最終話『別離(わかれ)の刻』

4ー前編

 この閉じられた空間。実斐が『檻』と言ったこの場所の出口……鍵を探す。そうは言ってみたものの、どうすればいいのか悠音はさっぱり分からなかった。

 自分は世にいう陰陽師などでもない。普通の学生だ。

 テレビや雑誌などでやっているオカルト系の特集などもあまり見ない方だし、呪術的なことはまったく分からない。

 この藤城神社の『神迎の神事』の射士に選ばれたのだって、単に自分が弓道である程度の成績を治めているからということ。そして親の財力の賜物なのだということは悠音自身わかっていた。神秘的で不可思議な力があるわけではないのだ。

「ねえ。何か手掛かりになるようなものはないの?」

 いくら考えても分からずに、困ったように悠音は首を傾げた。

 家の扉を開けるような、あの"鍵"などではないことはなんとなく分かる。だからといって何を探せばいいのだろうか?

「我が創り出した結界オリではないのだから、知るわけがなかろう」

「だって、長い間ここに居たんでしょう? 何か手掛かりくらいは掴めてるんじゃないかなって思ったのに」

 役立たず、とまでは言わなかったが、悠音は口を尖らせてそう言った。偉そうなことを言っている割には、自分だって出口をまったく知らないのじゃないか。

「……ずっと眠っておったのだ。鍵を捜す時間などあるはずがなかろう。我に分かるのは、在るべきものを失くすことによって現世うつしよから切り離された空間が、鬼を封じる結界オリとなる、ということだけだ」

 知らないことを指摘されたのが不満だったのか、どこか拗ねたように青年は口を曲げた。こういうところは、本当に子供のようだと悠音は可笑しく思う。

 けれども不意に、拗ねていた鬼の青年は何かに気がついたように悠音の方に向きなおった。

「そなたは、どうやってここに来た? 現世うつしよでは無いはずのこの場所に」

「え? さっきも言ったでしょ。落ち葉に隠れるように水が流れているのが見えたから、気になって近付いて来たのよ」

 その瞬間に突風が吹いて、気がついたら目の前でこの青年が眠って居たのだ。何か特別なことをして、ここに入り込んだわけではない。

 実斐はふんと皮肉るように口端を吊りあげると、何かを吟味するように睫毛を伏せて考え込んだ。うつむくその白い頬に、紅葉のような深紅の髪がさらさらと落ちかかる。その隙間から、蒼銀に輝く角が見えた。

 ふと、悠音は青年の紅い髪の隙間から覗く、美しい月にも似たソレに触れるように、そっと手を伸ばす。

「なんだ?」

「あ……ごめん。ちょっと気になって」

「ツノが、気になったのか?」

 困惑したように、実斐は眉根を寄せた。この少女のすることは、本当に不可解だと思った。

 普通の娘ならば ―― ここに封じられる以前に自分が居た場所の話だが、鬼である自分を怖れて誰も近付きはしない。ましてや角に触れようなどとする者は皆無だったのだから。

「うん。とても綺麗だから、つい……ね。それに、いま紅い髪の隙間からその角が見えた時、何か思い出しそうだったの。ここに来るときのこと」

 考え込むように、悠音は言った。

 そのまま少女が無言になったので、青年も深く問い質そうとはせずに軽く腕を組んで楓の木に寄り掛かる。

 彼女がここに来た時の状況を考えながら、実斐は何気なく木の脇をとおる細く澄んだ水の流れを見やった。

 ここの水流は彼女の言葉とは違い、落ち葉に隠れているわけでもなく、さらさらと小川の様相を示してる。しかし ―― 。

「……もうひとつこう。そなたは何故その水の流れに気がついたのだ? そなたの話によれば、落ち葉に隠れるように流れていたのであろうが。離れた場所からも、そんなに簡単に分かるものか?」

