8. 前夜

 山中の道なき道を、月明りだけを頼りに馬を駆る。

 熟練の騎手でもスピードが落ちるはずなのに、フェイラエールの乗った馬は二人乗りにも関わらず、ほとんどスピードが落ちない。

 卓越した技量のなせる技だ。


「寒くないか? エル?」

「だ、大丈夫よ」

「慣れないと疲れる。もたれかかった方がいい」

「あ、ありがとう」


 初夏とは言っても夜は冷える──はずなのだが、背中の後ろが熱くて、フェイラエールは寒さを全く感じなかった。

 ついでに言うと、たびたび頭の上から降ってくる気づかいの声も、以前名乗った愛称で呼ばれるのも、何だか、くすぐったくて温かい。


「必要以上に姫に触れるな」

「馬上の疲れを最低限にするためには、体を預けた方がいいのは常識だろう。というか、女騎士、お前は恋人ではなかったのだろう? いちいちうるさいぞ」

「貴様っ!!」

「シ、シリル。私は大丈夫。今は必要なことだから。馬の扱いは彼らの方が秀でているわ。彼らのやり方に合わせましょう」

「……姫がそうおっしゃるのなら」


 フェイラエールを同乗させて馬を駆っているのは、騎馬の民の英雄タキス=トゥーセだ。

 彼は、舞踏会の最後、フェイラエールにこの言葉を唇の動きだけで告げてきた。


『騎馬の民は、恩義に報いる』


 こんなに早く報いてもらうつもりはなかったのだが、この逃亡劇に、土地勘と騎馬の扱いに秀でた彼らの協力が得られたのは、非常に大きかった。


 フェイラエールが何かあった場合の行先にと以前から決めていたのは、東にある自由都市ザロワテだ。

 その名の通り古くから自治権を有する都市で、皇国に併合された現在も、多額の税と引き換えに自治権を維持している。

 また、今も昔も変わらず交易が盛んなため、人の出入りのチェックが甘く、潜伏先にはうってつけだった。


 そして、ザロワテに通じる東の一帯は、十年前まで騎馬の民の支配地域だったのである。


 複数の騎馬の民が、皇女の逃亡時に同時に消えたら疑われかねないことを心配したが、彼らは、皇帝暗殺計画の後の逃亡計画を周到に準備していた。

 王都では、タキスの影武者を立てたり、密かに皇都に入っていた者とすり替わったりして、誰も欠けていないという状況を作り出しているという。

 そして、必要なくなった皇帝暗殺後の逃亡ルートを、図らずもフェイラエールの逃亡のために使うことになったのである。




 出発して数日がたった。

 体力のないフェイラエールに合わせ、休みの頻度が高く設定されているため、自然に騎馬の民の同行者と顔を会わせることも増える。


 タキスは、同行する五名には、皇帝暗殺計画を見抜いたのがフェイラエールであり、恩があることを告げていた。

 けれど、それを信じるのは難しいらしく、彼らは、タキスがフェイラエールを気づかうのを遠巻きに眺めている。


(愚かな皇女としてふるまっていたから仕方ないわ。それよりも……)


 逆に、計画を失敗させられたと恨みと、皇国への怒りををぶつける者もいる。

 タキスの副官のケレ=テルバだ。

 この先のルートを確認しているタキスやシリルたちから少し離れて、木陰に移動しようとしているところで、付近の見回りから戻って来た彼と正面から出くわしてしまった。


「世話をかけるわ、あり……」

「我らの計画をつぶした敵国の皇女に、そのようなことは言われたくない」


一応お礼を言おうとしたが、ありがとうと言う前に遮られてしまった。

 フェイラエールは目を伏せる。

 彼の背景をタキスに聞いていたからだ。


「お前は分かっているのか? お前が計画をつぶせと命じたため、皇帝の悪逆非道な行いで多くの者が死に続け、お前が皇女としての務めを果たさず逃げ出したために、その罰を受けて死ぬ者がいることを」


 ケレの父母は、十年前の皇帝アテルオンの東部遠征で命を落としていた。

 騎馬の民の機動力を生かしたゲリラ戦術に手を焼いた皇帝は、騎馬の民の居住地を襲い、女子供を人質に取って、勝利を得たという。

 皇帝の暗殺計画は、このケレの考案した作戦だったということも途中タキスに聞いていた。

 彼の気持ちはよくわかる。


「そうね。多くの者が死ぬわね」


 皇帝はこれからも残虐な恐怖に任せた支配を続け、多くが犠牲になるだろうし、フェイラエールを逃がした者は、文字通り首を切られるだろう。


 彼らに見える事実は、それが全てだ。


「貴様は責任を感じないのか!」

「己の周りの矮小わいしょうな場しか見えていない者が、姫に道理を語るな」

「シリル」


 割り込んだ声に、フェイラエールは、ほっと息をつく。

 ケレはシリルとにらみ合ったが、仲間の呼ぶ声を受け、それ以上口論することもなく去っていった。

 フェイラエールは、シリルの腕をとると、ぎゅっと頭と体を寄せた。

 シリルは、フェイラエールの体を支えるように背中と頭をなでてくれる。


「だめね、私。人の悪意には慣れたと思っていたけれど、直接向けられたことはなかったんだわ。今まで全部シリルが守ってくれてたのね。そんなことにも気づかなかったなんて」


