レベルアップ

第6話 先行き

 1


 血のにおいがするぼろぼろの袖口を、体を休めたうろから遠いところで捨てた。

 今朝になって気づき、ぞっとした。においに引かれて夜のうちに獣が来なくてよかったと胸を撫で下ろした。

 片袖のない黒い服は、滑稽でみっともない。むっとする汗のにおいがずっと張り付いているし、文化人とはとても言えない格好だった。

 

 そんな雷を後ろ指さして笑うひとすらいない、深い森の中。

 格好など気にしなくていいのだが、恥や外聞を気にしなければならない場所だったら、どんなにましだったろう。そもそも、こんな場所に突然放り出されなければ、こんなひどい姿にならずにすんだ。


 雷は昨夜の泉にいた。

 驚異になりそうな生き物がいないことを確認し、雷は水を飲み、試験管にためる。こんな容量の少ない容れ物でもないよりはましだ。


(水筒でもあればいいんだけどなあ)


 胸中でぼやき、やるべきことを終えるとすぐに離れる。

 実りの秋というのは異世界でも通用するのか、食べられそうなものはいくつかあった。

 どんぐりや固い殻に覆われた木の実、まだ青いいがに覆われた栗。明るくなってからじっくりと探すと、見知ったものに似た、だが少しだけ違う見た目の山の幸がたやすく見つかった。

 まだ大きくなっていないが、山ぶどうもあった。まだ青い林檎が実っている中、わずかに赤く染まっている林檎。そのまま食べられるか期待して集めた、名前の知らない赤い実が小枝に連なっていたもの。


 これだけあるのだから、どれかひとつくらいは食べられるものがあるだろう。雷はあさはかに喜び、安堵した。


 きのこは初めから視野に入れていない。

 現実世界ですら知らないきのこを採ろうとは思わないのだから、未知の世界のきのこなど手を出したくはない。

 毒消の魔法があるとはいえ、わざわざ猛毒の可能性が高いものを口に含みたくない。


 くるみのように中が割ってたべれそうな木の実はともかく、どんぐりと栗に似たものは手を出しかねた。ぶどうと少し赤い林檎と泡のように連なった小さな赤い実の塊を布袋の中につめる。

 とりあえずの安全地帯に定めた木のうろにむかう。そこに身をひそめて、まずはぶどうをわずかに齧った。これが一番自分の知る食べられる物に似ている。


「……! ぶはっ」


 あまりの味のえぐさに、口から吐き出した。

 舌や粘膜に痺れを感じないから、即効性のある毒物ではなさそうだが、そうでなくても食べようという気持ちにならない味だ。

 甘みは一切なく、顔をしかめるほどのえぐさの中に、耐えがたい酸味がある。

 ぶどうを諦め林檎を口にしてみるが、似たようなものだった。まだ熟していないためか、味の青臭さと酸っぱさはさらに増している。


 最後に赤い実だ。

 粒々した小さな実をひとつだけ。恐る恐る口にいれる。


(……う!)


 耐え切れない味ではない。だが、強烈に酸っぱい。小指のさきほどにも満たない実が、アセロラやクランベリー、レモンを凌ぐ酸味を持っている。

 空腹の予兆はある。何か腹におさめたほうがいいと思う。毒でなければ、体力の維持のために食べておけ、と理性が雷に命じる。


 これ以外の食べ物を今のところ探せそうにない雷は、念のため毒消の《浄水クリアウォーター》魔法を自らの体にかけながら、泣く泣く食べ切った。

 現代の管理された果物の味がいかに偉大かを思い知り、痛切に帰りたくなった。

 

 2

 

 満たされない食事を終え、ロッドへの加工に取り掛かる。といっても、その手段を考えるところからはじまる。


(赤い実の果汁でなんとかならないか?)