 じっと漆黒の瞳を向けられて、悠音はその時のことを思い出そうと目を閉じた。

 確かあのとき、紅く敷き詰められた紅葉のじゅうたんの隙間から何かきらきらと光るものが見えたのだ。だから、自分は目を凝らして ―― 。

「うん、そうだ。たぶん陽の光が水に反射して、落ち葉の隙間が光って見えたんだ。だから気がついたのよ」

 天高く輝く太陽。あの陽光が水に反射しなければ、ここに自分が足を踏み入れることはなかったかもしれない。考えようによっては、自分はあの太陽にここに導かれたのだ。そう思いながら、悠音は何気なく空を見上げた。

「 ―― !?」

 はっと、少女の大きな目がさらに見開かれた。

 慌てたように、傍近くに置いていた巾着袋を……否、巾着袋の紐に付けていた時計を見やる。

「……どうしたのだ、悠音?」

「もう、こんな時間なの!」

 時計の針は、四時を過ぎたところを指していた。

 この青年と出逢って、すでに四時間以上が経過していたのだ。そんなに時間が経っていたとは気付きもしなかった。

 今さら神事の時間が気になったわけではない。ただ、おかしいと思ったのだ。ここまで時間の流れに気がつかなかったことが。

「時計の針は進んでる。でも、太陽の位置が変わってないのよ。私がここに来た時から、まったく」

 悠音がここに辿り着いたのは正午よりも前だ。今はもう夕刻が近い。それなのに、太陽は変わらず中天に在る。陽の高さが変わらなかったから、自分はそんなに時間が経過しているとは思わなかったのだろう。

「そう言われてみれば、そうだな」

 漆黒の瞳を眩しげに細めて、実斐は天を仰ぐ。彼女が指し示した"時計"の見方はよく分からなかったが、確かに太陽の位置は自分が目覚めた時となんら変わりがないように見えた。

「そうか ―― 。我を封じたこの空間が失くした"在るべきもの"とは……"時の流れ"か。それならば、時が止まった象徴……あれが鍵か?」

 青年は動かぬ太陽を見つめたまま、そう呟いた。

「太陽が鍵だとしたら、どうすればいいの? ドアの鍵みたいに鍵穴に鍵を挿すってわけじゃないものね……」

 悠音は一度太陽を見やり、そうして鬼の青年の顔を見やる。

 彼ならば、その答えを持っているだろうと思った。何せ呪術的な事に疎い自分とは違って、彼はそういうことが盛んだった時代の人間……いや、鬼なのだから。

「ふん。鍵は壊せば扉が開く」

 にやりと、青年は笑った。その自信たっぷりのあざやかな微笑みに、思わず悠音は見惚れてしまう。

 しかし、その言葉の意味を理解してうんざりしたように溜息をついた。

 まったく、太陽を壊すだなんて何をどう考えたらそんなふうに自信たっぷりに言えるのだ。

「あのねえ……どうやって太陽を壊すって言うのよ」

 思わず呆れたように答えると、実斐はさらに呆れるようなことを言ってのける。

「そなたが弓で、壊すのだろうが」

「…………」

 絶句するとはこういうことを言うのかと、悠音はがっくりと両手で頭を押さえた。あまりにも馬鹿らしくて、返す言葉もなかった。

 太陽まで届くほどの強弓の持ち主が、いったい世界中のどこにいるというのだろうか。そんな馬鹿なことは有り得ない。

 悠音はゆるゆると頭を振って、非常識なことを言う鬼を見やる。

 けれども、実斐は切れ上がるような笑みを浮かべて僅かに顎を上げた。

 やれ。そう命じられているようで、悠音は一瞬腹が立った。しかし、

「……分かったわよ。やればいいんでしょ?」

 不服そうに頬をぷくりとふくらませて、悠音は仕方なく弓の仕度を始めた。

 とりあえず、試すだけ試してみようと思った。それでダメだったならば、あとでこの鬼の青年に文句を好きなだけ言ってやればいいのだから。

「私、上に向けて射ることなんて今までになかったし、届かないかもしれないよ?」

「ふふん。あれは、太陽であって太陽ではない。この空間を閉じるための鍵だ。そんなに的は遠くない」

 ぽんっと、まるで宥めるように軽く頭をはたかれて、悠音は諦めたように苦笑した。勝手なことを言っているなぁと思ったけれど、彼がそう言うのであれば、きっとそうなのだろう。何故かそう思えた。

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