第7話 届いた誠意

「全然面白くねえ。こんな恥さらしな事なんて出来ないって言うか、やっても即逃げ出すと思ってた。お偉いさんの情けない姿が見たかったのによぉ。まさかそんなに身体を張るとはな」


 医者はやれやれと溜息を吐きながら僕とレナの元に来ると、静かに右手を差し出した。


「いいぜ、合格だ。俺様は王族や貴族なんて連中は死ぬほど嫌いだが、お前は連中と多少は違うみたいだ。特別に診てやるよ」


 手を差し出す医者の顔は、先程までの怒り狂った顔や、何かを企むような嫌らしい笑みではなく、嫌味を一切感じさせない笑顔だった。


 これは……僕の誠意が彼に届いたのか? わからないが……よかった。これでレナの怪我を診てもらえる……。


「ほれ、さっさと立ちやがれ。俺様の気分が変わらないうちにな」

「え、ええ。レナ、立てるかい?」

「大丈夫です」


 僕は医者の手を取って立ち上がり、レナは僕の手を借りながら立ち上がるとほぼ同時に、サルヴィが猛スピードでこちらに走ってきた。


 随分歳を取っているはずなんだが、まだまだそんなスピードで走れるのか。これならまだまだ元気でいてくれるだろうな。


「マルク様! レナ嬢! ご無事ですか!?」

「はい、大丈夫です」

「僕も問題ない。それよりも、よく我慢してくれた。おかげで大事にならずに済んだ」

「主の命を守るのは、当然でございます」


 彼の忠誠は嬉しいし心強いが、主としてもっと頼れる存在にならないといけないな……このままでは、せっかくまだまだ元気だと思っていた彼も、心労で倒れてしまうかもしれない。


「あ、あいつ……ドゥーンの爺さんに認められたぞ……」

「あの王族嫌いで有名なのドゥーンさんが……信じられないわ……」


 ドゥーン……? それはあの医者の名前だろうか? 皆が言うくらいなんだから、やはり彼は本当に我々が嫌いなんだろう。そんな彼に認められたのは、きっと奇跡だ。


 そんな事を僕は考えながら、スラム街に住む民達のざわめく声を背中に浴びつつ、診療所へと向かって歩を進めた――



 ****



「よう、お待たせさん」


 診療所に戻ってきた僕は、先程できた傷の手当てをしてもらい、服を着てから、サルヴィと共に誰もいない待合室で座って待っていると、ドゥーン殿がレナを連れて診察室から出てきた。服から覗く手足には包帯が巻かれていて、とても痛々しい。


 見た感じ、服が乱れてるとかなさそうだし、レナの様子も至って普通なところを見るに、何か乱暴をされたとかはなさそうだ……いや、別に彼を信用していない訳じゃないんだが……僕を認めてくれたのは嘘で、本当はレナに乱暴をするためにあんなに態度を急変させた可能性がゼロとは言えない。


 そんな遠回りな事をしないで、最初から招き入れれば済むだろうと言われればそれまでなんだが。


「ドゥーン殿、レナの容体は?」

「あん? なんで俺様の名前知ってんだ? 名乗ってねーぞ」

「先程、見物者がそう呼んでたのが聞こえてきたもので」

「あーなるほどな。まあいいわ。とりあえず身体中が傷だらけだが、命にかかわるものはねえ。ただ、もう傷跡になっちまってるのは消すのは無理だな」


 そうか……女性の身体に傷が残ってしまうのはとても心苦しいが、レナの命に別状がないならよかった。


「それよりも、栄養失調の症状が出てる。まあこのスラム街じゃ、割と日常茶飯事な事だが……ちゃんと食べさせてるか?」


 そんなの当たり前じゃないか。レナには三食しっかり食べてもらっている。なるべく消化が良いもので、栄養のある料理だ。レナと出会ってから、毎日僕の自室で一緒に食べているんだから間違いない。


