第33話 追い返すうた
魔獣の説得。一見馬鹿げた試みに聞こえるだろう。現に目の前の門番はありえないというふうに頭を振っている。
「お、お言葉ですがネスト様。そのようなことが可能なのですか?」
「魔獣にも俺たちと同じように意思があり、コミュケーションが取れることは確認済みだ。だから言葉での説得も可能だと考えている」
「なるほど……わかりました。して……我々は何をすればよろしいですか?」
「門番は全員ここにいるドルカとキールと共にトルバトルの護衛だ」
話によると俺は魔獣へ魔法詩での説得を試みる際に周囲を護衛で固められるらしい。考えてみれば魔獣の集団を前にし丸腰で、それも一人でいるわけにはいかない。そんなことをすれば俺は魔獣の夜ご飯になってしまう。
門番はネスト様から聞いた話を他の門番達に伝えるために村の方へと駆けて行った。ネスト様はそれをみるとパチンと手を叩いた。
「トルバトル、詩の準備はできてるかい?」
「はい、バッチリです……通じるかどうかは置いておいて……」
「もし魔獣が説得に応じない場合、一旦俺が全ての魔獣を魔法で眠らせる。そこで第二手を考える。だから君は心配せずに歌ってくれ」
「仮に襲われてもボクがキールよりも多く魔獣を倒してやるから安心しろ」
「いや、私がドルカはよりも多く魔獣を倒し、トルバトルを守って見せよう」
キールとドルカはは再び睨み合った。その目つきと言ったら裏路地に蔓延る悪い輩の如くだ。二人は本当に和解しているのだろうか。ネスト様の前で堂々と睨み合うとか俺にはできない芸当だ。キールもドルカも単体でいれば親しみやすい。キールは真面目だし、ドルカは喧しいところこそあるが、仕事に積極的だ。なのに二人揃ってしまうと張り合いが始まるらしい。
「てな訳でトルバトルは安全だ。夜、よろしく頼むよ」
ネスト様は何を以って安全だと言っているのか不安だった。しかし俺にできることは「はい」と返事をすること以外にないのである。
夜、村の東端には多くの村民と門番が集まっていた。門番たちは俺とネスト様を囲むように等間隔で並んでいる。最前線にはキールが剣を、ドルカがナイフを構えている。臨戦隊形だ。
夜のひんやりとした空気が流れる。静かな時間だった。
しかし事は突然起こる。突如バサバサと洗濯物を叩くような音を立ててカラスが木から何十匹という単位で飛び去ったのである。眼前の森の中で何かが起こっているのは確実だ。闇の中に何か蠢いているのが見えた。その何かは確実に形を見せてくる。四つ足で地面を踏みしめるもの、腕ををだらりと地面に引きずるもの、さまざまな魔獣が目をぎらつかせてやって来た。
「来た……魔獣の群れだ」
魔獣たちは牙を剥き、口から涎を垂らしながらじわじわとこちらへと近づいて来ている。それを見た門番たちが一斉に槍を構えた。キールとドルカも同じように各々の武器を構えるがネスト様がそれを止めた。
「キール、ドルカ。君たちの出番はまだだ」
「そうだ……俺が魔獣の群れを止めるんだ」
俺は魔獣の群れから十数メートルのところまで歩いた。正直怖くてたまらない。魔獣の身体能力ならばこんな距離ひとっ飛びであろう。つまりは俺は彼らの牙と爪の射程圏内に入り込んだのだ。無論ドルカ、キール、ネスト様が近くにいるとはいえ怖いものは怖い。
しかしここで魔獣の侵攻を止めなければネスト様の領地が侵されてしまう。俺は息を大きく吸った。
「魔獣の皆さん、こんばんは……竜巻の詩人トルバトルと申します!」
師匠からもらった羽根つきの帽子とネスト様からもらった銀のチョーカーを身につけて俺は彼らに挨拶した。突然大声を出したからだろうか。魔獣の群れはぴたりとその足を止めた。
これはチャンスだ。ここで平和や争いを止めるような詩を歌えば彼らは引き返してくれるに違いない。
「ここに歌わせていただきますは……平和の詩でございます」
