遠矢射るアポロンの裁き

遠山朔椰

問題編 1,孤島へ

登場人物一覧


 D大学ミステリ研究会


 安東あんどう正臣まさおみ (23) 文学部国文学科四年  元部長。語り手。

 堀川ほりかわ 雪乃ゆきの (21) 工学部生命工学科三年  現部長。冷静沈着。

 堀川ほりかわ 綾乃あやの (19) 文学部英米文学科一年  雪乃の妹。やんちゃ。

 寺田てらだ 國章くにあき (20) 経済学部経営学科二年  筋骨隆々。

 遠山とおやま 朔椰さくや (20) 理学部物理学科二年   痩せぎす。

 有馬ありま 悠士ゆうし (18) 医学部医学科一年     無謬の天才。探偵役。


 その他の人物


 弓塚ゆみつかいつき (??)  安東達を孤島に招いた謎の人物。

 貴島きじま 佳純かすみ (28)  弓塚に雇われた古代ギリシャマニアの女性。

 阿曇あずみ 廉也れんや (27)  同じく雇われた男性。給仕人。

 安東あんどう幸嵩ゆきたか (31)  安東の従兄弟。資産家。クルーザー所有。




1,孤島へ


「何よこれ! なんでわたしが寺田てらださんと付き合ってる設定になってるのよ!」

 断続的に揺れるクルーザーのキャピン内で、『ペンションの殺人』の原稿を読み終えた堀川ほりかわ綾乃あやのが、奇声の如き大声を上げながら憤慨した。

 安東あんどう正臣まさおみは、予想通りの彼女の反応に苦笑を禁じ得ない。

「それに、全編通してすっごい嫌みで空気の読めない女子みたいな描写じゃない!」

「まぁ落ち着け。あいつには俺達をモデルにして自由に書いていいと許可を出したんだから、文句を言う権利はないだろう」

 安東は冷静に宥めようと試みるが、苛立ちは収まらないようで、

「そうは言っても! 程度ってものがあるでしょ? ねぇ! 部長さんもそう思わなかった?」

 部長というのは安東のことだ。ミス研の部長は三回生の雪乃ゆきのにその座を譲っているが、弱小サークルゆえか、今でもメンバーから部長と呼ばれている。

「俺が読んだ限りでは、不満を感じるほど性格が変わっていたとは思わなかったけどな」

 安東自身の性格としては、事なかれ主義はあながち間違ってはいないし、実際にこれまでのミス研設立にも心血を注いできたのだから、もしも活動休止を言い渡されたとしたら悲嘆に暮れることだろう。短編を読んでみると、的を射た描写の多さに正直、彼は日頃から安東達をよく観察しているなと感心する思いだった。

 裏腹に、綾乃は彼女の怒りに共感してもらえないことがご不満らしい。アヒル口をしゃくらせたような、ミス研メンバー以外には見せられそうにない顔芸を披露しながら、もう一度原稿に目を走らせた……かと思うと忙しなく唐突に立ち上がり、「やっぱり我慢できない!」と叫んだ。船の揺れによろけながらも、作者のいるであろうデッキ繋がる階段を足早に上っていく。

 もう二時間も経過している長い船旅だ。安東も外の潮風に当たりたくなって腰を上げた。というのは半分建前で、彼女の反応の続きを見ていたい野次馬根性の方が割合としては大きいのかもしれない。

 キャビンを出ると、潮風と日差しの強さに眼を細める。九月の晩夏だというのに、暑さの和らぐ気配は一向に感じられない。デッキの上では、既に暑苦しいいざこざが始まっていた。

「――俺だって九分九厘、雪乃さんを選ぶさ。こんな色気の無い小娘、こっちから願い下げだぜ」

「あったまきた! 九分九厘はあんまりよ! まあ、お姉ちゃんは美人だしぃ、優しいしぃ、わたしが選ぶとしても九分八厘お姉ちゃんだけど……」

 綾乃は自分を選んで欲しいのか欲しくないのか、よく分らないことを捲し立てている。怒りの矛を向けられているのは何故か作者ではなく、作中でカップリングされた寺田國章くにあきだった。両手を腰に当てた綾乃の放つ刺々しい言葉を、長身でがたいの良い寺田は上から見下ろす形で受け止めている。

