7.2 78〜83ページ目 親と子

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 一月二十日と二十一日


 LIFE:


 親は選べない。


 よく聞く言葉だ。だけど私は、選べないにしては良い親に当たったと思う。二人とも働き者で、三人の子どものことをできる限り平等に大切にしていると思う。上から目線だったら、ごめんなさい。


 でも——私がこんなことを書くのはどうかと思うけれど——二人とも、もっと自分勝手でいいんじゃないかと思うことがある。お母さんとお父さんが同時に体調を崩して寝込んだ夜に、私は改めてそう思った。


 ☆   ☆   ☆


 その夜は空は学校の活動で、県外で開催されるディベートの全国大会に出席するために、会場近くのホテルに止まっていた。お姉ちゃんは、新婚旅行としてはかなり珍しいと思うけど、冬の北海道にキャンプに行っていた。


 私はいつも通り、夜の八時ごろに目覚めると、一階のリビングに下りていった。けれど、家中の電気が消えていて、リリがちょこちょこと私に向かって走ってくるだけだった。


「リリ、お母さんとお父さん、まだ帰ってきてない?」


 リリに話しかけながら、部屋の電気をつけた。何かあればテーブルの上にメモがあるはずだけれど、何も伝言がない。携帯を見ると、お母さんから、一時間前に『ちょっと帰りが遅くなるから、待たずにご飯を食べておいて』とメッセージが届いていた。


 一時間前……。なんだか胸騒ぎがして、玄関に向かう。靴を履いて外に出ると、首を伸ばして家の左側にあるガレージを覗いた。車は止まっていない。


 家の中に戻って、お母さんに『今どこ?』とメッセージを送った。お母さんのことが妙に心配になったけれど、すごくお腹が空いていたので、メッセージの返事を待っている間にご飯を食べることにした。冷蔵庫を開けると、いつもは何か作り置きしてあるのに、珍しく何も入っていなかったので、パスタを作ることにした。


 パスタを作りながら、お父さんとお母さんに電話をかけた。二人とも出なくて留守電になってしまった。車の運転中なのかもしれない。パスタを食べながら、二人の帰りを待った。気持ちが落ち着かないので、何かに集中したくて、リビングのソファーに座ってノートにLIFEを書くことにした。


 私、二人がいなかったら、どうやって生きていくんだろう。病院からは去年からずっと入院することを勧められていた。今はまだ、一日一回のご飯と栄養剤でなんとか生きていられるけれど、日用品や食品を用意しておいてくれるのは二人で、私は自分では自立した生活は送れない。そんなことをぼーっと考えていると、三十分ほどだろうか、そのままうたた寝をしていた。


 目覚めると九時を過ぎていた。もう一度、車が戻ってきていないかガレージに確認に行った。すると、玄関の灯に照らされた車の中で、お父さんとお母さんがぐったりしているのが見えた。


 私は、万が一のことを想像してしまって頭が真っ白になった。二人が、車内で自殺してしまったのかと思ってしまった。二人はいつも明るいけれど、無理に明るくしていないかずっと心配していた。急いで車に向かいドアを勢いよく開けると、お父さんが反応した。


「あぁ、沙樹」


 お父さんの声が弱々しい。顔色も青ざめていて、意識が朦朧もうろうとしているようだ。


「二人とも、大丈夫? どうしたの?」

「お母さんの具合が悪くなって、会社まで迎えにいったんだけど、お父さんも気分が悪くなってしまって。お父さんも疲れてたのかな」


 お母さんは後部座席で横になっている。


「救急車、呼んだほうがいい?」

「いいや、もう病院に行ったんだ。二人とも診察してもらった。過労だって。点滴してもらったから、休んだらすぐ良くなるよ。お母さんを家の中に連れていくのを手伝ってくれないか?」


 お父さんが、よろける足で立ち上がった。


 私は気が遠くなっていくのを——動けなくなりそうになるのを感じた。どうしよう、お姉ちゃんも空も誰も近くにいない。


「ちょっと待ってて!」


 急いで自分の部屋に戻ると、宝箱からプレミアチケットを出して使った。ガレージに戻って、お母さんを抱えるお父さんを支えた。お父さんと二人でお母さんをリビングのソファーに寝かせると、奥のコタツコーナーにお父さんが倒れ込んだので、布団を持ってきて、コタツの隣に敷いた。


 水をコップに入れて持っていく。二人とも水分だけはとってくれたけど、げっそりした表情のまま、あっという間に眠りだした。二人の寝顔を見ていると、二人がどれだけ必死に私を守ってきてくれたのか、痛いほどに伝わってきた。


