夢の砂漠

 そこは夢と現実が渾然一体と化した砂漠だった。夢の世界の筈なのに身体的に喉が渇く。偶然にオアシスにたどり着くフィリップは、オアシスに湧く水を飲んだ。 

 だいぶ、喉の渇きは癒やされた。

 この砂漠は一体何処なんだろう?

 すると。夢の水先案内人のベルがふと空間を超えて現れた。


「フィリップさん。いきなりこんな場所に連れて来られて困惑している様子ですね」

「一体、ここは何処なんだい?」

「これがあの蛍ちゃんの夢の中です。彼女は相当きつい夢を見ているのですね。私が御案内しましょうか?」

「頼めるかな」


 そうしてベルの案内で夢の砂漠を彷徨うフィリップ。

 最初に案内されたのは、港町で会った踊り娘の夢。しかし、頭が痛くなりそうな悪夢の光景が広がる。

 あの踊り娘に粘着質な執着を持つムカつく金持ちの子供ガキだ。ルイスという名前だった筈だ。

 踊り娘に話しかけるとその彼女の心の声が叫ぶように聞こえた。 


「あのクソガキは嫌い! 生意気だから嫌! 金持ちだからって何でもかんでも思い通りにしようとする奴、嫌い! 死ね! 死ね! 死んじゃえ! 消えてよ! 目の前から消えてよ! ウザったい! 死ね! 死ね!!」


 あの踊り娘の本心はこんな想いが渦巻いていたのか……。

 ルイスは心根からねじ曲がっている。


「キミの瞳は堪らないのね〜ん。ボクの心を囚えて離さないのね〜ん。離れても、離れても、ボクをココに連れてくるのね〜ん。キミの瞳は地引き網なのね〜ん」


 駄目だ。コイツらは。

 フィリップはうんざりしたように顔をしかめる。

 ベルは説明してくれた。


「夢の世界では本当の心がむき出しになりますからね。さっさと次に行きましょう~」

「あんまり気乗りしないなぁ……」

「うんざりするのは早いです~。この先はもっとどぎついですよ」


 次に訪れたのは、ラズリの夢だ。

 何やらブラックパールと話をしている。

 ブラックパールの冷徹な質問が飛んでくる。

 

「宿命は?」

「……無い。俺は護るべき者を死なせてしまった……」

「護るべきものが無い騎士など騎士てはない。そこらの路傍の石となるがいい…!」

「蛍の……フローライトの涙さえあれば俺の宿命も息を吹き返す」

「ふざけるな! 自らの姫を死なせた脆弱な騎士に我が姫の涙……生命いのちを与えられるものか!」

「ブラックパール。俺は貴女程強い騎士ではない。しかし敵対する者を倒すだけが本当に誰かを守ることなのか!? 人がその輝きを奪う限り、俺達は怒りの火を燃やす。怒りの火を灯す限り、玉石の剣は誰かの生命いのちを奪い続ける。それですべて解決するのか?!」

「私はジュエリアンの脅威となる者、すべての敵と戦う。私に構うな」

「ブラックパール。貴女の方が輝きを宿さない石なのではないのか……!?」


 ブラックパールは背中を向けて砂漠の奥へ入って行った。一人佇むラズリ。

 ラズリに声をかけるが彼はフィリップの事を覚えていないように言葉を募る。


「俺はラズリ。ジュエリアンの騎士。ジュエリアンには騎士と姫がいて……騎士は姫を護らないとならない。俺は姫を死なせてしまった……。俺に騎士の資格はあるのだろうか……」


 そうしてラズリの思念も砂漠の蜃気楼のように消える。

 一体、ここはどういう場所なのだ……?


「ここは夢の砂漠ですからね~。心がむき出しになりますから皆、後ろ向きなんですよ」

「心根から陽気な奴なんて居る訳ないよな」

「居たら私も見てみたいです~」

 

 そしてまた砂漠を彷徨う。

 するとプリンセスパールの思念に出会う。

 彼女も思い詰めた心を抱えていた。


「記憶がありません……。何も思い出せない……。頭が痛くなる……! 嫌……嫌だよ……独りになるのは嫌……! お願い……誰か……たすけて……たすけて……」


 うずくまるプリンセスパールの思念がまた蜃気楼のように消えていく……。

 フィリップの心に痛い棘が刺さる想いだった。


「プリンセスパールも心に痛いものを抱えていたんだ……」

「自分自身の事を思い出せないのはキツイものがあります~……」

「気分が滅入ってくるね」

「先に進みましょう〜」

「ああ」


 夢の砂漠をまたベルの案内で彷徨う。

 なのに異様に喉が渇く。

 本当にここは夢の砂漠なのだろうか?


「喉が渇いてきたね」

「これでもどうぞ」

「水筒……こんなものまで用意して、一体、君は何者なんだい?」

「ただの夢の水先案内人です~」

「夢も現実も渾然一体だから、肉体的にはきちんと渇きを感じるんですよ。それが普通の人です」


 しばらく砂漠を進むとまたブラックパールとラズリの会話が聞こえた。


「パール。俺は君をもう一度、守りたい」

「私は黒い真珠の騎士。ブラックパールだ。この身に流れる黒き血こそ本当の私。胸にある2つの心臓の黒い真珠だ。宿命は蛍石フローライトなのだ。立ち去れ、ラズリ。君こそ天涯孤独のジュエリアンだ」

「その2つの心臓の黒い力を分ければプリンセスパールは戻ってくるというのか?」

「やってみるかい? お前の力で?」 


 挑発的な言葉で嘲笑うブラックパール。

 抜きかけた剣をラズリは納めた。


「騎士は誰か一人を守り抜ければいい」

「貴女こそ天涯孤独のジュエリアンではないか? フローライトにはアレクサンドルという騎士がいると聞く」

「私の黒き心臓は確かに一度死んだ。その時にアレクサンドルにフローライトを預けたのだ」

「これ以上、誰と戦うと言うんだ」

「彼女はすべてのジュエリアンの為に涙を流した。その身が滅びるのも承知で……。なら、私はジュエリアンの脅威となるすべての敵と闘う」

「俺に背を向けるな。ブラックパール。貴女の背中は守るべきプリンセスパールだ」

「戯言に付き合う暇はない……」


 そしてまた、彼らは砂漠の蜃気楼のように消えていく……。

 彼らの会話はフィリップの心に刻まれる。

 ブラックパールはもしかしたら拒絶しながらも本当は誰かに縋りたかったのかも知れないと思う。一時的にでも。独りで闘う事は天涯孤独の裏返しのようなもの。

 強くある事は弱さを隠す事でもある……。

 夢の水先案内人ベルの案内は続く。

 そして、不意に案内されたのは夢の砂漠とはかけ離れた場所だった。


「こ、これは……!!」


 案内されたのはフィリップの遠い記憶。

 愛妻レミリーに起きた殺人事件の時の記憶。

 私立探偵、フィリップ・ストローとしての初めての殺人事件だった。


『あの事件の時の記憶だ……』


 その事件は忘れようにも忘れられない事件だった。

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