 赤い実をつぶすと、赤紫色の濃い汁がでる。それをつかって指で木の表面に描くのだ。ものは試しにと行ってみると、指の太い線でぶかっこうながら刻印ルーンを描くことができた。滲んだり、垂れて消えることはなくどういうわけか最初に書いたままに線が固定化している。魔法文字のもつ力か、技能のもつ力なのかもしれない。


 まあ、使えそうだ。と、スキルのもたらす感覚が雷に教えてくれる。だが、これが正しいわけではないような気がする言葉にならない違和感はあった。100点中30点くらい、そんな根拠のない評価がふわりと身内にわいてくる。


(正しい作法とか、書き順とか、描くためにつかうものとかがあるのか? まったくわからない)


 現時点で準備できるものはこれくらいなので、ないよりはましなのだと思って騙し騙し利用していこう。

 雷は《遅滞スロウ》と念じながらロッドを振った。自分の中にあるものが、棒に向かって吸い出されていく感じがする。

 木に打ち付けてみた。

 変わりはない。動かない物を対象にしているのだから、当然の結果だ。だが、魔法が発動した手応えはある。


(なにか、効果を実証できるものはいないか?)


 雷は探すが、試しに使えそうなものは見当たらなかった。

 石を拾い、赤い実の汁で《停止ストップ》の刻印ルーンを描く。こちらは100点中50点。


(同じもので描いてるんだけどな。こっちのほうがまだまし、って気がする。なにがよくてなにが悪いんだ? 文字の正確性?)


 雷は頭をひねりながら、手ごろな石を拾い十個ほど刻印ルーンを描いた。

 描き終えた石をじっと見つめる。


(もしかして)


 ゲームでは、石は自動で命中していた。敵の抵抗により魔法に成功するかは別であったが、魔法が相手にぶつかるまで自動だったのだ。


(ストップ、ストップ、ストップ……!)


 発動せよとどれだけ気合をいれても、石はぴくりともしない。

 雷は脱力しながら石を一個つかみ、手のひらの上にのせた。


(ストップ……)


 何かに当てることは考えず、魔法を使うことだけを考えた。手のひらのなかから魔力が流れていく感覚がある。


(飛べ!)


 手の中にある石は、全く反応しない。


「まさか、自分で投げろ、と……?」


 雷は石の行き先がわかる程度の距離に、ぽすんと軽く放る。

 落とした先を探した時、石に描いた刻印ルーンは消えていた。魔法は無事発動したらしい。


「不便すぎるだろ」


 戦いの最中に、石を投げなくてはいけないのか。そうしなくては、魔法にならないというのか。近接戦になったら石なんて投げてる暇がないだろう。どうやって使いこなせというのだ。だいたい、戦いのときに石に描いている暇などないから、あらかじめ刻印ルーンを描いた石を用意しておく必要がある。それを運ぶのは誰だ? 自分だ。


 雷は袋の中に石を全ていれてみた。重量があり、ずっしりとくる。作りの荒そうな布がやぶけないか心配になる。

 服にはポケットがついておらず、持ち運ぶには自分の手で持つか、袋にいれておくしかない。


(倒せそうな魔物を見つけたら、この石を投げて動きを止めて棒で殴る)


 《停止ストップ》の効果は《遅滞スロウ》で延長させることが可能なので、悪くない戦術だ。このふたつの魔法さえうまく使えば、昨日よりも安全に戦えるだろう。

 石さえ当たれば、の話だが。


(最悪、《遅滞スロウ》の効果だけを頼りにしよう。《停止ストップ》は運がよければ発動するものだと思っていれば、間違いがない)


 雷は作戦を決めて、動きだした。


(まず森の出口を見つけるのが一番だ。だが、長期戦になることも考えて、レベルをあげたい。勝てそうな魔物がいたら、こちらから仕掛けるぞ)


 3


 うろと水場を中心に周囲の探索を広めていった。

 魔物は鼠の群れと二匹で行動する黒い犬を見かけた。雷はそのたびに見つからないよう必死にやりすごした。

 草を結び、自分が通った跡を残していく。


 一度だけ一匹でいる犬を見つけたので、それを倒した。投げた《停止ストップ》の石は案の定狙いから外れた。頼りの《遅滞スロウ》は、狙い通り犬を緩慢にさせた。スローモーションのような動きになるのではなく、疲弊した状態で無理に動いているような速さだった。対処がしやすく、急所である頭部を何回も何回も殴るとやがてぐったりと動かなくなった。


 《遅滞スロウ》を発生させれば、戦技アーツを使わずに黒い犬を倒せるのは嬉しい情報だ。めまいがするほどの極度の疲労というのは、日に何度も味わいたいものではない。時間経過で早く体力回復するとはいえ、足を止めるていどの休息では癒えない疲労を、蓄積している気がする。昨日も二度目の戦技アーツの発動後の疲労は、一度目よりも重かった。二度、三度と使っていては、きっと倒れてしまう。


