第12話 連盟の白い小悪魔

 初日の訓練が終わる。


 アムレート市基地へと帰還したフェリシティは、シャワーを浴びながら小さくため息をついた。


(シミュレーター訓練の時に比べて……だいぶ時間がかかっちゃったな)


 惑星ヘレネーの月「スティクス」における初めての戦闘訓練。実際の衝撃やGを経験できたことは良かったと思える、けれど、戦術に関しては何も新しいことを学べなかった。


「もっと得られるものが、あると思ったんだけどな……」


――あと1年。残された時間は多くはない。もっと、もっと学ばないと。生き残るために。


 フェリシティは再び学校の制服に着替えるとすぐに、H.E.R.I.Tヘリツト責任者であるマイヤーの元へと向かう。


「マイヤー局長」


「どうした、フェリシティ」


「あの、シミュレーターを使わせてほしいのですが」


「今日の訓練はもう終わったじゃないか、まだやるのか?」


「はい、まだ足りない気がして……」


「実機を使った初めての連携訓練で疲れてはいないのか? 報告によると危険な状況もあったようだが」


「はい、大丈夫です」


 その言葉を聞いてマイヤーは苦笑する。


「大丈夫か……訓練中の部隊では、一番優秀な者達を手配してもらったんだがな。大統領にまで掛け合って、かなり無茶な話を押し通してもらったんだが」


「そうだったんですか……ごめんなさい、あまり成果を出せなくて……」


「いや、フェリシティが謝ることではない。仔細しさいは聞いている。彼らは君の足手まといにしかならなかったらしいな」


 それだけの部隊であってもフェリシティには釣り合わなかったらしい。並の人間では精鋭部隊でも当てない限りダメということか、とマイヤーは納得する。


「いえ、そんなことは……」


「しかし私はこの基地で許可を出せる立場にない。ちょっと待っていなさい、当たってみよう」

 マイヤーは基地備え付けの端末で許可申請を出せる人物を探る。


「おっ、ちょうどいい、今日訓練を指導した刀島とうじま少佐が担当のようだ。行ってみるといい」


「えぇ……」

 フェリシティの脳裏に刀島とうじまの顔がよみがえり顔が曇る。訓練説明の時の恐怖が呼び起こされた。


「他の人じゃダメなんですか?」


「うーん、今いるのは彼だけのようだな。何か問題でもあるのか?」


「うぅ……いえ、特にないです」

 はぁ、とため息をつきながらフェリシティは頷く。


 気が重かったが、とりあえず刀島とうじま少佐がいるとされるオフィスルームに、しぶしぶながら行くことにした。


 基地施設内を歩いていれば当然ながら軍人たちとすれ違う。学校の制服が原因なのだろう、必ずと言っていいほど奇異な目で見られてしまう。今のフェリシティにとってこれが一番の正装ゆえにどうすることもできない。


(やっぱりこの恰好、目立っちゃうよね。恥ずかしい、はぁ……)


 すごく場違いな気がして恥ずかしくてたまらない。


 早くこの場を去りたいけど、目的の人物が一向に見つからない。オフィスルームに行っても刀島とうじま少佐は不在だった。


 あちらこちら彷徨うこと30分、ついに目的の人物を発見。


 刀島とうじま少佐は休憩所のソファーに座りコーヒーを飲みながらタブレット端末を眺めていた。


 険しい顔をして何やら調べ物をしている様子。


 人見知りの激しいフェリシティにとって、今日初めて会ったばかりの人に話しかけることはとても勇気のいる行動、しかも相手は大人の男の人で、フェリシティが最も苦手とするタイプの、強面こわもてで、声が大きく、威圧的。


