魔法使いの右腕

呪文の正体と魔女 第４話

　言葉に、え、って過ったことは嘘じゃない。

「巻き込まれてなんかいない。だってこれはあたしがうっかり引き込んでしまったことだから……」

　言いかけたところであたしはピンときた。

「って、もしかして。あたしが容疑者扱いされることになるかもって話、ウソだったの」

　あれだけたきつけておいて今さら任せろ、なんておかしい。

「まあ疑われる可能性がない、ってことはないね」

　案の定、って感じでアッシュはわざとらしいくらい空を見上げてる。様子にそんなの信じられない、っていうか信じてどうしよう、ってうろたえていたあたしはいったい何なの。

「そうでもしなきゃ、シーのことは話してくれなかったろう」

　すくめた肩も安っぽすぎて、結局、安心していいのかもっと怒るべきなのか、もうないまぜになっていた。

「当然よ。でも、そんなのヒドいわ」

「ならヒドくてけっこう。詫びる。だからここまでだ。ここから先は何かあっても責任が持てそうにない」

　こういう時の大人っぽさって本当にただの卑怯よ。

「責任持つなんて何様のつもり。ダブルイに仮面を用意したのはこのあたしなの。そのせいでタイソン女史はさらわれてしまったようなものだわ。ダブルイにだって言ってやりたいことがある。今さら置いてけぼりなんて飲み込めない。だいたいっ」

　あたしは声をひっくり返した。

「よく言うわ。相手はビリオンマルキュール級の力だって出せるのよ。あたしも浮かせられないような弱っちい魔法使いのあなたの方が、あたしにとっては何かあっても責任持てない存在よ。証拠にホテルでだって、ほんのちょっとでもあたしが手を貸さなかったらどうなってたかわかんなかったじゃない」

　話を持ち出せば、図星とアッシュはむっとしてみせた。とどめにあたしは魔法を見せつけてやろうと呪文を唱えかける。でも何かおかしい。呪文はまるでただの「言葉」みたいにあたしの中をすり抜けるだけで、なんだかいつもの血が沸く手ごたえはなかった。どういう事、って最後まで唱えることすら出来なくなって、あたしは思わず自分の手へと視線を落とす。

「いいや、ビリオンマルキュール級のフリをしているだけだ。専用の呪文じゃなきゃ、それも続かない。ダブルイには魔法がないっていうことじゃないか。そうはうまく運ばないさ」

　片付けるアッシュにまた顔を上げていた。

「適当なこと……」

　言いかけて、ひとつ、前を横切る頭に瞬きする。

「タイソン女史にしたら助けるのが誰だって同じだよ」

　ハップだ。荷物をまとめたカバンをたすき掛けにして、外へ向かってる。

「時間がないんだ。先に僕は換気口の下に行ってるからね。どうするか決まったら教えて」

「お、おい、行ってその先、どうするんだよ」

　うろたえるアッシュにことのときだけは、あたしも同意しちゃう。でもハップはまるでおかまいなしって感じだった。

「科学は実践主義なんだ」

　背中越しの口調は妙に迫力がある。

「行って現場で試みるってこと。さ、仲良し同士、ボクらはボクらで先に行こう、ガラクタ」

　ロボを誘って部屋を出てく。言われようにあたしとアッシュが横目で様子をうかがい合ったことはごまかせなくて、追いかけロボも出て行ったなら、もうこれ以上言い返すのもいやになってきて、そうよその通りだわ、なんてあたしは自分へ言い聞かせることにした。

「こんなことしてても無駄なだけ。魔法使いは誰かの幸せのため働くのみ。そこにあなたの許可なんて必要ないわ」

「確かに。時間がないんだ、人手は多いにこしたことはない」

　アッシュも言うけどもう聞こえてないフリですませる。ままにハップの後を追いかけたならアッシュも足を踏み出していて、ドアを目指す肩はぶつかり合った。だとして譲る気なんてないから踏ん張れば、そこから先はおしくらまんじゅう。先を越されまいとあたしたちは早歩きから、先を競って走り出し、ハイヤーエリアの真下まで、ますます犯罪者になった気分でお目当ての場所へ急いだ。

　到着した交差点の角から改め見上げたハイヤーエリアは、本当にあんな所から降りてきたのかと思うほど高い。そこにはライトアップされた橋が架かっていて、周りにポリスのブイトールをまだ浮かべていた。

　魔法使いたちに、持たない人たちはしかめた眉で、そんな景色を見上げながら家路を急いでいる。

「やっぱり、ずいぶん高いな」

　額へ手をかざしてこぼすアッシュも、いかにもそんな野次馬の一人って感じで、ハップはと言えば道路の脇に停めた三輪車で、宙を見上げたり手元のパソコンを弾いたり、さっきから忙しそうにしていた。

