第12話

 ガレオンとその配下の騎士達には、それは見覚えのある狼だった。山中にてハリエッタ・クリムを連れ去って姿を消した。あの巨躯の狼だったのだ。

「ちょっと、どうして入ってきたりしたのよ……?」

 ハリエッタが問うたが、狼……人狼は彼女でもガレオンでもなく、何故か妹のエヴァンジェリンの姿をじっと無言のまま捉えていた。

 エヴァンジェリンもエヴァンジェリンで肝が座っているというべきか、大きな狼にじっと見つめられても、恐れるでも怯えるでもなく、視線をまっすぐに受け止めて不思議そうな表情のままじっと狼を見つめ返していたのだった。

 何を思っているのか両者がしばしじっとお互いを見入っているのを、周囲は固唾を飲んで見守っていた。その行為にどんないわくがあるものかと、誰もが成り行きをじっと見守っていたのだった。

 だがハリエッタは、何もせずにぼんやりしている時ではない、と意を決した。

 次の瞬間、彼女は腰の剣を抜き放ったかと思うと、コルドバ・ラガンの腕をつかんで力任せに手繰り寄せ、喉元に刃を突き付けたのだった。

「動かないで!」

 果たしてそれが懸命な判断だったかどうか――。

 コルドバにしてみれば息子による告発自体が晴天の霹靂、クリム家の人々の潔白を疑ってもいなかったから、彼らが荒事に巻き込まれるのを諌めなければ、という思いこそあれどまさか自分が切っ先を向けられるとは思ってもいなかった。

 ハリエッタは声が震えるのをどうにか抑えて、あくまでも毅然とした態度を装った。

「詐欺師呼ばわりも結構。私の方こそあなた達ラガン家の人々には大変失望しました。こんな屋敷に滞在するなど、頼まれずともこっちから丁重にお断りいたします」

 ハリエッタはそういうと、コルドバ・ラガンの襟首を乱暴に引きよせ、これ見よがしに刃を押し当てた。

 小声で、コルドバに告げる。

「私たちがここを無事出られるまでの辛抱です。悪いようにはしないから、しばしこの三文芝居に協力していただきたい」

 そしてガレオン達に向かっては、精一杯に虚勢をはるのだった。

「さあ、私たちを馬車まで案内しなさい。でないとこの人がどうなるか分かったものではないわよ!?」

 ハリエッタは決して自分を冷静に見せることには成功しているとは言い難かったかも知れないが、結果的にはどう出るか分からない危うい状況だとガレオンに思わせることには成功していたようだった。ガレオンは苦虫を噛み潰したような表情で、ハリエッタ達が部屋から出て行くのを黙認するしかなかった。

 まずは人狼が先導するように先に廊下に出て、娘に促されたグスタフがおぼつかない足取りで部屋を出て行く。エヴァンジェリンは冷静なもので、やれやれと小さくため息をついたかと思うと、ずらり包囲を固める兵士たちが見守るまさに目の前で、荷解きした身の回りの品を鞄にてきぱきと詰め直し、何食わぬ顔で父のあとに続くのだった。

 二人が廊下に出たのを確認すると、ハリエッタはコルドバを脅したまま、じりじりと後ずさって部屋をあとにした。

 もちろん、ガレオンも配下の兵も、一定の距離を保ったまま、警戒を崩さぬままにハリエッタ達を追う。人狼が一家の行く手を先回りして塞ぐ兵が現れるのを警戒して、一同の前方に立って先導する。グスタフは狼にはさすがに気安く近寄れなかったが、エヴァンジェリンはなぜか慣れた風に……まるで元から付き従えている手飼いの猟犬か何かと連れ立っているかのようにやけに堂々とした足取りで後に続いた。

 屋敷の外までたどりつくと、コルドバを盾にしたハリエッタに促されて、屋敷の使用人たちが馬車に馬をつなぐ。体調を崩しているのもあったとはいえ思わぬ荒事に動転したままのグスタフは終始蒼白な表情で、対するエヴァンジェリンはけろっとした表情のまま、落ち着いた足取りで馬車に乗り込む。

 コルドバを解放し、ハリエッタは自分が御者台に乗って自ら馬を走らせた。乱暴に駆けていく馬車は正門を潜って、けたたましく夜闇の中を走っていく。

 ガレオンらもそれを黙って見送るわけにも行かなかったが、狼が正門の前に一匹残ったまま、しばし彼らの前に立ちはだかって、馬車の影が彼方に消え行くまでじっと人間たちと向き合っていたのだった。その狼が頃合いを見計らって踵を返して一目散にかけていくと、ガレオンは慌てて追撃の号令をかけたのだった。

 そのガレオンに、憤怒の表情のコルドバが詰め寄る。

「息子よ、そなた自分が何をしでかしたか、わかっておるのだろうな!?」

「無論です、父上。私なりに考えがあっての事です」

 お任せ下さい、と大見得を切るガレオンだったが、父の怒りは解けなかった。ガレオンもまた、それを気にした風でもなく、整然と配下の者を従えて、馬車の後を追っていくのだった。



(第4節につづく)

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