神神の微笑。異世界散歩

八五三(はちごさん)

序章

第零話

 その物語には、一匹の犬が登場する。


 犬の名は――八房やつふさ

 体に八つの牡丹ぼたんの花のようなまだらがあることから、そう呼ばれるようになった。

 八房が飼われていた城が攻められ落城を目の前にしていた。負け戦と覚悟した君主が、犬である八房にれを言った。


「敵将の首を取ってきたら、姫を与える」、と。


 すると、八房は敵将の首を取って城へと帰ってきた。

 君主は約束した姫を犬である八房に、与えることはしなかった。君主は他の褒美を八房に与えるから諦めるように言うが、八房は姫を自分の妻にすることを望んだ。

 君主に対して姫は、言葉として約束したことをひるがえすのは、義に反すると説いた。


 そして人里離れた山で――姫と八房――――人と犬が暮らし過ごす。


 最終的にその物語は悲恋から新たな壮大な物語へと続いていく。

 の、だが。

 本通りの物語とは別に平行して、もう一つの物語が存在していたのだった。



 ――なぜか、普段の彼なら見せることのない顔をしていた。


「ぁー、犬のおまわりさん。だよ」


 にっこりスマイルをしながら、ユーモラスに話しかけている人物の名は――槃瓠ばんこ 八房やつふさ

 悪霊祓いを生業にしている男である。

 

 現在においては至極当然のように、人の生み出した科学が世界を支配していた。さりとてそれは、宇宙せかい構造の表面一部を理解し、支配しているだけと勘違いしているだけで。

 

 真の宇宙構造は複雑怪奇で溢れている。

 

 人知の及ばないモノたちが太古から存在していた――それを魑魅魍魎ちみもうりょうと呼ぶ。

 そんな人を凌駕した魑魅魍魎の間でも広く知られ、恐ろしいまでの圧倒的実力を有している闇の住人の巷説こうせつがあった。

 本気を出した彼の前には、二度と立つことができない。と、いう話である。敵対したモノは、死の一文字しかない伝説。

 ただ、

 人たちの噂話に、尾ひれ、はひれ、が、つくのはお約束ごとである。そして魑魅魍魎たちの噂話にも、尾ひれ、はひれ、が、ついていたのだった。

 

 事実は小説よりも奇なり、であった――ある意味で。


 摩訶不思議な怪奇現象などを対処するコンサルティング会社、有限会社"ふせ"のたった一人の平社員だったのである。

 社長である姉、"玉梓たまずさ"に、安月給でこき使われる可愛そうな、男で……あった……。

 

 背は日本人の平均身長よりも一〇センチ以上高く、一八八センチの高身長であり。体型はモデルより猟犬のしなやかな肉体美している格闘家といった雰囲気が――ワイルドに拍車をかけている、理由の一つ目。

 ワイルドに拍車をかけるている二つ目は――髪型であった。

 縦長シルエットが特徴的なウルフカット。狼の毛先をイメージした軽さ表現するのだが一般的だが、八房の髪質が剛毛かつ硬毛こうもうのために、どうしても野生の狼のような心象を周囲に与えてしまっていた。

 プラス、

 頭頂部は黒髪なのだが徐々に毛先にかけて色素が抜けていき銀髪に。一昔前の素行不良の少年少女たちが、セルフブリーチに失敗し、そのまま放置。といった具合に、褒め言葉として破天荒遊戯の男に見えていた。

 顔立ちは姉に似ており、美青年である。そのため女性ウケもいいが――――男性ウケもいい。

 ワイルドに拍車をかけている三つ目は――身なりであった。

 左腕には自国が誇るブランドの堅実かつシンプルで上品なデザインの機械式時計をし。伊太利亜イタリア製のフルオーダー高級スーツを颯爽と着こなす、ことができるだけの技量の持ち主ながら。

 足元は軍隊仕様のコンバットブーツを履き。着こなしを台無しにしていた。

 これが一番、ワイルドなのだが。

 両手にめらてれいる指輪の数にあった。両手の親指以外の全ての指に、文字が刻み込まれた指輪していたのだった。



 幹線道路でも、深夜の時間帯は激変する。忙しなく二酸化炭素を吐き出し、行交う人の群れは眠りにつき。排気ガスを撒き散らしながら、経済を動かす物流も休憩時間。太陽光があるにも店舗から漏れる光は、夜と一緒にその光を失う。残るは月明かりと街灯に、それから西から昇る太陽を売り出す店舗、それと夜行性動物たち。