 ガミガミという擬音が飛び交いそうな言い合いと睨み合いがしばし続く。現実でも、なかなかお似合いだと思うのは安東だけだろうか。

「それで……遠山とおやま君はどうして遭難した少年設定にしたの……?」

 もう一人、後部甲板で長い髪を靡かせている清楚な佇まいの女性、堀川ほりかわ雪乃が、海風にかき消されそうなか細い声で質問をした。その相手は先程からデッキの端で胃の中を空っぽにする作業を繰り返す遠山朔椰さくやだ。船酔いをする人間にとって、二時間の長旅は苦行以外の何物でもないだろう。

 彼は元々痩せぎすな見た目から、更に無理なダイエットをしたかのような、げっそりとした顔をこちらに向ける。

「……まぁ、被害者を出すからには、僕がなるべきだと思いましたからね。それに僕らは日頃から顔を合わせてますけど、知らない誰かが小説を読むことを考えて、ふと思ったんです。僕と有馬ありま君は口調が似てるから避けた方が良いかもって……。う……おぇっ」

 遠山は上体を翻すとクルーザーから身を乗り出し、再びリバース作業に戻った。

 なるほど、と思う。若手俳優のような容姿の有馬と、うだつの上がらない遠山では、安東達が見間違うはずもないが、台詞を文字に起こすとそうもいかない。『ペンションの殺人』を書いた遠山も、自暴自棄になっていたわけではないようだ。

 視線を廻らすと、まだまだ綾乃は不満げな目つきで、

「ほら、お姉ちゃんも遠山くんに何か言ってやって!」

 と、今度は姉の雪乃にお鉢が回ってきた。

 雪乃は潮風に乱される長い髪とツーピースの服を白く細い腕で押さえながら、仕方なくといった表情をする。

「そうですね。……私も一つだけ不満な描写があります。私は……あんなに幽霊を恐れていません……。少しだけ、ほんの少しだけですよ……怖いだけです」

 結局怖いのでは? と返したくなる台詞を、囁くような澄んだ声音で言いながら虚勢を張る。目鼻立ちのよい顔はあくまでも真剣そのものだ。

 異を唱える声は、船首から会話を聞きつけた別の人物からも飛んだ。

「僕もあんな狂気じみたキャラではないですよ」

 有馬悠士ゆうしだ。中背中肉、甘いルックスに微笑を浮かべながらも、彼はそう言って難色を示すが、安東はすかさず訂正を入れる。

「いや、有馬はこういうキャラだろう」

「有馬くんは一番近いでしょ」と綾乃。

「有馬はそのままだよな」と寺田。

 三者で口々に言う。雪乃は黙したままだったが、申し訳なさそうな表情を見る限りこちら側に同意と見て取れた。

「え……そうなんですか?」

 有馬は端正な顔をぽかんとさせていて、自覚はないようだった。

「それにしても縁って不思議。遠山くんが小説を一つネット投稿しただけなのに、それによってわたし達がクルーザーで島に向かってるだなんて」

 話題を変えるように綾乃が言う。

 遠山が書いた『ペンションの殺人』は、ミス研の名と共にSNSに投稿をした。たいした評判は得られなかったが、弓塚ゆみつかいつきと名乗る人物から賞賛するコメントを載せたダイレクトメッセージを頂いたのである。それを皮切りに、その人物とはボイスチャットを使い数回に渡る会話もした。弓塚は女性の声だった。更にメンバーも含めて会話を繰り返す内に、驚くことに、というと失礼だが、彼女は孤島に移り住んでいること明かした。会話の流れであれよという間に招待され、こうして彼女の所有する島の邸宅を訪れることと相成ったわけだ。

