告し、写真を撮影するように。

 爾後情報部に照合させる》

《目標の機体は6発大型機、おそらく重爆か輸送機かと思われる。

 武装は・・・目視した限り幾つか見受けられる、仔細は不明。》


報告を終えると、不明機がゆっくりと進路を変えていく。

別角度から不明機のエンジンは翼面の上にせり出してついているのがはっきりと確認された。


《デカブツが進路を変針、合衆国領空奥深くに消えていきました》

《了解。レーダーサイトの報告でも確認した。帰投するように》


あんなデカイの、なんに使うんだろう?

サンダーストームのパイロットは、シカゴ工場のボーイング社からテストで飛行した大型輸送機に、呑気にそう思っていた。

アメリカ連合国が熱心に進める地上レーダーサイトの網による効率的防空指揮、防空指揮所(DC)による省人数効率化が産んだ想定より少し広い視野は、合衆国が意図しない新型輸送機の露見につながったのだ。

アメリカ連合国はSISに問い合わせるなどして新型機を特定、答えはすぐに出た。

なんでも合衆国が勧めているガルダとか言う大型輸送機だと言う話だった。


「合衆国はC-47スカイトレイン輸送機にA-20の構造を足した拡大版、ミディアというのとこのガルダとか言う大型輸送機が二種類いるらしい。」


連合国防空指揮所は新しく資料を更新して提供した。

効果は大きく、二週間ほどでナチスがガルダを採用している情報がフランスから齎された。


「超大型輸送機なんて贅沢過ぎるよなあ」

「ウチだとファットアンクルで十分ですもんね」


防空指揮所オペレーターは笑ってそう言った。

南部連合国は一応輸送機を持ってはいる、ゼネラル・エアクラフトに依頼した双発輸送機を保有しているのだ。

不整地や草原への着陸を想定してグライダー技術を流用した本機は多種多様な仕事に従事し、兵士からはデブのおじさんファットアンクルと呼ばれている。

30機ほどの本機は災害時に於いて最も優秀なので、連合市民達の人気も多いため航空隊の輸送機は結構な花形だった。


「ですけど大きいっすねぇ、60m近い主翼の長さで50m近い胴体の長さって戦車すら入りそうですよ」

「M1928A2ボーレガード戦車なら一両は入るだろうな」

「ヤンキーは金の使い方がわかってんのかなあ」

「ただこの機首の設計、実にいい。

 細長く再構成すれば戦略爆撃機などに適していると思うんだ」


彼らの発言は実は真実に近かった。

当初ならこれはプロジェクトAに基づいてXB-29として制作され、爆撃機になるはずの設計が混じっていたのだ。

だがボーイング社とマーティン社の意見を覆す"別案"、すなわちノースロップ社長の売り込みとホルテン兄弟の構想がリンドバーグとゲーリングの足首を掴んで引き摺り込んだのである。

結果、1940年5月には試作機YB-35が国家的ゴリ押しにより飛翔し、連合国を大きく困惑させた。

無尾翼全翼の大型機とは北部はいよいよ狂ったのかと。

だがそれが間違いだともすぐに思い知ることになるのだった。


1940年1月10日、メーコン


その日の朝は普段と違っていた。

ミナツキは毛布をかぶり続けている。


「行っちゃヤです。」

「私もそうだ」

「いつだって不安なんです」

「あぁ、それもわかる」

「だから、だから、ダメだと知ってるけど、ヤです」


ミナツキの言葉はスタンレイにも確かにその通りだが、悲しいかな逃れる術を持たなかった。

既に彼にはここでの生活があり、彼女があり、子供があるのだ。

悲しいことに、彼は軍人であった。


玄関の扉が閉まる音がして、静かにミナツキが泣く声が部屋に満ちていた。



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