戯曲

@anv

第1話

 足が、動かない。


 目の前で起きていることの現実味がなくて、信じられなくて。


 頭がしきりに警鐘を鳴らしている。


 あいつを止めろ、填道てんとを助けろ、と。


 それでも、足は震えるばかりで、前に進んではくれない。


海冥かいめい……お前」


「いいなぁ、その顔。苦しいか? 苦しいだろう

なぁ、腹に刀が突き刺さってるんだもんなぁ。で

もまだ死ぬなよ、俺はまだ興奮しきってないからなぁ」


 空気をつんざくほどの悲鳴が上がる。


 填道てんとの腹に刺さった刀が抜かれ、血が噴き出す。その場に倒れると、口からも大量の血が吐き出された。


「なんだよ、刀で一回刺されただけで倒れやがって。おら、起きろよ」


 海冥かいめいは、今度は空洞になった腹の箇所を蹴り、填道てんとを吹き飛ばす。


 うつ伏せになった填道てんとを一瞬見やると、首だけ俺の方を向き、目を三日月のような形にして気味悪い笑顔をつくる。


「親友が殺されそうなのに何もできないなんて惨めだなぁ、あざみ。まあ、邪魔しようとしたり逃げようとしたら身動きできないようにするから動くんじゃねえぞ。お前には、親友が殺される様子を見てもらうからな」


 体が鉛のように重くなるのを感じる。その目が、声が、姿が恐ろしいのに、目を離せない。


 動け……動けよ……。


「体は正直だもんなぁ。どれだけ親しい仲だろうと結局自分が大切なんだよなぁ。そうなんだろ? なあ」


 違う、填道てんとは大事な友達だ。自分の命に代えてでも助けないとだめなんだ……だめなのに、なんで動かないんだ。


「くたばってないよなぁ、填道てんとぉ。鳴き声を上げてくれよ。俺が猫被ってお前と仲良くした意味がねえからなぁ」


 グサッと、生々しい音が聞こえたかと思うと、それは一瞬のうちに悲鳴に掻き消された。


「あああああああ!」


「いいねえ、その声! それが聞きたかったんだよ。もっと喚いてくれよ!」


 また刀を抜くと、さらに大きな叫び声を上げる。


「次は手首でも切り落とすかぁ。……ん? おい、死んじまったのか? おい」


 海冥かいめい填道てんとの髪を掴み、雑に揺らす。


 反応が……ない。嘘だろ……。


填道てんと!」


 気づいたらそう叫び、駆け出していた。


 瞬間、目にも止まらぬ速さで、駆け出した俺を止めるために海冥かいめいがこちらに向かって走り出す。


 あまりの速さになにも対応することができず、首を掴まれ、体を浮かされる。


「言ったよなぁ、邪魔しようとしたら身動きできなくさせてやるって」


 一層手に込める力が強くなり、息ができなくなる。


「ここでおとなしく見ていやがれ」


 海冥かいめいは手を離し、填道てんとの元へ向かう。


「死んだふりかもしれねえからなぁ。おい、この手首斬っちまうぞ………ちっ、もう少し遊びたかったんだがな」


 そう言うと填道てんとの顔を鷲掴みにして上を向かせる。


「殺したやつの首は取っておきたいんでね、貰ってくぞ」


「やめろ! 海冥かいめい!」


 その叫び声は届かず、海冥かいめい填道てんとの首を一刀両断にする。


「……てん……と」


 海冥かいめいはべっとりと付着した血を払うために刀を振り、鞘に収める。


 立ち上がり、俺の方へ歩いてくる。


 屈み、俺と目線を合わせる。


「絶望にまみれた顔だなぁ。あぁ殺してぇ。今すぐお前も殺したいなぁ。でも、。お前にはもっと強くなってもらわないと」


 海冥かいめいは本当に煩悶はんもんしているようで、何か自分に言い聞かせている。


「『どうして?』って思うよなぁ。ガキの頃から三人仲良かったのにって」


 そう言う海冥かいめいの顔は恐ろしいほど不気味で、全身に悪寒が走った。


「俺はなぁ、人を殺すことが大好きなんだよなぁ。特に、俺に何かしらの強い感情を抱いてる奴を殺したときの快感はたまんねえもんなぁ。さっきの填道てんとの顔、思い出すだけでもぞくぞくするなぁ」


「………そのために、俺たちを騙したのか?」


「ああそうだぜ。長かったよ、ここまで来るのに。まあ、意外に呆気なく終わらせちまったけどよ」


「てめえ」


 海冥かいめいの言葉を聞いて、体の底から怒りが込み上げてきた。


「おっと、なんだよ、さっきまでちびってたくせに」


 顔面めがけてつき出した拳を、海冥かいめいが受け止める。


 後ろに飛び退しさり、立ち上がる。


「やめとけ、お前が全力で立ち向かって来たところで敵うわけないぞ」


 海冥かいめいの言葉に構わず、あざみは走り出し、拳を振りかぶる。


 そのまま殴るかと思われた拳は海冥かいめいの目の前で横切り、後頭部に狙いを定めた回し蹴りが跳んでくる。


 しかし、海冥かいめいは顔色ひとつ変えずに、勢いのある蹴りを手の甲で受け止める。


 あざみも攻めの手を緩めず、素早く左手で頬を殴り付ける。


 海冥かいめいあざみの拳が頬に触れた瞬間、右手でその腕を掴み、動けなくする。


「殴るんなら相手を吹き飛ばすくらいの強さで殴らねえと反撃されるぞ。こんな風に、なっ!」


 腕を離した瞬間、海冥かいめいは体ごと足を回転させ、あざみの横腹に蹴りを入れる。


 横腹が一瞬凹むほど、蹴りは深かった。


 あざみは吹き飛ばされ、悲痛で歪んだ顔で横腹を押さえる。


「これで分かっただろ。今のお前じゃ、俺に傷ひとつつけることはできないんだ。強くなってから、俺を殺しに来い。そん時は本気で殺してやるからよ」


 そう言い残すと、海冥かいめいは踵を返し、填道てんとの元を去っていった。


 「くそっ……何も…できなかった……」


 まだ痛みが残る腹を押さえながら、あざみは泣いた。


 ずっと仲間だと思っていた海冥かいめいに裏切られて、そんな海冥かいめいの本性に気づけなくて、そしてなにより、自分の非力さで、心も体も弱い自分のせいで、填道てんとを助けられなかったことが、悔しい。


 もう、こんな思いはしたくない。


 助けることができたかもしれない人を、助けられない経験は、したくない。


 『強くなってから、俺を殺しに来い』


 言われなくてもそうしてやる。但し、お前の思い通りにはさせない。


 お前が填道てんとに与えた苦しみ以上のものを、俺はお前に味わわせてやる。


 絶対に、殺してやる。

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