第22話 今の立場で・・・

 手毬てまり姉ちゃんは5球目、実質7球目の投球モーションに入った。菊枝垂きくしだれさんは大粒の涙を流したままバットを握る手に力を込めたのが僕の目に分かった位だ。

 その手毬姉ちゃんの右手から球が放たれた時、菊枝垂さんのバットを持つ両腕が動き出した!!


”カキーーーン!”

”バシッ”


 菊枝垂さんのバットから始めて快音が響き、その打球は手毬姉ちゃんのほぼ正面をライナーで襲った!だけど手毬姉ちゃんは素早く反応して左手のグローブを差し出したから、打球はセンターに抜ける事なく手毬姉ちゃんのグローブに収まった!!


 その瞬間、菊枝垂さんは黙ってバットをバッターボックスに置くと、そのまま両手でヘルメットを外した。大粒の涙を拭う事もなく手毬姉ちゃんに深々と頭を下げ、後ろを振り返って早晩山いつかやま先生と青葉あおばさんにも深々と頭を下げた。


 つまり、菊枝垂さんは結果を受け入れたのだ。自分の頭の中では、去年の全国中学校ソフトボール大会の県予選準決勝、舞姫まいひめ中学対鷲の尾わしのお中学の6回裏の第三打席で、死球デッドボールではなくピッチャーライナーに倒れたんだと。実際の6回裏の鷲の尾中学の攻撃は死球デッドボールによる押し出しの1点に終わり、7回表に舞姫中学が同点に追いつき、7回裏の鷲の尾中学は無得点に終わってタイブレークの延長戦に突入しているから、菊枝垂さんの頭の中では6回裏の押し出しの1点はなくなり、鷲の尾中学は0対1で負けた、と気持ちの整理がついた訳だ。


 菊枝垂さんはスカートのポケットからハンカチを取り出すと、それで涙を拭った。そのハンカチを再びポケットに戻した時、僕の目には清々しい表情をしていたように思えたのは気のせいだろうか。

 そのまま菊枝垂さんはベンチに向かって歩き出した。普賢象ふげんぞう先輩が持っているブレザーを取りに行くためだが、その歩いて行く菊枝垂さんを早晩山先生が呼び止めた!


「・・・おーい、菊枝垂さーん」


 早晩山先生が呼び止めたから菊枝垂さんは足を止めて後ろを振り返ったけど、その早晩山先生はクールな表情ではなくニコッと微笑んだ。

「・・・ここからは1年5組の担任として質問しますけど、負けて悔しくないですか?」

 早晩山先生はジッと菊枝垂さんを見てるけど、その菊枝垂さんは体ごと早晩山先生の方に向き直り、少しだけ『うーん』と考えたけどニコッと微笑んだ。

「・・・悔しくないといえば嘘になりますが、これが今の自分の実力だというのを理解出来たし、不完全燃焼を取り戻せたのは事実です。このような場を提供して下さった早晩山先生やソフトボール部の人たちに感謝しています」

「負けたまま去るのですか?」

「こう言うと生意気かもしれませんが、『敗軍の将は兵を語らず』です。今のわたしの立場を早晩山先生は御存知の筈です」

「なら、担任としてではなくソフトボール部の顧問として提案しますけど、その今の立場で再戦をする気はあるのですか?」

「へっ?」


 菊枝垂さんは早晩山先生の言ってる意味が分からず、思わず間抜けな返事をしてしまったし、僕も隣のアーリーの顔をマジマジと見てしまったし、手毬姉ちゃんを始めとしたソフトボール部の子たちも首を傾げている。

「・・・菊枝垂さんの『今の立場』で勝負を申し込む気はないのですか?と先生は聞いてるのですが、菊枝垂さんはどうなのですか?」

 早晩山先生はにこやかに菊枝垂さんに聞いてるけど、その菊枝垂さんは右手をグーにして左手の掌をパン!とばかりに叩いた。

「なーるほど、先生の仰ってる意味が分かりました。『お店の看板を賭けて勝負しろ!』という事ですかあ?」

「まあ、極端な言い方をすればそうなりますね。菊枝垂さんと突羽根つくばねさんの両方に共通しているのは『家がお好み屋さん』ですから」

「わたしは異論がありませんけど、本当にいいんですか?」

「問題ありません!というより、異議を認めません!先生が責任を持って説得します」

「そこまで早晩山先生が断言してくれるなら、わたしは異論ありません!『徒名草あだなぐさ』の3代目として『夢見草ゆめみぐさ』に勝負を申し込みます!」

「分かりました。ソフトボール部顧問として、その勝負を認めます。当たり前ですが拒否権を認める気はないので、事故や身内の不幸でもない限り、必ず勝負させます。日程は今度の日曜日かその次の日曜日という事でもいいですか?」

「『鉄は熱いうちに打て』です。今度の日曜日で構いません」

「場所は『徒名草』でいいですか?『夢見草』では鉄板が1つしかないから対決場所として不向きです」

「構いません。『お互いの店にある物なら何を使っても良い』という条件で、お好み焼き対決でリベンジマッチを申し込みます!」

「さすがに鉄板や冷蔵庫と言った物は持ち出せませんから、常識の範囲というか、車で持ち運びできる物なら店にある何を使っていい、という事でどうですか?」

「先生の車で持ち運びできる物なら構いません。わたしも『車で運べる物』という前提で勝負します」

「審査員は・・・そうねえ、一人は先生、後は・・・丁度いい具合にこの場所にから、この3人でどう?」

「はーーー、早晩山先生は御存知だったんですね」

「そういう事です。一応、担任ですから」

「わたしは異論ないです。むしろが中立の立場で立ち会ってくれるのなら、正々堂々と勝負します。それは約束します」

「決まりね。時間は午前10時くらいでどう?どうせ日曜日は定休日なんでしょ?」

「では、今度の日曜日の午前10時にお店でお待ちしております。『徒名草』と『夢見草』の看板を賭けて、とまでいくかどうか分かりませんが、店の名誉を賭けて勝負しましょう」

「これで負けたら、菊枝垂さんはどうしますか?」

「ソフトボールでも負け、でも負けたら、ぐうの音も出ません。今朝の誘いを素直に受け入れてソフトボール部に入りますよ。もちろん、わたしが勝ったら、早晩山先生も御存知の通り

「いわば、生徒会長と生徒会書記のよねー」

「そうなりますね」

 菊枝垂さんはニコニコ顔のまま普賢象先輩からブレザーとリボンを受け取ると、そのままソフトボールグラウンドから去って行った。


 当たり前だけど手毬姉ちゃんだけでなくみやび姉ちゃんも「こっちの都合も考えず、勝手に決めないで下さい!」と猛然と抗議したけど、早晩山先生は一切の抗議を受け付けなかった。

 普賢象先輩は「はあああーーー」と右手を額にあてたまま超深ーいため息をついていた。一方的に当事者に組み込まれたから迷惑している、というのがアリアリと分かるくらいだ。なぜなら、研究会というのは・・・


 いや、僕には早晩山先生が一方的に決めた理由が何となくだが理解出来たから、逆に手毬姉ちゃんの説得に回ったほどだ。


 こうして、手毬姉ちゃんVS大和錦やまとにしきさん、失礼、菊枝垂さんの勝負は手毬姉ちゃんの勝ちに終わったけど、今度はソフトボールの投手ピッチャー打者バッターではなく、『徒名草あだなぐさ』と『夢見草ゆめみぐさ』の看板をかけたをする事になったのだ!!

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る