 しかもその人物は今、眉間にしわを寄せ画面を睨みつけている。恐い顔がいっそう恐く見える。機嫌もすごく悪そうで、とても声をかけずらい雰囲気。 


 勇気を出して声をかけようとするも、やっぱり恐くて気が引けてしまう。


   ***


 刀島とうじまは眉間にしわを寄せ、今日の訓練に突然加わった謎の美少女の経歴を調べていた。


 Felicity Leilani Kohala Heatheryburn

 

 Age 17

 

 Nationality : Daffodil 

 

 Lazulicot college lower sixth form

 

 H.E.R.I.T-Research support personnel


「ラズリコット・カレッジ、ロウアーシックスフォーム。イーハトーブでいうと高2ぐらいか。そんでもってH.E.R.I.Tエイチ・イー・アール・アイ・ティー研究協力員。ふむ」


 H.E.R.I.Tエイチ・イー・アール・アイ・ティーとは何ぞ、と検索をかけてみる。


 Helene Exploration Research Institute for Trans‐species


「ヘレネー探査トランススピーシーズ研究所。とらんす・すぴーしーず? 種を越える……でいいのか? うーーーーん、よくわからん」

 事実、分からないことだらけの組織。何らかの研究機関のようだが、情報局にアクセスしても制限がかけられ閲覧できない。


 軍の機関というわけではないらしいが、軍用SWGを保有、運用しているという事実。


 おまけにそれを操縦しているのが、まだ17歳の一般学生。


 ただ自己複製型ナノマシンを投与された人間、CRESクレスであるというだけだ。18歳にもなっていないから、徴兵はまだされないはずだ。学校に通っているという点を見ても志願兵ではない。


「そんなんがなんでまた」とつぶやきながら閲覧を続ける。


 もう一度彼女のプロフィールを見返しても、やはり軍籍にはない。ただ「特例」との記載があるのみ。


 今日の訓練においても刀島とうじまのところに連絡が入ったのは、つい前日のこと。幾つもの煩雑な手続きをすっ飛ばして、ガキどもの実弾を使った訓練にいきなりねじ込まれてきた。普通に考えてあり得ない。


「うーむ……やはりこれは、やんごとなき、と~ってもえら~いお方の権力ちからが働いているんだろうな、こりゃ」


 詮索するのはやめておいた方がよさそうだ。下々の者が色々と余計な勘繰りをすると後々怖いことになる。


「さて、怖い事と言えばもう一つ……」


 刀島とうじまは降って湧いた目下もっかの脅威に対処する方策を考えることにした。


 我が部隊に突然舞い降りた混沌の女神。


 愛らしい容姿に、控えめで清楚なたたずまい。クッソ真面目なあいつらの〝ど〟ストライクを突く。


 まあ、それはさておきと、刀島とうじまはため息をつきながらも缶コーヒーを一口すすり、気を取り直して本日の訓練のを確認する。

  

 〇なぜか鏡の前に立つ時間が長くなった者                6名

  

 〇なぜか髪型を気にし始めた者           14名(丸刈り3名含む)

  

 〇なぜか携帯端末の待ち受け画面を健全な風景写真に戻した者       9名

  

 〇なぜか隠し持っていたアイドルのブロマイドをいつの間にか処分していた者7名

  

 〇なぜかいきなり整髪料をつけ始めた者        7名(丸刈り1名含む)

  

 〇一体何を気にしているのか新品の軍服を下ろした者           5名

  

 〇一体どこから入手したのか香水をつけ始めた者             4名

  

 〇一体何を期待していやがるのか口臭ケアを始めた者           3名

  

 〇一体全体何を考えていやがるのか新品の下着を用意した者        2名

   

  (※複数項目に重複して該当する者多数)

  

 以上、第5008SWG部隊隊員全16名。

 

