第三章

第19話 出会いはふとした瞬間に

 妹を預かってから三日目の朝になった。相変わらず親父からの連絡は来ない。


 親父は一体何をしているのだろう。まさか忘れているなんてことは無いよな?

 俺としてもいい加減自分のベッドで眠りにつきたいのだが。


 この生活は一体いつまで続くのだろう。


 時刻は午前七時半頃。あれから一夜が経っても妹のご機嫌は未だにナナメのままだった。


「今日は一人で行くから」

「お、おう。何か悪いな」

「べつに。お兄ちゃんが謝ることはないよ。何もね」

「そ、そうか? 何か悪いな」


 朝食を終えると会話もそこそこに妹はさっさと身支度を整えて家を出た。


「いってきます」

「あ、ああ。気をつけてな」


 気まずい。昨日の夜にあんなことがあった後だから、妹にどう接していいか分からない。


 お互いに酒の勢いがあったとはいえ……あれはどう考えても行き過ぎた行為だった。


 どちらが悪いとかそういうのじゃなくて。もっと良いやり方というか正しい方法があったはずだ。


 それに、恋人でもない相手にあんなことをするとか……俺は兄失格どころか人間失格のクズ野朗じゃないのか?


 こんな賢者タイムよりも重い罪悪感を味わったのは初めてだ。


 どうしよう。露骨な機嫌取りは萎えるって言っていたし。謝るにしてもどう謝ったらいいか分からない。


 いっそ小虎に相談するか? いやいや、その選択肢はありえないだろ。クズにクズ重ねて最終的に軽蔑されるのがオチだろ。


 いや、黙って隠しておくのもそれはそれでクズだし。正直に話す方がまだマシじゃないのか?


 分かんねえ。誰か助けてくれ。


 そんな悩みを頭の中でグルグルとぶん回してバイクを運転していると、気が付けば俺は学校の敷地の近くにある駐輪場にまで移動していた。


 その後も変なことを考えて歩いていたせいか路上のど真ん中で上を見上げて歩いている女性と身体が接触してしまった。


「あっ、すいませ……っ!?」


 ぶつかった相手の容姿が目に入ると俺の中で既視感に似たある種の直感が生まれた。


 宝石の様な翡翠色の瞳、胡桃色の淡い茶髪、色白の肌、メリハリのあるモデルみたいな体型、およそ日本人には見えないその容姿。


 この人、どこかで会ったことがあるような?


「Verzeihung(すみません)……」


 ぶつかった相手の女性はそう言って俺に謝罪した。


 どうして相手の言っている事が分かったのかというと、それは俺が少しだけドイツ語を知っているからだ。


 相手の言っている事が分かった俺は「Macht nichts(気にしないで)」と返した。


「……Sprichst du Deutsch?(君はドイツ語を話せますか?)」

「Ich kann ein bisschen Deutsch(少しだけならドイツ語を話せます)」


 俺がドイツ語を少しだけ話せる事を伝えるとドイツ人らしき女性は困り顔でこう言った。


「Ich habe mich verirrt……(道に迷ったんです)」


 どうやら彼女は道に迷ったらしい。


「Kann ich Ihnen helfen?(何か手伝いましょうか?)」


 そう言ってはみたが、困ったな。俺は細かい道案内ができるほどドイツ語に詳しくないし上手く話せる自信がないんだが。


 今から妹に電話して通訳してもらうか? いや、それは何か格好がつかない。ここは自力で乗り切るしかない。


「Können Sie mir zeigen, wo das auf der Karte ist? (どこなのか地図で示してもらえますか?)」


 そう言って彼女は自分のスマホを取り出して地図アプリの画面を俺に見せた。


 俺は現在地の場所を指で示した。すると彼女は「ここに行きたいと」指で目的地を示した。


 見た感じすぐ近くにある様な……あれ、ここってうちの専門学校の場所じゃないか?


「Ist das ok?(大丈夫ですか?)」


 不安な顔で俺の顔を覗き込むその仕草に不覚にも心臓がドキリと飛び跳ねた。


「ok. Ich begleite Sie ein Stück(大丈夫、そこまで一緒に行きましょう」


 説明するのが面倒だった俺は彼女についてくる様にお願いした。


「Danke schön! (ありがとうございます!)」


 安心した様子の彼女はパッと明るい笑顔を見せた。


 その顔を見るとやはり誰かに似ていると思ってしまう。


 そう、例えば妹があと四、五年くらい歳を重ねるとちょうどこんな感じの美人になるんじゃないだろうかなんて思ってみたり……。


 いや、まさかな。


「…………?」


 俺が彼女の顔をまじまじと凝視しているのを疑問に思ったのかドイツ人らしき彼女は不思議そうに小首を傾げた。


「Was ist denn los?(どうしたの?)」

「Deine Augen sind sehr schön(君の瞳が綺麗だなと思って)」

「…………!?」


 彼女の驚く顔を見てハッと気付いた。やっべ、初対面の相手に口説き文句を言ってどうすんだ。

 アホか俺、知ってる単語を何でも言えばいいってもんじゃねーぞ!?


「…………」


 案の定というか赤面して黙り込む彼女はモジモジとしながら俺の後をついて来た。


 気まずっ。早く案内して逃げよう。


 学校の校舎の前についた俺は「ここだよ」と彼女に伝えた。


 この場から消え去りたいと思っていたのはどうやら俺だけじゃなかったらしく彼女も足早に学校の中に入って行った。


 クルリと振り返り彼女は言う。


「君、案内してくれてありがと。でもね、初対面の相手をいきなり口説くのはちょっと感心しないかな」


 それはそれは流暢りゅうちょうな日本語を彼女は喋った。


「あれ? もしかして君もここの学生なの?」

「え、ええ。まぁ」

「そっか。また会った時はよろしくね。君のドイツ語は中々ネイティブだったよ」

「あ、どうも」

「じゃあバイバイ。次会った時は名前教えてね」


 教室のある校舎とは違うフロアへ向かう彼女の背中を見送って俺は思わず。


「……いや、日本語めっちゃ喋れるやないかい」


 そう一言だけ心からのツッコミを呟いた。

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