卒業おめでとう。

三年間、よく頑張りましたね。

オーキュ・ハンドレッドに輝かしい未来を。

「鍵」はばあばからのプレゼントです。

必ずあなたの役に立つことでしょう。

　　　　　　　　　あなたのばあば　カイロ・ハンドレッドより

　あれからみんなは学校を飛び出すと、魔法使いとして社会の役に立っている。雄姿は早くも報道されたり、メールで舞い込んできたりと様々。それはマギ校の続きみたく騒がしくて使命感に満ちていた。けれどあたしはといえばこうして朝からテレビを眺めると、ゆっくり熱いココアなんて飲んでる。

　濃くなったマグカップの底の最後をすすり上げて立ち上がった。

　食洗器へ放り込んで議論に沸くテレビを消す。

　残念ながら魔法使いとはいえ新米なら静寂はまだ大事で、気持ちを落ち着け吸い込んだ息で、三言足らずの呪文を口にした。苦になるほど広くもないのだから、そうも大げさならコクピットまで行けばいいのにと言われそうだけど、練習も必要だからこのさいやってしまいたい。

　しめしめ。複写の魔法は完璧だったみたい。

　計器とナビゲーションのスクリーンは、淡い光になってあたしのまわりへ蒼く浮かび上がっていた。光に包まれあたしはゲージの目盛りや海図の軌跡へ目を通す。眠っている間も航海が順調だったことを確かめると、新たな呪文を注ぎ込んだ。

「ラボ、ターチィ……、エィッ」

　緩んだ分だけこの船の動力もまた巻き上げる。

　そう、その昔、魔女はほうきにまたがり空を飛んでいたらしいけれど、今や人は木星にさえ住もうとしている時代なのだ。魔女だって宇宙船を駆り、果てなき宇宙（ソラ）を飛び回る。

「ふう……、おっけい」

　けれどあの日、受け取ったおばあちゃんの手紙には「鍵」なんて同封されていなかった。だからって並ぶ文字に今しがた使った転写の魔法が仕込まれてる、ってことに気づけないじょうじゃ魔法使いなんて名乗れない。

　これこそまさに魔法使い同士のやり取り。気配にすぐさま文字へとあたしは指を這わせ、おばあちゃんが閉じ込めたものを呼び出した。なら「鍵」はクルクルと、紙面から浮かび上がって、ギザギザが刻み込まれたその先で宙を指さす。

　様子にあたしはもう釘付けだった。そんな「鍵」に「こちらよ」と合図されるまま目の前まのドアへと顔を上げている。

　まさか。

　そこに過るのはおばあちゃんの姿で、たしかめたくて押し開けた。がらんどうの部屋が広がっていたなら、それでも「鍵」の指し示す方へ駆けて部屋の窓を開け放つ。広がる真昼の空は青く、ブレない「鍵」はその切っ先で、そんな青を指し続けてた。なぞって投げた視線の先にあるものはといえば、白く霞んだ真昼の月くらいなもの。

　もしかして。

　呟きは心の中にもれる。あたしはもう一度、「鍵」の先を確かめてた。やっぱり射抜くみたいにそれは月を指してぶれもしない。

　そこ、なの？

　尋ねて窓から身を乗り出す。

　差し込んで開けなきゃいけない気がしたのは、おばあちゃんのこれが最後の言葉だから。

　行こう。

　今すぐ。

　聞き流せやしなくて、決まれば初めてみんなをキラキラ照らしていた光はあたしにも当ったみたいだった。

　だからその日、パパの車に乗らずこの船をレンタルして、ソーシャルネットワークへもこう広告を打ち出してる。

マギ校卒業生　月までの往復　最速で荷物　お運びします

　仕事終わりの友人と校長のテレビ出演をあーだこーだと語ったのは、いわゆる地球の深夜という時間帯。

　そんなあたしの傍らには、月の裏側に広がったアルテミスシティがついに姿を現してた。冷ややかな宇宙で光り輝くアルテミスシティはまるで宝石箱を開いたかのよう。人の営みが光りとなって温もりさえ放ってる。

「ＩＤを確認しました。ご卒業、おめでとうございます、ハンドレッド魔術技師。誘導灯をロックオンし、千五百番エアロックへ接続ください」

　きっと一行ふえた履歴のせいね。なんて気の利いた挨拶だこと。友人が眠りについたその後、管制の挨拶に感心しながら今度こそ移ったコクピットで指示に従う。

真っ暗な宇宙空間に浮かんで点滅する誘導灯を見つけ出し、手動でロックオンすると互いが紐づけられたことを確認した。なら誘導灯は月の軌道上に浮かぶオービタルステーションへと、あたしの船を引っぱってゆく。円筒形のモジュールがサンゴの枝みたく連なったオービタルステーションは次第に大きく近づいてきて、すでに辿り着いた船があちこちにドッキングしている様子を、周囲を同様に引っ張られて移動する様々な船を、あたしに見せつけた。

