4.4 38〜41ページ目 奇跡

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 時は瞬く間に過ぎていく。それが幸せな時間なら尚更なおさらだ。

 気がつくと、動物園に行ってから数週間の時が過ぎていた。


 そして、十月末。


 十月三十一日、つまりハロウィーンは直の誕生日です。

 そう言っておいてなんだけど、その直前まで私は直の誕生日を知らなかった。


 実は、直の誕生日はハルから教えてもらった。


 これから、その経緯いきさつをちゃんと説明します。


 ハルに聞いた話によると、十月下旬——正確にいうと、十月二十八日——たまたまハロウィーン数日前に、直のお兄さんの拓さんとハルの二人が駅に向かっているときに出くわした。


 二人とも、そのときまでお互いの連絡先を交換していなかったし、動物園の帰りに拓さんに車で送ってもらったとき以来、一度も会っていなかった。


 けれど、拓さんは直と私が頻繁に会っていることは知っていたみたいで、私の病気についてハルにもう少し詳しく聞きたいと言ってきたらしく、駅まで歩きながら少し話をしたそうだ。


 そして、そのときに拓さんが、ハルと私をサプライズのバースデーパーティーに誘ってきたらしい。その誘いを受けて、ハルは早速私にメールを送ってきた。私はそのメールを読んで初めて直の誕生日を知ったというわけ。


 ハルの説明によると、拓さんは、兄としては弟の誕生日を盛大に祝いたいけれど、男兄弟二人で祝おうとしても直に逃げられてしまいそうだと思って、私たち二人をパーティーに誘ってきたらしい。


 私の知っているハルは警戒心が強いから、突然の誘いを断ってもおかしくなかったはずだけれど、どういう風の吹き回しか、ハルはその誘いを受けたようで、二人はそのときに早々と役割分担をして、拓さんがご馳走とケーキ、そして飲み物を、私とハルが飾り付けを担当することになっていた。


 開始時刻は、ハルが拓さんと調節してくれたのがはっきりとわかる、私の調子がいい午後六時だった。


 ☆   ☆   ☆


 十月三十一日。午後六時十五分前。


 ハルがハルのママの運転する車で私の家に迎えにきた。高校生にもなって過保護だと思うかもしれないけれど、実は、ハルの両親はハルに対しては、細かいことは気にしないし、束縛もしない。そう、結構寛容だと思う。


 ただ、私が絡むと話はまったく別になる。ハルの両親が過保護になるのは、ハルと一緒にどこかにいくときだけだ。どこに行くにも、目的地まで送っていくと言って聞かない。幼稚園の頃からずっと、私に何かあったら大変だと思う気持ちが続いているのだから、もう、ありがたいとしか言いようがない。だから、私はいつも素直に二人の申し出を受けている。


 ハルのママが運転する車はあっという間に拓さんと直の住むアパートに着いた。アパートの前で車を止めると、ハルのママがハルに訊いた。


「帰りはどうする?」

「帰りは拓さんが送ってくれるから」

「そう、じゃあ、何かあったら連絡してね」

「わかった」


 アパートはよくある二階建てのプレハブのもので、玄関のドアが規則正しく、一階と二階に四つずつ並んでいた。

 二階の左端が拓さんと直の住む部屋で、階段を上がってドアのインターホンを鳴らすと、「ドア、開いてます」と拓さんの穏やかな声が聞こえてきた。


 玄関のドアを開けると、短い廊下の突き当たりにあるドアから拓さんが顔を覗かせた。


「いらっしゃい。二人とも、今日は来てくれてありがとう」

「おじゃまします」


 私とハルの声が重なる。廊下の先の部屋は、全部で十畳ほどのリビングダイニングキッチンだった。

 今日は、拓さんは有給休暇を取って、朝からパーティー料理やケーキを作っているらしく、切ったいちごの入ったボールを抱えていた。


「今、ケーキをデコレーション中なんだよ」


 ダイニングテーブルにはクリームがきれいに塗られた、ホールケーキが置かれている。


「おっきい!」


 甘いものに目がないハルが若干興奮している。確かに大きなホールケーキだけど、ハルなら簡単に半分は食べてしまうだろう。

 