 どうやら1日持たずして、全滅したらしい…………。


霧笛きりふえ、おまえもか……」

 頭を抱える部隊長の刀島とうじま


 すでに水面下の戦いは始まっている。訓練を終えるといつもバカ騒ぎをしていたアイツらが、今日は妙に静かだった。互いを見る目が、明らかによそよそしい。


 まずい、非常にまずい。このままでは後ろから味方を撃つやからも出かねん。


「マジでシャレにならん……」


 実戦もまだだというのに、すでに部隊壊滅の危機。刀島とうじまの背筋に冷たいものが走る。


 部隊長として刀島とうじまは、本気マジでこの問題をどう解決すべきか思案する。


「……ダメだっ! 何の策も思いつかん」

 はあ、と深いため息をつく。まあ今考えていても仕方がないと、持っていたコーヒーをすする。


「ふう」


 さて、それはそうとして。どうにも先ほどからずっと、妙な視線を感じる。


――とても熱い視線だっ‼


 7時の方向より、先程から何かが見え隠れする。悟られないようコーヒーを飲む素振りをしながら目だけで左後方を確認する。


 亜麻色の長い髪、アイボリー色の影、ひらひらと翻る布。間違いない‼ 今まさに危惧していた我が部隊最大の脅威〈白い小悪魔〉。


 首を横に向けると壁に引っ込む。タブレット端末に目を戻すと再び現出するアイボリー色の気配。


(……いったい、何のつもりだ?)


 そうこうしていること彼是10分、対象が未だ攻撃を仕掛けてくる様子はない。


 断崖に囲まれた渓谷の中でもスピードを緩めることなく突き進み、敵に見立てたドローン16機を一人であっという間に撃墜した凄腕の持ち主。あれほどの胆力とSWGの技能を持ちながら謎の行動を繰り返す現役女子高生。その行動の意図がまったく読めない。


(きゃつの目的は一体なんだ……?)

 今まで経験したことがない動きをする敵の行動に焦りを感じる刀島とうじま。いずれ、あの訓練生たちを率いて戦場に出ることになる。想定外の事象にも動揺などしてはいられない。


(ふんっ、この程度のことで……先手を打たれた形だ。まさか、あちら側から仕掛けてくるとは)と焦りを隠せない刀島とうじま


 昨日さくじつ散髪したばかりの角刈り頭をフル回転させ、頭から湯気が出るほど、敵の狙いを必死に考える。


 刹那、角刈り頭に電気が走る。閃きとともに学生時代の瑞々しい記憶がよみがえる。〈白い小悪魔〉の思惑に刀島とうじまは感づいた。その手の感覚が鈍っていた事に今更ながら気づく。


「いやいや、ああぁ、そういうことかぁ」


(敵の狙いは、部隊の殲滅。そう、隊長のこの俺をもとしに来たということか)


「早く気づいてあげられなくて悪いことをした。俺ももう、歳だな……」


(あのくらいの年頃の女子というものは、年上の男に惹かれるものだ。そう、つまりはそういうことだったわけだ)


「同じ年頃の男子など、おこちゃまに見えてしまうのだろう。うむ、仕方がないことだ」


 敵はすでに〝思わせぶりな態度で相手の気を引く〟というテクニカルな戦術をとってきている。   


 ガキどもだけでなく、おそらく副隊長のアーニスも、もうすに……………………。 


 第5008SWG部隊、もはや生き残ったのは隊長であるこの俺だけ、ということか。


 だがしかし、〈白い小悪魔〉の計略はすでに破綻している。


――そう、この俺には、最愛の妻がいるからだ。たとえそれが可憐な美少女であったとっしても、俺の心が動くことなどない。そんなことは決してない。神に誓ってないっ‼


(だがしかし、困ったものだ。魅力的なこの俺がいけないのだろうが。どうやって彼女の幼気いたいけな恋心を傷つけずに諦めさせることができるものか……)


 心底困った表情を浮かべる刀島とうじまの角刈りに、再び閃光が走る。


「ん、待てよ」


 刀島とうじまは思いついた。今、部隊に迫る危機を回避する名案を。


(そうだ! この俺が引き受ければ、いいだけではないか。〝捨てる神あれば拾う神あり〟という言葉もイーハトーブには伝わっている。信仰上、何の問題もない。うむ)