俺はペコリと一礼する。今回の歌唱にはベルアさんがいない。それにキールにも楽器の演奏をお願いしていない。これには理由がある。魔獣は言葉というコミュケーションツールこそ持っているが、音楽というものを知っている可能性は低い。だから俺は言葉のみで勝負するのだ。
俺は闇夜に声を響かせる準備をした。師匠に比べればまだまだであるが、最近は前より美しい声を出せるようになってきた気がする。その証拠に部屋で練習していても隣の部屋のカナメから文句が来なくなっているのだ。
「花の芳香 鼻をつく
豊穣示す その香に
鉄の匂いは 消え失せん
流るる赤は 華の色
流るる青は 水の色
血や涙では ありはせぬ
深き静寂 好むなら
その爪しまい 牙をしまい
まどろむ平穏 沈みこむ」
簡単な七五調の詩である。しかしチョーカーの力によって声量も声質も格段にアップする。チョーカーの力頼りではあるが、俺の気持ちは本物だ。魔獣に牙や爪を収めてほしい。だから歌う。
俺の声に合わせてチョーカーからは金色の帯のような光が溢れていた。それは川のように魔獣たちの方へと流れていく。この光の筋一本一本には俺の意思が込められている。より詩のメッセージ性を高めることができるのだ。
「絆の鎖は いつ結ぶ
絆の鎖は いつ切れる
答えて見せる 今ここに
絆の鎖は 血にて切れん
涙の水で 錆びるだろう
ならば歌えよ 安寧を
恐怖戦慄 閉じ込めて
鍵をかけて 埋めんとせん
安寧彩る 赤や青
描く表情 ただ一つ
安寧の地 いざ帰らん」
いつまにか俺の詩を聞き入っていた魔獣たち。彼らはもう爪や牙をギラつかせてはいなかった。膝を降り、地面に腹をつけたり尻をつけて俺の詩を聞いていた。
魔獣の侵攻を止めるための説得はうまくいったのかはわからない。しかしとりあえずのところ彼らの足を止めることができた。あとは結果がどう出るかだ。すなわち魔獣が詩を聞いてなおこちらへと向かってくるか、引き返すか、だ。
俺は固唾を飲んで見守った。ネスト様もキールもドルカもじっと石のように動かない。魔獣と俺たちの間に静寂のみが流れる。
しばらくすると魔獣の群れの先頭にいたスカーレッドウルフが徐に立ち上がった。そして俺の方を円らな瞳で見つめるとぐるりと向きを変えた。さらに尻尾を振りながら来た方向へと戻っていったのだ。
一体の魔獣が動いたらそこからは早かった。次々に魔獣は俺たちにお尻を見せて引き返していったのだ。最後の一体が引き返すまで誰も何も言わなかった。しかしその魔獣が見えなくなると歓声がドッと上がった。
「やったぞ!魔獣たちは引き返した!」
「この村は救われた!」
門番たちは槍をその場に投げ捨てて互いに抱き合った。俺はそれをみてやっと実感が湧いて来た。俺は成し遂げることができたのだと。そう思うと不思議と足に力が入らなくなった。足がふにゃふにゃの麺でになったみたいに俺はその場にへたり込んだ。
「や……やった……はは……」
思わず笑みが溢れる。それもそうだ。さっきまで魔獣の攻撃範囲内で詩を歌うという極限状態だったのだから。
「トルバトル」
「ネスト様……」
ネスト様が近づいて来たが俺はまだ足に力が入らず、立ち上がれない。足はプルプルと小刻みに震えている。どうやら緊張もあったが俺は魔獣に内心ビビりまくっていたらしい。
「怖い思いをさせてすまない」
「い、いえ。ネスト様のお役に立てたのなら光栄です」
ネスト様は膝をついた。俺はギョッとした。領主ともあろう者が地に膝をつけて服を汚してしまうなんて良いのだろうか。しかしネスト様はそんなことは気にしていないようだった。
「ありがとうトルバトル」
そういう時ネスト様は俺の体を引っ張り上げる。思いの外ネスト様は力が強いようだ。そして俺は抵抗するまもなくネスト様に背負われた。俺は彼の背中でバタバタと暴れた。ネスト様に背負われるなど失礼に極まりない気がする。
「ね、ネスト様!下ろしてください!貴方は領主様ですよ!」
「今はそんなことは気にしないのさ。俺は頑張った詩人を労う一人の男だ」
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