 朝と同じ食べ物を見つけ、やわらかそうな茂みに身を隠して昼食にする。水分は顔をしかめるほどのえぐみのある果汁で補った。舌がおかしくなりそうだが、何も腹にいれない状態での探索では、何かあったときの対処がむずかしい。

 午後の探索ではゲームで登場する薬草と毒消し草を見つけた。毒消し草のそばには香草に似た葉っぱが生えていたので、それを摘む。


 生野菜のように食えるかは謎だが、全く名称を知らない草木よりは安全性が高そうだ。

 一匹だけで動いている犬を二回見つけて、それを仕留める。レベルがあがるまで、あと半分だ。


 夕方になり、暗い森の中がよけいに暗くなり始めた。ランプのような花があちこちで光を灯しはじめたので、雷はうろに戻って食事をする。

 薬草は苦い。

 ピーマンやふきのとうをいっそう強烈にした苦味だ。これらの野菜や山菜を、雷は好んで食べなかったが、付き合いでの食事に出された時には渋々食べていた。

 今の自分であればピーマンやふきのとうが美味しく食べられるだろう。

 考えても詮ないことに意識を飛ばしながら薬草を飲み込む。

 香草は日本のハーブよりもいっそう匂いが強烈だった。

 雷は何も食べないよりはと必死に飲み込んだ。


 毒消し草は口にした瞬間に舌や口内の粘膜に痛みと痺れが走ったので、すぐに吐き出す。


 すぐに《浄水クリアウォーター》の魔法をかける。口の違和感は消えた。

 毒消し草と名がついているが、きちんと手順を守って加工しなければ毒消し薬にはならないらしい。そのまま食べると、かえって毒になるのは、ある意味リアルだ。

 異世界に来た二日目は現状打破の手応えのないままに過ごした。




 三日目はより遠くの探索を心がけた。拠点になりそうな水場を探しながら、森の中をかき分け進んだ。

 そして、雷はやっと森を出る手がかりを得る。


 犬や鼠など勝てそうな魔物がいる方向と、頑張っても倒せそうにないやつらがいる方向がある。


 ゲームの設定を踏襲しているのならば、魔物が弱い方向はより人里に近い。


 フリーシナリオを採用している『精霊の贈り物』には時間経過が存在する。

 物語開始直後は再生歴……雷は詳しい年数は忘れたが、再生歴なんとか年春と表示される。

 物語の中核を成すメインシナリオや、世界観や登場人物を掘り下げるサブシナリオ、経験値やアイテム稼ぎのために請け負ったクエスト。これらをこなすごとに、イベントポイントという隠しステータスが増える。

 ポイントが貯まると夏へと移行する。


 それらを繰り返して時間を経過させると、出現する敵が強くなっていく。敵の強さはマップごとに固定されているのではなく、その時間経過によって決まるのだ。

 ゲーム的にはレベルが上がるプレイヤーに合わせているわけだが、世界観の設定としては世界の脅威が目覚めようとしているから強い魔物が頻繁に出没してくる、ということらしい。


 強い魔物は普段、人里離れた場所で暮らしている。暇つぶしのための気まぐれのようにひとを襲いに来たり、本能として人間を襲撃しにくることもあるが、そんなイレギュラーをのぞいて、住処で暮らしているのだ。

 ゲーム開始直後は、危険な魔物はダンジョンや森の深い位置に引っ込み、街道や人里付近には弱い魔物がいる時期だ。

 物語を進めると、そういった棲み分けがなくなり、都市の近くに以前見た雑魚敵もいるが、一緒にやたら強い魔物がいる、という事態となる。そして、人外未踏の奥地にはさらに強い魔物が彷徨うようになる。


 森をみた限り、レベル帯で棲み分けができているようだ。

 今はまだゲームの最終盤ではなく、平和な時期なのだ。これがいきなりゲーム終了直前の世界に放り出されていたら、雷などとっくに死んでいただろうから、それは予測がついてたことだった。


(強い魔物が出る場所は避けて、弱い魔物が出るあたりを突っ切ろう)


 前向きな目標ができ、雷は晴れやかな気分で眠れた。

 レベルも、あと一匹犬を倒したら上がるところまできた。

 状況は徐々に好転していた。

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