 私が、お母さんが寝ているソファーの向かいにあるソファーに座って頭を抱えていると、携帯の着信音が鳴った。直からの電話だった。


「沙樹、もう寝るところ?」


 直の落ち着いた声が聞こえる。


「ううん。お母さんとお父さんの具合が悪いの? 過労だって」

「沙樹は大丈夫? 誰か他に家にいるの?」


 直の声を聞いたら泣きそうになったけれど、なんとか涙は堪えた。


「今日は私しかいない。でも、プレミアチケット使ったから、大丈夫」

「今から行く」


 有無を言わせない口調だった。十五分ほどすると、直は自転車でやって来た。ドアを開けると、吐く息が白く、雪がちらついていた。直は手にコンビニの袋を提げている。


「飲み物と夜食になりそうなものだけ、適当に買ってきたけど、他にも必要なものがあったら、また買いに行くから」

「ありがとう」


 迷惑をかけたくはなかったけど、一人では心細かったので、直が来てくれて正直ホッとしていた。


 お父さんとお母さんは、眠っているので、リビングの照明をできるだけ眩しくないように落とした。二人は、時々寝返りを取ったり、うなされているような声を出している。直は、二人の様子を確認すると、「二人の具合が良くなるまで、ここにいるから」と言ってくれた。


 その夜は、雪が降ってきただけあって、椅子に座っていると足元が冷えてきたので、私と直はリビングの大きなソファーにお互いの足を向けて座った。ブランケットを掛けると、だいぶ暖かくなった。


 私は時々ソファーの反対側にある直の顔を見ながら、ノートにLIFEの続きを書いた。直はリビングの本棚から、お父さんの趣味の世界遺産の写真集を持ってきて、ペラペラとめくりながら、気になるページを読んでいるようだ。


「直、寒くない?」

「うん。大丈夫。あったかいよ」


 しばらくして、世界遺産の写真集を閉じると、直がその表紙を私に見せながら問いかけてきた。


「沙樹は、どこか行きたいところとかある?」

「うん。箱根」


 私は即答した。


「結構近いね。それに、具体的だ」

「うん、前から考えてたから。でも家族旅行じゃなくて、ハルと一緒に行きたいんだ」

「なんで?」

「家族旅行だと、守られてる気がするからかな」

「冒険がしたいの?」

「冒険ってほどじゃないけど、ただ、自分が思うままにフラフラと旅行したいだけかな。あと、船に乗って、温泉があるところがよかった」

「そっか」

「お正月はゆっくりできた?」

「俺、拓にいと正月にスノボしに行った。でも、拓にいは温泉にばっかり入ってたよ」

「なんか、拓さんらしい気がする。いいな」


 拓さんは、年齢の割に落ち着いて見える人だから、二人の旅行の様子を想像すると、なんだかとても自然に思えた。


「うん、楽しかった」


 夜中の十二時を過ぎても、直は時々考え込むような表情をしては、新しい本を持ってきて、ペラペラめくっている。


「直、眠くなったら、寝てね」

「うん。ありがとう。でも大丈夫。今夜ここに来れてよかった」

「……」

「実は昼間、お母さんのことで病院に行ったんだ……」


 動物園で、直が母親のことを『とても弱い人』だと言っていたけれど、直の母親は、精神的に病むと、子育てができなくなってしまう人のようで、直が小学六年の時に、食事なども用意できない状態になったそうだ。


 今はコミュニケーションを取ることも難しい状態で、回復の兆しがなく、出口がない状態に直は悩んでいた。「このまま、お母さんは戻ってこないかもしれない」と言った直が、その直後にポツリとこぼした言葉が、私の胸に刺さった。


「俺がもっと強かったら……」


 これほど誰かに触れたいと思ったことはなかった。支えになりたかった。でも、私はその気持ちを伝えることも、隣に行って抱きしめることもできなくて、ただここに、その気持ちを書き残すことしかできない。


 親に何かあると子どもは責任を感じると、聞いたことがある。

 自分がもっといい子だったら、自分がもっと頑張っていれば、自分がもっと、もっと、もっと……。


 子どもは親を選べない。

 でも、親も子どもを選べない。


 二人が過労で倒れたのは、私だけが原因じゃないかもしれない。けれど、私がもっと強かったら、お母さんやお父さんはもっと自分のことを大切にして、自由に生きられただろう。


 親は子の責任をどこまで取るべきなんだろう。


 私はいつもやりたいことをしてきた。

 二人の深い愛情に、私はずっと甘えてきたんだ。


 ☆   ☆   ☆


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