　あたしもなんとかしたくて辺りを見回すけれど、手掛かり何て見つからない。完全に魔法が戻っていたらみんなをぶら下げて飛ぶことだってできるけど、キャンプラボの部屋で唱えようとした呪文のことを思い出す。

　あれこそ何かの手違いじゃなかったのかしら。もう一度、試してみたくなっていた。

　整えた呼吸で遠くへと視線を投げる。

　なら切り変わった信号に、交差点を向こうから歩いて来る人に気づいて目をしばたたかせた。

「おや、魔女さん。こんな遅くまでご苦労様だね」

　声をかけられたのだから間違いない。

「先日はお荷物の配送をご利用いただき、誠にありがとうございました」

　バルーンパンツなんて体操着だけど、あたしも丁寧にヒザを折ってご挨拶を返す。

　分厚い防寒着が目立つその人は、もう四日も前にお会いしてる人だった。初めてのお仕事として玄関口に荷物をお届けした、町環境の管理員さん。

「おかげさまで、ホラ、とても役に立っているよ」

　オレンジ色の綿が入ったコートをつまんであたしへ見せてくれる。

「こちらこそ。お役に立てて光栄です。管理員さんこそ、その上着を着てらっしゃるということは、こんな時間までお仕事なのですか？」

　すると管理員さんは頭の上を指してみせた。

「本当はね、ハイヤーエリアのブリッジ車庫から換気口の清掃に向かう予定だったんだけども、なんだか事件があったらしくて飛べなくなっててね。月面から別のブイトールで向かう途中なんだよ」

　その後ろからやって来るのも、お仕事仲間の方々みたい。みんな同じコートを着ていた。

「あ、あら。困った人たちがいるんですね。おほほほ、ほ」

　って、それはあたしたちのことだけど笑っちゃえ。

　すると身を屈めた管理員さんは、あたしへそうっと耳打ちしてくれる。

「あと二日、三日、ここに残ってなさい」

　なんだろう、ってあたしは笑いを引っ込めてた。

「見られるはずだから」

　教えてうなずく管理員さんの顔はイタズラ気で、目にした瞬間、景色はあたしの中に広がる。まだ見たこともないはずなのに、雪をかぶったアルテミスシティはロマンティックそのものだった。おかげで頭も回転し始めたんだとしか思えない。だからこそ考えはつながると、閃きこそ訪れていた。

「だから清掃に向かうんですかっ？　換気口までっ」

「そうだ、ね。吹き出し口が近くにあるからね。ゴミを降らせるわけにはゆかないよ」

　ああ、神様。

　感動のあまり、あたしの目は潤んでく。

「あのっ、一緒に連れて行っていただけませんかっ」

　申し出てた。当然、管理員さんは不思議そうな顔をしたし、その次は困った顔をしてみせたけど、こんなタイミングはほかにないのだからあたしはこの時のためにお届け物を請け負ったんだ、って心の中で両手を振り上げる。

「あたしの甥っ子が魔法で飛ばしてたドローンがドームの天井に消えてしまって、ずっと探してたんです。まだちゃんと使えないのに困った子。本当にごめんなさいっ」

　自分でも驚くくらい出てくる嘘はいただけなかったけど、背に腹は代えられないのよ。頭を下げて三輪車からハップもまた引きずり下ろした。

「あなたも謝りなさいって。今から取りに連れて行って下さるって」

　「えっ、えっ」なんて言ってるハップの頭を押さえつければ、そのうちハップも観念しちゃったみたい。

「ごっ、ごめんなさい。ボクハ、ワルイコ」

「いや、まだ連れてゆくとは」

　前に管理員さんは、ただただ眉をへこませてゆく。これじゃあ逆効果じゃない、ってあたしが目を泳がせていたなら、そこへアッシュも加わっていた。

「いやぁ、助かります。まさかこんな巡り合わせがあるとは」

「どちら様です？」

「わたしのおじさんですっ」

　尋ねる管理員さんへとあたしは返す。

「オジっ……」

　アッシュは頬をぴくぴくさせているけれど、いいのよ、これで。

「あのメイドロボットを連れて、この子のと一緒に地球から観光で。明日、帰りますっ」

　お仕事仲間の人たちも、気付けばあたしたちを取り囲んでる。やがて今日、出てる欠員の座席に乗せてやればいいんじゃないか、って声は上がると、従い話はまとまりだした。

「まあ、お世話になったからねぇ。特別だよ」