　うちにも誘導灯はオービタルステーションのエアロックにぴったりにおさまる。引っ張られてあたしの船も、おっつけオービタルステーションへドッキングした。

　合図にして端から青へ変わりゆく計器たちはオールクリアの合図で、カウントダウンのように目で追いかけて最後にあたしは呪文を唱える。魔法ごと動力をシャットダウンすると、どうしようか迷ったその後、重力もまた解き放つことにした。

「わぁあ」

　思ったより無重力って過激みたい。髪の毛とスカートにだけは魔法をかけなおしておくことにする。

「これでよし」

　補給船ならいざ知らず、旅客船の乗客はみなオービタルステーションでシャトルに乗りかえなければ月へ下りることは出来ない。

　ステーションと船の気圧調整が行われているあいだ流される利用案内のアナウンスには、オルゴールのＢＧＭがついていて、聞きながらＳＮＳで募った預かりものの荷をほどいていった。それぞれ五万ユーダラで預かった荷物は海苔の佃煮セット、きっと進物らしい、に、魔法がなければ重くて運べそうもない真鍮のコイル。それから日用品、とだけ書かれた衣類っぽい段ボール箱が二つの三点だ。

　だいたい新米にもかかわらずこうして仕事がいただけるのは魔法使いそのものが信頼されているからで、これまで活躍してきた全ての魔法使いには本当に感謝しなければならないと思ってしまう。

「あたしも損なわないようにしないとね」

　言葉はもれて、卒業生にだけ与えられるボルシェブニキー校のピンバッジを襟に刺した。

　なんて実質、ベテランになるほど学校の名前に頼る必要はなくなるのだから、若葉マークのようなものなんだけど。だから大事、ってことで降船の準備は整う。

　「ブリヤーチエ」の一声で荷物を一列に整列させた。見ていたみたいにアナウンスも気圧調整完了を知らせると、荷物を引き連れ船内をエアロック目指して滑り飛ぶ。突き当りに現れたハンドルを、壁の周りを歩くようにして回したなら、おっかなびっくり引き開けていった。広がる光景に、わあ、なんておのぼりさんの形に口を開く。

　だって円筒のフロアには上下なんてものがない。入管審査のブースやロビーに、レストランやお土産売り場まで壁という壁を床にして、ぐるり観覧車のように並べられていた。間を人は上へ下へ右へ左へ、飛んでる有様。からまりあったその向こう、筒の片端はシャトル乗り場へつながっている様子で、もう片側は大きな窓がはめ込まれると、船から見るよりずっと近い場所に月面のアルテミスシティをのぞかせていた。それはもうこちらが落っこちそうで、向こうがこちらに突っ込んできそうなほどの迫力だ。

　見とれかけて時刻を読み、あたしはともかく入管審査を済ませにかかる。証明書がないとシャトルの座席が取れないのだから、乗り遅れないためにも急いで手続きを進めた。だけどここでも魔法使いへの信頼は厚くて、ビジネスだと伝えたなら新米の魔法使いだろうとあっという間にパスしてしまう。

　次いでかさばる荷物ごとシャトルの座席を予約した。

　終えたところで忘れないうちにと、パパとママへのお土産もまた買っておく。

　荷物といっしょにふわふわ浮かんですれ違う人の様子は、地球と違ってひとめじゃ魔法使いとそうでない人の見分けがつきにくい。でも魔法使い同士ならなんとなく互いに気づいてしまうもので、半々くらいかしら、と読んだ数に、月がまだまだ不便な場所だからより多くの魔法使いが必要とされているのかもしれない、なんて考えてみた。

　シャトルの座席は地球では見たことのないデザインで、背もたれの付いた馬へまたがるよう恰好で納まる。

　がくん、と揺れたのが出発の合図だった。光を反射させる白い機体はあたしを乗せて月へ降りてゆく。傍らの窓でアルテミスシティは七色だった光を次第に剥いでゆくと、町並をはっきり浮かび上がらせていった。

　見やってあたしはスカートのポケットをまさぐる。取り出したのはおばあちゃんの手紙。もう一度、並ぶ文字を指でなぞる。そっと「鍵」を呼び起こした。