 現世うつしよ幽世かくりよが重なる時間とき――草木も眠る丑三つ時うしみつどき


 もっぱら言われるとすれば、幽霊が出る不吉な時間である。

 諸説あり、静まり返った不気味から、この世とは別の世界と繋がると、人として本能的な恐怖心が連想させ、幽霊や化物が出る、一説。

 または、

 古代の中国の自然哲学思想と陰陽五行説いんようごぎょうせつを起源とし、日本で独自の発展を遂げた呪術や占術せんじゅつの技術体系である――陰陽道おんみょうどうから"十二支じゅうにし"で、二時から二時半を表すと"丑寅うしとら"の方角を指す。北東は“鬼門きもん”とされており、鬼や幽霊が現れてくる方角とされる、一説。

 と、

 善い時間帯ではない。

 そんな時間に八房の正面には、顔をしたに向け、両手で必死に顔を隠し、泣いている一人の少女の姿がいた。

 白を基調と簡素なセーラーワンピースだが、デザイナーのセンスは、いい。胸元に蝶をイメージしたリボンが一つ。その蝶のリボンの色は、鮮やかな金属光沢の青色。

 その色は世界でもっとも美しいとされる蝶である――モルフォチョウを想像させた。ギリシャ語で、"形態"を意味し。愛と美と性を司るギリシア神話の女神、アプロディーテー。や、ローマ神話の愛と美の女神、ウェヌス。の添え名を授与されほどに――美しい蝶だ。


 泣いている少女の前で、まるで婚約者が誓うように八房は片膝立ちをすると。

 必死に両手隠している顔からは、涙がとめどなく流れ頬の輪郭にそって地面に跡が。ポケットからそっとハンカチーフを取り出し、涙を優しくハンカチチーフへと染み込ませながら。


「だいじょうぶ、だよ。犬のおまわりさんが、お母さんとお父さんに会わせてあげるから」


 少女が顔をあげる。

 頭の一部から脳が見え、顔中が真っ赤な血で染まっていた。着ている白いセーラーワンピースは、切り裂かれ肌が露出しており。血が付着している部分は酸化し黒く変色していた。世界でもっとも美しいとされる蝶の羽は、その輝きを失ってしまっていた。

 少女の見るに堪えない姿が絶するほどに激しい、交通事故であったことを語っていた。

 

「ほ、ほんと」


 か細い声で、少女は答えた。

 すると、八房は優しく微笑み返し。


「犬のおまわりさん、だからね」


 一瞬、不安そうな表情をしたが、少女の小さな頭が小さく縦に動いた。


「いい、だ」


 片膝立ちから、立ち上がる。

 スーツの胸ポケットから指輪ケースを一つ取り出し、蓋を開けると――二つの結婚指輪が収められていた。

 神に愛を誓いともに人生を歩んでいく証、永遠の愛を最後まで見届ける輝き…………は、失われていた。二つの結婚指輪には、輝きはなく、少女の白いセーラーワンピースと同様に酸化し黒く変色した血痕が付着していた。

 神は祝福したが二人に起こるであろう悲劇は、伝えなかった。また、二人の間に生まれた新しい命が、最悪の結末を迎えることも。

 

 運命とは否応なしで、支離滅裂で、無茶苦茶で、矛盾で構成された――神神の微笑。



 大切に収められている二つの輝きを消失した結婚指輪を右手で掴み、そのまま少し強く握りながら。


「我が子よ、力を行使せよ。孝悌こうてい


 八房の口から発された言葉は旋律された――読経どきょうのようであった。

 すると!

 握りしめた右手にめている中指の指輪に、"こう"、人差し指の指輪に、"てい"の文字が淡い光を放ちながら浮かぶ、と。指の隙間から青く発光する粒子が二人の姿を創りだした。

 その姿を見るやいなや、少女は今まで泣いていたことが嘘のような笑顔で、二人に飛びついた。飛びつかれ二人は、愛おしい娘を強く包み込む。



「ありがとう」

  

 八房に礼を言っている男性は、娘の左手をしっかりと握りしめていた。


「ありがとう、ございました」


 今度は、女性が礼を言ってきた。自分の左手で娘の右手をしっかりと握りしめながら。


「ありが、とう!」


 最後は両手を両親としっかりと繋いだ少女が――満面の笑みで大声で叫んだ。

 

閻魔えんまに伝えておくよ。たまには、見ざる聞かざる言わざるをしないのも、正義ってねぇ」

 と、

 八房は、おどけみせる、が。

 もう、そこには三人の姿は、なかった。

 

「義に反した者に、畜生道ちくしょうどうの導きがあらんことを」


 槃瓠八房ばんこ やつふさ、本日の仕事無事に終了。には、ならなかった。


「もう一つの仕事は、玉梓がしてくれ…………て、ないな。馬鹿、姉」

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