第6節(その3)

 不慣れなアドニスの腕に抱きかかえられたその赤子は、近衛騎士の目にはまさしく人間の赤子のように見えた。

「人間、なのか……?」

「わからない。こうやっている分には、私にはそうとしか見えない」

「何故だ。なぜそなたはそのように得体の知れないものを持って帰ってきたりするのだ?」

「だって、その場に置き去りにするわけにもいかないでしょう」

「だが……だが、竜なのだぞ?」

 ルーファスの吐いた言葉が、その場の一同に重くのしかかる。苦しげな沈黙の果てに、近衛騎士は蒼白になりながら、絞り出すように呻いた。

「殺せ。その赤子を殺して、何も見つけなかった事にするのだ」

 アドニスも、ベオナードも、その言葉にはっとする。近衛騎士の顔をしかと見据えたのは、彼が正気を保っているのかどうかを確かめたかったのかも知れない。

 たまたまベオナードが村から出かけていた折に今回の悪鬼の騒動は起きた。常識を逸した一連の成り行きを、ルーファスに委ねる事になってしまった。無論、部隊の指揮系統で言えば本来はベオナードの部下が対応すべき問題だっただろう。それでも指揮権を無視したことよりも、武人としてこの場で先頭に立った、その武勇は素直に称賛されるべきであろうとは思える。

 だからこそ、その口から出てきた言葉に耳を疑った。一連の成り行きに、気持ちが昂ぶっているだけなのかも知れない。自分が何を言っているか、分かっているのかどうか。

 さすがに言葉にしてみれば、自身でも冷静で理知的な判断の元の提案には到底聞こえなかったのだろう。ルーファス自身もはっとした表情を見せたし、それに賛同する声は他の兵士からも表立っては聞こえては来なかった。

 それを持って賛同者はいなかったと言い切っていいのかどうかわからないが、周囲の兵士たちの態度からは、ルーファスの発言を支持するとも支持しないとも図りかねるものがあった。その状況を察して、ベオナードが何か言おうと一歩前に出るが、アドニスが首を横にふってそれを押し留めた。

「たしかに得体は知れないかもしれない。けれど私たちは意気揚々とここまで来ておきながら、大事な仲間を失い、調査団の誰をも救えず、オルガノフを騙し討ち同然に刺し殺した。この上怯えるがままに赤子を殺して、一体王都に戻って何を成し遂げてきたと誇ればいいのよ?」

 真正面からアドニスにそう問われて、ルーファスは何も反論出来なかった。さすがに殺せと叫んだのはあまりにおのれを見失った言動だったと恥じ入ったのか。だがもじもじとうつむきながらではあったが、今度は明確に反対の意を表明した。

「だが、その赤子を王都に連れ帰るというのは賛同出来ぬ」

「そこは賛同してもらわなくても構わない。この子と一緒に私はこの地に残る」

「なんだって?」

「あなたが心配している通り、この子が黒竜に関係があるというなら、しばらくはあの廃墟からは離れない方がいいかも知れない。そもそも王都に連れ帰ったところで、この子がどういう扱いを受けるか分かったものではないし……」

 魔導士の腕に抱えられてすやすやと眠っている様子を見れば、もしかしたら母子に見間違えるものもいたかもしれない。そのような姿を目の当たりにしている分には、あの竜のように人に害悪をなすとは到底思えなかったが……仮に諸々の経緯を人づてにただ聞いただけの者であれば、この赤子の事などじかに見もしないままに、先ほどのルーファスと同じことを声高に叫びだすやも知れなかっただろう。

 その近衛騎士が、赤子をあやすアドニスに問う。

「……そもそも、あの悪鬼どもは何者だったのだ。魔導士よ、そなたは何か知っているのか?」

「なんとなく、察しはつく」

 そのように答えて、アドニスは赤子を抱えたまま、一同をとある場所へと促した。

 一同が向かった先は、先に村の墓地の片隅に埋葬した、今回の探索行で犠牲になった兵士たちの墓であった。

 荒れ地の厳しい天候のなか、遺体はどれほど長くも保管はしておけない。王都に持ち帰ることを断念し、彼ら五名は村人らの許しを得て、その地に埋葬したはずだった。

 だが五つあった墓のうち、三つが夜のうちに掘り起こされていたのだ。

 自分の部下が埋葬されているわけでは無かったが、一連の出来事に気の高ぶっていた近衛騎士が、誰よりも真っ先に憤りの言葉を吐いた。

「なんということだ。墓を暴くなどと、一体誰がそのような恐ろしげな事をしたというのだ。埋めたはずの亡骸は一体どこへ行ったのだ?」

「暴いたわけでは無いでしょうね」

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