 しかし語弊がないように述べると、そこに渡る船は自前で用意したものである。最寄りのX県にある港漁師に懇願しようかと相談していたところ、安東は従兄弟がクルーザーを持っていることを思い出し、話した途端に、みごと白羽の矢が立ったわけだ。従兄弟は、彼の父方の祖父が控えめに言っても『お金持ち』である上に、彼自身も商業で成功を収めた実業家だ。数ヶ月前に、「釣りの為にクルーザーを買ったから、正臣も暇があったら乗りに来いよ」と電話を受けたこともある。その口ぶりは悠々自適な社会人ライフを送っているようで、とても陽気だった。

 ともかく、この船は安東の従兄弟、安東あんどう幸嵩ゆきたかのフィッシングクルーザーであり、安東が深く頼み込んで例の島までの送迎をお願いしている。病気や怪我で入院しているわけでもなく、元気すぎるほど元気である。因みにペンションも実在する建物であり、事件の起きない冬合宿を満喫させてもらっていた。従兄弟にはほとほと頭が上がらない。

「招待主さんもよ、どうせなら船も用意してくれりゃあいいのに。遠い島に招待するだけって何か中途半端だよな。まぁ、そこまで配慮してくれとは言い辛いけどよ……。こっちはD大学のミス研とは明かしているものの、互いに面識がなくて素性の分らない関係なんだから」

 寺田が愚痴を言うが、それはミス研内でも波紋が広がった議題だった。中途半端に親切な謎の人物。もしやこれは罠で、若者を狙う犯罪集団かもしれない、事によっては命が奪われるかもしれない、などの不安の声が上がったわけである。

 疑心派代表の寺田と打って変わって、遠山と有馬は、是非行くべきだ、こんな機会は二度とない、と必死の説得で招待に応じる方を押し通そうとした。またとない孤島への招待だ。安東もどちらかと言えば、機会を逃したくはなかった。

 結局のところ多数決となり、反対派は寺田と雪乃だけだった。

 とはいえ甲板で潮風に吹かれながらも、期待に満ちた二人の横顔を見ていると、招待を受けた選択は正しかったように思える。一度きりの大学生活なのだから、大いに楽しむべきだ。安東も期待に胸を膨らませていた。

 不意に、

「そういえば」

 と、遠山が貧弱な声を発した。置いていたバックパックに手を突っ込み、あれでもないこれでもないと漁り始める。目当ての物らしき分厚い本を取り出して笑むと、ゆらりと立ち上がり、寺田に近づいて渡そうとする。

「借りていた本です。面白かったですよ」

「もう読んだのか。ってか、大学に戻ってから返してくれりゃあいいのに」

「借りっぱなしは何だか気分が悪いんですよ。すぐに返さないと、もやもやする性分なんです」

 そんなことを言って、強引に『オイディプス症候群』を寺田の胸板に押し付けた。

 早い方がいい? 待て待て、と安東は内心苦笑いだ。読み終わったらすぐに返す彼の律儀さは良い面ではあるが、正直なところ分厚い本を旅先で返されても、嵩張るだけで対処に困る。はっきり言うと、空気が読めない、というやつだ。そこら辺の配慮も兼ね備わっていたらと、安東は遠山に対して何とも言えない評価のままでいた。

 ふと、操舵室にいる従兄弟の幸嵩に呼ばれ、伝えられたことを受け売りの要領でメンバーに話す。

「ついに、見えてきたぞ。あれが招待主の住む『紅詑くれた島』だ」

 甲板にいる皆がその島を直視し、安東自身もそれに倣う。強い日差しに煌めく大海原の先、空と混じり合う地平線の彼方に、斜めに平たい島の輪郭が淡く朧気に見えた。安東は自身で言いながら、これからその地を踏む島と初対面の住人のことを考えると、高揚を押さえきれない気分になる。

 天気予報では台風が日本列島に近づいていると言っていたが、予報士の読み通り北上して行き、南西部には来ないだろうと予想される。からっと晴れ渡った空は何の音沙汰もなく、ただ一色に染まった夏空の美しさを見せるのみだった。

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