穴~THE HOLE~

三ケ日 桐生

~プロローグ~

 けたたましい音を立てて降りしきる雨粒が絶えずフロントガラスに叩きつけられ、乱雑に揺らされるすだれを被されたように視界が塞がれている。

 そんな雨を遊錘をなくしたメトロノームの針の如く踊るワイパーが死に物狂いに掻き分け、その度に劣化したゴムが軋みを上げた。それでどうにかコンマ数秒だけ前方の視界を確保しながら、深夜の街道を進んでいく。

 休拍を差し挟むことなく車内へと幾重にも反響する雨脚は、まるで遠慮のないボリュームで鳴り響く波長の合わないラジオノイズ。ふいに交じる雷鳴と共に苛立ちと焦燥をいや増すその音に時折舌を打ちかぶりを振りながら、それでも必死にハンドルを切ってアクセルを開けた。

 トンネルを抜け、大通りを下る。目指すは私鉄K線の支線、K駅前のロータリー。

 そこへ辿り着けば――正確に言えばそこで待つ『彼ら』に会えさえすれば、私の未来はまだ、閉ざされはしない。

 坂を下り終えた車が交差点にVの字を描き、尾根幹線へと続く緩やかな上り坂を走っていく。あとはホームセンターの駐車場が見えたら右に折れるだけ……大雨の見知らぬ道を、不慣れな2トンのトラッククレーン車ユニックで走るという緊張から僅かに解き放たれ、生まれた余裕が目線を無意識にルームミラーへ誘っていく。

 長方形に切り取られた後方の視界。稲光が深夜の空を照らすたび、荷台を占拠する雨曝しのドラム缶が映り込んでいた。

 あれこそ私の命運を握る鍵にして、最大の重石。頼れるのはもう、駅で待つ彼らしか――


「……っ?!」


 浮かべた祈りのような思考は、突然鳴り響いた着信音によってぶつ切りにされた。この場と気分にまるでそぐわない能天気なメロディが、右ポケットから聞こえてくる。

 数秒の我慢はあっさりと苛立ちの許容値を越え、しばらく運転を左手だけに任せてポケットを探る。


『パパ💛』


 液晶に表示された相手の名前を見た途端、心臓が鷲掴みにされた心地を覚えた。喉の奥に苦みが広がっていく。一刻も早く切りたいが、目にした事は多々あっても実際触った事のない機種の勝手などわかるはずもなく、結局助手席に置いていたジャケットの中へ乱暴にくるみ、逃げるように意識を前方へと戻した。

 ……最悪だ。いや、正確に言えば3週間前から、気分はその最悪を更新し続けている。

 早く、早く辿り着け。

 そしてせめてひとつでも、自分を苛むモノが消えていきますように――

 再び浮かべた願いをあざ笑うように、駅へと続く最後の信号が目の前で赤に変わる。慌てて踏み込んだブレーキに体が前へとつんのめり、ジャケットが床へと落ちた。







 ※     ※     ※







 どうにか、間に合った。

 ロータリーに車を止め、エンジンを切る。私の到着と入れ替わりに終電を送り出した改札口は人気もまばらに、ただ弱まってきた雨に濡れるまま静けさを保っていた。

 バックレストに頭を預け一度大きく息を吐いてから、左の胸ポケットに手を入れて自分のスマホを取り出す。履歴から目当ての番号を探し出し耳に当てたタイミングで、切符売り場の影から出て来る人影が見えた。

 こちらの気分とは真反対の緩んだ面持ちを浮かべながら近寄って来る男は、片手に持っていたチョコバーの空き袋をスカジャンのポケットへ突っ込み、親指をひと舐めした後そのまま車の窓を軽く叩いてきた。


「待ち合わせ時間ピッタリ……このクソ雨だ、もう少し遅れると思ったんだけど」


 ビニール傘をルーフに引っ掛けながらの軽薄なノックに急かされ、パワーウィンドウのスイッチを押す。

 だが開き始めた窓を待てない様子で、感心交じりの声が車内へと入り込んできた。


「こっちは必死なんだ」

「わーかってるって、後は任せておいてよ」


 ドアの隙間に窓が埋まっていき、声の主の朗らかな笑みが見えてくる。

 贔屓目に見ても信用の置けないその顔と薄っぺらい声に、閉じた口の中で舌打ちを押し殺ていた。


「……彼は、どこにいる」

「んー?」


 勿体ぶるような返事。こちらの憔悴を楽しむかのような反応に、思わず全開にした窓から身を乗り出してしまう。


「八柳君。彼は――」

「あぁ、来た来た。おーい、こっちこっち」


 精一杯鋭くした私の眼光などまるで意に介さない様子で、こちらの声を遮った八柳が私のユニックから身を離し、近づいてくるSUVに向かって大手を振った。


「お疲れお疲れぃ。んでどうする?案外厳ちぃトラックだけど……」


 そのまま後ろへぴったりくっつくように停車したSUVに歩み寄った八柳が、運転席へと声を投げる。 


「あの森通れっかな。次郎ちゃん」

「問題ない。本家にあるより小さい」


 一拍置いて開いたドアから、八柳のそれとは印象を対極にする低く重たい声が耳朶に届いた。その声の主にして私の命運を握る男はゆっくりと車から降り、律儀にこちらへと頭を下げてくる。

 慌てて私が車を降りる頃には、既に高さを戻した視線が何の感情も宿さないままこちらを見据えていた。


「確認する。『積荷』は、このドラム缶5つでいいんだな」

「あ、ああ。しかし本当に――」

「大丈夫だ」


 後に続く文句を、あるいはこちらの内情を既に見透かしていたかのようなタイミングで言葉を遮られ、消化不良の口がもごつく。


 ――本当に大丈夫なのか。

 時を変え場所を変え異口同音に、彼は私のような依頼者から何度も訊ねられているのだろう。

  ……『積荷』の処理そのものだけではなく、不正に投棄したことによってのちに発生しうる諸問題の数々。

 彼の言い放った「大丈夫」という言葉は、そのケアをも当たり前のように内包している。 慣れきったその様子と決然とした返答からは、こちらの言わんとしている全て汲み取った上でのものという確信すら伝わってきた。


「そーそー。次郎ちゃんの言う通り、払うもんさえ払っちまえば何も心配するこたぁないよ」

「うわっ」


 不意に後ろからこちらの肩を抱き、八柳はからからと笑う。突然の驚きのあまりそちらへと気を取られているうちに、彼と八柳は再び車のドアを開けた。


「目的地までは20分程だ。後ろを着いてきて」

「見失うなよー」


 それだけを言い残した2人は車内へと消えていく。次いでハイブリッド特有の柔らかいエンジンの立ち上がり音に背中を押され、私もユニックのドアノブを握った。

 いよいよ、この『積荷』と別れる、別れられる時が近づいている。だが今を以て彼の自信の根拠や処理するからくりも見当がついてはいない。だが説明を受けた喫茶店の時と何ら変わらぬその態度に、少なからぬ信頼感を覚えたのも確かだ。

 ……それにどの道もう、彼に頼るしか私に残された道はない。


 ――行くぞ。


 誰に効かせるでもない決意を小さく吐き出し、セルを回す。

 いつの間にか雨は止み、空には夜空を蓋ぐ鉛のような雲だけが広がっていた。

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