「すごい! 全部手作りですか?」

「うん。中のスポンジはチョコ味でスポンジの隙間にも溶かしたチョコレートを塗ってあります。外は生クリームで上はイチゴ山盛りです」


 ハルは相当嬉しいのか、鼻歌混じりでケーキをしばらく眺めていた。拓さん曰く、六時十五分過ぎには直がバイトから帰ってくるらしい。


「ハル、早く飾り付けしなくちゃ」


 私が急かすと、ハルは紙袋の中からガサゴソと結構な量の飾りを出してきた。パーティーの飾りは、ハルが昨日のうちに買い物に行って、百均で手に入れてきてくれていた。けれど、ハルが用意してきた飾りを見て、私は笑ってしまった。


「何これ⁉︎」

「だって、これしか見つからなかったんだもん」


 飾りは完全にハロウィーン用だった! オレンジと黒を基調とした飾りは——かろうじてジャック・オー・ランタンだけはついていないものを探してきたようだけれど——私にはなんとも滑稽に思えた。笑いが止まらない。


「ま、これでも十分お祝いの雰囲気は出るよね。準備ありがとう、ハル!」

「もしかして、からかってる?」


 ハルは明らかに拗ねている。笑い過ぎたかな? 飾り付けはハルが細かな準備を事前にしておいてくれたおかげで、五分ほどで終わった。ケーキも宣言どおり見事にイチゴが山盛りに飾り付けられ、完成したようだ。


 拓さんの料理の腕前はかなりのもので、漂ってくる匂いだけで何度もお腹が鳴った。今日は『薬』を飲まずに来れたので、ほんの数時間だけれど、思い切り楽しめる。三人でリビングの絨毯の上に座って待っていると、午後六時二十分ごろに玄関のドアが開く音がした。


 ガチャ。


 直がバイトから帰ってきたようだ。


「拓にい、ただいまー」


 玄関から、少しだるそうな直の声がリビングに届く。


 直がリビングダイニングキッチンのドアを開けて入ってきた瞬間に、三人でクラッカーを思いっきり割った。


 パン! パン! パン!


「誕生日おめでとー!」


 直は、拓さんが何か用意してくれていることには薄々感づいていたけれど、まさか私たちまで一緒にサプライズに参加しているとは夢にも思わなかったらしく、とても驚いていた。


 ものすごく嬉しそうな直の笑顔のほんの隅っこに、かすかに光る涙を私は見た気がした。


「みんな、ありがとう」


 直が小さな声で言った。


 ☆   ☆   ☆


 部屋の飾りが完全にハロウィーン仕様の不思議なバースデーパーティーは、ハルが用意してくれていたボードゲームやカードゲームのおかげで、最初から最後まで大盛りあがりだった。


 本人が恥ずかしがるのをよそに、ケーキに十七本ロウソクを立て、火をつけて、ハッピーバースデーの歌を歌った。ロウソクの火は一息で消えて、部屋中に拍手が響き渡った。


 私の予想通り、大きなホールケーキのほぼ半分はハルの胃袋の中に収まり、拓さんと直を心底驚かせていた。


 五年ほど前に初めて見た直は捨てられた子猫のように見えたのに、こんなにも大切にしてくれる家族がいるんだね。本当に今日ここに来れてよかった。


 あのとき直が公園で声をかけてくれなければ、今も私たちは、ファミリア・ストレンジャーのまま、公園ですれ違うたびに、お互いのことをただ想像に任せて見つめていたのかもしれない。


 そう思うと、ここでこうしてパーティーを開いて、一緒に思いっきり笑っていることが、私には奇跡に思えた。


 ☆   ☆   ☆



 



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