 あの可憐な少女の思い人がこの俺であるならば、アイツらも諦めがつくだろう。


 そして悟るはずだ、本当の実力の差を、格の違いというものを。


 そして知ることだろう、この俺が大声で怒鳴り散らすだけの、ただの虚栄の角刈りではないということを。


 そして生まれるに違いない、この俺に対する真の畏怖と尊敬の念が。


 これは決して心を移したわけではない。これはあくまでも、あくまでも、かわいい教え子たちを守るため。部隊の存続のために、ただ演技をするだけなのだ。


「罪深いな……モテる男というのは、いつの世も罪深いものだ」


 教官たるこの俺自ら人柱となって、あの乙女の恋心を一身に受けとめよう。それで万事解決する。我ながらこれほどの策をよく思いついたものだ、最良の策ではないか。


 妻もきっと理解してくれるはずだ。


(では、恋の告白を、気長に待つことにしよう)


 指揮官としての自信をさらに深めた刀島とうじまは、女子高生の愛の強襲を、悠然と待ち構える、大人の男の色気を醸し出しながら。


 *** 


(恐い……、できれば話したくない)


 フェリシティは、勇気を出して刀島とうじま少佐に声をかけようとしたものの、足がすくんでしまい、なかなか声をかけられないでいた。


 そうこうすること20分近く、もういい加減あきらめて宿泊先のホテルに帰ろうと振り返ると、よく見覚えのある人物の姿が目に飛び込んできた。


 フェリシティは、まだ名前も知らないその人に、遠い異国の地で同郷の知り合いに会えたかのような、そんな懐かしい安心感が込み上げてくるのを感じた。


 ***


 櫂惺かいせいは、今の自分でも部隊のために何か手伝えることはないかを尋ねるため、刀島とうじま隊長を探して基地施設内を歩いていた。


 オフィスに居ないということは休憩所にいるだろうと、その近くまで来た時、不意に誰かから呼び止められる。


「あの……」

 声のした方を振り向くと、フェリシティ・ヘザリーバーンの姿がそこにあった。


 櫂惺かいせいは思いがけない幸運に驚くと同時に、胸が高鳴り、顔が上気してしまうプレッシャーを受けて金縛りにあってしまう。それでもこの幸運を逃すまいと、なんとか平静を取り繕い、麗しのヘザリーバーン嬢に向き直る。


(……どうしたんだろう、何か、すごく困ってるような)

「ハッ」と、ぎこちなくも櫂惺かいせいは呼びかけに応じる。


「えっと……その……」


 気圧されたようにフェリシティはうつむいてしまう。基地の中だったため、つい声を張り、軍人の答礼をしてしまった。しまったと思い櫂惺かいせいは、トーンを落として聞き返す。


「ヘザリーバーンさんですね。はい、何でしょう?」


「はい、あ、えっと……」

 フェリシティは櫂惺を見たまま、言い淀む。


「あ、自分は、霧笛櫂惺きりふえかいせいと言います」


「あ、はい。あの……霧笛きりふえさん、SWGのシミュレーターを使いたいんですけど、刀島とうじま少佐に許可を出してもらわないと、その、いけないみたいで……」


 なるほど彼女もまた刀島とうじま隊長を探していたのだと思い案内しようとしたら、彼女の視線の先にすでにその姿があった。


 どういうことだろと再び彼女を見る。当然彼女も刀島とうじま隊長本人だとわかっているようだが。


(何で目の前にいるのに話しかけないのだろう)謎は深まる。


「あの……協力してらえないでしょうか……?」


「はい……」と言いつつ、何を協力すればいいのか、まったくわからない。


 両手でスカートの裾をギュッと握りながら、かなり困った表情で刀島とうじま隊長の方をちらちら見る様子に、櫂惺かいせいは彼女の意図を理解した。


「私だけだと許可してもらえるかどうか……自信なくて……失礼なんですけど、ちょっと恐くて……」


 もじもじしながら上目遣いでお願いされ、ついドキッとしてしまう。それにいい匂い、髪からシャンプーのとても良い香りが漂ってくる。もはや櫂惺に抗うすべなど残されていなかった。


