第2話 私の仕事

日比谷さんが病室を出てから、私と滝川さんは二人きりになった。とはいえ、この病室は共同だからあと三人は入院しているから正確には二人きりではないけれど、周りが静かなせいで余計に緊張する。


外の木の葉が揺れて強い風で舞い上がっていく砂は学校の校庭を思い出させた。大きな時計は置かれていなくて、ベッドの脇にある小さな棚の上に四角い水色の電波時計が着々と時間を進めていた。


春になったばかりであれど花粉が鼻をくすぐって痒い。晴れ晴れとしている空に乾燥した空気が桜の花が咲くのを待っている。足首を歩く風が冷たくて肌寒かった。


「あの、僕の小説が気になっているって聞いたんですけど…。」

と、滝川さんが沈黙に耐え兼ねて口を開いた。


「えと、日比谷さんが小説を書いてるって教えてくれて。それで、その、どんな小説を書いてるんですか。…あ。」

滝川さんに質問されて咄嗟に頭に浮かんだことを答えたが、日比谷さんにも教えていないという小説の内容を初対面で聞いてしまった。変な質問をしてしまい、気まづくなるかと思って焦って何か理由を付けて立ち去ろうとした矢先、滝川さんがまた話し出した。


「どんな、か。そうですね、日記と手紙が合わさった感じです。僕もこんな小説を書くのは初めてで、なんて説明したらいいか分からないです。あ、でも見せたりはしないですよ、恥ずかしいですし。」

と言うと、開きっぱなしだったノートパソコンをパタリと閉じた。


「それより鈴木さんの話が聞きたいです。僕も少しは小説の内容教えたんだから鈴木さんも何か教えてください。怪我をする前はどんな仕事してたんですか?」

半ば強引に話を変えながら興味津々に前のめりで聞いてきた。


「私は、怪我をする前は会社で働らいていました。色んな経験が出来てすごく楽しかったですよ。やっぱり社会に出るのって大変でした。」

当たり障りなく苦笑いで答えた。人に嘘を付くと心臓をぐりぐりと握り潰されるような感覚になって苦しい。そんな私を他所に容赦なく滝川さんは質問を加えてきた。


「どんなですか。気になります。」

滝川さんの持っているボールペンの先がメモ帳に文字を書くのをまだかまだかと高揚していた。けれど、昔から友達が少なく嘘をつき慣れていないから息を吸うごとに肺に言葉が詰まって更に表情を曇らせた私はなるべく穏便に気まづくならないようにと俯いて少し高めの声で笑った。


「それが…人に言えるような仕事ではなくて。」

漠然としつつもその答えから何かを悟ったのか、滝川さんはじっと見つめて様子を伺いそれ以上仕事について聞いてくることはなかった。


私の仕事は、人に言えるような仕事ではない。

なぜなら、私は人に紛れた死神だから。

私の仕事、それは、「人の寿命の終わりを決める仕事」。つまり、「人を殺す仕事」。


そして私は、今年中に滝川さんの寿命の終わりを決めなければならない。


滝川さんはきっと自分の終わりが近いことを知っている。小説として書いているものは遺書だ。なぜ遺書か分かるのかというと、数年前に終わりを告げた人にどこか似ていたからだ。


数年前に私に終わりを告げられた老人は言っていた。「自分の限界がふと見えてくるときがあって、それからというものやけに涙脆くなった」と。そして、ふと終わりを感じることが多くなるにつれて家族のことや今までのことを振り返るようになったらしい。その老人は何かを成し遂げたかったことよりも心配事で頭がいっぱいになったそうだ。


だから時間がある度に少しずつ、心配事と対処法を書き連ねてノートブックを埋めていたのだそうだ。


最後の1ページまで書き終えたとき、老人はため息一つつかずに私に言った。


「思い残すことはもう無い」と。


「本当に無いのか」聞き返したがぶれることはなく、そのまま終わりを告げることになった。


その人のお葬式には老若男女の長蛇の列が出来たそうだ。皆、ハンカチを濡らし、思い思いに悲しみにふけりながら帰っていく背中は老人が沢山の人に愛されていたことを語っていた。


滝川さんがパソコンのキーボードを打っている時の姿は心配事を書きとめているときの老人の姿を写し取るようにそっくりだったのだ。悲しみにくれながらもどこか前を向いている。


滝川さんの袖口の内側は口を噤むように密かに涙で濡れていた。


窓の外に見える木々の先にうっすらと覗く水平線は悲しく月の満ち欠けを映しては眼鏡のレンズに水滴を隠れるように零すのだった。



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