「はい、勿論。一週間ほど前に出会ってから、毎日食べてもらってます」

「そうか、ならいい。栄養失調は一週間で治るもんじゃねーからな。塗り薬と飲み薬を出しとく。俺様自ら調合した、最高の薬だぜ」

「ありがとうございます。私の傷の手当までしてもらって、感謝の極みです」

「大げさなガキだな。患者が来て俺様が診たから手当てをした。ただそれだけだ」


 ぶっきらぼうな台詞を言いながら、ドゥーン殿は僕に塗り薬と錠剤の薬を手渡してくれた。それと引き換えに、僕は診察費と治療費を入れた麻袋を渡した。


「ちなみにこの薬は?」

「見りゃわかんだろ。塗り薬の方は傷の方に、飲み薬は栄養失調を治す効果がある。毎日三回包帯を取って、綺麗に消毒してから薬を塗るんだぞ」

「なるほど。私が今使っても構いませんか?」

「別に構いやしねーが。薬は坊ちゃんが飲んでも意味ねーぞ?」

「わかってますよ。あなたの事は信用していない訳ではありませんが、万が一を考えて」

「マルク様! 毒味なら私めが!」

「ありがとう。だがこれは僕がやるべき事だ。そうじゃないと、また王族は安全な所で見てるだけと思われてしまうからね」


 そう前置きをしてから、僕はまず錠剤の薬を飲んでみた――が、特に何か変わった感じはない。塗り薬を使っても、塗った部分がスースーするなという感想しかない。


 この行動は、王族としてはゼロ点の行動なのは重々承知だが、僕は王族以前に一人の人間だ。人間として、自分の保身のために誰かを犠牲にするような真似はしたくないんだ。それがたとえ偽善だと言われても……ね。


「ガッハッハッハ! 本当に王族か!? 変わり者って言われんだろ!」

「家ではあまりこの考えを出さないので、なんとかそれは避けてますよ。この前少しだけ国王陛下に意見を申したら、変な顔されましたけどね」

「だろうな! よし、気に入った! また何かあったり薬が切れたら来な! すぐに診てやっから!」

「ありがとうございます。それで、私達が来た事は内密にしていただきたい」

「心配すんな、こちとら口の堅さもウリにしてるくらいだからな!」


 ドゥーン殿は出会った時の態度が嘘だったかのように、高笑いをしながら僕の肩をバンバンと叩いてきた。傷に響くからできれば控えめにして欲しいところだ。


「では長居するのも申し訳ないですし、私達はそろそろおいとまします」

「おう。今度は茶でも出してやっから、なんかうまい茶菓子でも持ってこいよ」

「ははっ。では僕のお気に入りの菓子を手土産にしましょう」


 僕達は笑い合いながら診療所を後にすると、家の周りには何人もの民達が真剣な表情で集まっていた。


「皆の者。この度は騒ぎを起こしてしまって申し訳なかった。私がここにいたら不愉快だろう。すぐに出ていくから安心してほしい」

「……あんた、本当に王族なんだよな?」


 先程希望が無いと言い放っていた男性が、僕の前に来て恐る恐る問いかけてきた。


「はい。第四王子のマルク・ジュラバルと申します」

「その、さっきは申し訳なかった。つい感情的になってしまって……」

「いえ、お気になさらず。全ては私達が招いてしまった悲劇……その犠牲になったあなた方がお怒りになるのも当然です」

「あんた、俺達の知っている王族と全然違うな。なんていうか、あんたみたいな人もいるんだって思ったら、ちょっとだけ救われたよ」


 男性に続くように、周りの民達も深く頷いてくれた。その表情は、ほんの少しだけ柔らかくなっているように感じられた。


「……ありがとう。そして、本当に申し訳ない」


 今回はレナを秘密裏に診てもらうためにスラムに来たおかげで、民達がほんの少しでも救われた結果になったと思う。四男で、何の力も持たない僕でも、民を救う事は出来るんだ。


 そう思うと、とても嬉しくて――そして、今まで自分に言い訳をして何もしなかった自分を、より一層責めるのだった。

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