「ああ、はい。そういう事でしたら喜んで!」

 と言っても、自分がいてもいなくても変わらないだろうけど、女の子に頼まれ、咄嗟とっさに快諾してしまった。


「ほんとうですか!」とフェリシティの顔がパァッと明るくなる。その表情にさらにドキッとさせられる。


 近くで見ると一段とフェリシティの容貌のかわいらしさに見とれてしまう。整った顔立ちに大きな瞳。 

(か、かわいい……)心の中でそんな言葉がつい漏れてしまう。


(朝の、訓練説明のときのことが原因だろうな。一般の学校の学生、しかも女の子。やっぱり刀島とうじま隊長のような人は苦手なのかな。

 それにしても……訓練の時とはだいぶ違うな、ヘザリーバーンさんが操縦するSWGはあんなにもダイナミックな動きをしていたのに。それに、あの丘でいつも見てた、のびのびと楽しそうに踊っていた姿とも違う)


 CRESクレス専用SWGに乗っているとは言え、怖気ることなく前に突き進んで行くあの姿と、今見る彼女のそれはまったく違って見える。まるで別人のようだ。そのギャップに驚かずにはいられない。


 まあ何か助け船が出せたらと、自分が前に立ち一緒に刀島とうじま隊長のところへ向かう。


 刀島とうじま隊長の近くまで来たところで、フェリシティに目で合図をする。


 促されるまま、櫂惺かいせいの後ろからフェリシティは勇気を振り絞って刀島とうじまに声をかける。


「あの……刀島とうじま少佐」


 振り返る刀島とうじま櫂惺かいせいの背に隠れるフェリシティ。


「………………なんだっ、貴様か……」


 開口一番、刀島とうじま隊長の口から予想外の言葉が飛んでくる。

「ハッ」と櫂惺かいせいは敬礼をする。


 刀島とうじま隊長が振り返った瞬間、何やら不純な動機を抱いたスケベ根性丸出しの角刈りの顔が見えた。いやいや、我が隊の隊長でありSWG教官でもある尊敬すべき刀島とうじま少佐の凛々しいご尊顔を拝することができた。


 今まで見たことも無い、寒気がするほど、とてつもなくおぞましい、すごーく、すごーっく不気味な笑みが、ほんの一瞬垣間見えた気がするのは、気のせいだろうか。気のせいにしておこう。

 

 ***


「あの……刀島とうじま少佐」


 来たか。間違いない、あの少女の声だ。


 呼ばれて振り返ってみると、その声の主とは違う、呼んでもいねーのに何しに来やがったのか、女の子に頼られちゃって勇気凛々感丸出しの、口元のゆるみを隠し切れない、よーく、よーっく見知ったイロガキが立っていた。いやいや、非常に優秀で、とてもかわいい教え子の霧笛きりふえ君が立っていた。


 そして、その霧笛きりふえ君の後ろに〈白い小悪魔〉の姿があった。


刀島とうじま隊長、お願いがあって参りました!」


 麗しのヘザリーバーン嬢は霧笛きりふえ君の後ろに隠れ、おどおどした様子でこちらを窺っている。


 その様子を見て刀島とうじまはついに、とうとう、やっとのこと察する。


(知ってた。うん、知ってた…………)