 シリルは、フェイラエールの背中をなでながら、安心させるように続ける。


「姫はおっしゃってもよいのです。姫の行動には、道理があったのだと。あのまま西の塔にいたら、旧貴族が反乱を起こしたでしょう。皇国を二分する戦争になったかもしれません」

「そうね。だから、私は、戦乱で人を殺すよりも、私を逃がした人を殺すことを選んだ。大を取って小を捨てたわ。後悔はしていない。でも、私は、私がもたらした彼らの死の責任を負うべきだわ」

「姫、それは違います」

「違わないわ。私の選択が、彼らを殺すのだから」

「いいえ、姫、違うのです。姫は、これから何が起こるか分かっていらっしゃいますが、一つだけ思い違いをしていらっしゃいます」

「思い違い?」

「彼らの思いです。彼らは、罰を受けることをわかっていながら、進んで協力を申し出ました。姫は、彼らの死の責任を全て負う必要はないのです。彼らの選択は、彼らの意思で、責任の半分は彼らのものなのです」


 背負う重荷を肩代わりするかのようなシリルの言葉は、フェイラエールを支えていた心の壁をたやすく瓦解させてしまった。

 ぼろぼろと涙があふれだす。


「わ、私、シリルから、全部を奪ってしまって、ずっと、ずっと謝らなくっちゃって……」

「やはり気にしておられたのですね。しかし、我らアドマースも同じ気持ちなのです、姫。最も、アドマースはしぶといので、何も失っていませんよ。今頃うまく夜逃げしていることでしょう」


 フェイラエールの心の中の重荷をシリルはいつもこうやって取り除いてくれる。


「シリル……大好き」

「私もです、姫」

「ずっと、ずっとそばにいてね」

「はい。これからもずっとお守りいたします」




 フェイラエールがぐずぐずと泣き止まなかったので、少し出発が遅れてしまった。

 再びタキスの前に乗せられて馬上の人となるが、今回の騎乗では、タキスはあまり話しかけてこない。

 フェイラエールが泣きすぎてしまったから、気を使っているのだろう。


 馬上で風を受けると、フェイラエールの気分はだいぶ良くなってきた。

 もともと切り替えは早い方なのだ。

 やがて、タキスがぽつりとためらうような調子で話かけてきた。


「あの女騎士は、お前の恋人ではないんだろう?」

「シリル? 違うわよ。恋人のふりをしていただけ。周りが、その方が安心するから。あ、恋人のふりが長すぎて距離感がおかしいかもしれないわね」

「……普通、女同士であんなに距離は近くならない」

「そうね。気づいてもらってよかった。これからはシリルに女装してもらうつもりだから、気をつけないといけないわ。シリルにも言っておかないと」

「そうだな。それがいい」


 タキスはいつのまにか、いつもの明るく屈託のない調子に戻っていた。


「ただ、姉妹にはどうやっても見えないのよね。親子も無理だし。不自然のない設定を作らないとね」

「大事なんだな。家族ってとこか」

「ええ。大切な人なの。家族より、大切な人。──タキスも大切な人よ。恩人。一生、忘れないわ」


 タキスは、それを聞き、ぐっと息を飲んだようだった。

 フェイラエールは、まっすぐ前を向いた。

 今、タキスがどんな顔をしているか、見たくなかった。


(見たら、忘れられなくなってしまうから)


「……俺は、お前達をザロワテに送るまでしかできない。そこでお別れだ」

「ええ」

「騎馬の民は、皇帝への恨みを消すことはできない。俺達は、皇国に、復讐の刃を向けることをやめることはないだろう。それが俺たちの矜持で、俺達を俺達たらしめる原動力だからだ」

「ええ、私もそれを止めることはしないわ」

「ああ、俺もそれにお前をつき合わせようとは思わない」


(私達は相容あいいれない。だから、踏み込むのはここまでだわ)


 フェイラエールもタキスもおのをわきまえていて、きちんと自分たちのいるべき場所に線を引いた。


 お互いに前を向き、決別を宣言したのだ。


(それに、予言のこともあるわ)


 あの日、皇帝の行動からは、フェイラエールを生かし、自分から皇帝に従うよう仕向けたいという様子が見て取れた。


(多分、私を妻にすれば、皇帝の積年の願いである大陸統一が成し遂げられるとかそんな予言でしょう。大陸統一でなければ、大陸統一に必要な武力、人心、叡智を得るとかそんなところかしら)


 そして、妻にするとは、強引に体の関係を結ぶのではなく、ある程度の合意が必要とすると推測される。


(だとすれば、私のすべきことは、その力を誰にも与えないことだわ──与えるとしても、少なくとも皇帝の死後。それまでは、逃げて逃げて逃げ切ってやるわ)


 皇帝がフェイラエールを簡単にあきらめるとは思えなかった。

 この果てしなき逃亡生活に、タキスを巻き込むつもりは毛頭なかった。


 その時だった。

 突如、風切り音がして、背後を走る騎馬から、ぐっと抑えた声が上がった。


「伏せろ!! 背後から矢を射かけられた!」


 背後からの声に、フェイラエールはタキスに馬上に押し付けられる。

 タキスの指示が飛ぶ。


「バル、走れるかっ」

「はいっ。かすめただけです」

「方向は!?」

「南西からです。騎馬の気配があります」

「ついてこい、撒くぞっ」


 そして、追う者と追われる者、命を賭した追跡劇が始まる──。



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