9/2-B

第14話 記憶は継続……あと、同棲も

 広大は目を覚ます。

 寝た、という言葉から想像出来る満足感や充足感。

 そういった感触は無い。

(この世界は……?)

 目を開く。知った天井だ。

 「昨日」仕掛けた試みは成功……いや、これが成功なのかどうか。

 だが前進には違いないだろう。恐らく。

 次にやるべき事は「一昨日」との接続だ。

 広大は頭を振る。

 そんな広大の視界にベッド脇の風景が入ってきた。

 その場に多歌はいない。だが、畳まれた布団がある。

 バッグがある、見慣れないスポーツバッグがある

「なんで起きてるの? こっそり用意しておきたかったのに」

 ……そして、理不尽な多歌がいる。

 台所にいるようだ。ショートパンツはそのままだったが、斜めに英文字がプリントされたTシャツを着ていた。

 サイズ的に「羽織っていた」と言った方が近いかも知れない。

 つまりはダボダボだ。

 台所で何かをしてる……そこまで思い至って、広大はようやく枕元のスマホを掴んだ。


 07:27

 9/2


 やはり「九月二日」ではあるらしい。

「ね、トースターは?」

「ない」

 反射的に答えて、それが正解だったのか広大は迷う。

 そして多歌は迷う暇を与えてはくれなかった。

「じゃあ、パンどうするの? マーガリンあったから……」

「レンジ、グリル」

「“を”とか“が”とか!」

助詞ジョシな」

「女の子が何なの?」

「……レンジにグリルがあるだろ。それで――」

「それはわかった。何枚? で、女の子がどうかしたの?」

「二枚。買い置きは無かったはずだけど」

「昨日買っておいたの。だから女子……」

「キ……ヒバリさんは果てしなく面倒くさいな。それで思い出した。まず歯を磨くから」

「連想の仕方にすごく文句があるけど――」

 多歌は宙に補助線を描く。

「――洗面台のコップにボクの歯ブラシ入れてあるからね」

「…………」

「ボクが完璧なベーコンエッグを焼いてみせる!」

 広大が隙を見せた途端、海賊王になりそうな迫力で、実に小さな目標を掲げる多歌。

「で、女の子がどうしたって言うのよ?」

 さらに目標が小さくなってしまった。

 これも理系の成せる技か。

 ――と投げ槍に諦めて、広大は洗面台へ向かった。


 自分の歯ブラシを口の突っ込んで、ルーチンワークでガシガシやっていくうちに、広大は記憶が繋がってきた。

 つまり「帰れなくなった」と多歌が言い出してからの展開だ。

 覚えていないはずは無いのだが、どうにもBはあやふやで、線画の記憶から、ゆっくりと色が滲み出すよう着色されてゆき……

 広大は歯ブラシを口の中に残したまま、親指をカクンと逆に曲げる。

 記憶の個々の検討はともかく、何が起こったかだけを頭の中で並べて行くなら――

 まず帰るはずの多歌が泊まると言いだしても、普通なら、そう簡単にはいかない。

 だが、帰り道の途中に――無論、広大の部屋までの帰り道だ――安さの殿堂を標榜する店があったのが運の尽き。

 いや幸い。

 概ねの物はここで揃ってしまう、という暴力的な品揃えで、本当に多歌は帰らなくても良くなってしまった。

 少なくとも物質的に満たされない、という展開にはならなかったわけである。

 四階建ての店舗を、セオリー通り上から攻める戦術を選択した多歌。

 歯ブラシから始まる生活雑貨、着替え各種、食料、と買い込んで、それらをこれまた購入したスポーツバッグに詰め込んで、一気呵成に一階に降りてくるまでわずか一時間。

 もちろんその間に、広大は改めて二瓶から質問を浴び続けたわけだが、


「乗りかかった船」


 と、繰り返すことしか出来なかったわけだ。

 むしろ、その言葉に縋り付くように。

 この時点で、広大は自己分析を済ませていた。

 例えば、二瓶から散々突っ込まれた「らしくない」について。

 広大も確かに自分らしくないとわかっていた。

 実際、多歌が、


「帰りたくない」


 と言っていれば、その場に多歌を捨てただろうという確信がある。

 しかし多歌は、


「帰れなくなった」


 と言ったのである。

 その言葉の意味を考え、そして素直に解釈すれば……まず広大はもう多歌を部屋に泊めている事。そしてその延長が始まっただけとも解釈出来るようになり――つまり「乗りかかった船」だ。

 もちろん「帰れなくなった」という言葉の選択も多歌の計算である可能性もある。

 しかし、わけのわからない事態に巻き込まれているという現状だ。

 多歌という“手掛かり”を手放すことは――それもまた自分らしくない。

 広大はそう判断せざるを得なかった。

 もちろん、それに伴う危険についても広大は出来るだけ想像してみる。

 その中には命の危険も含まれていたが――広大はさっさと考えるのをやめた。

 それに、このややこしい状況のままであることと、死と。

 どちらがマシなのか? と問われれば、それこそ答えが出ないのではないか? と広大は考えたわけだ。

 だがその結果として、多歌の跳梁を許してしまう現状が出来上がってしまっている。

 広大はコップから多歌の歯ブラシを抜いて水をため、口をゆすいだ。

 捨てる。

 スッキリする。

 こんな風に全てを流してスッキリすることが出来れば――そんな慣れた後悔に広大は浸った。


「おい」

「黄身が真ん中に無くちゃいけないって決まりはないのよ」

「なんで半熟なんだ?」

「それ? でも目玉焼きの黄身は半熟に決まってるでしょ」

「たった一秒も記憶が保たないのか?」

黄身キミの位置と在り方は、別の話でしょ」

 多歌の手が補助線を引く。

「これって何だか発音だけ捉えると、ちょっと洒落た歌詞みたいじゃない?」

 「助詞」と「女子」の違いは、テーブルで差し向かいになる前に解決済みだ。

 しかし、この二人の間に平和な時は訪れないらしい。

 二人の間には、ベーコンエッグが載ったトースト。牛乳。

 こんなものだろう。

 何なら「豪華」という評価まで望める。

 だが、広大はやはり不満げだ。

「僕は固ゆで卵ハードボイルドが良いんだよ」

「生き方の話? 歌詞の話?」

「そうじゃなくて……大ざっぱに言うと生き方の話だけど、つまり半熟だとこぼれる可能性があるだろ。で、服が汚れて手間が掛かる」

 「今日」も広大はジャージ姿だ。シャツは着替えているが……やはり記憶がおかしい部分がある。

 整合性を保つために勝手に記憶を補完しているような感覚。

固ゆで卵ハードボイルドでも……ああ、そうね。掃除は簡単かも」

「そうだな。こぼすこぼさないじゃなくて、掃除をしよう」

 考えればAでは掃除していなかったことを広大は思い出した。

 そして、こちらでもニュースチェックを怠るわけにはいかないと。

 しかしバイトが終わり、長すぎる夏休みに文句を言っていたはずなのに、さっぱり暇にならない。


 ――広大は、それに復讐するようにトーストにかぶりついた。

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