 彼女が自分に好意を寄せているのではなく、ただ恐がっていた、ということを。


刀島とうじま隊長、ヘザリーバーンさんがSWGシミュレーターを使わせていただきたいとのことであります!」


――フッ、やはり俺を理解してくれるのは妻だけだ。


刀島とうじま隊長! ヘザリーバーンさんが!」


 刀島とうじまは遠い眼差しで天井を見上げている。


刀島とうじま隊長っっ‼ あの……、聞いてます?」


「なんだっっ‼」


 遠い目をしていた刀島とうじま隊長が、いきなり我に返ったように目をひん剥いて睨んでくる。


(何だかすごく機嫌が悪そう。自分が一体何をしたというのか)


「ハッ、ヘザリーバーンさんがシミュレーターを使わせていただきたいとのことであります」


「そういうことだったのか………………」


「はっ?」


「いやなんでもない。こちらの話だ」心なしか今度はすごくがっかりした様子の刀島とうじま隊長。


「はぁ……?」


 刀島とうじま隊長は、穏やかな笑みを一瞬浮かべ要請に応じる。


「わかった、申請を出す。ちょい待て」


「ありがとうございます!」「ありがとうございます」ハモッた。


 刀島とうじまは持っていたタブレット端末ですぐさま申請を済ませる。


「できたぞ。これで、いつでも使えるようにしておいた。お好きなだけレッスンできますよ、レディ」


「ありがとうございます!」「ありがとうございます」またも息ピッタリの二人。


 刀島とうじまはなんだか微笑ましい光景を見せられ、つい吹いてしまう。


霧笛きりふえ、お前も一緒にやってきたらどうだ」


「いいんですかっ⁉」


「ああ、シミュレーターなら何の問題もない。CRESクレスパイロットと訓練できる機会なんてそうはない。せっかくだ、行ってこい」


「あ、ありがとうございますっ‼」


「おっ、そうだ! 霧笛きりふえちょっと待て」


 刀島とうじまはフェリシティに見えないように櫂惺かいせいの肩に腕を回し胸ポケットから何やら紙きれを取り出し、声をひそめて話しかけてくる。


「明日は休暇だ、これで彼女を誘ってみろ」


 手渡されたのは2枚のチケットのようだ。何のチケットか確認してみる。


「こ、これはっ⁉ え、これもらっていいんですか……?」


「ああ、軍人特権で手に入れたやつだが、妻の予定が合わなくてな。お前にやる」


「ありがとうございます!」


「おう、しっかりレディをエスコートしてこいよ」


「はい」


「それと霧笛きりふえ、お前ちゃんとストレス発散してるか? 給料溜めこんでばかりいないで、うまいもん食ったり、パアーっと外で遊んで来いよ。せーっかくアホみたいに広い宇宙そらなんだ」

 刀島とうじま隊長は優しくさとすようにそんな言葉をかけてくれた。


「……はい、ありがとうございます」

 何気にちゃんと見られていたのかと思うと恥ずかしくなる。

(参ったな……)


「オレも昔は、イーハトーブの砂浜をよく叫びながらダッシュしたり、宇宙そらに出て好きな女の子の名前を星々に向かって叫んだものだ、スッキリするぞ!」


「はぁ……」


「ほれ、レディを待たせるな。シミュレーター訓練するんだろ。早く行ってこい」

「ハッ」


 櫂惺かいせい刀島とうじまから手渡されたチケットを左胸のポケットに突っ込み、フェリシティのもとへ戻る。 


 連れ立って歩いていく二人の背に刀島とうじまは声をかける。


「お前たち、ちゃんと楽しんで来いよ。人生、楽しんで、いいんだからな」


振り向くと、刀島とうじま隊長が右手で左胸ポケットを軽く叩いたあと、グッドサインのジェスチャーを送ってきた。チケットのことを伝えているのだとわかり櫂惺かいせいは照れながら軽く会釈で返す。


 脈絡もなく、何のことかわからない言葉を突然かけられ、フェリシティはきょとんとした顔をしている。


 刀島とうじまの生暖かい眼差しに見送られ、二人は連れ立ってシミュレーター室へと歩いて行く。


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