蒼海のアクアランサー ~槍に集いし海底王国の守護神たち~

クマネコ

深度1000M 一人と一匹の冒険

1.突然の遭難

 瑠璃原深色るりはらみいろは、暗闇の中に居た。


 何もない無の世界をのように漂いながら、まだはっきりとしない意識の中でどんよりと微睡まどろむ。


 さっきからずっと、自分の体を何かにゆらゆらと優しく揺すられているような気がした。


 それに、体全体がまるで濡れた布でもかぶせられているかのように冷たい。でも凍えるほど冷たいわけでもなく、むしろ気持ち良いくらいの塩梅で、穏やかな揺れ具合と合わさって、まるで揺り籠の中に居るような心地良さが彼女の全身を包み込んでいた。


(……ここ、何処なの? ……なんだか体が軽い……気持ちいい)


 耳元で微かに、寄せては返す波の音が聞こえる。


(一体ここはどこだろう?……) 


 ふとそんな疑問が脳裏をよぎって、ようやく深色の思考は回り始める。


(………ん? あれ? その前に私……どうしてこうなっちゃったんだっけ?)


 こうなる前に自分が一体何処で何をしていたのか思い出そうと、深色は薄い意識の中で記憶を前へ巻き戻す。


 そして、まず初めに思い出したのは――旅客機の機内に並ぶ座席の一つに腰を下ろしている自分の姿だった。エコノミークラスの狭い座席で、かれこれ一時間近くも同じ体勢のまま座っていたものだから、お尻が痛くて仕方がなかったことを覚えている。


 周りでは、深色と同じ学校のクラスメイトたちが各々決められた席に座っていて、皆外の景色を見ながら楽しそうにお喋りをしていた。


 深色が座っていたのも窓側で、小さな窓の外では、機体中央から真っすぐに伸びた白銀の翼が、過ぎ行く風を切り裂いていた。太陽の光を照り返してまぶしく光る金属製の翼は、とても薄い造りをしているのに、強い風を受けてもびくともせず、深色たち一行を乗せた機体をしっかり支えてくれていた。


 これまで一度も飛行機に乗ったことのなかった深色は、その美しい空の景色を前に、一時ひとときも窓から目を離すことができなかった。


 ――しかし次の瞬間、その美しく壮大な外の光景は一変する。


 翼の真下にえられていたエンジンの一つが、突然火を噴いたのである。爆発音と酷い揺れが同時に襲ってきて、機内は瞬く間に大パニックにおちいった。強固であったはずの翼はいとも簡単にメリメリと悲鳴を上げて二つに折れ、支えるものを失った機体は大きく斜めに傾き、回転しながら下降を始めた。機内はミキサーをかけたようにぐるぐる掻き回され、クラスメイト達は悲鳴を上げながら座席にしがみ付いた。


 そして、何か金属のきしむような音が深色の耳をつんざいたかと思えば、彼女の座っていた座席の足元に、大きな亀裂が走った。


 まさか――! 


 そう思った時にはもう手遅れだった。亀裂は瞬く間に縦横じゅうおうに広がって、大きく左右に引き裂かれた。裂け目から冷たい突風が雪崩のように吹き込んできて、深色の体をいとも簡単にすくい上げると、そのまま機体の外へ放り出されてしまった。


 まるで滝壺に落ちたような衝撃が、深色の体を襲った。乱気流に振り回され、もみくちゃにされ、体中の血が泡立たられる程にかき回されて、どこが上か下なのかも分からない。


 雑音しか入らない耳が遠退とおのき始め、視界が徐々に薄れてゆく。もう駄目だと悟り、深色が意識を手放そうとしたその時……


 それまで、彼女の周囲を取り巻いていた白いもやが一瞬にして晴れ渡った。


 そして、遥か水平線の彼方かなたまで続く青い海原が、目の中一杯に広がって――




 刹那、深色の意識はテレビの電源を落としたようにプツリと途切れ、瞬く間に闇の中に飲まれていった。





「………っ‼」


 ここまで思い出したところでようやく、深色の意識は覚醒する。


 深色は、海面に浮かぶ銀色の金属板の破片の上に倒れていた。おそらくこの破片は元々、飛行機の主翼の部分を成していたものだったのだろう。本来なら沈んでいてもおかしくなかったのだが、この破片に引っかかったおかげで奇跡的に助かったようだ。辺りの海面には、彼女の座っている金属板の他にも、幾つもの飛行機の破片や部品があちこちに散乱してぷかぷか漂っている。


「……ぁあ〜〜〜ぁ」


 起き上がった深色は今の状況を理解して、溜め息に混じって間の抜けたような声を上げた。


「……はぁ………なるほど。これが、『ソウナン』って奴ですか?」


 自分一人しか居ない中で、深色は誰にともなくそう尋ねる。当然、答えを返してくれる人など居るはずもなく、ちゃぷんと水面がかすかに波立つ音だけが辺りに響いていた。


 深色は周囲を見渡してみたが、どこに目を向けても見えるのは青い空と海だけ。そしてその二つを真横に両断する水平線が、何処までも果てしなく続いていた。


「もう……こりゃまいったな。絶体絶命じゃん」


 深色は濡れた髪を耳元へき上げながら、眉をひそめてそうつぶやく。


 しかし、口ではそう言うものの、彼女の仕草やその態度からは、命に係わるほど危機迫っているような緊迫感があまり感じられなかった。まるで、テストで酷い赤点を取った生徒が放課後の補修を心配するような、そのくらいの軽薄けいはくとした振る舞いである。


「こういうのって今まで映画とかでしか見てこなかったけど、いざ本当に自分の身に起きたら、どうすればいいんだろ?」


 深色は何事に対しても、あまり大げさに考えないタイプの人間だった。自分が置かれた絶望的な状況を嘆き、神様に命乞いのちごいすることだってできただろう。けれど、何の価値も得られないのにそんな悲観的になって無駄に体力を消耗させるくらいなら、今のこの状況をどう乗り越えるかよく考える方が、深色のしょうには合っていた。


 そんな彼女の性格をかんがみれば、深色は身の回りで起こる急激な変化に適応しやすいタイプの人間であるともいえた。だから、こんな絶体絶命の状況下におかれても、深色は取り乱すことなくいつも通りのほほんとして居られる訳なのである。


「……ま、とりあえず助けが来るのを待つっきゃないか」


 深色は浮きとなっている金属片の中央までって行くと、真ん中にちょこんと体育座りして、この近くを船が通りかかってくれるまで待つことに決めたのだった。

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